斉の王太子――長城の人足
突然、遥媛公主が斉梁諱と行動を共にしたいと申し出て、香桜は正直、驚愕した。
遥媛公主とは長い付き合いだが、懇願してきたのは、初めてだ。
もしかすると、遥媛公主はこの先の顛末を感じ取っているのかも知れない。
*
兄の斉梁諱は遥媛公主が龍から舞い降りた時ですら、驚きはしなかった。それが逆に、香桜には引っかかりを残していた。こうも無表情かつ無反応は、かえって白々しい。
「分かった。だが、俺も同行しよう。気になる部分があってね」
「それは何と心強い。お兄様」
香桜は独りごち、頷くと、遥媛公主は嬉しそうに微笑んで、兄を見上げた。斉梁諱も嬉しそうに遥媛公主の手を引き、馬に乗せてやっている。
斉梁諱は、天武の頼みで、陵墓の建設に向かうのだという。
「では、長城で逢おう」
龍は高度を上げ、瞬く間に二人は見えなくなった。雷を龍は突き抜け、雲の上を飛翔してゆく。風が香桜の柔らかな髪を戦がせた。
やがて高度は下り、雲の隙間から、歪な城がゆっくりと姿を見せ始める。
砂風が埃を巻き上げる秦の長城。
愁天武の以前の王が創設し、そのまま放置されている場所だ。
香桜は龍から飛び降り、長城に降りた。
高さも、あまりない。ただ、城壁が立てかけられているような状態だ。踏みしめた地は脆く、足踏みすると、崩れそうな音を立てる。
見下ろすと、土は黴に塗れており、白骨が見え隠れしている。倒れた骸を基盤にして、長城は作られているのが分かる。倒れた骸を埋めながら、進む。
香桜は足を止め、無人の周辺を確認して、空高く飛び上がって、一本杉の頂点に立つ。遙か遠くまで見渡せる空には、雲一つない。美しい青空の下では、囚人たちが叩かれながら、壁作りに専念していた。
凸凹の地形を均し、版築してゆく。延々と続く。遠くからは人足を連れた送り係が歩いてくる。人は次々と運ばれ、長城はその血と汗で延びる。
しばし風に吹かれた後、香桜は地面に飛び降りた。ようやく斉梁諱と遥媛公主を乗せた馬は落陽に照らされ、長城に辿り着こうとしていた。
*
長城の前に立ち、梁諱は崩れそうな壁を拳で叩き始める。風化しているらしく、脆くも壁からは砂が吹き出し、微かに凹む。斉梁諱は几帳面なのか、場所を変えて叩き、また戻ってきた。
「風化している。これでは、防壁をなさぬ。作り直しか」
斉梁諱は先ほどの香桜と同じく、一通り長城を歩き回って、官吏を振り返った。
「設計図からやり直しだ。長城造築であれば、手伝いはできよう。我が斉の長城は楚の関城にひけを取らない」
官吏たちがひそひそと耳打ちしている。あるものは、にやにやと梁諱を舐め回す如く見つめている中、斉梁諱はもう一度、はっきり繰り返した。
「設計図を見せてくれ。どうした、設計図を……なぜ、返事がないのだ……」
斉梁諱の声が小さくなった。どうやら、狼狽している。
自分が長城を作る人足として連れて来られた事実に気付いていない。
斉では長城の守備将軍であった斉梁諱だ。恐らく指示をするつもりで来たのだ。
だが、それは、傲りだ。敵国の太子を、天武が許すはずがない。
分からせずに連れて来るように仕向けたのは、恐らく天武だ。
神は虫けらに構う理由はないとばかりに、神気取りで天武は斉梁諱を邪険にした。
そのつもりがあったからこそ、天武は斉梁諱については口を噤んだ。
理由は、一つ。斉梁諱に打撃を与えるためだ。
もはや展開は見えた。
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