幕間――皇宮の火棘
*
夜半、魘された悪夢の中、ふわりと何かに包まれた感触に眼を開けた。
ぼんやりと覗き込んでいる紅の瞳が天武を見下ろしている。
――遥媛公主。しかも浮いている。
躰が重いはずだ。見れば死人が張り付いている。
気付いた天武に、聖母の笑みが降った。
(なぜ、遥媛がなぜ、喋れない、動けぬのだ? 眠れぬ……)
眼を閉じれば、浮かぶ数多の屠った顔。壁に一斉に浮かんでは、口を開き、臭気を発していた。ほとんど燕と華陰の民だ。土の中に引きずりこまれそうになる。もはや瞼が開けられない。眠くて、自分の力では瞼すら思い通りにならない。
靄の彼方には白い世界がある、ああ、遥媛公主、それを桃源郷と呼ぶのだそうだ……。
(死にたくは、ない。終わりたく、ない。それでは私は、どうすれば良いのだ……)
優しい手が頭を撫でた瞬間、天武は頭を凭れかけさせ、深い眠りに陥った。
意識を手放す瞬間、大きな龍が見えた。
――あれは天帝の証。いずれ私を迎えに来る、天の使いだ。
古来から続く終わりのない道が、巻物の如くに伸びている。来し方行く末。どこまで伸び、歩くのだろうか……。
〝愛することを望まねば、死んでしまうぞ。そなたは、好きだな……〟
遥媛公主の言葉が響いている。天武は落ちた。
*
子供を見守る聖母はずっと天武を見つめていたが、やがて場を離れた。
香桜から見ても、遥媛公主が仙女でありながら、天武に傾いているのは明らかだ。
与えられた宮殿への迷路回廊を迷わず、髪を上げながら進んでいる。
釵を銜え、身なりを整え終えた遥媛公主は、香桜の気配を感じ、膝をついた。
「天帝さま、さきほど、お近くに気を感じました」
「我が妻たる自覚を叩き込んでいただけだ。遥媛公主。きみが食った遥姫の影響かと思って黙っていたが、違う。きみは地上に毒された。天武ごときを愛し始めたのが、よい証拠だよ」
天龍を施した天剣を掴み、香桜は遥媛を睨んだ。
数多の命を魂ごと切る、断罪の剣だ。だが、遥媛は力なく両手を地につけた。
「私は貴方さまのものですわ。僅かでも、好きだと感じてはならぬのですか」
「きみの台詞とは思えないね。矛盾してるのに気がついているかい?」
遥媛は俯き、羽衣を震える手で握りしめ押し黙った。叡智の仙人だ。答などないと察したのだ。
香桜は久方ぶりに、胸元の系譜を手にし、おや? と眼を細めた。
(次なる人物が浮かんでいたか)
数億の真名の欠片が浮遊しているさまは、宇宙に漂う命と同義だ。長く伸びる巻物を一瞬で元に戻し、龍の如くうねった系譜は、たちどころに消える。
「遥媛公主、きみの兄が行動を起こしそうだ。斉梁諱・王姫傑それに李劉剥。きみの密かな想いなど、系譜には影響しない」
香桜は再び遥媛公主を見る。
――解った。遥媛公主は、喰った斉の遥姫に影響を受けている。
あろうことか、天武に惹かれているのは遥媛公主自身……。
「私は、貴方さまに尽くす、女華仙人ですわ」
遥媛が不安になる度、皇宮の火棘は増殖する。
夜風に吹かれた火棘は、靜かにその時を待っていた――。
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