最終章 秦の愁天武 天に在って願わくば⑤

 ――時代流るる刻、我ら有り。我ら再び降臨せん。

 火の手が上がった咸陽の悠か遠くで、香桜は呟いた。ひとしきりの命令を終え、最終地、驪山陵。劉剥とのやりとりを思い出す。

そばには相変わらず鋭い睨みの表情の貴妃・花芯がいた。

「やっぱり、俺を思い切り睨むんだな。せっかく迎えに来たのに」

 花芯は涙目で、完成した陵墓を見つめている。

先日、ようやく天武が埋葬され、扉は固く閉ざされた。

 城壁に囲まれた巨大な墓は、もの言わぬからこそ迫力を醸し出す。土の中には、幾人もの白骨が砕かれ、無念のまま、天武を囲っているのだろう。

 こんな場所で眠れる天武の気が知れない。

 花芯は度々陵墓を訪れては、一人、佇んでいた。

「天武は、何を考え、こんなものを作ったのだろうな、そう思わない? 不思議な話、天武の名前が系譜から消えぬのだよ」

「私が知るわけないわ!」

 花芯は、妙齢の女に成長していた。だが、華仙人は年を取らないはずだ。

 ――そうまでして、天武と共に生きたかったのか?

 静寂が満ちている。

 陵墓の向こう側では、咸陽が燃えていた。珠羽と劉剥が激突したのだろう。火の粉が舞い上がっている。

「咸陽の終わりだ。見てごらん」

 地平線一列、炎の壁が見える。おそらく、楚軍は誰一人と助ける気はないのだろう。

 香桜の後で燃えるかつての都の惨状に、「ああ……」と花芯が泣き崩れた。

天武の死を知った国々は、一斉に決起している。未熟な天亥が抑えられるはずもなく、あろうことか、咸陽に一番に乗り込んだのは、叡珠羽。

愛妻を奪還した男の手で、戦渦は瞬く間に拡がり、宮殿すべてを燃やし尽くしたが、そろそろ白龍公主が動くに良い頃合いだ。

珠羽は庚氏を救い、我が子には逢えず、再び楚に逃亡する。

 ――結局、白龍公主が何故、珠羽に入れ込むのかは、謎のままだったが。

「花芯、もう一度だけ聞くよ。天に共に、来ないか」

 花芯は首を振った。

「私は、人ですわ。最初から、最期まで、人間です……っ」

「指先を見てごらんよ」

 花芯は「え?」と泣き止み、指先が白く変色している部分に気がついた。熟女の指は、また少女の肌に戻ってゆく。

「若返ってるのだよ。華仙人は、ゆっくりと永遠に近づくために、いつしか若返る。きみのね、天武への愛情は本物だったということさ」

 香桜は笛吹きの格好ではなく、大きな冠に、銀糸の長袍を着込んでいる。金襴緞子の帯には宝玉を繋いだ鎖が飾られ、きつく上げた髪は花芯と同じく蜂蜜の色をしていた。気付かなかったが、二人の髪の色は全く同じになっていた。

 今こそ、天帝として、裁きを下す刻。天剣が鈍く光っている。

「本来は、きみは歳を取らないはずだった。天武と、一緒に生きてゆきたかったのだろう。だからこそ、俺も手を下せなかったんだ。痛みはないよ。安心しな。魂を貰うだけだ」

 ――きみを、愛していたから。今日まで生き存えさせたんだ。

 

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