第2話 遍在会議
「……おきて」
囁き声と共に体を揺すられて微睡から引き上げられる。
寝る直前まで何の作業をしていたのかを思い出し、慌ててパソコン画面に目を向ける。
スリープモードに入った真っ黒い画面を見て一安心した。
その時、肩をつんつんと細い指先がつついてきた。
指の主が口を開く。
「おはよう」
「……おはよう、ございます?」
昨日、玄関で一通りの顔合わせはしたはずなのに、目の前に立つ少女に見覚えがなくて戸惑った。
白というよりも青いくらいの肌にやや猫背の少女は目の下に作ったクマから察するにすっぴんらしい。部屋着そのままでやってきたのか、もこもこした緩いトレーナーにワイドパンツという出で立ちで、髪もとかしたのかどうか分からないくらいところどころで跳ねている。
俺よりよほど眠そうな少女はじっと俺を見つめて、首をかしげた。
「ホラーは好き?」
「苦手ではない」
「なるほど」
どういう意味の会話だ、これ。
「縁山さんなら、起き抜けに私を見ると悲鳴を上げる」
あぁ、確かに不意打ち気味だと苦手な人もいそうな幽鬼っぽさがある。顔が整っている分、余計に。
なんてことを考えていると、少女が部屋の外を指さした。
「朝の会議。報告はしなくていい。ただ、出席して、雰囲気を知ってほしいから連れてこい。言われた」
「誰に?」
「
「あぁ、なんとなく事情は分かった。すぐに行く」
病弱というより不健康そうな印象の少女は名乗りもせずに俺に背を向けると、ぱたぱたと部屋用サンダルの音を鳴らしながら廊下へ消えた。
座敷童にでもあったような気分だ。
部屋の鍵をかけて、彼女の後を追う。
建物の中央にある会議室には寮生が勢ぞろいしていた。功刀さんの他に白衣を着ている研究者らしき大人も二人、着席している。
少女が両手で会議室の扉を開けて、後から入ってきた俺の背中を押して中に押し込んだ。
「因場間、連れてきた」
「あぁ、ありがとう。榎舟君だね。適当なところに座ってくれ」
因場間と呼ばれた白衣の男性に促されて、俺は席を探す。
遍在者である寮生の数が安定しないのか、空席がいくつかあった。その内の一つの背もたれを叩きながら、笠鳥先輩が俺を手招く。
「榎舟、こっちおいでー」
「笠鳥は黙ってなよ。仲葉さんの隣の方が、後々相談とかもできるっしょ。同じA世界だし」
茶髪の女子生徒が意見を言う。
因場間さんがいらいらした様子で頭を掻いた。
「席替えをやってるんじゃねぇんだ。どこでもいいから適当に座れ。どうせ今日は雰囲気掴みだけだ」
「榎舟君は屋邊君と私、どっちを選ぶのかな?」
仲葉先輩がニコニコ笑いながら因場間さんの言葉を無視する。
その隣で鬼原井先輩が笑いをかみ殺して俯き、招田先輩が手元の紙を隣の空席前に置いて俺を手招いた。
会議の場だというのにてんでバラバラだ。
その時、服を軽く引っ張られた。
横を見ると、クマが浮いた目で見上げられていた。
「仲葉先輩、招田先輩は、因場間を観測できない。だからまとまりを欠く。私の隣、座って。主体的に動かないと、何も決まらない。それが、遍在者の集まり」
「分かった、そうするよ」
出生世界でも遍在世界でもない人物や事柄に干渉できないから、この場にいても他人の発言を知りえないのか。
ややこしいな。相関図がほしい。
「後輩君をとられた!」
「あらあら、ブラックフォースね」
「詩乃、それを言うならダークホースだよ」
鬼原井先輩、仲葉先輩、招田先輩が息の合った漫才をした直後、肩をすくませた。小声で「怒られちゃった」とささやき合っている。
誰も何も言っていないのになぜ、と疑問が浮かんだ直後、俺にはこの会議室で唯一観測できない人物がいることに気付いた。
「D世界の研究者、初瀬が怒った」
クマ少女の報告で予想が当たっていることを知る。
「――ったく、話が全然進みやがらねぇ。学級崩壊かってんだ」
因場間が腕組みをして溜息を吐きだした後、俺を見た。
「榎舟君はトリプルだったな。ちょうどいいから、司会役を頼む」
「え?」
いきなり何を言ってるんだ。この会議が何をするための物かもおぼろげにしかわからない初心者に高いハードルを用意しすぎだろう。高跳びかよ。
「
隣にいたクマ少女、七掛さんが因場間に言われて頷いた。
「私の後に続いて」
「あ、あぁ」
「朝の会議を始めます。まずはA世界研究者……誰だっけ?」
フォロー役がいきなり躓いてハードルが越えられないんだが。
とはいえ、順序はわかったので、七掛さんの言葉に補足して繰り返す。
「朝の会議を始めます。まずはA世界研究者、功刀さんからどうぞ――で、いいですかね?」
「えぇ、それで構いませんよ。では、私からの報告を……」
功刀さんが手元の紙束の表紙を読み上げ始める。
「ナンバー8、13、17、18の特許および研究論文のA世界での実在を確認しました。また、4、9、15については存在していません。本日中に仲葉詩乃を通してこれらの論文を写し、関係者と思われる企業、大学には明日以降、接触する予定です」
功刀さんが俺を見る。
「報告は以上です。繰り返してください」
……え、今の全部繰り返すの?
数字まで覚えていなくて焦ったのも束の間、七掛さんが俺の前に紙とペンを出してきた。
助かる。できれば代わりに報告内容を書いてほしかったけれど、功刀さんの名前を覚えていなかったことといい、それに対して功刀さんからの反応がなかったことといい、おそらく七掛さんはA世界を観測できない遍在者なのだろう。
ペンで数字を書き連ねて、功刀さんの報告内容を復唱する。
同じ手順でB、C世界の報告を復唱し、俺が観測できないD世界の研究者、初瀬さんの報告だけは七掛さんに任せた。
「――朝の会議はこれにて終了です。ありがとうございました」
七掛さんと共に頭を下げると、功刀さんたち研究員が拍手した。
「トリプルがいるとスムーズですね。明日以降もお願いします」
結局、何をしているのかさっぱりわからなかったんだけど。
俺の困惑をよそに、功刀さんたちは壁掛け時計を見てさっさと会議室を出て行った。
なんだか、会議に使った時間を取り戻そうとするような素早い動きだ。
「あのまますぐに自分たちの研究に移るんだってさ。今日は早く会議が終わったから大人組は機嫌が良かったね」
いつの間にかすぐ横に立っていた鬼原井先輩が大人組の出て行った扉を眺めて言う。
「あの、この会議ってなんですか?」
「功刀さんに説明されてない?」
困ったものだ、と言いながらさして困った様子もなく笑った鬼原井先輩が続けたところによれば、この会議は事前に遍在者たちがネットや新聞、科学雑誌で調べた様々な特許、研究論文などが他世界でも存在しているかの情報を共有するための物らしい。
入寮する際に功刀さんから説明されていたけど、手ほどきもなしにぶっつけ本番とは恐れ入る。
「やり方は先輩たる私が教えてやろう。とりあえずはロシア語の読み書きを教えてあげるから、放課後に時間を作るんだぞ」
期末試験だけでも頭が痛いんですけども。
学生の仕事は勉強とはいえ、オーバーワークが過ぎる。
「なんだよ、その嫌そうな顔は。失礼な後輩君だな。美人な先輩と放課後に個人授業と聞けば思春期男子が口では言えない妄想をするところだろ。ほら、言ってみ? お姉さんは理解がある方だからさ――痛っ」
調子に乗ってエロトークを始めようとした鬼原井先輩の背中をつねった招田先輩があきれ顔をした。
「同世界の出生か遍在が後輩の面倒を見るのが慣例でしょう。榎舟君の場合、出生Aだから詩乃か屋邊君、遍在だと戸枯かな」
会議室を見回しながら俺が師事する相手を教えてくれた。
まだ顔と名前が一致してないので戸枯先輩がどの人なのかわからないけれど。
「……うん?」
つんつんと腕を指先でつつかれて、犯人を見る。
目の下にクマがはっきりと浮き出た七掛がこちらを見上げていた。片手で会議室の奥を指さしている。
「あっち、見る」
「見るって、なにが――くっ」
何を指さしているのかと目を向けて、視界に入った衝撃的な光景に思わず口を押えて笑いをかみ殺す。
仲葉詩乃先輩と別の女子生徒が重なっていた。
上下とか前後ではなく、存在が完全に重なっていた。いうなれば、フュージョンしていた。
遅れて気付いた鬼原井先輩が吹き出すも、招田先輩は不思議そうに俺たちの顔を見るばかりだ。
「どうなってるんですか、あれ?」
「詩乃と縁山ちゃんは世界が完全に違うから、お互いのことを見られないんだよ。だから、ああやって立っている場所が重なったりするのさ」
仲葉詩乃先輩は出生Aで遍在D、縁山というらしい先輩は出生Bで遍在Cだから、互いに観測も干渉もできず、存在が重なるらしい。
つくづく、遍在者は変な存在だ。今や俺もその遍在者なわけだが。
笑いをこらえていると、招田先輩が壁掛け時計を見て口を開いた。
「と、話し込んでる場合じゃないね。支度して、学校に行かないと」
「まだ早くない?」
「榎舟君に学校紹介とか、いろいろあるでしょ。詩乃! 榎舟君と登校してあげてよ」
「はーい。今行きますよ」
招田先輩に呼ばれた仲葉先輩が間延びした返事をして歩いてくる。縁山先輩とのフュージョンが解消された。
「こうしてみると比較が容易でわかりやすいけど、詩乃は巨乳だよねー」
確かにフュージョン状態だと縁山先輩の胸より一回り大きいのが分かる。
思わず頷いた直後、招田先輩に背中を思い切り叩かれた。地味に痛い。
「セクハラ禁止。まったく」
腕を組んで怒る招田先輩に、俺は鬼原井先輩と一緒に頭を下げる。
「気にしてませんよー」
にこやかに笑いながらやってきた仲葉先輩がふと俺の隣に視線を移した。
「七掛さんが他の人とその距離でいるところって、見たことないですね。榎舟君とは知り合い……じゃないですよね。呼びに行ったときに何かありましたか?」
「……別に」
仲葉先輩にそっけなく答えて、七掛さんが一歩俺から距離を取った。気にしていなかったけれどよほど近くにいたのか、体温が遠ざかったのを感じる。
七掛さんを見ると目が合った。
すぐに逸らされたものの、何か観察するような視線だった。人物模写をする時に鏡を覗き込んだ自分の目に似ている気がした。
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