第二章 楚の猛将虎 今夜月明 滅亡の下で人悉く希う

楚の猛将虎 楚はすでに自然を制している――

 ――真夏であった華陰の戦いから、早くも二ヶ月。

 天武は、予てより計画していた楚へ出立した。


 目的は武器の調達と、庚氏を貰い受ける際に密約を交わした叡項賴との接見。


 紅葉が見事な橙色の景観を見せている。外季節は白露も美しい初秋。青葉を茂らせていた木々は、今度は色鮮やかに染められて行く。

 秦を遠く離れて渭水から遠ざかり、山を越えて、盆地を通る。杪秋にはほど遠いはずだが、吹き抜ける風は山地なためか、冬に近い。

 ところで、楚は、軍事国の傍ら、商業都市としても発展していた。 

 それだけではない。領土国家としての名を馳せており、国境には必ず関がある。内の一つ。昭関と呼ばれる関にて、秦軍はとうとう足止めせざるを得なくなった。

 山地を抜けた平野には、明らかに戦闘用と分かる土の城が立ちはだかっていた。

 奥に控えている楚の国を隠すかの如くこんもりと土盛りされた城は、高く積まれた上に、女嬙と呼ばれる小さな砦がある。


 立て籠もり用の弓矢、弩を構えた兵士たちが立ち並ぶ。


 一触即発状態だ。天武の命令を待たずして、一人の兵が剣を投げた。

 しかし、楚に続く関門は開かれず、代わりに火矢が飛んできた。


 短気な兵を叱りつつ、天武は一切の攻撃を停止した。秦の鎧とは違い、楚の鎧には銀色を多くあしらってある。しかも全員が僅か一分も違わない一糸乱れぬ統率の態。


 ――真面目くさった、つまらぬ国だな。遊び心がないのか。


 鎧も銀色であれば、武器も銀色。だが、精製された刃は、どの兵士の剣も鋭そうだ。

 楚の兵は僅か五十。対して天武を取り囲む兵は百。数で押せば勝てるが……諍いを起こすわけには行かない。

 王城から離れてはいるが、昭関は関城の役目を果たしている――。



          *



 様子見の男が戻ってきた。天武は思考を保留にした。


「申し上げます。首謀者の姿を見せよと」

「狙い撃ちにされますよ!」


 ずばり言ってのけるのは、先の華陰にて愛馬を亡くした狐顔の武将・陸睦だ。

 ――危険な山崩れの任務を引き受け、片目を失い、見事生還した。天武を庇った功績で、丞相たちは陸睦を将から位付きの一個隊武将に昇格させていた。即ち天武の左側を固める将に当たる。魏の寝返り兵などの陰口は、いつしか消えてゆく。

 支度金を与えられた陸睦は、まず馬を買ってきた。また、しっかりとした顔立ちの温厚な馬だ。一番餌を美味そうに食う。やはり名前を澪とつけた。

 死んだ馬は、手厚く葬ることは叶わず、天武の命令で燕山山脈の一部に眠らせている。

 ちょうど、翠蝶華がいた桃の木の近くだ。故郷の土は、勇敢な馬を優しく包んでいる。


 天武の前で、兵卒が膝をついた。


「どうやら、我らを遊牧民族の間諜ではないかと疑っている由にございます。その……」


 天武は眼を細めて将を見やる。


「……私の正体を明らかにせぬ内は、これ以上は進ませぬという話か」


 先触れの将が頷くと、天武は馬の手綱を引き、轅を引いている馬と将を振り返る。秦の王だと分かるよう、絢爛豪華な蔵物を乗せて車を引いているが、どうやら誤魔化しは利かないらしい。


「やれやれ。協定とは名ばかりのようだな」


 すたすたと馬を引き、歩いてゆく天武に慌てて花芯が走り寄った。


「邪魔だ。怪我するぞ」

「行ってはなりません。水晶に不吉な影が過ぎっておりますわ……」


 花芯は水晶を持ち上げて見せる。ぼんやりと黒い影が映っている。


「ふむ……そうか」


 天武は剣を抜き、水晶を叩き落とした――つもりが、花芯が逃げた。花芯は頬を膨らませて天武を涙目で睨んでいる。


「これは、母の形見だと申し上げました……っ」


「おまえは、いったいいくつ、母の形見を持っておるのだ。誰か、こやつを」


 またもや無言。連れて来なければ良かったと早くも天武は、数度、後悔していた。


「貴妃さまを輿へお乗せしろ!」


 慌てて将たちが再び何度も輿から飛び降りては、水晶を突きつける花芯を抱き上げた。

 楚はぐるりと自国を壁で囲い、遊牧民族との抗争を防止している。天武は眼を細め、太陽に晒された砦を仰いだ。


 人と土地が融け合っているような、妙な一体感と威圧感を感じる。

 領土は大きくないが、存在感を示すかのような、高さある砦は、そうそう籠絡しないと思われた。


 それに、砦の奥の山地はもう凍っている状況が分かる。険しい冬に耐えられるだけの耐久性があるのだろう。見れば、見渡す限り見える山はすべて白い面紗を被っていた。


(なるほど、冷ややかなはずだ)


 恐らく雪と氷に阻まれて、遊牧民族たちは進軍できないのだ。


 ――しかし、美しい景色だな。


 青空と、聳える山と、真っ白の雪化粧をした山脈が怏々にして並んでいる様は、宮殿に図案として写し取りたいほど美麗で、心を打つ。


 秋空は健やかな碧だ。真夏のような眼に眩しい青ではなく。哀愁を漂わせたもの悲しい碧と、白い山はなんと相性が良いのか。


 自然を制するものが勝つとすれば、楚はすでに自然を制している――。


「これが楚よ。油断ならぬ。いつか、この砦を陥落させて見せるわ」


 呟いたところで、陸睦が馬を引き、天武と並んだ。



「護衛いたします。お進みを」

「そうだな。進むぞ。私に良策がある、案ずるなよ」

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