◯夏の夜に誘われて
第166話 後先考えないのは若者の特権
—1—
土日を挟めば前期期末考査が待っている。
7月24日金曜日。
すでに美術の課題提出を終え、残す技術教科は情報と家庭科と異能力実技の3科目。
情報の試験内容になっているタイピングは文芸部の文化祭の出し物である文芸誌の作品作りの一環でパソコンに触れる機会が増えたため、苦手意識は無くなった。
速度と正確性、いずれも平均的な数値となるだろう。
家庭科の調理実習に関しては西城の呼び掛けで1度休日に時間を取って練習しているから大きな問題はないはずだ。
料理を得意としている氷堂を軸にして作業を分担すれば失敗はない。
異能力実技は授業内のペア総当たり戦で勝ち越しており、集団序列戦でも1位になった実績がある。
恐らく満点に近い点数が期待できるだろう。
27日〜30日に行われる普通教科の試験対策は放課後の時間を利用して行っている。
とはいえ、何かとバタバタすることが多かったため、要点を絞って反復する程度に留めている。
基本さえ抑えていれば大きく躓くことはないはずだ。
午後の授業はテスト前ということで自習になった。
試験前に教科書の中身を進めてもあまり意味が無いと判断してのことだろう。
不明点があれば気軽に質問を受けてくれる保坂先生の授業ということもあって教室内は柔らかい雰囲気に包まれている。
「か、神楽坂くん、あれから1週間経ちますけどその後どうですか?」
隣に座る千代田の視線の先には孤立する明智の姿があった。
常に人に囲まれて高校生活を送っていた姿が一変。
今では誰も近づこうとしない。
例外として学年の中心人物である西城だけは声を掛け続けているみたいだが、明智が徹底して冷たい対応を取っているため、距離感を掴めない状態だ。
「進展はあったが決定打となる情報には辿り着けてない」
「そうですか」
千代田には明智のメンタルケアを任せているがそれもいつまで持つかは分からない。
千代田自身あまりメンタルが強い方ではないしな。
確実に物事を前進させてから伝えようと思っていたが、計画に関わっている以上、先に話しておくのも1つの手か。
「実は今日の放課後、オレと暗空で学院に揺さぶりをかけようと思ってる」
「えっと、大丈夫なんですか?」
「勝算が高い訳じゃないが直接話してみないと分からないこともある。いつまで待ってても状況が変わる訳じゃないしな」
丸岡と磯峯が拡散した明智の噂話も時間が経てば風化していく。
人々の興味は新しいものに移っていくからだ。
噂を拡散してから9日。
効力が薄まる前に手を打つとしたらここらが限界だろう。
「神楽坂くんと暗空さんから良い報告を聞けるように祈ってますね」
「私にはそれくらいしかできないので」と千代田が付け足した。
自分のことを待ってくれている人がいるというだけで不思議と気持ちが軽くなったような気がする。
しかし、これからオレたちが相対するのは学院のトップだ。
改めて気を引き締めなくては。
—2—
その日の放課後。
試験前で部活動も休みとなれば校舎は閑散としている。
一部の生徒は教室に残り試験対策を、教師は試験問題の最終チェックを行っている頃だろう。
「神楽坂くん、心の準備はできていますか?」
「問題ない」
オレと暗空は校長室に向かっていた。
先日、寮の階段で糸巻と会話をした後のこと。
その場に残ったオレと暗空は情報の共有を行った。
オレは妹の夏蓮のことを話し、暗空はかつて暮らしていた施設・マザーパラダイスのことを話した。
そこで施設と学院の校長である陣内が繋がっていたことを知った。
天魔が施設を壊滅させた日、陣内も天魔と共に施設を訪れたらしい。
つまり、天魔を追うなら陣内と接触するのが最短ルートになる。
「暗空、震えてるぞ」
表情は平静を装っているが体までは誤魔化せない。
暗空は小さな手を合わせて優しく息を吐いた。
「怖いのかもしれません」
「大丈夫だ。いざとなったらオレがいる」
過去のトラウマを払拭することは難しい。
オレだって夏蓮が誘拐されたあの日の出来事を鮮明に覚えている。
「頼りにしてます」
暗空がオレの顔を見上げて小さく微笑んだ。
廊下を曲がり、校長室が視界に入る。
廊下の奥から陣内と教頭の
深瀬がいることは完全に予定外だが、ここで引き返しては2人の目に不自然に映る。
「お久し振りです、陣内さん。と言っても直接お話しするのは初めてですが」
震えが止まり、堂々とした立ち振る舞いで陣内を見据える。
そんな暗空の姿を前にしても陣内の表情が変わることはない。
「深瀬先生、先に中に入っていて下さい。すぐに行きます」
「承知しました」
指示を受けた深瀬が一瞬オレと暗空に視線を送り校長室に入った。
「さて、私に何か用ですか?」
たった一言言葉を発しただけで場を制圧するような圧力を掛けてくる。
「単刀直入にお伺いします。
「復讐か?」
暗空と陣内の間に回りくどい駆け引きは行われない。
会話が成立している以上、陣内は以前から暗空を認識していたことになる。
そうでなければとぼけたり質問で返したはずだ。
「彼がしたことは許されることではありません」
「君たちの視点から見ればそう見えるのかもしれないな。だが世界はいつの時代も残酷だ。希望も無ければ救いの手を差し伸べてくれる存在も無い。
長々と語る陣内。
その視線が暗空からオレへと向く。
「まだ質問に答えて頂いていませんが」
「咲夜はここにはいない。彼の興味は魔剣だけだ。そういった意味では近いうちに戻ってくるかもしれないな。何せ学院には魔剣が3振りも集まっているからね」
生徒会長の馬場が所有している水の魔剣・
火野が所有している火の魔剣・
もう1振りは誰だ?
「あの日、私たちは彼に全てを奪われました。あの場に陣内さんもいましたよね。なぜ私たちは殺されなくてはならなかったんですか?」
「真意は咲夜にしか分からないが恐らく彼なりの救済の気持ちがあったんだろう」
「人を殺すことが救済ですか?」
理解できないと暗空が漏らす。
「君も多くの命を奪ってきた側の人間だろ。奪われる側に回って復讐心に駆られたようだが目の前が見えなくなったら命がいくつあっても足りないよ。その話を持ち出した時点で私に消されるとは思わなかったのか?」
瞬時、陣内の纏っているオーラが跳ね上がる。
身の危険を感じ、オレは身体強化の異能力を発動させて暗空の前に割って入った。
暗空を陣内から遠ざけなければ。
「神楽坂春斗、怯まず立ち向かうか。それに良い眼だ。いいか、後先考えないで行動に移せるのは若者の特権だ。だが、それが許されるのは1回までだ。覚えておくといい。君たちは有象無象の雑草に過ぎない。狩ろうと思えばいつでも狩れる」
陣内がオレたちから視線を切り、校長室のドアノブに手を掛ける。
ここで逃してしまってはオレがついてきた意味がない。
「陣内校長、今の会話は全て録音させてもらいました。暗空の掲示板の件と合わせて拡散させてもらいます」
オレはポケットからスマホを取り出し、予め仕掛けておいた録音画面を陳内に見せた。
「無駄だ。そんなデータはこの世に存在しない」
「何を言って、データならここに……」
陣内に言われてスマホに目をやると録音した音声データが文字化けを起こして消えてしまった。
他の機能は使えるため、スマホの故障ではなさそうだ。
だとしたら異能力の類か?
機械に干渉する能力?
いや、断定するには情報が少な過ぎる。
思考を巡らせ、呆然と立ち尽くしていると校長室の扉が固く閉ざされた。
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