第8話 ダモクレスの盾
窓ガラスの代わりにはめ込まれた木の板から光が漏れている。
もう朝が来たのだろう。
生き物の気配を感じて上を見上げると、鱗のない小さなトカゲのような生き物が天井をゆっくりと歩いている。
ヤモリのような生き物なのだろうか。
天井をぼーっと眺めていると、レグナさんが起き出した。
「んっ……、おはよう。肉体の状態を再現すれば眠る必要はないのだが、睡眠というのも中々悪くないな」
伸びをした時の声が少し可愛かったので、レグナさんにはこれからも定期的に睡眠をとって欲しいと思った。
「おはよう。ちょっと着替えるね」
そう断りを入れてから、制服の袖に腕を通す。
朝の制服特有の冷んやり感が心地良い。
着替え終えて寝具に腰を下ろすと、静かにこちらを見ていたレグナさんが僕のズボンを指差して口を開く。
「ズボン、皺になっているぞ。再現してやるから少し目を閉じててくれ」
言われるがまま目を閉じる。
体感的には5秒とかそこらだが、すぐにレグナさんから目を開けても良いと許可される。
目を開けると、制服のズボンのシワが綺麗に無くなっていた。
「すごい。ありがとう」
正面に立つレグナさんを見上げ、お礼を言う。
顔を上げたことで天井が視界に入る。
天井に居た小さなトカゲはすでにどこにも居なくなっていた。
「君は今日はどうする?私は一人で時間が空いているが」
レグナさんはソロで行動するらしい。
流石だ。
「僕はひとまずレベルを0から1に戻さないと。ダンジョンというところに潜ってみようかなって思ってるよ」
「私はどうしようか。周囲のネクロマシーンは粗方狩り尽くしたし、時間も空いている。それに一人だ」
レグナさんは町の周囲のネクロマシーンを駆逐したようだ。
流石だ。
「そういえば、──」
僕が会話を切り出すと、レグナさんは何かを期待するような目でこちらを見ている。
「──レグナさんはもう充分強いみたいだけど、悪魔に戦いを仕掛けたりはしないの?」
「……ああ。悪魔を倒してしまうと別の悪魔からの調査が入るだろうし、君達に危険が及びかねない。君達が自分の身を守れる位強くなるまでは手を出さないでおこうと思っている」
「そうなんだ」
僕らは朝食を食べる為に食堂へ向かう。
何故かレグナさんは不満げに口を尖らせている。
食堂で皆が僕を見る目は冷たかった。
冷ややかな視線の中、美味しくも不味くもない絶妙なバランスの麦粥を食べていると、クラス委員の姫神さんが明るく声を掛けてきた。
「聞いたよ聞いたよー。レグナさんを危ないところから救ったんだってー?見掛けに寄らずやるじゃん」
神座先生から話を聞いたらしい。
昨日、姫神さんと神助くんのグループは昨日のあの場に居なかったので、そこまで心象が悪くないようだ。
「ちょっとミカ、大丈夫なの?こいつの能力は洗脳だって噂が……」
友達らしき人物が姫神さんの制服の袖を引っ張りながら不安げにそう訊ねる。
ミカ、というのは姫神さんの下の名前である美歌のことだろう。
姫神美歌、クラス委員だが真面目という訳ではなく、明るくて友達も多い。
クラスの人気を神助くんと二分する人物だ。
「だいじょぶだいじょぶ。私の友達が能力をせんせーに使って調べたけど洗脳なんて掛かってなかったってさ。ってことはその噂はガセだよ」
「ミカがそう言うなら……」
姫神さんとその友達のやり取りを聴いていたのか、心なしか食堂内の視線から冷たい感じが薄れたような気がした。
まあ、まだ一定の警戒心はあるが、それでも有り難い。
ふと、レグナさんがしきりにウインクをしてくることに気が付いた。
多分アイコンタクトなのだろうが、何が言いたいのかは分からなかった。
「通じない、か……」
「どうして通じると思ってしまったの」
なぜかしょんぼりしているレグナさんを、姫神さんがにこにこしながら眺めている。
知り合いなのだろうか。
姫神さんに吸い寄せられるように人が集まり、次第に人口密度が高まっていく。
そこにクラスのもう一人の人気者、神助くんが加わった。
「やっ。伊勢海くん、レグナさんを窮地から救ったって聞いたよ。そうだ、クラスの希望者を集めてダンジョン攻略を企画しているんだけど、伊勢海くんもどうだい?」
唐突なダンジョン探索の誘い。
どうせ行く予定だったので丁度良い。
「僕も参加するよ。よろしく」
「ありがとう。希望者は後で入り口に集合だ」
神助くんはそれだけ伝えると姫神さんと話しに行ったようだ。
食堂を後にして部屋へと戻ることにする。
「ダンジョンに潜るのか?」
部屋への道すがら、横を歩くレグナさんにそう尋ねられる。
「うん」
「そうか。他の連中は強い武器と能力を貰っているから問題ないだろうが、君は大丈夫か?」
そう言われると急に不安になってきた。
大丈夫だろうか。
「まあ、ここで脱落者を出す訳にはいかないし、気が向いたら私も同行しよう」
レグナさんは孤高を好んでいる割には面倒見が良い。
きっと僕が一番弱いから守ろうとしてくれているのかもしれない。
部屋に戻ると、虫歯予防になるというエルッパの果実を食べ、支給品の歯ブラシで歯を磨く。
「そうだ。昨日助けられたお礼と言ってはなんだけど、エルッパの実を一つどうぞ」
「ありがとう。大切に保管しておこう」
いや、早めに食べた方が良いと思うけど……。
そういえばレグナさんには物を再現する能力があるから、賞味期限とかは気にしないのかもしれない。
「ああ、そうだ。先刻アイコンタクトで伝えようとしていたのだが、姫神美歌と神助天佑は我々天界側の存在だ。姫神は私と同様に天使から人間に生まれ変わった存在で、神助は生徒を円滑にまとめる為に作られた存在だ。神助自身はそのことを知らないがな」
「えっ、そうなの」
そんなことをアイコンタクトで伝えようとしていたのか。
伝わる訳がなかった。
「そんなことを僕に話してしまって良いの?」
「今はまだ他の生徒には内密に頼む。私は君を信頼しているし、君には後々の為に知っておいて欲しかった」
僕はぼっちなのでそもそも他の人に伝えることなど無さそうだが。
それを見越して伝えてくれたのかな。
そろそろ出発のための準備をしよう。
持ち物は無いに等しいので、準備はすぐに終わった。
集合場所の廃聖堂入り口に向かう。
◇ ◇ ◇
「みんな、揃ったね。じゃあ出発するとしようか。最初にギルドというところで冒険者登録してから、中央地下
神助くんの合図と共に、クラスメイトがぞろぞろと移動を始める。
クラスの人気者が音頭をとっただけあって、生徒の大半が参加するようだ。
僕は最後尾に申し訳程度にちょこんと並ばせて貰っている。
隣には当然のようにレグナさんが居る。
気が向いたのだろう。
全員分の登録を済ませ、地下迷宮があるという場所に来た。
入り口には門番と思しき兵士が二人居て、槍を手に大きな門の前で立っている。
大門は閉じられており、必要な時だけ開くようだ。
神助くんが門番に話を通し、開門してもらう。
ギギギという重厚な音を立てて門が開くと、中から一陣の風が吹く。
内部はがっしりとした石盤が階段状に組まれ、ずっと地下まで続いているようだ。
皆、武器を抜いて若干の緊張と期待を胸に階段を慎重に降りていく。
僕とレグナさんもそれに続くようにダンジョン内に足を踏み入れた。
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