趙の風雲児――嬴姓趙氏

                 *

 雪原に趙のド派手な黄色を塗りたくった戦車が並んでいる。一際大きい戦車の最上にて、指揮を執るのは、趙の屈指の武将、申孟黎だ。

「全軍、前進せよ! 目指すは、秦の王の首のみだ! 戦車を準備しろ! 突っ込ませるぞ」

 孟黎の声は低いが、野太い割に、よく通る。趙軍は首尾良く秦軍の周囲に周り、しっかりと周りを包囲した。

 戦車の上に仁王立ちになっている王、姫傑の元に駆けつけると、孟黎は親指で光景を指し示した。

「姫傑、あらかた包囲したぜ。あとは、おまえの号令次第だ」

戦車に乗った姫傑は、強引に連れてきた趙姫を両腕で押さえ込み、頷いて、戦車の上で雪原を眺めた。白銀の風景は、斉の海に似ている。

姫傑は、ほっと安堵した。趙軍は少しずつ伸びて、秦軍を囲む手筈だ。

「成功したか。被害はなかったようだな」

 秦は歴史が浅い。比べて、趙には数々の戦いの実績があった。通常であれば、まず趙に戦いなど挑まない。だが、天武は構わずに出兵した。

秦にはまだない戦車は、装甲を強化し、体当たりすれば、馬ごと兵を落馬させる。兵士たちには柄の長い剣を与えている。体当たりの総力戦は、匈奴との戦いで実証済みだ。

「我は嬴(えい)姓(せい)趙(ちょう)氏(し)・趙王姫傑!」

姫傑は潰れかかった喉を振り絞り、大声を張り上げた。じんじんと喉が痛む。

(これで最期と、西蘭と夜通し寝所でやり過ぎたなんて言えば、秦軍より先に孟黎に首落とされちまわァ、あー。もう俺、空っぽ。一滴も出やしねえぞ)

 まあ、余計な邪念も一緒に西蘭が受け止めてくれたと勝手に思わせて貰うか。

 そんな些末な事情はさておき。一見して完璧な天武の軍には、実は弱みがある。戦い慣れしていない戦陣は、風呂敷の如く拡がり、一気に敵を囲む速戦型になりがちだ。

 確かに有利ではある。しかし、防御に関しては、後方が弱く、薄い。

回り込むのは容易だった。どうやら四方を囲む霧散の戦陣は持っていないらしい。

(こんな稚拙なお遊戯に、どうして最強国・楚は降伏した? 知謀、叡項賴の元にあって、なぜ……まあ、そりゃ、戦ってみれば分かるこったな)

 秦の武将は確かに強いが、知将はいないと聞いている。対して、孟黎は軍師でもある。

更に、妹の西蘭は、貴妃でありながら、戦術に関しては天才的な素質があった。

 男であれば、楚の珠羽にも引けを取らない武将になったはずだった。

「姫傑。おまえが号令を出さねえと、兵が動かねえぞ。名乗って止まるんじゃねえよ」

 先陣を率いていた孟黎が、じろりと姫傑を睨んだ。

(梁諱、さぞかし無念だったろうな……。褒姫、俺ぁ今も、あんたが好きだぜ)

 天武への憎しみなどで戦うのは、莫迦げている。

――俺は、二人に勝利を捧げるつもりで、天武の首を捕る!

姫傑は戦車に設えられた一段と高い壇上に登り、趙の自尊心溢れた軍の海を眺めた。

「容赦は要らねぇ。孟黎、いいや、すべての趙兵に告ぐぜ! 俺の前に、秦の王をとっとと引き摺って来やがれ! 行け! 嬴(えい)姓(せい)趙(ちょう)氏がどれだけでっけぇか、思い知らせて来い!」

 うおおおおお!

 兵の声と、車輪のけたたましい快走音が同時に雪原に響き、将の馬が勇ましく走り出す。

 趙の兵力の定評は戦車を使った戦略にあった。

 亡き皇族たちは豪勢な戦法を好み、戦車を利用し、より派手に、確実に敵を仕留める方法を産み出している。

 横一列に並んだ戦車は、巨大な戟にも匹敵し、衝突した相手を仕留めるために、車輪の傍には戈を常備させているなど、武器もめざましく発展していた。

 秦軍は一瞬で崩れ落ちるはずだ。

(ああ、俺も走り出してえっ)

 孟黎の軍の先導の戦車に立っていた西蘭がやにわに剣を振り、柄をがつんとぶつけて睨んだ。

「あんたが戦い好きなのは知ってるよ? 今回ばかりは駄目だ」

「わーってるよ! だが、天武の首を落とすのは、俺様だ」

 がぶり、と腕に趙姫が齧り付いたのを、手酷く手で叩き払う。戦場に引きずり出した趙姫は何かを察したらしく、捕えている姫傑の腕に、がぶりがぶりと噛みつくのだ。

 戦車に捕まって、貴妃服を揺らし、勇ましくも剣を手にした西蘭が「ところでさ」と続けた。西蘭は兄と共に軍人の訓練を受けている。姫傑よりも強い。ひゅんひゅんと剣を振り回し、西蘭は首を傾げた。

「なんで秦の王ってさ、趙で人質にされてたわけぇ? あたしゃ、それが不思議でならない。そんな価値あったのかい? 存在自体に。邪魔だったんだろ?」

「知るかよ」

 短く答え、姫傑は戦車に揺られながら、剣を引き抜いた。また趙姫が噛みついてくる。

姫傑は返答の代わりに、王の証の冠を空中に放り投げ、篭手をつけた腕を真っ直ぐに伸ばした。

 見え隠れする筋力に、西蘭の目が釘付けになっている。投げた冠を再び伸ばした腕に通して受け止め、姫傑は悪戯を成功させた子供の顔で、にっと笑った。

冠を片手で頭上に載せると、慌てて同席している女官たちが毛繕いを始める。前髪をもすっきりと冠に収めた状態で、姫傑は大きく腕を振り下ろした。

「さあな。聞きたいなら、とっととハナタレ天武を引きずり出して来な!」

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