漢の蝶徒花 ――この瞬間を、待ち望んでおりました
*
寝室は赤で統一したかったが、周りの声は、あまり良くない。神を示し、気高さを現す黄を足せと言われ、仕方なく一カ所だけ、黄色を許した。
部屋の中央に四本の細い柱を立て、天蓋の如く薄い布を掛けた寝室は、部屋を管理する宦官の内の一人の図案だ。
「悪趣味だろう……これは」
今や咸陽承后殿は、天武の居住地の皇宮と、妃嬪たちの生きる後宮、上級貴妃たちが管理する渭水の宮殿に分けられる。
天武は皇宮と後宮を繋いだ隠し通路を利用していた。
入室したのを確認すると、宦官が例の臭いをさせながら、食事と飲み物を運んでくる。
だが、口に運んだ機会は一度もない。酒ならまだしも、蛇を煮出した汁、鹿の性器の焼き物……さらには河豚と言うけったいな魚までもが並ぶ。
「夏朝時代の王を絶倫にした、貴重な滋養強壮剤でございます」
「要らぬ」と手で叩き落としてやった後で、大抵の場合、天武は月を眺める。今宵の月は一段と大きく、神々しさが目に焼き付いた。
窓代わりに薄い料紙を張った室内は嫌いではない。ゆらゆらと月が悪戯する如く光を忍び込ませるのが好きだった。
「庚氏、参りましてございます」
聡明な庚氏だ。天武が合図するまで、廊下に宦官と共に待機するつもりらしい。やれやれと牀榻から腰を浮かし、黒の寝間着かわりの襦袢の帯を解く。
貴妃は一糸まとわぬ姿で運ばれてくるが、庚氏は長衣だけを羽織っていた。よく似合う長衣は、袂に銀の帯状の模様をあしらっている。
普段は上げている髪は、やはり肩に下りていた。貴妃たちは夜になると髪を下ろす習性がある。
部屋に誘いながら、天武は少々ぶっきらぼうに告げた。
「先に言っておく。気分ではないから、少々乱暴になるぞ」
「気分にさせるのが、私の役目です」
ほっそりとした手が天武の肩を優しく掴み、葉緑素を煮出した汁で染めた爪が膨らんでいるのを視認する。
「遠征の夜の公務ご苦労さま。わたくしの札を引いたことを悦びと思えますわ」
なかなか可愛い言葉を出す。天武は庚氏の肩を撫でた。ふぁさ、と庚氏の長衣が滑り落ちる。遥媛公主よりも、殷徳よりも儚げな四肢が、露わになった。
唇が肩を滑るのを、何と心地よさそうに目を瞑るのか。
庚氏はうっとりとしているらしく、頬がほんのりと上気していた。首筋を愛撫すると、今度は庚氏の手が天武の頬を撫でさする。
「お願いがございます」
ふっと唇を離した。今宵の恋人、庚氏は不安そうに天武を見上げている。
「なんだ……心配しなくても、最後まで付き合うつもりだが……」
「そうではございません。種をお与えくださいまし」
「欲するなら、そなたがその気にさせよ」
庚氏は跪いた。目を見開く天武の手を掴み、口に含んだ。
一本ずつ濡らしては朱唇から解放する。丁寧に舌に乗せられた指先から電流が走った。
「それが楚の流儀か」
庚氏は舐めた指を口から離し、また含む。
「愛するものへの奉仕でございます。楚の女は、愛する者の一部を口に含めます」
ますます天武の口調が、きつくなった。
「私は、そなたを愛しておらぬ、そなたも私を愛していない。戯れはよせ」
「戯れなどではございませんわ。強き秦の王に愛されたく存じます」
喋りながら舌を走らせる。そのたびに天武の突っ張った四肢はピクリと動いた。指と指を結ぶ如く銀糸が粘つき、絡まる。
同じ糸を唇に絡める庚氏は蜘蛛のようだと、一瞬ちらっと思った。それだけではない。庚氏は更に頭を沈ませ、天武自身に唇を這わせてゆく。
屹立した天武を両手で支え、唇で食む。柔らかく温かい女の唇をまざまざと感じ、天武は双眸を伏せた。
天武は庚氏を横抱きにし、牀榻に寝かせる。
――なんと綺麗な瞳。
足を摺り合わせ、庚氏は天武の胸元をゆっくりと撫でる。娼婦の手つきではない。まるで子供を撫でるような優しさに溢れている。
「私は天武さまの……お子を授かりたいのですわ」
「私の子だと?」
緩やかに腰を揺らしながら、庚氏は天武の胸板を撫でる。
「心地よくて、たまりませんわ……」
頬を赤らめて、背中に腕を回して耳朶を噛んでくる。ぞくり、と天武の躰が戦慄き、庚氏の中に収まっている一部分がはっきりと脈打つのが分かった。
庚氏は、なすがまま、揺らされている。唇を軽く結び時折ふうと甘い呼吸を繰り返し。
庚氏は再度、低く囁いた。
「種をお預けください。和平を果たした楚の私であれば、問題はございません。珠羽(じゅは)も、何も言いません」
「珠羽? 聞いた覚えが……ない名前だが……」
「楚に置いてきた夫ですわ」
庚氏は瞳を潤ませて、両手を天武の腹部に当て、身を反らせてみせる。耐えきれず、天武は声を掠れさせて庚氏に囁いた。
曲げて近づいた庚氏の口を吸い、熱い吐息を交換して、瞳を合わせる。
同じ呼吸になって、同時に躰を揺する。庚氏の絶頂は近い。内襞が絶え間なく小刻みに震え始め、内包したままの天武を甘く擦り上げる。
「そなたの内には、出さぬ……」
「ふふ……ねえ、天武さま……書簡……お読みになりましたの?」
――書簡だと? ……まさか。
天武の動揺を読み取った庚氏の表情が、淑女から悪女に変わっていった。美麗な唇が嘲るように言葉を紡いだ。喘いでいるとは思い難い、しっかりとした口調だ。
「愁天武の、ような……男が王になるのは、恐ろしい……。民衆はすべて、権力の元に葬り去られる……と・ね……」
緩やかに揺れながらも、庚氏は天武の背中に爪を立てる。
予感的中だ。庚氏は文字の読み書きができる。それに男は、あのような書き方をしない。
文章は、文学に造詣のあるものの書き方だ。
「私が書いたのですもの……は……っ……ふ、一段と……逞しくおなり遊ばせましたわ。私が許せない? 天武さま……」
庚氏は躰を捻り、牀榻に掛けられた布に指を絡ませている。いつしか、高く上げた腰を掴み、力一杯に抽送している自分に気がついた。
操られる如く奥へ奥へと誘導される。
目の前に火花がちらつく。限界が見えてきた。大切な陽の気を味わう瞬間。獣のように四つん這いになったまま、庚氏がゆっくりと裡を締め付け始める。
「逃がしませんわよ」
きつい締め付けに、白い肩に思わず歯を立てた瞬間、庚氏の指が腕に食い込んだ。
――下腹の熱い迸りを感じた。
解放の愉悦は瞬時に天武を襲い、視界が白くなる。あとはただ、ただ、蒼い。
貯まりに溜まった陽の気は、庚氏の体奥に吸い込まれてゆく。柔和になった躰をゆっくりと引き抜き、後から白濁した液体が零れるのを呆然と見つめる天武に、庚氏は足をすりあわせ、妖艶に告げた。
「――この瞬間を、待ち望んでおりました」
遠くから、宦官たちの気配がしたが、天武はただ、濡れた手を見つめ、目の前の徳妃庚氏を熱の籠もった瞳に映すのみだった。
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