第一章  住む世界が違う偽の恋人

第1話  サクラ荘

 別室で事情を説明されていた両親に頼んで荷物をまとめてもらい、入院して二日目には引っ越しの準備が整った。

 その間にいくつかの検査を受け、平行世界の日本政府も協力した上で俺の移送だか護送だかが始まった。

 目撃者を少なくするため、さらには交通事情が平行世界間で異ならないよう深夜に病院を出た俺は、周囲を護送車で固められた状態で自転車にまたがる。


 遍在者以外には他の世界が観測できないため、車での護送を行うと世界間での車の速度を合わせられない。したがって、車の中にいる遍在者は世界間での相対速度により座席に叩きつけられたりするという。

 怖いな、おい。新幹線や飛行機なら即死しそうだ。

 これからは自動車には乗れないのかと思えば、複数の世界で同時刻に乗らなければ問題ないという。もっとも、この場合は平行世界の人間から空中浮遊人間として扱われるようだ。

 だめじゃん。


 そんなわけで、途中で休憩を挟みながら自転車をのんびりと漕いで昼ごろに到着したのは国立在自高等学校。海沿いの街にある森に囲まれた学校だった。

 遍在者向けに作られた学校で、校舎が一つと使われていない旧校舎が三つ存在し、これら計四つの校舎の中央に俺がお世話になる寮、サクラ荘がある。


 校舎が四つ、観測されているという世界も四つ。

 平行世界の遍在者もこのサクラ荘に集められているそうで、それぞれの世界で使う校舎を分けることで遍在者を保護し利便性を高めているらしい。


 とっくに花を散らせた梅の木とまだ硬い花のつぼみをつけ始めた桜の木を同時に眺めながら、国立在自高等学校がある山の中へと入る。

 振り返れば、山のふもとに広がる街が見えた。もとは畑と田んぼばかりの田舎町だったらしいけど、高校が設立されると同時に電車の本数も増えて学生目当ての商売で活気づいて今があるらしい。


「学校ひとつ用意するなんて、遍在者って結構いるんですね」


 自転車を押して坂道を登りながら、隣の功刀さんに声をかける。

 スーツ姿にマフラーを巻いている功刀さんは白い息を吐いた。


「生徒全員が遍在者というわけではありませんよ」

「そうなんですか?」

「えぇ。ほとんどの生徒は私と同じ一般人です。当然、国家機密である遍在者の存在も知りません。現在、在自高校に在籍する遍在者はあなたを含めて十一名です。全員がこれから向かうサクラ荘にいますので、自由に交流なさってください。サクラ荘には私の他に一般人が数名いますが、全員が遍在者に関する研究員です。この辺りは後ほど説明しましょう。――着きましたよ。ここがサクラ荘です」


 功刀さんが手で示したのは、高い漆喰塀で囲まれた大きな平屋の建物だった。玄関を中心軸に左右対称となっているその建物は高級感のある和風木造建築で、素敵な縁側完備。昼寝がはかどりそう。

 向かって右側が男子スペース、左側が女子スペースで別れており、中央には会議室や資料室、その奥に功刀さんたち研究員の個室などが用意されているらしい。


「資料室、ですか。遍在者の義務ってやつに関係が?」

「えぇ、外国語を学ぶための資料などがそろえてあります」


 事前に渡されたパンフレットには、国が補助金を出す代わりに遍在者はいくつかの義務を負うと書いてあった。

 その義務の内容はおおざっぱに言えば平行世界の情報収集。それも、国の内外の特許や研究論文を調べて国が派遣した研究員――功刀さんたち――に報告するというもの。

 世界間の差異を広げないようにするのが目的とのことだ。平行世界のA国で開発された技術をこちらの世界のB国が遍在者を通じて発見し、他人や他国によってこちらの世界で特許登録される事態を防ぐための物らしい。加えて、国益を守ったり増強したりもできるのだから、遍在者を手厚く保護するのもうなずける。


 遍在者しか平行世界を観測できない以上、遍在者のマンパワー頼りになる。その遍在者が外国語を読めないのでは話にならない。加えて、論文を読み解ける知識レベルも必要になるけれど、そこは功刀さんたち本職の研究員が適宜質問に答えてくれるそうだ。


「毎朝、会議室での報告会があります。一般人に戻るころには英語などの検定で二級が取れるくらいにはなれますよ」


 喜んでいいのか悪いのか。

 漆喰塀を抜けてサクラ荘の敷地に入った直後、庭から声をかけられた。


「あ、功刀さん、お帰りなさい。シュークリームを共用冷蔵庫に入れてありますから、研究の合間にどうぞ」


 優しげなおっとりとした声をかけてきたのは、庭の花壇に水をやっていた女子生徒だった。垂れ目で彼女の周りだけ春めいた雰囲気。

 学校の敷地のど真ん中に位置しているサクラ荘だが、中では私服が許されているそうで女子生徒もラフな格好だった。

 サクラ荘もなんだかんだで学生寮。遍在者の義務とかなんとか言っても、住んでいるのは俺と同じ年代の高校生とのこと。

 そう、あの女子生徒も高校生。若い寮母さんといっても通じそうなものすごい包容力を醸し出すあのおっとり美人さんが高校生。

 ……高校生だよね?

 功刀さんが眼鏡を冬の陽光に光らせながら女子生徒を見る。


「ただいま帰りました。なかさん、私の留守中に変わったことはありましたか?」

「とくにはありませんでした。たった今、問題が起きたくらいです」

「たった今……?」

「新寮生が来るなんて聞いていませんでしたから、シュークリームを用意していないんです」


 片手を頬に当てて困ったように笑いながら、仲葉と呼ばれたおっとり美人さんが俺を見た。


「材料を探して作ってあげますね。明日にはお渡しできると思いますよ」

「いえ、お構いなく」

「構います。大事な後輩ですもの」


 のんびり笑った仲葉さんはジョウロを持ってサクラ荘の縁側から中へと入っていった。

 いい人そうで良かった。初めての寮生活だけど、あの人がいるならそうひどい生活にはならないだろうし。

 玄関へ向かう功刀さんについていく。


「先ほどの生徒はなかさんです」

「彼女も遍在者なんですか?」

「えぇ、出生世界は私たちと同じA世界。遍在先の世界はD世界だそうです。サクラ荘には、A世界で生まれてから遍在者となった生徒があなたを含めて三人います」

「俺と、仲葉さんと、もう一人は?」

「男子側の縁側にいるのがそうですよ」


 玄関をくぐって靴箱に靴を収める。靴箱の上に置かれている洒落た花瓶も気になったけれど、それ以上にもう一人の遍在者の方が気になった。

 花瓶から視線を外して男子側の縁側を覗き込む。縁側で赤茶色の猫を膝に乗せて日光浴している男子生徒が見えた。


「彼は屋邊やべ君。二年生です。いつも縁側にいるので見つけやすいですよ」


 のんびり屋ばっかりだな。


「挨拶は後にして、先に部屋へ案内します。ついてきてください」

「――クヌギンが男連れだー!」


 唐突に聞こえてきた叫び声に驚いて反射的に振り返る。

 明るい茶髪にボブカットの女子生徒が楽しそうにこちらを指さしている。すると、彼女のご注進が聞こえたのか男子側からも明るい茶髪が顔をのぞかせた。


「マジかよ! 本当だ、見慣れない男がいる! クヌギンはみえねぇけど!」

「クヌギンって誰だっけ?」

「Aの研究員だったはず」

「なになに、新入り君? 新入りさん?」


 男子側も女子側もぞろぞろと顔を出してこちらを覗き込んでくる。

 転校初日の質問攻めを思い起こさせる状況に右往左往していると、俺の様子に気付いたのか功刀さんが眼鏡を押し上げて質問してきた。


「平行世界の人々が見えるんですか?」

「誰が平行世界かはわからないですけど、何人もいますね」


 答えると、功刀さんは「ふむ」と小さくうなずいて、周囲を見回す。

 遍在者ではない功刀さんには何人見えているんだろう。


「榎舟さん、ちなみに、ここに何人いるように見えますか?」

「功刀さんを含めて十一人と猫一匹」

「――は!? 十一人!?」


 大げさに反応したのは功刀さんを除く全員だった。

 寮生たちが顔を見合わせる。


「十一人見えるってことは、全員が観測できるってことか?」

「それって、どうなってる?」

「というか一人足りな……七掛がいないのか」


 口々に意見交換しあう彼ら彼女らをよそに、功刀さんは「やはり」とつぶやいた。


「榎舟さん、あなたは遍在者ですが、ダブルではなく、トリプルのようですね」

「なんですか、トリプルって」

「出生した世界と平行世界一つに遍在するのがダブル、出生世界と平行世界二つに遍在するのをトリプルと呼んでいます。非常に珍しい事例ではありますが――興味深いですね」


 功刀さんは研究用ラットを見るような目で俺を観察しながらつぶやいた。



 功刀さんに寮生活での注意事項や俺がどの世界に遍在するかの詳細な検査などを受けて、ようやく部屋に案内してもらえた。

 部屋はかなり広かった。電気コンロ付きのキッチンに風呂とトイレまでついていて、引き籠って暮らせそうだ。しかも個室。

 ネット回線も計ってみたら超高速だった。実家の三倍近い速度が出ているのには乾いた笑いが出たくらい。

 外国で発表された論文などをダウンロードして読むのだから、ネット回線も充実させないといけないのはわかるけど。

 運び込まれた実家からの荷物を段ボール箱から取り出していると、部屋の扉が叩かれた。


「仲葉です。お手伝いに来ましたよ」

「ありがとうございます」


 扉を開けると、そこには仲葉さんともう二人の女子生徒がいた。癖毛の長身女子生徒とショートポニーの小柄な女子生徒だ。


「A、B、Cのトリプル遍在だと聞いたので、ちょうどいいから連れてきちゃいました」

「そんなに人手はいらないんですけど」


 過剰戦力です。段ボール箱も残すところ三つだし。

 おかえり願おうと思っていたら、癖毛の女子生徒が肩を組んできた。


「まぁまぁ、説明しなきゃなんないこともあるんだよ。そっちの二人はともかく、あたしはエロ本にも寛容だから荷解きを手伝……あ、無理だわ。あたしはB、D遍在だからA世界の荷物は見えないわ」

「何しに来たんですか?」

「エロ本の貸し借り?」

「帰れ」

「先輩にそんな口きいていいと思ってんのか、一年坊主。うりうり」


 首に回した左腕で軽く首を絞めてくる癖毛女子生徒先輩の頭をショートポニーさんがはたく。


「話が進まないでしょうが。うちのエロベースがごめんね。君にこれを届けに来たの」


 癖毛先輩を引きはがしてくれたショートポニーさんが紙袋を差し出してきた。

 差し入れかな。まぁ、寮生活の心得とかのプリントの束だろうけど。

 ありがたく紙袋を受け取ると、癖毛先輩も紙袋を出してきた。なんだか、あまりうれしくない。でも、もらう。

 やけに重いな、と思って紙袋の中身をちら見してみると、プリントの類は入っていなかった。

 代わりに入っていた布を取り出す。どうやら学校制服らしい。

 ショートポニー先輩が解説してくれる。


「遍在者だからね。遍在世界分の制服や私服が必要だけど、A世界の人には用意できないから、私たちが届けに来たってわけ」

「あぁ、そういうことですか」


 A世界の服を着ていても、平行世界の一般人にはA世界の服が見えず、裸の王様状態になってしまう。バカには見えない服ならぬ一般人には見えない服だ。

 だから、制服も私服も各世界分着ておかないといけない。面倒くさいな。


「裸で出歩きたいならとめないよ、一年君」


 ニシシ、と笑いをかみ殺しながら言ってくる癖毛先輩の頭をショートポニー先輩が無言ではたく。


「最初は慣れないと思うけど、我慢しなよ。それから、遍在者になった時の服は持ってる?」

「今着てますけど」


 功刀さんから着るように言われたのだ。

 ……あれ、俺って今、A世界の服しか着ていないのでは?

 裸で平行世界を出歩きながら自転車を転がしていたことになるのでは?

 それも深夜から昼にかけて。


「あぁ、その表情から大体の思考は察したけど、それは杞憂だよ」


 苦笑しながら、ショートポニー先輩が教えてくれる。


「遍在者になる瞬間に身に着けていたものは遍在するようになるから、君が今着ている服はA、B、Cの各世界に同時に存在してる。私たちから見た君が裸になってるわけじゃないから、安心して。そもそも、裸だったら玄関の時点でもっと大騒ぎだよ」

「そうですか、よかった」

「露出できずに残念でしたー」


 癖毛先輩、はたかれる。

 漫才をする二人の横から仲葉さんが俺の部屋を覗き込んだ。


「それでは、荷解きのお手伝いをしますね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、あたしはエロ本探すね」

「お帰りください」


 どんだけエロ本にこだわるんだよ。そもそも、荷造りをしたのは両親だぞ。エロ本なんか入っていたら家族会議を起こすわ。

 ぞろぞろと中に入った三人組に荷解きを手伝ってもらう。寮の備品だという各世界分の衣類まで箱ごと持ってきてもらった。

 本棚に並んだ資料を興味深そうに眺めて、ショートポニー先輩――招田まねきたというらしい――が俺を見る。


「廃墟とか色々面白そうな写真集が並んでるけど、絵でも描くの?」

「まぁ、そんなところです」

「ほぉ、見せて」

「最近は調子悪いので見せられるクオリティじゃありません」

「プロ意識高いなー」

「自分で納得できないものを人に見せるのって高度な羞恥プレイだと思うんです」


 癖毛先輩こと鬼原井おにはらい先輩が腕を組んで力強くうなずいた。


「うん、わかる。興奮するよね」


 だめだこの人。案の定、招田先輩に背中を叩かれている。

 漫才をしている二人をのほほんと眺めていた仲葉先輩が俺のパソコンとその横のプロジェクターに目を止めた。


「プロジェクターなんて、何に使うのかしら?」

「製作する時に壁に投影したりするんですよ」

「なんか本格的だ!」


 興味津々の鬼原井先輩がプロジェクターを指さす。


「私には見えないけど、この辺にあるの?」

「えぇ、それに、VRヘッドセットも」


 それも製作用です。

 鬼原井先輩が腕を組み、名探偵よろしく決め顔で俺を見た。


「3Dゲーム製作者と見た」

「違います」


 3Dグラフィッカーです。


「もういいでしょう。俺の話は」


 強引に話を打ち切ろうとすると、鬼原井先輩がにやにや笑いながら俺の服をつまんで引っ張った。


「いや気になるって、さぁ、さぁ、君の恥ずかしいモノを見せてごらんよ」

「……いい加減にしてください。見せたくないって言ってるでしょう」


 俺と目があった鬼原井先輩の笑みが凍りついた。不快感を隠しきれずに睨んでしまったらしい。

 バツが悪そうに俺の服から手を離した鬼原井先輩が俺を拝むように両手を合わせる。


「ごめん、調子に乗りました」


 気まずい沈黙が場を支配しかけた時、仲葉先輩がポケットからスマホを取り出し、画面で時刻を確認して立ち上がった。主に俺のせいで悪くなった空気を気にした様子もない。


「そろそろ夕食の時間ですよ。二人とも、何が食べたいですか?」


 これ幸いと鬼原井先輩と招田先輩が話題転換に乗っかりながら立ち上がった。


「湯豆腐!」

「麻婆豆腐!」


 二人が正反対の豆腐料理を上げ、じゃんけんをして鬼原井先輩が勝った。


「仲葉先輩が作るんですか?」

「この三人で食べる分は私が作っているんですよ。榎舟君は引っ越してきたばかりで食材もないだろうけど、食堂に行けば研究員と同じ料理が食べられます。有料ですけど」

「味は?」


 俺の質問に厳めしい審査員っぽく腕を組んで答えたのは鬼原井先輩だった。


「十点満点中四点」

「仲葉先輩の料理だと?」

「同じ土俵で比べたら食堂の料理当番がかわいそうでしょ?」


 聞けば、食堂の料理当番は功刀さんたち研究員の持ち回りらしい。一応、管理栄養士資格の持ち主が献立などを作成しているものの、寮生はあまり利用せずに仲間内で食べるのが慣例のようだ。


「まぁ、新入りの榎舟君をあいつが放っておくとも思えないし、そろそろ――」

「――ひゃっはー飯の時間だ、新入り、引っ越し蕎麦を味わわせに来たぜ!」


 蕎麦を片手に部屋の扉を蹴り開けたのは玄関でも見た明るい茶髪の男子生徒だった。


「ほら、来た。かさとりだ」


 招田先輩が茶髪男子を指さして紹介してくれた。

 二年生らしい笠鳥先輩が部屋を見回して不思議そうな顔をする。


「なんでブルーローズが全員揃ってんだ?」

「榎舟君はトリプル遍在者だから、制服とか服を届けにね」

「あぁ、そっか。まぁいいや。お前らの蕎麦はないから、余所で食え。それより新入り、蕎麦を食うぞ。さぁ、食うぞ。これからは男子の蕎麦パーティーナイッだからなっ!」


 許可もなしに入ってくる笠鳥先輩の後ろからさらに三人の男子が入ってくる。一人は縁側で猫を撫でていた屋邊先輩だ。

 抗議することもなく仲葉先輩たちは俺に手を振って部屋を出て行った。

 笠鳥先輩がキッチンに立ち、蕎麦をゆで始める。ぞろぞろと入ってきた屋邊先輩たちはさっさとテーブルを中央に寄せると持ち込んできた座布団を敷き始めた。

 すごく手慣れている。


「テーブルが小さいから誰か段ボールを机にしろ」

「何その侘しさ溢れる食卓」

「早い者勝ちにしようぜ。笠鳥が段ボール決定な」

「ひっでぇ!」


 わいわい騒いでいる男子たち。

 にぎやかな寮だなぁ。

 俺はキッチンにいる笠鳥先輩の背中に声をかける。


「引っ越し蕎麦って引っ越してきた俺が用意するものでは?」

「用意してあったらそれを茹でるところだけどな。基本、入寮するのに引っ越し蕎麦を持ってくる奴はいないだろ。だから用意してあんだよ」


 よっ、と声を出しながら蕎麦の水切りをして、笠鳥先輩はざるに蕎麦を盛る。


「それに、遍在者はいきなり隔離されて、そのまま元居た学校の連中に別れも言えずに入寮してくるだろ。そんな時に一人飯は寂しかろうという先輩の心温まる優しさがこの蕎麦なわけよ。へい、ざる蕎麦おまち!」

「この蕎麦冷たい!」


 男子の一人がまぜっかえすと笠鳥先輩は笑いながら蕎麦湯を入れた急須をテーブル中央に置いた。


「心が温かい奴は手が冷たいっていうだろうがおんなじだ! てか、なんで俺の席段ボールなん?」

「分厚く丈夫な段ボールで席を作るのは、俺たちの優しい心の表現、かな」

「いい感じに言ってるけど段ボールって隙間空いてるからな? お前たちの心スカスカだかんな?」

「いただきます」

「屋邊ってばマジ増しのマジでマイペースな」


 手を合わせた屋邊先輩の言葉を皮切りに食事モードに移行した全員で蕎麦を食べ始める。

 素朴な風味が落ち着くいい蕎麦だ。

 食後のお茶代わりに蕎麦湯を飲んでいると、スマホで時間を確認した笠鳥先輩が立ち上がった。


「本当は夜通し語りたいところだが、明日も学校だし今日は撤収するか。それにしても、榎舟は厄介な時期に遍在者になったもんだよな」


 食器を片付けながらの不穏な言葉に眉を寄せる俺を見て、笠鳥先輩は「知らないのか」と意外そうに言う。


「もうじき三学期期末試験だろ。在自高校はレベル高いぞ」

「……免除とか、ないですかね?」

「学生の本分は勉強ってことで、遍在者にも試験を受けさせる方針だとさ。まぁ、越してきた時期も時期だし、初回くらいは補習も少なくしてくれるんじゃね?」


 赤点は確定なのか。実際に自信はないけどさ。

 各々の部屋へと帰っていく笠鳥先輩たちを見送って、俺は部屋の扉を閉めた。


「ふぅ……」


 いろんな人が入れ代わり立ち代わりに現れて疲れたけれど、新生活への不安はもうなかった。

 みんないい人ばかりで慣れない環境ながらやっていけそうだ。……期末試験以外は。

 勉強した方がいいんだろうけど、まだ登校もしていないから試験範囲が分からない。

 誰かに聞けばいいんだろうけど、スマホを見ると時刻は午後十時を指していた。検査に結構な時間を取られたから仕方がない。


 実家から持ってきた愛用のパソコンを起動する。いつも通りに目を疑うような速度で瞬時に立ちあがったパソコンを操作し、タスクバーに表示されているソフトを立ち上げる。

 なんとなく、今ならスランプを抜けられる気がした。



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