趙の風雲児――山麓①

 14

 一方、攻め込まれた秦軍は混乱していた。急な敵の姿に、統制が取れていない。人数の多さが逆に仇になっている。軍師香桜を喪った軍は、混乱のさなかに突き落とされていた。

「囲まれただと……?」

 朱鷺を撫で、天武は呟いて静かになる。無謀な天武らしくない。相当に庚氏の危篤が応えているのだと、兵が噂を始めた中で、不意に陸睦が剣を引き抜いた。陸睦は剣を手に、天武に向いた。

「嬴(えい)姓(せい)趙(ちょう)氏の厄介さを噛みしめた。そんなものは一斉に埋めてしまえば良いのだが」

 口に出して「そうか」と北叟笑む。

 兵が響めいた前で、天武はすっと陸睦の引いてきた大砲を指した。

「威力は実証されているな。――あれを使えば、勝てる」

 更に山を睨み、背中を向けた兵の胴に向けて、剣を揮った。貫通させたまま、天武は目を細める。

(お利口な戦略など、土くれ一つ、敵わぬと教えてやるか。ふん、私は戦車を綺麗に並べるほど、行儀は良くないぞ、姫傑。出会えたお陰で、貴様の性格は分かったわ。莫迦単純な貴様は、この手で搔き回してくれよう)

 串刺しにした兵を突き逃すと、遺体はごろりと兵の合間に落ちた。

「どやつか! 囮部隊に名乗りを上げよ。敵を山麓に誘い込め。集まったところで、穴埋めにしてくれる」

 大砲は三台。密かに香桜が発案した大砲は、斬新な兵器だ。問い詰めること叶わず、消えた軍師を追いかける暇はないが、聞きたい事項は山ほどあった。

「俺が」

 天武の意志を受け取った陸睦が、静かに声を上げ、馬を下りた。

「俺が、二十万の兵力で、実行しますよ。今度は片眼ではなく、この命を賭けて」

「駄目だ。許可できぬ。司令塔がおらなくなる。――香桜がいれば。いや、あやつは、もうおらぬ――」

 今となっては、名前を口にするも無駄だと天武は言葉を押し留めた。

 結局、とうとう正体が分からないまま、姿を忽然と消した笛吹きを想う。

「天武さま! 後方からも軍が!」

 兵の悲鳴が雪原に響き渡り、天武はぎくりと方向を見渡した。

趙軍に比べれば僅かだが、東南から近づく軍の上には、二匹の龍が絹雲となって浮かんでいた。憎しみを感じて、軍を睨む。

 軍は小規模で有りながら、二人の将が率いているのが分かった。

(莫迦な!)と天武は声に出せないような衝撃に見舞われた。どちらも相まみえた過去が在る。大柄の、美丈夫と、小柄でも決して小さくない男。

――楚にて亡命し、行方の知れなかった叡珠羽と、翠蝶華が追い求め、華陰の戦いで斬り合いした李劉剥。

(なぜ、あやつらが、ここに! そうか、趙と楚の協定……! 楚も漢も、滅ぼすべきだった!)

 なぜ、邪魔をする。手が震えた。なぜ邪魔をする! あと少しなのに!

 悔しさと鬱陶しさが交差しては、天武を襲った。なぜに邪魔をする! 

「猶予ならぬ! 纏めて葬り去ってくれよう。だが、まず奪うは趙王姫傑の首だ。雑魚はあとでじっくりと料理してやるぞ」

 天武は、すいっと片腕を上げた。

――見ているがいい。秦の王の卑劣さを目に焼き付けよ。歴史が選ぶのは、私だ。

天武の指示通り、大砲の口はまっすぐに姫傑に向けられていた。

「撃ち砕け」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る