第5話 恋の噂のお掃除係
翌朝、会議の終わりに俺は功刀さんを呼び止めた。
「なんでしょうか?」
早く研究に戻りたくてうずうずした様子の功刀さんに、質問する。
「遍在者の義務ってやつですけど、論文の発表国ごとに割り当てとかあるんですか?」
「観測できる世界ごとに割り当てですね。あなたたちに任せてますよ。では、私は研究に戻りますので」
そっけない態度で話を打ち切った功刀さんがさっさと会議室を出ていく。
本当に、研究者たちは寮のこと自体はどうでもいいんだな。
さて、論文探しとかは寮生が勝手に割り当てているとのことだけど、今まで俺はその手の話をされていない。
順当に考えて期末試験が近いから気を使われているのだろうと思う。
しかしながら、優しさを無視するようで心苦しいけれど、この会議の時間で自分の居場所がないのだ。
「彼氏君、ちょっといい?」
「縁山先輩?」
「そうだよ。一応付き合ってる設定だし、名前呼びにしようと思うんだけど、どう?」
「いいんじゃないですか。縁山先輩の名前って?」
「三依だよ。榎舟君は、相真だっけ?」
「そうです。それじゃ、三依先輩でいいですか?」
「おぉ、先輩ってつくとなんか年下彼氏って感じでいいね。だとすると、あたしは相真君かな?」
「そんな感じで」
会議室を出て廊下を歩きつつ、俺は気になっていたことを訪ねた。
「あの、会議でやってる論文の割り当てなんですけど」
「あぁ、やっぱり気になるか。――ちょっと、みんないいかな?」
廊下に全員がそろっているのを見た三依先輩が声をかける。
視線が集まったのを確認して、三依先輩は俺の手を取って頭上に持ち上げた。
「論文の件、相真君をC世界でもらっていいかな? 古宇田が卒寮して以来、ずっとあたしと凛ちゃんの二人体勢できついのと、A世界の観測がないから二度手間だったじゃん。他、欲しい世界勢いる?」
古宇田って誰?
卒寮したということは遍在者かな。
うどん男子笠鳥先輩が挙手して発言した。
「B、D世界は異議なし。むしろ、B世界勢としては縁山の負担軽減できるから賛成の立場だな」
「ありがとう。A世界勢はどう? そっちもきついって聞いてるけど」
三依先輩に尋ねられて、戸枯先輩と屋邊先輩が顔を見合わせる。
「どうすると聞かれてもね。私と屋邊はA、B世界の観測要員で、詩乃ちゃんがA、Dの観測でしょう。A、Cで結ぶならありだと思うけど、詩乃ちゃんはどう思う?」
「そうですねぇ」
頬に手を当てて考え込んだ仲葉先輩が俺を見る。
「可愛い後輩、欲しかったんですけどねぇ」
そんな残念そうにつぶやかれると心が動いてしまう。
しかし、招田先輩が仲葉先輩に苦笑しながらも意見を切って捨てた。
「私情を挟まない」
「ですよねぇ。ブルーローズは閉鎖環形がつくれているので大丈夫です。全体を考えると、榎舟君と縁山さん、それに、七掛ちゃんか笠鳥君を加えれば閉鎖環形になりますから、この形にしてしまうのがベストでは?」
「そう考えると、榎舟君ってすごい好物件だね。D世界観測員がいれば閉鎖環形になる。トリプル遍在ってすごいな」
何やら褒められているらしいけれど、俺は話についていけてない。
どうやら、たびたび出てくる閉鎖環形というのは、数人の遍在者がそろった時に互いが観測している世界を話し合ってA、B、C、Dの四世界すべてを観測可能になる関係らしい。情報が数人の遍在者で作った環を回るから、閉鎖環形と呼ぶのだそうだ。
俺はA、B、Cの三世界を一人で観測できるため、これにもう一人D世界を観測できる遍在者がいればたった二人で閉鎖環形が成立する。伝言ゲームによる情報のゆがみも少ない理想形だ。
もっとも、たった二人で四世界のあらゆる国家の論文を精査するなどできるはずもないので、補助に回る人員が必要になる。
遍在者の関係図みたいなのを作ってほしいんですけど。
三依先輩が纏めに入る。
「決まりだね。相真君はあたしたちC世界勢が貰い受けて閉鎖環形を作ったうえで、ブルーローズと相互補完しよう。問題は、D世界観測員だけど七掛ちゃんか笠鳥になるけど」
三依先輩がやや困惑気味に七掛さんを見ると、笠鳥先輩が苦笑気味に手を挙げた。
「しゃあねぇ、俺が――」
「私が入る」
「……え?」
よほど意外だったのか、閉鎖環形への参加を表明した七掛さんに視線が集まる。
固まるみんなを余所に、七掛さんは歩いてくると俺を挟むように三依先輩とは逆側に立った。
「これで閉鎖環形。私なら、現在寮にいる全員と連絡が取れる」
「おーい、七掛さんや、笠鳥お兄ちゃんもB、D遍在だからお嬢チャンと条件が変わらんべ?」
「頼りない」
「くっは! 精神にダイレクトダメージ!」
胸を押さえてわざとらしい悲鳴を上げた笠鳥先輩は頭をかきながら苦笑した。
「珍しいこともあるもんだと思うけど、本人が言い出したんならいいか。実際、榎舟に外国語を教えられるメンツを入れておかないとうまく機能しないしな」
そういえば、七掛さんは頭がいいんだった。
話がまとまったのでぞろぞろと部屋に帰っていく寮生たちを見て、俺は左右の二人を見る。
「それで、俺が勉強するべき外国語は?」
「そうだね。とりあえずはあたしが覚えている奴を全部かな。七掛ちゃんは一年だし、卒寮まで時間もあると思うから」
三依先輩が七掛さんをみると、七掛さんは賛成するように頷いた。
「教材を用意しておく。夜に部屋を訪ねる」
早速、準備を始めるらしい七掛さんを見送り、男女で生活スペースが分かれる玄関前に来た。
「三依先輩、計画通りに今日の放課後、教室へ迎えに行きます。勝手に帰っちゃだめですよ?」
「分かってる。ちゃんと彼氏らしい格好してきなさいよ」
「学校に行くのに制服以外の選択肢はないですよ」
「それもそうだね」
髪を整えるくらいはするけどね。
※
放課後となった。
「頭が痛い」
「あんだけ勉強し続けてればそうなるだろ」
クラスの男子に言われた通り、俺は授業中はもちろん休み時間まで教科書とノートを開いて勉強し続けていた。
こうでもしないと絶対に赤点を取る。
「勉強、教えてやろうか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ。寮の先輩に教えてもらう。そういうわけで、迎えに行ってくるから」
「そか、頑張ってな」
クラスメイトに見送られ、最上階にある教室を出て階段を下りていく。
途中、友達と談笑している仲葉先輩を見かけて軽く頭を下げつつ、学校の裏門を出た。
三依先輩はC世界の校舎に通っている。俺が通うA世界の校舎とはサクラ荘を挟んで斜め向かいの位置、南西にある。
校庭を突っ切って表門に向かう生徒たちを横目で見て、面白い光景だと思った。
彼らの目には、A世界の校舎から出てくる自分たち以外は存在も知らない。
しかし、俺は彼らが旧校舎だと思っているB、C世界の校舎から各々の表門に向かう生徒たちの姿が見えていた。単純計算で、俺にとってはこの周囲の人口が三倍になっている。
そして、俺の目には見えないけれどD校舎の校庭も今頃は幾人もの生徒が歩いているのだろう。無人にしか見えないあの校庭を。
サクラ荘の前を素通りして裏門からC校舎に入る。
制服のデザインが変わらないから、半分部外者の俺に気を払う生徒はいない。
三依先輩の教室は二階にあるはず。
まだホームルームが終わっていないクラスもある中で、三依先輩のクラスはすでにホームルームを終えて帰り支度をしている生徒もいた。
部活は試験休みのため、遊ぶ約束やいっしょに勉強しようといった提案も聞こえてくる。
そんな二年生の教室に見慣れない一年生の俺が訪ねれば当然、入り口近くの先輩方の目を引いた。
「部活の連絡かな。誰を呼べばいい?」
「いえ、もう見つけたので大丈夫です。教室、入ってもいいですか?」
「ホームルーム終わってるから大丈夫だよ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
入り口近くでわいわい話していた先輩方に礼を言いつつ、教室に入る。
窓側の最前列の席で友達と話している三依先輩に笑顔で声をかける。
「三依先輩、帰りましょう」
「――名前呼びだ」
三依先輩のそばにいた女子生徒がすかさず反応する。素晴らしい察しの良さ。演技でボロが出ないように気を付けないと。
周囲の友人たちはもちろん、噂を聞いていたらしいクラスメイト達からの注目を集めた三依先輩は笑顔で立ち上がった。
「わざわざ迎えに来たの?」
「はい、逃げられないように」
「うん?」
「ホラー映画、一緒に見ましょうよ」
三依先輩の笑顔が固まった。
ホラーが苦手なのは昨日の朝、七掛さんから聞いている。
俺は三依先輩の手を取った。
「じゃあ、行きましょうか」
「ちょっと、まっ――」
「待ちませんよー」
これだけプライベートの距離感を演出しておけば恋人関係かそれに近いものだと疑わないだろう。
三依先輩の手を引いて教室を出ると、背後からざわざわと会話が盛り上がる気配がした。
フリとはいえ恋人設定があるため俺の手を振り払えない三依先輩は観念したように隣を歩きつつ、俺を横目でにらんでくる。
「相真君、Sっ気あるね?」
「そうですかね? でも、効果的だったとは思いませんか?」
「反論できないのが悔しい」
C校舎を出て裏門からサクラ荘へ向かう。
「というか、本気でホラー映画を見たりはしないよね?」
「それよりも外国語の勉強の方が重要なので、ホラー映画はまたの機会にしましょう」
「助かったぁ」
「本当に苦手なんですね」
「苦手だよ。その情報、どっから手に入れたの?」
「七掛さんからです」
正直に答えると、三依先輩は意外そうな顔をした。
「七掛ちゃんが? 朝も思ったけど、仲がいいの?」
「まだ越してきて二日ですよ。仲が良くも悪くもないです」
昨日の勉強会ではお世話になったけど、世間話みたいなものもほとんどなかったし。
「七掛ちゃんはあまり人と話さないし、部屋でパソコン弄ってばかりいる半引き籠りだから、今朝みたいに積極的に表に出てくることってなかったんだよ。だから、相真君と何かあったのかと思ったんだけど」
「特にないですよ。俺は出生世界がAなので、七掛さんとは文字通り住む世界が違っていましたから」
「そうなんだよね。古宇田ちゃんがいた頃はたまに話している姿を見たし、互いの部屋を行き来していたんだけどね。卒寮しちゃったから寂しがってるのかも。仲良くしてあげて」
「なんだか、お姉さんキャラですね?」
「……夜に七掛ちゃんをみて悲鳴を上げたことがあってね。以来、苦手意識と罪悪感が……」
昨日の朝に七掛さんが言っていた話か。
本当にホラー系が苦手なんだな、この人。もしかすると、七掛さんの方がお姉さんポジに入るのかもしれない。
などと考えているのがばれたのか、三依先輩に横目で睨まれた。
「今、あたしの先輩としての威厳が死んだ?」
「化けて出てこないといいですね」
「化けて出るとしたら相真君の枕元だよ?」
「先輩の威厳なら幽霊でも恐くなさそうですね」
「お、言ったな? 誰が外国語を教えると思ってるのかな?」
「申し訳ありませんでした!」
俺たちは冗談を言い合いながら、サクラ荘までの道を二人で歩いた。
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