漢の徒蝶花 魂に与えられし名と華陰の邑の最期

 天上から香桜は、すべてを見ていた。

 天武から逃げた劉剥は例の賭場に身を隠し、同じく逃げていた遊侠たちの顔を次々と切っていった。更に劉剥は、顔に火鉢を当てようとした。人相を変えようとした。

 さすがに、見ていた一人が止めた。

 しかし、岩室は呆気なく秦軍に見付かり、蜥蜴を踏み潰す勢いで侵入した秦軍は、剣を突きつけて全員を岩室の外に集めている。

 ぞろぞろと引き立てられてゆく男たちに待つのは過酷な労働だ。愁天武の威厳の露となる宮殿の建設。名を捨てさせられ、ただの土塊になるまで、扱き使われる。

 龍の上で、香桜は黄金の系譜を開き、劉剥の名前が色濃く浮き出たままなのを確認した。


 系譜上の文字は真名だ。魂に与えられし名が連ねられている。


 少しずつだが、翠蝶華と劉剥の名前が近づいている。


(もしかすると、劉剥はいずれ、天武よりも名を大きくするやも知れないな)



 ――時代が流れ出した。劉剥と、天武が繋がった、その瞬間から。



 やがて集められた男たちに天武率いる一軍が合流した。


 ――さぁて。どいつが劉剥なのかを知るには、ただ一つ。翠蝶華による首実検。


 天武は遊侠たちを片っ端から捕まえ、抵抗したものは斬り捨てた。遊侠たち千人その他、華陰の民衆およそ五千人は、手を繋がれ、焼けた自分たちの邑を、歩かされた上、秦への長い路に導かれる。


 先頭の朱鷺の上の天武の腕には、布で巻かれたままの少年の姿があった。

 瀕死状態の少年を大切に抱き、天武は馬の速度を上げず、ゆっくりと大通りを歩いている。


 真後ろには、馬の死体を乗せた荷車に、人足たちに罵声を浴びせる兵の姿。軍を離れて取っ組み合いを始める男たち。逃げようとして、秦軍に喉元を貫かれた男の死体に、噎び泣く遊侠たち。さらに将およそ二百人が続く。


 華陰の邑の最期であった。


「まさに、無情。見事。さて、俺も戻るか」


 列の中央には、知らんぷりして歩く劉剥の姿がある。




 ――天武率いる秦軍が首都の咸陽へ帰還したのは、それから二日後であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る