趙の風雲児――いっそ殺してくれ

 固まった西蘭の口に、天武の口が触れた瞬間、姫傑は渾身の力で、天武を睨み、大声で言い放った。

「てめえ! 殺してやる! それ以上やってみろ! 俺は、てめえを殺す!」

 ふ、と天武の手が西蘭を解放し、天武は何かを兵に囁いた。

 壁に押しつけられた西蘭の瞳は正気を失っている。数人に押さえつけられたところで、天武は手を上げた。

「母の言っていた言葉は、誠か?」

 姫傑は何度も首を振った。

「この期に及んでも、言わぬか。だとすれば、おまえと私は、兄弟になる。母は、私に石を投げた。それも貴様の差し金か!」

 天武は牢の向こうで、姫傑を睨んでいた。

「母が、若かった理由は、どうしてか」

「だから、知らねえって! ほんと、知らねえよ!」

 天武は、ふん、と視線を逸らし、ぽつりと呟いた。

「仮に貴様が私の兄ならば、地獄から救えたはずだと思った次第だよ」

 初めて聞いた、弱気な声だった。

「貴様は私を地獄に叩き落とした。はは、貴様とは随分と話したお陰で、何を恐れているか、よーく分かった」

 天武は西蘭の頭を壁に押さえつけ、苛々しながら、指を這わせた。

「た、すけて、き、けつ……」 

 西蘭は呟き、宙に手を伸ばした。何度も、何度も姫傑の名前を呼んだ。姫傑は耐えきれず、顔を背けた。耳を塞ぎたくても、手が動かない。

「なんで、なんで……たすけてって、いってるの……に」西蘭の声が、か弱くなってゆく。

「壊すのではないぞ。秦の今後の大切な子宮だ」と天武の感情のない声が響く。

(俺は、女を助けられないのが、一番嫌だ! 護ってやれねえ俺なんか、要らねえんだよ! 殺してくれよ!)

 次々に獰猛な息づかいが耳に飛び込んだ。

眼の前の西蘭を助けられず、ただ、見ているしかない。

一際、西蘭の声が高くなり……止んだ。

                  *

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