趙の風雲児――秘策
7
――秦の長城が貴人により崩壊した後、隙を逃さず、匈奴が入り込んだ。
「退け! 全員叩き斬る! 頭を叩けばいい! 腰抜けは引っ込んでな!」
龍剣を翳し、白起の称号を下げた馬が跳躍し、辺りは血の海になった。すぐに白起・愁陸睦率いる秦軍が旗を掲げた瞬間、長城は再び秦の領土に戻った。
長城奪回の作戦を立てた手前、香桜は、いつも通り、こっそりと観覧していた。
「深追いは無用。秦へ戻るぞ! 馬を引け! 長城を奪い返せれば、また秦の平和は保たれる! ご苦労だった!」
一頭の馬が嘶き、馬上の男は剣を納めた。辺りに散らばった屍の山を馬が踏み越え、一軍は秦への帰路を取り始める。
(どうやら、勝ったようだな)
天武が命じた長城奪回と、匈奴の始末を終えた眼の前で止まった馬の前で、香桜はにっこりと笑って手を振ってみた。陸睦の手綱を引く手が止まった。
「いらしてたんですか、軍師香桜」
「大したもんだねぇ。陸睦。――皆殺しとは」
殆どの敵は、陸睦の疾走の元に切り倒されている。
常勝の将になれ。天武の言葉を素直に実行している陸睦に負けは許されない。
ふん、と陸睦は剣を抜き、血飛沫を再び落としてから、隣にいた兵を叩ききった。
「無実のものまで手に掛けるか」
驚いた香桜の前で顔色を変えず、陸睦は剣を揮う。眼をやられ、背中を切られた兵士は声なく頽れた。
「戦場にて背中を向けた。いずれは趙の大戦の敵の刃の前に、無残に朽ちる。俺が引導を渡してやったまでだ。天武さまなら、そうするよ」
華陰で山を駆け上った時代より、低くなった声と高くなった身長は、まるで別人だ。
「渦中の天武は、正妃にべったりだけどね。かなり見晴らしが良くなった。やり過ぎだよ」
ん? と陸睦は辺りを見回し、バツが悪そうに視線を逸らせた。
かつて、仙人貴人が半壊させ、香桜が跡形もなく飛ばした長城は、元々残骸も少なかったが、陸睦が暴れた後は、残骸すら砕かれていた。
「それほどでもないですよ。趙への進軍を控えている皆にも、良い風になる」
香桜は馬を引き、陸睦を眺めた。
――愁の字(あざな)に恥じぬよう生きる。認められ続ける真実こそ、我が使命だ。
陸睦の決意は、ただ一点に尽きる。天武の操り人形にされた自身に気付かなければ良い。かつての白起と同じ、最期を自害などで迎えなければ良いが。
「趙を攻めると聞いて、半月です。これでは腕が鈍る。それが分かっているからこそ、天武さまは俺に、匈奴討伐を命じるんです。延期の理由は分かりますが……」
香桜の眼の前に、枯葉が飛ばされてゆく。銀杏だ。秋も深まると、風も変わる。
「無事に出産されれば良いですね」
庚氏の腹の子供は、既に臨月。天武としては、庚氏の出産を確かめてから、出陣を願いたいところ。悪鬼に温情を持たれては困る。
香桜は早々に趙への進軍をさせるべく画策している。だが、この事実を陸睦は知らない。
花芯を利用し、翠蝶華を利用し。更に二重三重の手を打っている。
(そろそろ爺が動く頃か?)
貴妃がいる限り、天武の後宮公務はなくならない事情は最大限に利用する。庚氏の腹に頬を当て、驚愕しながら嬉しさに頬を染める天武など、龍の餌にくれてやりたいところだ。
(問題は、花芯が快楽に目覚めてしまった事実くらいか)
元々好色だったのか、花芯の乱れようは日々激しくなっている。早く救い出さないと、天武の母の二の舞だ。強すぎる欲は、狂気になる。元々人と華仙人は気が合わない。だから、遥媛は死んだ。
――無邪気な貴妃を俺が殺したも、同然か。
陸睦は冑を着け直し、鋭い視線を浴びせてきた。反論を口にする。
「趙の進軍は早々にやるべきだ。これは領土の奪い合い。隙を見せれば、趙に叩かれる。しかし、天武さまは、お子を抱きたいと願うのでしょう」
香桜は再度、言い放った。
「俺からの、趙の情報は伝わっているかな。猛将がいる。陸睦、そいつとやり合ってみたくないか? 白起の威厳は轟き、ますます天武に伝わるだろうよ」
――こやつには、野心がある。天武に認められ続けたいという、莫迦げた野心が。
恐らく魏で虐げられた時代に培った感情だ。自己顕示欲、というやつだ。
「秘策を武器職人に伝えておいた。恐らく、負けはない」
ごくり、と陸睦が唾を飲み込む。香桜は既に陸睦を看破していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます