第四章幕間――天武と花芯妃 宮廷の溝鼠

幕間――得てして男女は、分からぬもの

 皇宮・牀榻。庚氏の懐妊が明らかになったが、後宮公務はなくならず、散々な押し問答を繰り広げた挙げ句、天武は憮然として牀榻に腰を掛けていた。

 足のほうに二本の細い柱に赤い絹が掛けられているのに気がついた。

 天武は仏頂面で、まず面紗を引き剥がす。呪いの人型は見当たらない。

 そう言えば、貴妃の連続死はどうなった?


(花芯が犯人なはずはない)


 世間知らずの小娘だ。奔起が蝶よ花よで甘やかしたのが良く分かる。


 ――しかし、いつまで立っているのだ。莫迦め。


 入口で静止したままの戸惑いの気配でとっくに分かっている。


「さっさと入って来ぬか! 賢妃花芯妃!」


 すぐに、ひょこっと入口で頭が動いた。茶色の柔らかそうな巻き毛の髪が顔の前で揺れている。

 花芯は驚きの表情で、宦官と別れ、ゆっくりと小足を滑り込ませてきた。唖然としながら、気弱な声音を出す。


「なぜおわかりになりましたの?」

「入り口で、もたもたするのは、おまえだけだ」


 花芯妃はしきたりに則り、赤い絹で腹部を覆っていた。肩には真っ白の羽毛を掛けられ、白い珠のような腹は隠してはいるものの、下部は露出させている。


 ――私が小娘の局部の露出で喜ぶとでも? 支度をさせた宦官は、始末だな。


 物騒な感情はさておき。天武は改めて花芯を見下ろした。花芯は頬を紅潮させ、天武の胸元を凝視している。気まずい雰囲気が流れ出した。


「花芯、茶を淹れろ」


 本来なら、貴妃とは酒を交わすのだが、子供の花芯には勧められない。


「花茶をお淹れしますわ」


 もう、何でもいい、好きにしろと、突っ込むのをやめた。だが、花芯は天武の思惑などつゆ知らず、いそいそと花を浮かべ、湯を注いでいる。


「花には安静の意がございます。天武さま、怒ってばかりですわ。心がほぐれます」


 ほぐして、どうする。

 天武は一瞬、茶をひっくり返したくなった。ちょいと花芯に寝台の足元を指して見せる。


「花芯、これが何か、おまえはわかるか」


 花芯も気がついて、首を傾げた。


「柱が二つに赤い絹?」


「恐らく、おまえを固定する道具だ。足を開かせ、躰を埋める。私の嫌いな花を突きつける莫迦貴妃の自由を剥奪するためのもの」


 花芯は大きいが、少し伏目がちな瞳を煌めかせた。


「花芯は貴方のものですわ。もう、私は知っていますの。天武さまは、いろんな貴妃さまに食べられていたのですわね。ちょっと覗いてみたのですわ。うふふ、香桜さまが教えてくれたの。もう、私、子供ではありませんわね」


 ――あの、莫迦。げっそりと天武は肩を落とした。


 花芯と香桜がこそこそと一緒にいるのを見る度、腕を引き、怒鳴りたくなる。


 天武は花芯の細い腕を掴んで、牀榻に押し倒した。上から見下ろして、自分でもぞっとするほどの残虐な感情を味わった。その時でさえ、花芯はうっすらと微笑み、うっとりと天武の名を呼んで、頬をすり寄せた。

 花芯は、いつぞやの時と同じ、天武の手を両手で掴み、頬をすり寄せ続けた。


「なぜ、花を怖がりますの? 天武さま、私は、とても寂しいです。楚にお連れいただいた時、天武さまは近くにおりました。庚氏さまのほうが、お好きなのですか? 遥媛公主さまのほうが、美味しいんですか」


「おまえ、何を言っている」


 しがみついているせいで、表情が見えない。


 天武は細腰宮に腕を回した。己の躰と擦れれば、興奮している実感が恥ずかしいほど知れる。

 花芯は気付かない。未熟で、誘導する手段も思いつかないまま、抱きつくのが精一杯だ。花芯の躰が小さく震え出した。


「だからっ! 楚の時間に戻りたいと言っているの……っ」


 ――子供の我が侭か。


「私は、ここにいるぞ。花芯」


 気がつけば、天武は眼の前の貴妃花芯を思い切り抱き締めていた。 


「私は、秦の王だ。孤高であるべきなのだ。花なぞ愛でる資格はない。それでも地獄は嫌だ。私とて」


 涙が溢れた。ふわりと手が天武の頭を撫でている。花芯が天武を撫でていた。


「ここは、地獄ではありませんわ。私がおりますわ。天武さまが望むのなら、どんな悪事でも、できますわ。だから、私は花毒を作り、邪魔をするものは消す。天武さまが邪魔だと思う人を言ってくだされば、消して見せる」


 花芯は捲し立てて、眼に涙を浮かべた。


「おまえ項賴に毒を」


 花芯は涙を浮かべて、俯いた。


「後宮で人を消すは、おまえか。花芯、そんな所業は止めろ。おまえは次は誰を消す」


 背中に冷や汗が伝った。花芯は天武の思惑をなぞるように告げた。


「遥媛公主と庚氏さまですわ! 天武さまは、このお部屋でお辛そうに見えてました」

「おまえ何をどこで見た」


 花芯はあ、と口元を手で覆い、視線を逸らせて見せた。


「花芯、誤魔化しても無駄だ。誤魔化したら抱いてやらぬ」

「楚、楚の夜の意味を知りたかったの! その、天武さまの……」

「欲情した時か? あァ確かに。おまえの表情は時折ふっと、悪女顔負けだ。なぜにそうくるくると女は表情を変える。対して男は、分かりやすいから。古来より男女の逢瀬とは、そんな行き違いが面白いのかも知れぬな」


からかった思惑に気付いた花芯は柔らかい唇を噛み締めようとする。

 花芯の朱唇に口づけると、ふわりと花が開いた。


「貴妃が自らの歯で、朱唇を痛めるものではないよ。おまえには分からぬか? これは仕事であり、公務だ。誰一人、私なぞ本気で愛するものか。狙うのは種だけ。女とは、そういった略奪の種だ。だが、おまえは違うのだな」


 きょとんとした瞳に困り笑いが、ついつい毀れる。


全く何という夜だ。


 髪を掻き上げて、横目で花芯を見ると、真剣に話しに聞き入っているのがよく分かる。楚では、冷たい態度を取ったな、そういえば。

隣に座って、花芯の肩を引き寄せる。気丈な瞳はずっと潤んだままだ。親指で涙を拭うと、もっともっと溢れ出した。

 指では追いつかず、唇を寄せると、もっと花芯の瞳は煌めいた。一瞬潤んだ瞳の彼方に遥媛公主を見つけた。顔付きこそ違うが、似ている……か……。


「また遠くを見ていますわ。こっち!」


 水晶でごつんとやられて、天武は花芯に向いた。


「今宵の貴妃は、私ですわ! 遠くに心を遊ばせるのはお止め下さいませ! 天武さま、花毒をお渡ししますわ。たくさん作りましたの。持っているのが怖いのですわ」


 天武の手に小さな小瓶が載せられた。赤い粉と緑の粉が混じっていた。

 どうやら毒を渡して、ほっとしたらしく、花芯は嬉しそうに微笑んだ。


 遥媛公主にも負けないほどの艶やかな瞳が瞬いている。


天武は花芯の肩を引き寄せて、朱唇を抓んだ。


先ほど、女は表情を変える。対して男は分かりやすいと言ったが、訂正する必要がある。「得てして男女は、分からぬものだな」と。

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