趙の風雲児―― 名に恥じぬ常勝の将 白起の誕生②
*
夕日が落ちる直前、落日の刻。秦の皇宮・天壇にて、儀式は開始された。
燕山山脈と恩恵を注ぎ込む渭水の緩流を背に、橙の斜陽を浴びた少年たちが一斉に顔を上げる。一人一人に剣と、冠が授けられ、少府が字を与え行く。
今夜から、彼らは一人前の武将として、秦に尽くす。薬酒を飲み、彼らは武将となった。
元服二十人の儀式が終わり、白起の継承式が始まろうとしていた。野鳥が鳴き、木々を秋風が揺らす。灯りが灯され、犲避けの篝火はいつもより盛大に焚かれた。
陸睦だけが、中央に膝をついて座っている。眼の前には剣を構えた天武の姿がある。
静寂が満ちた。
秦の兵たちは興味津々で儀式の有様を見守っていた。
「天武さま、頃合いです。冠を」
仕切り役の李逵がおもむろに絹で包んだ冠を差し出し、天武は頷いて両手で支え持つ。
宝玉を随所に嵌め込んだ天武自身の冠であったが、あまり好きではないので、使用を許可した。
やはり、派手だ。煌びやかに飾り立てるのは、宮殿だけでいい。
従って、天武は冠や鎧には金を流し込んだだけの、質素なものにした。
「まあ、何と豪華な冠……陸睦の黒髪に映えますわ」
美意識の高い庚氏ですら、目映き美しさにうっとりとした冠だ。
庚氏と衝突を防ぐ目的で配慮された遠くの別席でも、殷徳が戴冠の様を見守っていた。殷徳は、なぜか魏と燕の少年たちに支持されている。
謂わば魏と燕の母親といったところだ。
花芯の姿もある。最近では、ちゃんと夜に相手させるため、花芯の暴走はない。それどころか、従来の殻を脱ぎ捨て、美しく、寝所では、見事な艶伎と大胆な行為で天武を唸らせる事実も多くなった。
(翠蝶華と香桜は、おらぬか)
陸睦に冠を被せる父としての所業は、悪魔呼ばわりする二人の改心に繋がると思ったが、そう上手く行かない。
王座から離れ、膝をついた陸睦に、天武の足音が近づく。
「覚悟はよいな」
剣を抜き、天武は跪いた陸睦に向けた。場が騒然となる。陸睦の髪は背中まで伸びていた。通常、元服時は父が、息子の髪を切り、名を受け継がせる。
「秦の王の前に跪き、剣の前で唇を噛む者の末路は、大抵の場合は死なのだが、おまえが初めての生だな。その身と命、私が貰い受けるぞ」
剣が振るわれる。あまりの鋭い音に、女官たちは眼を瞑り、兵たちは眼を見開いた。
天武は愛剣を静かに納めると、舞い落ちた髪を見つめ、嬉しさを交えた声を発した。
「字(あざな)は、愁だ。以後は、愁陸睦として、立派に役目を果たすが良い。魏よりよく、仕えてくれた。片眼を捧げたそなたには、我が秦の名将・白起の称号と、皇宮の厩舎の権利と、龍剣を授けよう。堂々と、百二十万の兵を率い、名に恥じぬ常勝の将となれ」
ん? と屈み込んだ陸睦の前に、意地の悪い微笑みを降らせてみる。
「なんだ? 涙は私にくれたのではなかったか」
「これは、涙ではないです。百二十万の責任の汗です。あ、あと、厩舎への嬉しさです」
天武はすぐに大笑いをして見せた。釣られて、民衆も少しずつ笑い始める。
過去に問うた事柄を、もう一度じっくり引き寄せた。
古きを捨て、未熟な者どもを信じようとした理由。
――私は未来を信じたいだけだ。志は変わっていない。
陸睦が、想いを形にしてくれたような、そんな気分をしばし味わい、皆の揃った皇宮をひとさし、眺めた。
(私は仙人になり、この者どもとの時間を永遠に秦に生きよう……それが、地獄だと言うならば、天国に変えれば良い)
――どこまでも、一緒ぞ、我が秦よ。
天武は眼を閉じ、勢いよく開いた。
楚の項賴も、さぞかし、愛国の行く末を見たかったろう。
斉の斉梁諱も、さぞかし、国の未来を信じたかったろう。
生きる者すべて、未来を信じたいのだろう――。
陸睦と眼が合った。
「これより、我が秦は、この私の元に、統一への道を進もうぞ! 叩くは北の海国斉、そして大国趙!」
まず元気な若手の兵が賛同し、続いて少年兵たちが加わる。青年兵や大人になると、騒ぎはしない。ただ、静かに現状を噛み締めるのみだ。 盛り上がっている現場の遠くから、翠蝶華だけは胸を痛めながら、有様を見守っていた。
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