趙の風雲児――この戦い、必ずや
13
「庚氏が危篤……」
離脱した軍に戻った時、陽は暮れていた。陸睦の先導で、軍は香桜が待機させている大梁に集結している。
水攻めの作戦が瓦解し、陸を攻めようにも、趙の山は険しい上に極寒の冬。さらに冷風を叩き込むような書簡の内容に、天武は言葉を喪失していた。
重ねて、率いているはずの軍師の姿は、煙となり消えてしまった。
「一度、秦に戻りますか」
陸睦の言葉に首を振り、天武は力弱く笑った。
「いや、邯鄲に攻め込める。香桜は、どうした」
「そう言えば、お姿が……」
(全く。問い質してやると思えば、これだ)
天武はふと、前方の山を眺めた。なぜか気になった。
「陸睦、あの山はなぜ、あんなに高いのだ? それに、鬱蒼として嫌な気がするが」
陸睦も「そう言えば……」と首を傾げる。
斉の海のちょうど対角に聳える山は規模が大きく、夜であっても遠目からも分かるほど、輪郭がしっかりしていた。
(斉と趙の間にある山……)
――天武さま。趙と斉の間には、仙人が棲むという山がございますのは、存じておられますか。その山には、仙薬が溢れていると申します。おそらく、庚氏さまの血の道を正す薬草もあるでしょう。遣いを放ちなされ。幻の薬草、蓬莱の薬を――。
慣老の言葉を不意に思い出し、天武はじわりと眼が濡れてゆくのを感じた。
「庚氏は、助かる」
ぼそりと告げ、天武は馬を下りた。朱鷺はもう疲労が限界に来ている。足が震えている現象は、明らかに負担を掛けすぎたのだ。
「一人にしてやれよ」と兵の誰かが陸睦を貶したお陰で、天武の周りから兵が引いた。
――庚氏が死ぬかも知れぬ――。
(いや、別に構わぬ。腹の子供は、諦めれば良いのだ)
独りになり、天武は、目をきつく閉じた。
まるで、庚氏の腹の子供が苦しんでいるような幻聴さえする。
「邯鄲は眼の前ぞ。母を引き裂くが、すべてであったはずだ」
感情に反して、手が雑草を引き千切る。山に薬草が溢れていると言えど、どれだが分かるはずもない。まるで仙人を疎んだ罰とばかりに、すべてが押し寄せてきた。
「ギザギザの……」
震える手に涙が落ちた。
(分かるわけがない!)と苛立ちながら首を振った刹那、空から葉が降り注いで、天武の掌に落ちた。ギザギザの葉に、小さな実のついた薬草だ。
振り仰いだが、そこには元通りの雪空があるだけだ。
天武は雲の向こうにあるはずの天極を睨んだ。
引き摺り下ろしたい、天帝の星。この戦いが終われば、目標は一つだけだ。
(国を統一したら、私は仙人に……いいや、神人になって見せよう)
「この戦い、必ずや、勝つ」
ふと流れ星が流れた。星が流れる現象は不吉だといわれている。
耳にさらさらと水流の音を捉え、天武は木々を掻き分けた。
(河が元に戻っている?)
はっと気がついて、山を駆け下りた。
秦軍の後に、たくさんの松明が見えている。ようやく気がついた。
「……何をしている、香桜!」
姿を消した軍師は、二度と、現れない。
いつしか、河は元に戻り、趙軍は、流れた浅瀬を渡り、秦軍の後に回っていた。後を取られ、秦軍は包囲されていた――
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