趙の風雲児――これが戦争ぞ

15

ただ、流される兵と、埋もれてゆく国を見つめる。

ふう、と眼の前で天武が小さく息を吐き、満足そうに流れた景観を見ている。

動かぬ瞳の気丈さに不覚にも見入ってしまい、姫傑は首を振った。

「はは。見事に巻き込まれたものよな」

 見れば、兵が動きを止めている。いや、違う。陽の消えた空を見上げて動かない。姫傑は茫然自失となった自身を奮い起こし、一喝した。

「何をしてんだ! な、仲間が流されちまったんだぜ! 誰か、秦の王を!」

 一人が武器を落とし、次々と趙軍が武器を手放したところで激しい衝突音が闇に響いた。

(孟黎か! あいつ、どこに)

 雪煙が朦々と上がっている。秦の武将の鎧は黒く、孟黎は赤い。それが、まるで悪魔の絡み合いの図に見えた。

 姿を見た趙軍の兵が、落とした弩を拾い、孟黎に続けと、皆が秦の王・天武に向かって構え始める。

 天武は苛立って長剣を抜き、高く翳した。僅かに陽が戻っている。

「勇敢なる秦の白起に倣えよ! 秦の軍よ、趙を踏み荒らせ! 莫迦趙王を捕え、車裂の刑に処せ」

 ――車裂? 冗談じゃねえよ!

 姫傑も棍を手に、戦いの姿勢になった。

(孟黎、何してんだ!)

見れば遠くで剣を交えている趙一の武将は苦戦している。援護は得られない。

棍を手にすると、天武は僅かにたじろいだ。また、大地が音を立てる。

ズ、ズ、ズ、ズ、ズ、ズ……戦いに夢中の武将たちは迫ってきた土砂と雪崩から逃げる術はなく、呆気なく呑み込まれ、雪煙の中に消えて行った。ふと、素早く一頭の馬だけが逃げ去る姿が浮かんだ。

 それは、孟黎ではなかった。

「孟黎――っ!」

 ――迷いのない横顔から視線を逸らせなくなった。天武は少し身体を捻り、剣を引き抜いた。

「逃げ遅れて圧死か。秦は負けぬ。見よ。ふ、はは。我が秦は滅法、山岳には強くてな。――のうのうと水遊びをしていた腑抜けとは違うわ! さあ、姫傑。どう戦う? 貴様は存分にいたぶり、この恨み……」

 気分良く天武がご高説を並べた後で、小さな失笑がした。

「情っけねえ男。あたしゃ、命を助けてやると言われようと、あんたに抱かれるのはご免だわ。全く、お陽さんは姿を消すわ、兄者は雪煙で遊び始めるわ……あんたが来なきゃ、平和だったんだよ?」

 涙声の西蘭だった。普段の貴妃服で平然と戦車に乗って、近づいてくると、抜いた剣で天武の頬に切りつけて通り過ぎた。

 戦車の戦法だ。何度も向かって、落馬するまで走る。

「あたしゃ、王の尊厳すら持ち合わせない莫迦でいい。聞いてて腹立った。姫傑はな!」

「女の出る幕じゃねえよ!」

 姫傑の大声に、びく、と西蘭の動きが止まった。西蘭はゆっくりと振り向き、渾身の力で姫傑を睨み始めた。

「なんだよ。言ったらいいじゃん。おい、姫傑。この後に及んでも、まだ『戦いたくねえよ~』って、あたしに泣きつくかい」

「そうじゃねえよ。西蘭、孟黎が死んだ」

 西蘭に呆気に取られていたらしい天武だが、ふいに動いた。何かを避けたのだ。

姫傑の反応が遅れた。

(何だ?)と思った時には遅かった。胸を弩が貫いた。

 ――って。

 最初は小さな衝撃が、段々と大きな衝撃に成り代わって行った。視界が揺らぐほどの痛さ。胸を押さえ、前屈みになって、体勢を整え、呼吸を正常に戻そうとした。

 ひゅー、ひゅー、と漏れたような音は紛れもなく、姫傑の吐く呼吸音だ。

「姫傑! 誰が、誰が、いったい……っ」

 見回した西蘭が、ぎくりと肩を震わせた。

 秦の武将が、倒れていた。雪原に拡がる赤い血は、溶かすほどに流れ、それだけで、生きていないのだと見て取れる。

 弩は、構えたまま倒れた秦の武将が生前に構えたままの状態で、指の死後硬直によって引き金を引いたものだ。西蘭が激しく首を振り始めた。

「死んでまで? 嫌だ、あたしは、こんなのは嫌だ! 秦の王、趙を助けてくれ」

 天武の冷ややかな目が、西蘭に注がれている。手が剣を握り締める動きを見て、姫傑は棍を振るった。

「ほう、女将軍か……名は?」

「申西蘭だ! 姫傑以上の莫迦王よ」

ふっと笑った天武の上腕が、素早く動いた。遅かった。天武の剣は、西蘭の太腿に食い込んでいる。

「よくぞ言った。私の剣の前では、人は生かさぬよ?」

 太腿に刺したままの剣を、天武が足で蹴飛ばして見せる。

「ああああっ――! 痛ぁ――っ」

 ずぶりと剣を抜くと、一振りして、鞘に戻して見せる。顔色を変えず、天武は倒れた武将を見つめており、笑って振り返った。

「戦力はだいぶ殺がれたが……充分に趙を奪えるくらいの余力はある」

いつしか後には秦軍と、趙軍が控えている事態になった。

 砲台を載せた板車と、趙の戦車が睨み合っているが、火力の凄まじさを知り、攻撃は右往左往に統制をなさなくなる。

(統制が、取れていねえ!)

 孟黎が、もはや姿が見えない。西蘭も、動きが取れない。

 思えば、天武は最初から、誰が趙軍を動かすかを見抜いているとしか思えなかった。

 ――こンの、悪鬼……っ。

「ここからは総力戦よ。単純な話だ。勝ったほうが、領土を奪える。おまえを始末したら、今度は腹立つ皇族よ」

 天武は知らない。既に姫傑は、皇族を悉く始末している事実を、知らない。おそらく最終目標だったはずだが、もう、どうでもいい。眼の前では西蘭が苦しんでいる。

 自分の胸も、どくどくと血を流しているが痛みなど、麻痺した。

「助けてと言った西蘭の言葉……てめえ、聞こえなかったのか!」

 天武の瞳は確実に嘲っていた。その後をズズ……と何かが這ってゆく。

「よくも……あたしの……足……っ」

 刺された左足を引き摺り、西蘭は天武の背中に向けて、這いつくばって、剣を握っていた。

 ――もうやめてくれ、西蘭……見てらんねえよ!。

 言いたいのに、言葉を出せない。代わりに、天武がクックと笑った。

「ほう? 大した根性だ。どうした? 刺さぬのか?」

「う、うぅ……うるさいっ……」

 剣を強く握り、片腕を振り下ろした。だが、天武は何なく避け、西蘭の嗚咽が響く。

「これは、戦争だ。甘いんだよ。そうそう、姫傑。そなたは仙人を知っていたな」

 天武は懐から、何やら小瓶を取り出し、薄暗い中で、翳して見せた。

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