幕間 歪んだ歴史の負の部分
「劉剥は、まるで別人になってしまった。貴人の姿も見えぬし」
「そう言えば、姿が見えませんわね。華陰に天武を差し向けるだなんて。歴史が変わってしまいますわ。それに、よくも私が雇ったなどと、平然と」
男の天子の気は、愛する女にのみ、向けられる。后戚の存在なしでは、劉剥の龍は動かない。護る対象がないからだ。それが紛い物の蛟であれ、女は男を安らがせる華であり、男は華を護る龍となる。
――歪んだ歴史の負の部分の処置は、歪んだものの仕事。
蛟が勝手に動けば動くほど、時代は正しく流れゆく。蛟の名の通り、水龍は自らを犠牲にし、のたうち回り、枯れて死すのが役割だ。――引き替えに世界は善くなる。
「華陰で、実際に天武は劉剥と出会い、繋がった。劉剥はいずれ趙に逃げ、繋がる。楚は秦を討とうと、趙と繋がる。楚に向かえば、新たな流れが待っていよう。遥媛公主、それには天武は楚へ向かわねばならなかったのだ」
真摯な瞳を瞬かせて、遥媛公主は黙って聞いていたが、ようやく言葉を押し出した。
「どうしても、でございますか」
恐縮さを滲ませながらも、香桜に反問した。遥媛公主は窘めはするが、反論は稀である。よほど聞きたかったのだろうと、香桜は少し楽しくなった。
「そうだ。まあ、誤算と言うなら……花芯かな」
「あの娘、天界の秘毒を作るのですわ。貴妃を殺しているのは、おそらく」
「どうでもいい――多分、俺を受け入れられる」
「忙しいと言うに。天帝、龍仙一香真君。暢気に婚活をしている場合では……」
遥媛公主の怒り紛れの戯れ言を耳から耳に流し、香桜は衰えない我が手を見る。
龍仙人の寿命は長い。系譜を見届け、地上が死に絶えるまでも、命は続く。
永久の刻を孤独に過ごす覚悟は、とうにしていた。だが、花芯は龍の血を持っている。
――本当は、天武の留守に、花芯を完全に手中にするつもりだった。
(それもできないとなると……後宮全体を手中にするか……まあ、ゆっくり考えるか)
謀略が顔に出ていたのか、遥媛公主は無言ではあったが、僅かに呆れた表情で、煙を夜空に向かって吐いていた。
白煙は靜かに伸び、秦の夜空に溶けて行った。
秦の王愁天武に、次に待ち受けるは、楚の双虎の猛将。名を叡項賴(えいこうらい)・叡(えい)珠羽(じゅは)と言う――。
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