趙の風雲児――永考

18

 暗い永巷の中で、貫かれた足が痛いと、西蘭が泣いた。すると、秦の兵士は素早く手当をし、去ってゆく。

「姫傑、寒いんだ。抱いてよ」

 武器を確認するためか、西蘭は薄絹だけを与えられており、冬の永巷の寒さは、それだけで死んでしまいそうだった。

「こっち、来い。男は、こういう時こそ、暖かいもんだ」

「莫迦かと思ってたが、やっぱり、あんたは莫迦かい。ん、あったかい」

 姫傑の身なりは、何故か剥がされていない。王の格好が実は好きだったと、西蘭が小さく囁く。

 ――趙は、終わったな……と思ったが悔しさは、何故か、なかった。泣いてばかりだったが、今はただ、西蘭を泣かせたかった。

「すまねえな。はは、俺の正妃なんて地獄だって分かったろ」

「分からないよ、傷の手当てはされるし、手だって自由だ。あんたの首を絞めるくらいはできる。なあ、秦の王を知ってんだろ? 少し、話してくれないかい」

 ――いつになく寄り添って、西蘭は寄りかかったままの姫傑の肩に頭を預けた。残念ながら、姫傑は後手で縛られており、髪を撫でるのは無理だ。

 永巷は寒いから、暖めてやりたくても、吐息を掛けてやるくらいしかできない。

「ああ、あいつはハナタレで、俺と、名前も忘れちまったが、数人の皇族の前に引き出された玩具だった。たとえば、甕に入れて、首だけ出して、水門から突き落として流したり、夜通し追いかけ回して、寝させなかったり、眼に火棘ぶつけたりな。ああ、俺は何とか見つけて休ませてやろうとしたら、唾掛けてくんだもんな。やってらんねえよ。俺怒って山に置き去りにした。元々いじけてんだ、あいつは」

 西蘭が小さく笑ったのを見て、姫傑は目を細める。

「じゃあ、あたしらも、甕に入れられて、水死か。それとも夜通し山を徘徊させられるのか。自業自得だね。そんで逆恨みかい。生きてさえいればいいよ。姫傑」

 当然ながら、永巷は広いが、声はよく響く。姫傑と西蘭は思いつく限りの話をして、時間を過ごした。手が動かないままで、唇だけを何度も擦らせる。

「手が動かないからね。あんたの好きな口吸いはできないよ。あんたは乱暴なんだよ。すぐに本気になるけどね。その度に下腹がきゅうきゅうと鳴く、女の辛さを考えろ」

西蘭は軽くからかった後で、立ち上がった。

 永巷に、ゆっくりとした足音が響く。足が遅いのか、天武はどうものんびりと歩く。

「随分と丁重に扱ってくれるじゃないか。串刺しにして正門に飾られると思ってたさ!」

「そなた、足はどうした。医者を差し向けたが。出せ」

 牢が開き、屈強な兵士がまず、ひっついていた西蘭を姫傑から引き剥がして連れ出した。西蘭は暴れて、天武の頬を引っ掻いた。

 天武の手が西蘭の貫かれた大腿部に触れ、指を食い込ませた。

「ぎゃああああああ!」

「元気そうだ。それに女軍師であれば、強い兵も生まれる。強い種を用意しよう」

 耳を疑う言葉だった。姫傑は思わず殴りかかろうとした。

縛られた手のせいで、蹌踉け、牢に頭をぶつけ、沈み込んだ。

「はははははは。牢を閉めろ! 這い出てきそうで怖いわ。ん? 助けたいか?」

 天武が何を考えているかは、莫迦な頭でも理解できた。

「てめえの子供なんか、その女は産まねえよ! はん、そいつの子宮は、俺が注ぎ込んだ種で満員御礼だっての! エゲツねえ仕返し、思いついてんじゃねえよ!」

 天武の眉が、くいと下がった。

「誰が、私の子を産ませると言った。おまえの女なぞ、吐き気がする。こう言えば良いか? 〝強い兵の種を沢山、用意しよう〟」

 ――あ………。あまりの言葉に言葉すら、喪いそうになった。

(天武……てめえは、西蘭を子作りだけの女の地獄に叩き落とすつもりか……!)

 顎に地面を触れさせて、姫傑はとうとう涙と洟水を垂れさせた。

「お願いだ、やめてくれ! 兄が死んで、西蘭は充分に傷ついてんじゃねえか! そもそも、てめえが憎いのは俺だ!」

 ぎろりと悪鬼の瞳が姫傑を永巷の向こうから見下ろした後、西蘭の頬を撫で、震える瞳に唇を近づけた。

「対峙したときから、気になる瞳だな」

 ひくん、と西蘭の肩が震え、天武は伸びた舌のまま、眼球から離れた。西蘭は両手で舐められた眼を押さえ、泣き叫んだ。

「う、あぁ…・・熱い……っ」

「そうか? そなたは歓喜で震えたが? さすがは、えげつないな」

 手が、西蘭に伸びた。天武は幼少にされた数々の嫌がらせをすべて覚えている。すべてを西蘭に向けていた。

「や、めろ……」

 牢を隔てた向こうで、天武の手が西蘭を乱し、撫でてゆく。

眼球への恐怖のあまり、西蘭は硬直したようだった。

「やめろおおおおおおっ!」

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