住む世界が違う僕らのサクラソウ
氷純
プロローグ
目を覚ました時、見覚えのない部屋にいた。
病院の一室、それも個室だと気付けたのは、去年に資料として集めた写真の中に似たような部屋があったからだった。
窓もカーテンも閉じられていて、自分が寝かされていたベッドの横に何かの計器が置かれている。
枕元にあったナースコールを見下ろしながら思い出す。
「……信号を渡ろうとして、バイクにひかれた?」
あぁ、そうだ。学校の帰りに青信号を渡ろうとして――いや、そう、青信号だったんだ。
額を抑えて固く目をつむる。
記憶に焼きついた、バイクにひかれた直後の光景がおかしい。
青信号と赤信号が同時に点灯した信号機、重なって走行する乗用車とトラック。
なんだ、この記憶。
頭を強く打ったんだろうか。まぁ、医師に診てもらえばはっきりするだろう。
とりあえず、ナースコールを押さないと。
ボタンを押しこむ。
それにしても、妙に静かな病院だ。耳を澄ませても物音が聞こえない。こんなに防音対策のしっかりした個室に放り込まれるなんて、入院費をいくらとられるんだろう。
引き戸が開かれて、看護師と医師が入ってくる。続けて、スーツを着た見慣れない女性が部屋に入り、戸を閉めた。
医療関係者にも見えないスーツの女性は医師たちから二歩ほど後ろに立ち、観察するように俺を眺めている。
誰だろう。
「こんにちは、いくつか質問をしますが、楽にしてください」
「はぁ」
さすがに場馴れしているらしい医師はこちらの困惑も気にせずに質問してくる。
「まず、お名前は?」
「
昏睡状態で数年過ごしていたとか、ないよね?
「事故に遭ったことは覚えてますか?」
「道路でひかれたはずです」
「えぇ、その通り。ちなみに、今はあなたがひかれた日の夕方ですよ。ご家族の方も来院されていますが、少々問題がありまして――」
「そこから先は私がお話しますので、容体の説明などを先にお願いします」
医師が何かを言いかけたけれど、スーツの女性が冷たい声で遮った。
少しむっとした様子の医師を、スーツの女性は無表情で見返す。
「専門家の私よりも詳細に説明できるのでしたら続けてくださっても構いませんが?」
「……榎舟君、すでに精密検査は済ませています。打撲はありますが、軽傷です。本来は今日にでも退院できる状態ですが、どうやらそうもいかないようです。後は、こちらの女性から詳しく聞いてください」
結局、医師はスーツの女性に丸投げすることにしたらしい。
スーツの女性が一歩前に出てくる。丸眼鏡が似合う柔らかい印象の顔だけど、淡々とした口調や言葉選びが冷たく感じる。
「
「ありがとうございます」
名刺を受け取ると、功刀と名乗った女性は意外そうに目を細めた。
しかし、言及することはなく、功刀さんは看護師と医師を振り返る。
「これ以上の説明は国家機密となりますので、お二方にはご退出を願います」
やや剣呑な響きの単語に自然と背筋が伸びる。直接向けられた看護師と医師はやや渋い顔をしながらも、俺に一礼して部屋を出て行った。
戸が閉まるのを見て、功刀さんが部屋に備え付けの椅子に腰を下ろす。
「これから話すのは事実ですが、それを立証することが私にはできません」
「……どういうことですか?」
「実証するのはあなた自身ということです」
そう言って、功刀さんが手帳を取り出して付箋の付いたページを開いた。
ページには丸が二つ、一部が重なるように描かれている。知恵の輪のように見えた。
「パラレルワールド、あるいは平行世界、といった単語に聞き覚えは?」
「ゲームや漫画や小説で」
もっと言えば、自分の作品で。
功刀さんは手帳に書かれた二つの円を指さした。
「この円が世界とお考えください。現在、A、B、C、Dの四つの世界が確認されており、それが微妙な差異はあるものの、おおむね同じ発展度で隣り合い、一部で重なっています」
「……SFですか?」
「事実です。私には観測できませんが」
そういって、功刀さんは円の一つの内側を指さした。
「私たち一般人はここにいます。当然、他の世界を観測することはできませんし、干渉もできません」
「観測や干渉ができる人がいるように聞こえますけど――俺がそれだったりしますか?」
「お察しの通りです」
交通事故に遭ったばかりの怪我人を相手に二人きりで説明するからにはそうだと思ったけど、俺はかなりややこしい存在になったらしい。
功刀さんは円が重なり合った空間を指さした。俺がいるのはこの世界が隣の世界と重なった場所ということか。
「榎舟さんのような複数の世界を観測し、干渉できる人々を遍在者と呼びます。そこの机にスマートフォンが置いてありますので、それで私の写真を撮ってください。椅子が写るように、お願いします」
妙なお願いだな、と思いながら、俺は机に置かれたスマホを手に取る。別に細工されているようには見えない。
功刀さんが収まるようにスマホを掲げて、違和感に気付く。
「功刀さんも椅子も写ってない……?」
「はい。あなたが持っているだろうそのスマートフォンは平行世界の物です。私は干渉できず、したがって写ることもありません。同時に、私のスマートフォンで写真を撮れば、この通りです」
功刀さんが見せてくれた画面には、何もない空間を持っている間抜けな俺の姿があった。パントマイムが上手になりそうだ。
功刀さんはスマホをポケットに仕舞って、手帳を閉じる。
「さて、問題です。あなたは出生したこのA世界と、遍在している世界、どちらの車にひかれたでしょう?」
「平行世界です」
「お早い回答ですね。正解です。ちなみ、なぜその回答に?」
「俺をひいたのはバイクでしたから、A世界の功刀さんがそれを知らない以上、観測できなかった平行世界の方で起きた事故だと思っただけです」
それよりも気になるのは、
「平行世界の方の信号は赤だったんですか?」
「そのようです。ですが、あなたにはもう一つ気にしなくてはならないことがあります」
もう一つ?
何か見落としているのかと考えてみるけれど、答えは出ない。
功刀さんが答えを教えてくれる。
「あなたは、私たちA世界の住人の目からは青信号で突如見えない何かに跳ね飛ばされて転がり、気絶しています」
ホラーじゃん。
いきなり目の前の人間が透明な何かに跳ね飛ばされて転がったりしたら、見ている方は思考停止するだろうな。
一人で歩いていてよかった。周りに通行人がいた気もするけど。
「その後、遍在している世界の住人が救急車を呼び、この病院へ搬送されました」
ありがたいことだ。
……いや、待て。まてまて。
思い当たることがあって、さっきのスマホを横目に見る。
「遍在している世界の救急車って――」
「はい、A世界からは観測できません。あなたは極短時間ではありますが、突如として空中に寝かされ、空中浮遊しながら救急車同様の速度でこの病院へ運び込まれたんです」
「ホラーどころか新たな都市伝説が生まれるじゃないですか」
怪奇・意識不明浮遊男子高校生!
タイトル長いな。
「動画が投稿サイトにアップロードされています」
「証拠が挙がってるじゃないですか!」
拡散されちゃう。せめて顔にモザイクを入れといて欲しい。
「それをもみ消せるだけの国家権力でもって、私たちはあなたを保護します」
「えぇ……むしろそれが一番怖いんですが……」
人体実験とか、解剖とかされるのだろうか。
「榎舟さん同様、遍在者は異なる世界を観測し、干渉できると同時に、観測され、干渉されます。おそらく、あなたが今の状態でご自宅に帰ろうとしても、遍在先の世界の家とその住人が同じ空間に存在するので同居状態になるでしょう」
「えっと、つまり、家に帰れない? いや、それどころか自由に外に出歩くのもむりですよね?」
俺がバイクにひかれたのも信号機の変わるタイミングが世界間で違ったからだ。
遅ればせながら、俺がこんな立派な個室に寝かされていたことに合点がいく。誰かと同じ病室なんて無理だ。隣のベッドの患者と話しても、遍在先の世界では虚空に話しかける不思議ちゃんと化してしまう。
高校一年ももう終わろうという三学期、真に迫る中二病患者なんてシャレにならない。
功刀さんが丸眼鏡を押し上げて、口を開く。
「榎舟さんたち遍在者は多くの場合、中高生が発症し、二、三年で一般人に戻ります」
「その間、この個室から出られないってことですか?」
それは息が詰まるなぁ、と思わずため息をこぼしたけれど、功刀さんは鞄から書類を取り出して渡してきた。
「国は遍在者のために学校を用意しています。全寮制のこの学校であれば、遍在者の榎舟さんもつつがなく過ごせます。資料をご覧ください」
渡されたのは学校案内のパンフレットだった。
偏差値が異様に高い。進学、就職実績も見覚えのある名前がずらりと並んでいた。
「遍在者にはいくつかの義務がありますが、それを果たしていただければ学費や生活費の一切を国が保障し、さらに定期的な援助金が出ます」
「至れり尽くせりすぎて怖いです」
「国にも利益があることですから。詳しくは続きをご覧ください――」
セールスのような売り文句と流れるような説明を聞き、最終的に功刀さんはこう告げる。
「長々とご説明しましたが、他に選択肢はないとお考えください」
「説明の意味は?」
「インフォームド・コンセントは重要ですから。こと、国が行うこととなればなおさらです」
「遍在者の存在は国家機密なんでしょう? 不当な扱いをしても明るみに出ないのでは?」
「いつ表に出るかわからないという意味では細心の注意を払うべき案件ですので」
まぁ、選択肢がないと言われれば編入するけどさ。
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