趙の風雲児――秦山、燕山山脈、華山の山麓作戦

                 *


「趙への進軍の前に、斉の海に行く? 見解を言え」


 何となく、天武の視線を不愉快に感じながら、香桜は軍師として、書簡を広げた。天武の膝には、銅板が広げられている。

 宮殿の拡張の図面だ。遥媛公主が死んでから、天武は遷都とも言える宮殿の大型拡張を目論見始めた。


「秦から趙へ行くには、山越えか、海越えかになりましょう。天武さまは秦に来た道筋を覚えていらっしゃいますか」

「私は山越えだった」


 するりと答えた天武に、傍で聞いていた陸睦が顔を上げた。天武が説明を始めている。


「私は、趙の邯鄲で育っておるからな。山は険しいぞ。そなたなら、問題はないが」

「ちょっと険しすぎますね。山慣れしてない兵が従いて来られるとは思えません」


 俄仕込みの将たちでは、山脈を越える行動は無謀だ。そうなれば、海道を選ぶしかない。それに、厄介な冬という気候もある。

 慣れぬ山道に、極寒の気候。兵の命を削る所業だ。


「そうです。今や山脈は極寒でございます。それに、秦山、燕山山脈、華山の三つの山麓を越えるは厳しいでしょう。楚を迂回し、斉を突き抜けて趙への洞窟への進軍であれば、洞窟で兵を隠せる」


「洞窟に? また、鬱蒼とした話だな。お祭り好きのそなたの言葉とは思えぬ。また海をわけの分からぬ酒の海に変えたりせぬな」


 これは厭味だ。天武は、らしくないもどかしさを含めた会話を仕掛けていた。で、あれば、こう答えたら、どうか。


「一晩で俺が池を作ったとか? まさか。仙人じゃあるまいし」


 ほ、と眼が安堵を物語った。言葉一つで安心するほど、疑い、神経を尖らせていたのかと、香桜は笑い出したくなった。


「いいですか」と笛を指示棒代わりにして、書簡に戻った。

「斉の海は、ここ……滏陽河に分岐する。で、趙には大きな水門がありますね」


 天武が見詰めてきた。理解したという視線で、ゆっくりと香桜に告げた。


「そなたの作戦は、水攻めか」


 作戦を立てるのは面白い。それに、天武の陣形は基本的に雪崩れ込み型か囲い型だ。趙には独特の風土がある。


「ええ、天武さまは地の利をご存じなようですから。水を断つ戦法もありますが、ここは水攻めにてゆくべきかと。趙は真冬です。冷水は瞬く間に皇宮を襲うでしょう」


 ふん、と機嫌良さそうな声が響いた。



「お気に召しましたか」



 天武が臣下に返事などしないのは、重々わかっている。気に入れば即時、指示を飛ばし始める。想像通り、すっくと立ち上がると、朗々と声を響かせた。

「少府に趙の風土と道筋の確認を! 兵糧の準備と、兵力を整えよ!」

 すぐに何人かが頭を下げ、消えた。


「おまえも覚悟を決めよ。良いな、陸睦」


 陸睦が頬を引き締めて頷いた。


 ――天武は秦の古兵を一掃した。陸睦の、白起戴冠式は、間もなく執り行われる。崋山の山攻めからは、悠に七年が経とうとしている。


(狐が化けたものだな。随分と凛々しくなった)


「天武さま、趙の王の名は、ご存知ですか」


 天武は苦虫を噛み潰した顔で、香桜を睨み付けていたが、お門違いだと気付いたのか、すぐに怒りを収拾させた。


「太子の中でも、脅威だと感じた男がいた。……そいつでないと願うばかりだ」

「脅威とは?」


 天武は答えなかった。元々、答を用意していなかったのか、答を見つけられないのかは不明だ。


「他の莫迦たちと違い、その男にだけは、私を恨み、死を教唆する理由があるからな。知りたければ、働くのだな」


 すんなりと頷いてやった。何より、天武の死を願う理由が何かに興味が湧いた。

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