第175話 海の家にて爆食少女

—1—


 砂浜の空いているスペースにパラソルとレジャーシートで拠点を作り、オレたちは海へと繰り出していた。


「風花ちゃん、思ったよりぬるくて気持ちいいねっ」


「波に揺られるのが気持ちいいですね」


 胸下の辺りまで海に浸かり、波の流れに任せてぷかぷかと泳ぐ千代田。

 ここまで深いところまで来れば浅瀬に比べると人は少ない。


「そういえば西城はどこに行ったんだ?」


「海の家で浮き輪を借りてくるって言ってたよ」


「あっ、西城くん来ましたよ」


「神楽坂くん! ちょっと手伝ってくれないかな?」


 西城がイルカとシャチの浮き輪を引っ張りながらこちらに手を振っていた。


「こんなのもレンタルしてるんだな」


「他にも水鉄砲とか砂遊び用のスコップとか色々レンタルしてたよ。家から持ってくるとなると荷物になるから結構需要があるみたい」


「なるほどな」


 年に1回しか使わないのに新品を買うのも勿体無いしな。

 レンタルなら出費を抑えることができる。


「これで向こうの岩まで競争しない? 明智さんと千代田さんが上で僕と神楽坂くんが押すからさ」


「いいよ楽しそう♪」


 明智はイルカの浮き輪を西城から受け取り、西城の手を借りながらイルカの背中に跨った。


「千代田、乗れるか?」


「はい、なんとか」


 シャチの浮き輪を抑えつつ、千代田の手を取る。

 浮き輪の上は不安定だが、明智も千代田もバランス感覚が良いみたいだ。

 体幹を鍛えている証拠だな。


「神楽坂くん、準備はいい?」


「ああ、大丈夫だ」


 オレと西城がそれぞれイルカとシャチの尾を掴んで泳ぐ態勢に入る。


「よーい、スタートッ!」


 明智の掛け声で一斉に水面を蹴る。

 浮き輪を支えながら泳ぐのは意外と難しい。

 ビート板を使って泳ぐ要領かと思ったが人が乗っているため、左右に掛ける力を均一にしなくてはならない。

 だが、タイムを競っているからスピードを緩める訳にもいかない。


 遊びだからムキになる必要はこれっぽっちも無いが、明智と西城は早くもコツを掴んだらしくグングンとオレたちとの距離を開いていく。

 流石にこれでは千代田に申し訳ない。

 そんなことを考えていると変に力が入ってしまった。


「きゃッ!」


 千代田の可愛らしい悲鳴を残して浮き輪がひっくり返った。

 すぐに手を伸ばして千代田の体を支える。


「ごめん、大丈夫か?」


「しょっぱいです」


 そう言って千代田が髪の毛を後ろに掻き上げた。

 海にひっくり返ったのが面白かったのか笑みを浮かべている。


「もう追いつけそうにないな」


 西城と明智はゴールの岩場に近づいていた。

 今から追いかけたところで敗北は変わらない。

 そう思っていると、千代田が浮き輪を体に寄せてもう1度跨った。


「神楽坂くん、せっかくだから勝ちましょう。私に作戦があります——」


「分かった。千代田に任せる」


 千代田に言われるがままオレは千代田の後ろに跨った。

 バランスを取るべく千代田の腹の前に腕を回す。柔らかい感触が直接伝わってくるが今は考えないでおこう。

 千代田は両手を浮き輪から離し、手のひらを真後ろに向けたまま水中に入れた。


「振り落とされないようにしっかり掴まってて下さいね」


 次の瞬間、物凄い勢いで浮き輪が進み出した。

 千代田が水中で風の異能力を発動させたのだ。

 左右のバランスの調整も同時に行っているらしく、浮き輪の上もかなり安定している。


「えっ、嘘っ!?」


 西城と明智のイルカ号を横切り、ゴールの岩場まであっという間に辿り着いた。


「神楽坂くん、勝ちましたね!」


「千代田のおかげだな」


 振り落とされないようにと千代田に抱きつくような形になっていたが、どうやら千代田は密着する恥ずかしさよりも勝った嬉しさの方が強かったらしく珍しくはしゃいでいた。


 その後、すぐに我に返ったのは言うまでもない。


—2—


 それからオレたちは海を全力で満喫した。

 明智が持ってきたビーチボールでビーチバレーをしたり。

 スコップをレンタルして本格的な砂の城を作ってみたり。

 合間合間に海に入って水を掛けあったり、潜水をしたりもした。


 そして、遊び疲れてパラソルの下へと戻ってきた。

 1日を振り返りながら軽く談笑していると西城のお腹が鳴った。


「そろそろお腹空いたね」


「もう2時か。流石に遊びすぎたな」


 西城に言われてスマホを見ると2時を過ぎていた。

 どうりでお腹が空いたなと思ったら。とっくにお昼を回っていたらしい。


「海の家で適当に何か買ってくるか」


「神楽坂くん、私も行くよっ。荷物持つ人がいた方がいいでしょ?」


「そうだな。助かる」


 付き添いに明智が立候補して2人で海の家に行くことに。

 焼きそばやイカ焼き、焼きとうもろこしなんかの看板がここからでも確認できる。


「じゃあ、食べ物は神楽坂くんと明智さんにお願いするね。僕たちは飲み物を買いに行ってくるよ」


「オレはお茶で頼む」


「私もお茶で!」


「了解。じゃあまた後で」


 西城と千代田と分かれて海の家へ。

 そういえば明智と2人きりになるのは久し振りだな。


「神楽坂くん、今日は楽しめた?」


「ああ、友達と夏らしいことをしたのは初めてだったからな」


「そう、なんだ。でも私も同じかな」


 サンダルで砂浜を歩くと踏み込む場所によっては足を取られそうになる。

 オレは明智の歩幅に合わせるようにペースダウンした。


 掲示板の件が明るみになり、明智に対する周囲の見方が変化した。

 距離を取る者、傍観する者。

 明智は1年生の中でも頭一つ抜けて目立っていたため、それをよく思っていなかった上級生からも心ない言葉を浴びせられたらしい。


 噂を拡散させた丸山や磯峯が責任を感じてオレに連絡をくれたくらいだ。

 千代田も含め、メンタル面でサポートしてくれたことは明智にとって心強かったに違いない。


 その一方で明智の下から離れなかった生徒も少なからず存在する。

 明智がこれから学院の生徒と友人関係を築いていくのだとしたらそういった人間から交流を深めていくべきだ。


 何はともあれ半月が経ち、徐々に明智の周囲を取り巻く環境は戻りつつある。


「思い出は作れるうちに作っておいた方がいい」


「うん、神楽坂くんともいっぱい思い出を作る予定だからそのつもりでねっ」


「それは楽しみだな」


 弾けるような明智の笑顔にオレも本音で返す。

 決して現実から目を背けているわけではない。

 経験は人を大きく成長させる。そのきっかけは多いに越したことはない。

 選択肢を増やすことは可能性を広げることと同義だからな。


「お嬢ちゃん、本当に食べ切れるのかい?」


「らいひょうぶらってば! こんなに美味ひいのがいけないんだよ」


 海の家までやって来るとテーブル席に見覚えのある金髪の少女の姿があった。

 どうやら店員に完食できるか心配されているみたいだ。

 テーブルにはかき氷、焼きそば、たこ焼き、イカ焼き、焼きとうもろこしなど、所狭しと並べられている。


「明智、ちょっと待っててもらってもいいか?」


「うん、あれって嵐山さんだよね?」


「ああ、ちょっと声を掛けてくる」


 明智に許可を取り、後ろから嵐山の肩を叩く。


「あっ! 神楽坂くん! うっ、ゴホッ、ゴホッ」


 振り返ったかと思えば嵐山は思いっきりむせた。


「落ち着けって。口の中に詰め込みすぎだ」


 見れば嵐山の口はリスみたいに膨らんでいる。


「うっ、もう大丈夫。てか神楽坂くんが急に驚かすからだよ」


 「もー」と嵐山が口を尖らせる。


「それは悪かった」


「あははっ冗談だってば。神楽坂くんも海水浴に来たの? あっちにいるのは明智さんだよね。もしかして付き合ってたりする?」


「遊びに来ただけだ。それに西城と千代田も一緒だ。嵐山こそ海まで来て1人で大食いか?」


 周りを見渡しても他に学院の生徒らしき人は見当たらない。

 だが、嵐山の人形のような可愛らしいルックスに引き寄せられたのか、声を掛けようと待機している少しチャラ目な雰囲気の男が数人見受けられる。


「大食いじゃないって。ちょっと長めのお昼ご飯だってば」


 物は言いようだな。

 まあ、大して問題になっていないみたいだし、嵐山も残さず完食するなら大丈夫か。


「あまり店に迷惑を掛けるんじゃないぞ」


「うん、神楽坂くんもデート頑張ってねー!」


「だから勘違いするな。明智とは付き合ってない」


 明智の名誉のためにも訂正を入れる。


「わかった〜」


 理解したんだかしてないんだか嵐山は笑顔でオレと明智に手を振っていた。


「神楽坂くん、嵐山さんと知り合いだったんだね」


「前にちょっと話す機会があってな」


「ナンパ? しようとしてる人がいたように見えたけど大丈夫かな?」


「それなら問題ない。物陰に嵐山の護衛らしき人がいたからな」


 スーツ姿の屈強そうな男が嵐山ではなく、嵐山に近づこうと様子を窺うチャラ男を注視していた。

 嵐山はヒーローランキング1位『無限』の娘だ。護衛の1人や2人いても何ら不思議ではない。

 当の嵐山本人が護衛されていると気付いているかは怪しいところだが。


「守ってくれる人がいるなら安心だね。じゃあ私たちも食べ物を買って戻ろっか」


「そうだな」


 これ以上寄り道をしていたら西城と千代田を待たせてしまう。


—3—


 昼ご飯を食べ終えてレンタルしていたパラソルを返却。

 太陽が傾き、感覚的に涼しくなってきた。

 あれだけ混雑していた砂浜も海の家も今では疎らになっている。

 帰り支度を始めた利用客の波に乗るようにオレたちもシャワーが借りられる海の家の方角へと歩いていた。


 シャワーを浴び、私服に着替えてぼんやりと海を眺めていると千代田がスマホを片手にみんなの前に出た。


「あの、記念に写真を撮りませんか?」


「いいね。せっかくだし海を背景に撮ろうか。この角度ならちょうど夕陽も映るんじゃないかな」


 西城が頷き、オレたちは海に背を向ける。


「えっと、こうですか?」


「撮り慣れてるから私が撮ろうか?」


 内カメラにして画角に苦戦している千代田の様子を見て、明智が助け舟を出した。

 4人並んで明智のスマホを見つめる。


「いくよっ、はいチーズッ」


 連写で3回シャッターが切られた。

 すぐさまメッセージで明智から写真が送られてくる。

 形に残すと後から振り返ったときに今日起こった出来事を思い出しやすくなる。


 1年後、2年後、5年後、10年後。

 オレたちは今と変わらず友人として付き合い続けているだろうか。

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