趙の風雲児――秘策

             

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――秦の長城が貴人により崩壊した後、隙を逃さず、匈奴が入り込んだ。

「退け! 全員叩き斬る! 頭を叩けばいい! 腰抜けは引っ込んでな!」

 龍剣を翳し、白起の称号を下げた馬が跳躍し、辺りは血の海になった。すぐに白起・愁陸睦率いる秦軍が旗を掲げた瞬間、長城は再び秦の領土に戻った。 

長城奪回の作戦を立てた手前、香桜は、いつも通り、こっそりと観覧していた。

「深追いは無用。秦へ戻るぞ! 馬を引け! 長城を奪い返せれば、また秦の平和は保たれる! ご苦労だった!」

一頭の馬が嘶き、馬上の男は剣を納めた。辺りに散らばった屍の山を馬が踏み越え、一軍は秦への帰路を取り始める。

(どうやら、勝ったようだな)

天武が命じた長城奪回と、匈奴の始末を終えた眼の前で止まった馬の前で、香桜はにっこりと笑って手を振ってみた。陸睦の手綱を引く手が止まった。

「いらしてたんですか、軍師香桜」

「大したもんだねぇ。陸睦。――皆殺しとは」

殆どの敵は、陸睦の疾走の元に切り倒されている。

 常勝の将になれ。天武の言葉を素直に実行している陸睦に負けは許されない。

 ふん、と陸睦は剣を抜き、血飛沫を再び落としてから、隣にいた兵を叩ききった。

「無実のものまで手に掛けるか」

 驚いた香桜の前で顔色を変えず、陸睦は剣を揮う。眼をやられ、背中を切られた兵士は声なく頽れた。

「戦場にて背中を向けた。いずれは趙の大戦の敵の刃の前に、無残に朽ちる。俺が引導を渡してやったまでだ。天武さまなら、そうするよ」

 華陰で山を駆け上った時代より、低くなった声と高くなった身長は、まるで別人だ。

「渦中の天武は、正妃にべったりだけどね。かなり見晴らしが良くなった。やり過ぎだよ」

 ん? と陸睦は辺りを見回し、バツが悪そうに視線を逸らせた。

 かつて、仙人貴人が半壊させ、香桜が跡形もなく飛ばした長城は、元々残骸も少なかったが、陸睦が暴れた後は、残骸すら砕かれていた。

「それほどでもないですよ。趙への進軍を控えている皆にも、良い風になる」

 香桜は馬を引き、陸睦を眺めた。

 ――愁の字(あざな)に恥じぬよう生きる。認められ続ける真実こそ、我が使命だ。

陸睦の決意は、ただ一点に尽きる。天武の操り人形にされた自身に気付かなければ良い。かつての白起と同じ、最期を自害などで迎えなければ良いが。

「趙を攻めると聞いて、半月です。これでは腕が鈍る。それが分かっているからこそ、天武さまは俺に、匈奴討伐を命じるんです。延期の理由は分かりますが……」

 香桜の眼の前に、枯葉が飛ばされてゆく。銀杏だ。秋も深まると、風も変わる。

「無事に出産されれば良いですね」

 庚氏の腹の子供は、既に臨月。天武としては、庚氏の出産を確かめてから、出陣を願いたいところ。悪鬼に温情を持たれては困る。

 香桜は早々に趙への進軍をさせるべく画策している。だが、この事実を陸睦は知らない。

 花芯を利用し、翠蝶華を利用し。更に二重三重の手を打っている。

(そろそろ爺が動く頃か?)

 貴妃がいる限り、天武の後宮公務はなくならない事情は最大限に利用する。庚氏の腹に頬を当て、驚愕しながら嬉しさに頬を染める天武など、龍の餌にくれてやりたいところだ。

(問題は、花芯が快楽に目覚めてしまった事実くらいか)

 元々好色だったのか、花芯の乱れようは日々激しくなっている。早く救い出さないと、天武の母の二の舞だ。強すぎる欲は、狂気になる。元々人と華仙人は気が合わない。だから、遥媛は死んだ。

 ――無邪気な貴妃を俺が殺したも、同然か。

 陸睦は冑を着け直し、鋭い視線を浴びせてきた。反論を口にする。

「趙の進軍は早々にやるべきだ。これは領土の奪い合い。隙を見せれば、趙に叩かれる。しかし、天武さまは、お子を抱きたいと願うのでしょう」

 香桜は再度、言い放った。

「俺からの、趙の情報は伝わっているかな。猛将がいる。陸睦、そいつとやり合ってみたくないか? 白起の威厳は轟き、ますます天武に伝わるだろうよ」

 ――こやつには、野心がある。天武に認められ続けたいという、莫迦げた野心が。

 恐らく魏で虐げられた時代に培った感情だ。自己顕示欲、というやつだ。

「秘策を武器職人に伝えておいた。恐らく、負けはない」

ごくり、と陸睦が唾を飲み込む。香桜は既に陸睦を看破していた。

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