第四章幕間――火刺の遥媛

幕間――咸陽承后殿の妃嬪、遥媛

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 日に日に札の色は増え、食後に天武の好む桃白湯を載せた盆も、併せて大きくなった。

 咸陽承后殿が建立されて、早五年が経てば、人も増え、宮殿も手狭になるというものだ。

 天武は楚から戻るなり、新たな宮「信宮」の創造を命じ、陵墓のある驪山陵の警備の強化と、罪人に対する刑種を増やす政策を決めている。

 新春二十四節気では綿貫。毎年、政治機構の除目を行う季節。

 天武が顰め面で皇宮・牀榻にて、竹簡を開いていたところで、呼び鈴が鳴った。

 今宵の相手は遥媛公主。


「久しぶりだな、天武」


 相も変わらず不貞不貞しいような口調で、遥媛は天武の傍に腰を掛けた。

 以前は酷かった宦官の臭気は、ゆっくりと改善され、臭いで気付く不快感がなくなった。楚を手中に収めた際に、斉から伝わった医療の発達も一緒に取り入れた。

 遥媛は伸びた赤髪を無造作に下ろし、乳房を上手く覆っている。因みに下半身には薄衣をつけており、白い腹がより一層白く際立って見える。


 ――まあいい。遥媛公主なら、まだ心身的に安心できるか。


 天武は習わしの口付けを軽く躱し、上着を脱いだ。おや、と遥媛は眼を細め、天武の胸に手を添えた。


「少し体格が変わったか?」

「陸睦の馬術に付き合っている。一度は陵墓を見たいと言うので、遠乗りに出かけた。馬を操るには、結構な筋力を使うから。楚から秦までの道のりもあったかもな」


 遥媛はうっとりとし、緩く舌を使い始めた。

 揺れる頭を撫でながら、天武は声音を厳しくする。


「そなたに言わねばならぬ話がある」


 朱唇から舌を出したままの遥媛の艶やかな瞳が、ゆっくりと天武に向けられた。


「そなたの故郷、斉にて反逆の兆しがあるとの報告が入った」


 遥媛公主の動きが止まる。


「兄、梁諱は決して人民を危険に陥れる暴挙はせぬ。人民より、妹の命を差し出すような几帳面かつ責任感の強い性格だ」

「焚書の命を出したが、兵を追い返した」


 遥媛が愛撫を中断させて、顔を出した。


「焚書? 狼藉の記録でも見つけたか。思想を制限するような話は、聞いてはおらぬが」

「斉の儒教者には、遊牧民族の手引きをするものもおると報告がな。秦としては、下手な思想に関わっては困る。まあ、テイのいい見せしめ程度だったのだが、そなたの兄は盛大に立ち回った」


「兄様ったら。見て見ぬ振りできぬ性分だからな」


 困惑して、遥媛公主は告げ、恥ずかしそうに俯いた。微妙な表情だ。


「そんな話はもはや不要だ、遥媛公主」


 天蓋に掛けられたままの捲れ上がった面紗を指で絡ませながら、牀榻に横たわる。


 遥媛の薄衣の解けた部分に、自身を宛がった。

 密着し、奥まで押し込めたところで、遥媛の口から喘ぎが漏れた。襞に引かれ、腰を引くと、遥媛もぴくりと動く。


 白くほっそりとした指が、天武の唇を、ゆっくりと撫でさすった。


「おまえは、好きだな……」


 眼を潤ませて、遥媛は再び腰を浮かし、涙を牀榻にこぼして見せる。


「たとえ、私の名が妃嬪の系譜になくとも忘れるな」


(なんだ、妃嬪の系譜とは……気になる言葉だ……)


 ――だめだ限界が近づいている。


 揺らされて、同時に合わせた腰を揺さぶる。遥媛は身を捩り、四つん這いになって、尻を上げて見せた。


「今宵くらい、わたしの内に、おまえを寄越すが良い」


 脈打つ男根に、ざらりとした女の柔肌が触れてくる。敷いた綿紗を強く掴み、髪を振り乱し、遥媛は揺れた。


 手を伸ばして乳房を両手で掴み、腰だけで押し込んでは引く動作を繰り返す。

 その度に、遥媛公主の四肢は舞い上がった。

 花芯も口にした。どうして、この言葉だけは、分からずとも嬉しいのだろう。

 遥媛の言葉は、天武を駆け上がらせるに充分だった。



                  *



 己をゆっくりと抜くと、捕まえていた柔襞は収縮し、更に体液を吐き出した。

 太腿に垂れた体液に、遥媛は眼を開けた。絶頂を迎えたと云わんばかりの、潤んだ瞳。


「いつか、意地を張り続けていれば、待つのは地獄だと、そなたは言ったな」


 遥媛は気だるげに仰向けになったまま、くくっと笑った。天武の指の悪戯が擽ったいのか、僅かに腰を逃がしている。


「ああ、言ったな。だが、どうだ。今宵は天国だったろう」


 指をまた忍ばせる。遥媛は緩く眼を伏せ、柳眉を微妙に震わせて小さく震えた。

 指を抜き、天武は遥媛の表情を窺った。

 終わったばかりだと言うのに、遥媛は足を高く組み、ふふんといった風情で、天武を見上げ、眼を細めている。


 ――強く美しい女。そのくせ、包容力がある。


「良い夜だった。迎えが来るまで、ゆるりとせよ」


 天武は短く言うと、牀榻を降りた。元通りに上着を羽織り、金糸で刺繍を施した帯を手早く締める。

 裸足で部屋を出て、月を見上げた。


 遠く、建設を始めたばかりの秦の長城が月光に照らされ、白亜に輝いている。まだ始まったばかりの長城は、城というよりも、気まぐれな防壁でしかない。


「長城の技術は斉が持っていたな」


 性交後とは思えないほど、醒めた声音だ。遥媛も腰を上げ、面紗を一枚だけ巻き付けて、天武の横に並んだ。


「確か楚の関城もそうであるし、漢にも心ばかりの屏があった。燕と魏にも長城とは呼べぬが、近い代物がある。斉の長城は、完成に近かったと記憶している」


「我が斉は常に遊牧民族、海匈奴の脅威もある。そうだ、天武、そなたはなぜに色街だけは見逃すのだ?」


「色街に興味はない。夜の公務も、良いとは思えぬ。私には世界を作るほうが面白くてね」


「それは楽しそうだな。是非とも聞かせて欲しいところだよ」


 秘密事が口を突いて出た。天武は、ふ、と笑いを漏らすと、寄りかかった遥媛の頭を撫でた。


「そなた、天界を知っているか?」


 遥媛の瞳が大きくなった。天武は興奮して喋り始めた。


「大層な美しさ。空には天の河、地には宝玉の池、天帝の住む紫微宮には、此の世すべての宝飾が施されておるとか。一度、行ってみたいものだが、フフ、そんなわけにも行かぬな。天界は死と繋がる場所という」


 寄りかかったままの遥媛の髪を何度も撫でて、気がついた。


 今宵はこんなにも、この淑妃を愛おしく思う。寄り添い、長城を見ていると、離したくなくなる。

 物思いに耽っている天武に、遥媛は遅ればせながら返答した。


 夢見る如く、恍惚すら思わせる、上滑りの声は耳に心地よく、傲慢なようで、程よく気高い。


「天界か。今夜は少し、届いた気がするぞ。天武、知っているか? 地上の楽園は桃源郷という。絶頂の向こう側にある」


 遥媛らしい言葉に、天武は眼を細め、胸に秘めていた事情を、とうとう口にした。


「遥媛。私は、斉を手中にするつもりだ。手始めに、そなたの兄、斉梁諱を呼んでおる。逢うた機会はないが、大層、武術に強いと聞いた。長城作りを任せるつもりだが」


「斉梁諱……お兄様……来る? 秦に?」


 遥媛はなぜか胸を強く押さえ、僅かに呻いた。背中が緩く揺れて、いつもは結い上げている髪が、蛇の如くうねる。曖昧模糊とした微笑みに囚われる。

(誰に向かって、微笑むなんて言っている場合ではないな)

 呼吸を繰り返す遥媛の背中をゆっくりと撫でてやる。

 うと呻きを上げ、遥媛は軽く首を振って見せた。


「遥媛? 具合が?」


 遥媛は脂汗を垂らし、息絶え絶えになりながらも、天武を睨んだ。


「……斉梁諱が秦に来る、だと? わたしを人質にすれば、斉は安泰であったはず。呆れて言葉も出せぬぞ……」


 優しく唇を重ね、呼吸を分けてやり、動悸が治まるのを手伝った。遥媛の瞳は怯えた光を称えていたが、やがて、それも奥深くに消えてゆく。


「先ほど言いたかった話とは?」


(やはり、聡明な女だ。庚氏とは違う賢さがあるな)


 心情を口には出さず、再び麗しい朱唇を吸った後、天武は冷淡に声を響かせる。


「もしも、斉梁諱の反逆あらば、そなたを処刑する」


 みるみる遥媛の瞳が大きく見開かれ、光を喪ってゆく。

 天武は驚愕したままの遥媛の細い顎を抓み、僅かに眼を垂れさせて靜かに見下ろした。


 その時、宦官の手により、入口の呼び鈴が、恰も鈴虫のように鳴り響いた。

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