第18話 お母さんと学校でうまくやっています。
好きな人がお母さんだって、いいじゃないか。
それが奨吾の出した結論だった。ただでさえ、幼いころから愛されるべき人の顔色を伺って生きてきた。そしてそういう癖は今でも残っている。
繭香を傷つけてまで自分の気持ちを押し通す勇気は、彼にはなかった。
「いってきます」
「私も一緒に行く」
「え」
「だってお母さんだから。しょーちゃんがひとりで出歩くなんて法に触れかねない」
「いや、学校に行くだけだしなんか俺がヤバイやつみたいになるからやめて?」
お母さんになった彼女とのやりとりに、心地よささえ覚える奨吾。すべてが元通りになるのなら、もうそれでじゅうぶんだった。
……しかしひとつ困ったことがある。それは、彼女の「お母さん」ぶりに、拍車がかかってしまったことだ。
「しょーちゃん、気を付けて。学校までの道のりは危険がいっぱい」
「ここら辺、そんな治安悪くないから……」
「お母さんがしょーちゃんを守る」
「聞いてないし……」
並んで学校までの道のりを歩いているときも、奨吾に危険が及ばないように、常に辺りを気にしている繭香。それだけならまだしも、時おり奨吾の腕を取りぎゅっと自分のほうへ引き寄せたりするものだから、違う意味でひやひやしてしまう。
二人きりの時ならまぁいい。しかし奨吾には、ひとつだけ気になっていることがあった。
「あの、ちょっとだけいいかな」
「発言を許す」
「俺のこと守り過ぎて上官みたいな口調になってるから」
「上官じゃない。私はお母さん」
「そうなんだけど、いや違う、お母さんじゃない!」
「しょーちゃんは情緒が不安定。学校に着いたら保健室に行きましょう。お母さんが看病してあげる」
「そのことなんだけどさ……学校でお母さんになるのはやめてくれないかな?」
繭香がぴたりと止まり「どうして?」と首を傾げた。どうしてと言われても、理由なんてひとつだけだ。やべーやつだと思われる。自分だけが思われるならまだしも、繭香が奇異の目で見られるのは気の毒だし、それがきっかけでうちの複雑な家庭事情が露呈してしまうことだけは避けたかった。
しかし……奨吾は言いよどむ。彼女がよかれと思ってしてくれている行為を、「やべー」と表現してしまうのはいかがなものか。
しばらく考えてから、あの方法しかないと思った。
「……ほ、ほら俺もさ、なんていうか、し、思春期だろ?」
自分で自分のことを思春期だと発言するのはとても恥ずかしい。しかしお母さんである繭香は、当たり前でしょうという表情で頷いた。
「学校でお母さん……的なことをされると、ちょっと気まずいっていうか……ほら! 学校でからかわれたりすると思うんだ。ヘタをしたらいじめに発展するかも……」
「いじめ、ダメ! そんなことはお母さんが許さない!」
「だろ!? だからさ、学校ではお母さんじゃなくて、普通の繭香でいてほしいんだ」
「普通とは……?」
繭香が空を見上げて困惑してしまう。彼女にとって、もはや「お母さん」であることが普通なのだろう。かくなる上は最後の手段である。奨吾は「コホン」とひとつ咳払いをし、深呼吸をした。そして母性本能をくすぐる子犬のように小首を傾げて、こう言ったのである。
「……お、お母さん、お願い?」
わりと本気めの甘え声が出てしまいとても恥ずかしい。しかしこの言葉に、繭香の目はキラキラと輝いた。
「わかった! お母さん、しょーちゃんのお願いならなんでも聞く。学校にいるときはお母さんやめる」
やはり効果は抜群である。うっすらとした記憶であるが、昨夜自分は繭香のことを「お母さん」と呼んでしまった。そしてそのことで、彼女との関係が修復できたのである。
つまり繭香と心地よい関係でいたいのであれば、お母さんと息子という関係がベスト。
悔しいが、今はその事実に甘んじるしかない。とはいえ奨吾の希望としては、やはりそうではなく、せめて同級生の男女くらいには関係性をステップアップしたいところである。この奥の手はしばらく封印せねばと決意した。そのときである。
「しょーごくん、やっほ~! るなぴよだよ~!」
タッタという足音が聞こえたかと思ったら、荻野瑠奈に背中から抱き着かれた。
「うわああああっ」
「るなぴよなんだからそんなに驚くことないのに~」
「いや、普通に驚くだろ!?」
「ふふっ、やっぱりしょーごくんかわいいね?」
瑠奈が笑いながら、上目遣いに奨吾を覗き込む。戸惑ってしまったのは、おとといのデートのことを思い出してしまったからだ。
目のやり場に困ってしまった私服、でも彼女にとても似合っていた。女の子とふたりきりでのカラオケは思いのほか楽しくて、つい倒れ込んだときに触ってしまった瑠奈のやわらかい感触を思い出してしまう。そしてあの言葉……。
──しょーごくんはね、わたしを救ってくれたの!
あの荻野瑠奈がどうして自分なんかを好きになってくれたのか。その理由は結局わからないままだ。
そして彼女への気持ちは──正直あのデートの日から少しだけ変化している。
「ん? どしたの、しょーごくん。じっと見ちゃって」
「あ、いや、べ、別に」
「もしかしてわたしに抱き着かれてドキドキしちゃったのかな? だったらうれしいな?」
さっきまで奨吾をからかうような目つきだったのに、そう言った瑠奈の頬はほんのりと赤く染まっていて、心底うれしそうに笑った。その笑顔を見て、思わずドキリとしてしまう。
しかしそんな状況を「お母さん」が許すはずがなかった。
「荻野さん、顔が近い。しょ……上原くんから離れて」
「え~なんで~?」
「上原くんが困っているでしょう」
「え~そーなの? 困ってるの? しょーごくん」
「あ、いや、困っているというわけじゃないんだけど、その……ほら、ただのクラスメイトの俺にくっつくのはやっぱりよくないよ、うん!」
うまく言ったつもりだったが、そんなことで引く相手ではなかった。
「しょーごくんはただのクラスメイトじゃないもんっ。だってデートしたもんっ。とくべつな人だよ?」
「デートなら私もした。だ、だから私も……その、とくべつ……」
「なんだ、やっぱり藤村さんもしょーごくんのことが好きなんじゃん」
「っ……! こ、これは荻野さんの言うデート=特別という理論にのっとった話!」
「私むずかしい話よくわかんない! ねえ、しょーごくん」
急に話を振られて「はひっ」と声が裏返る。
「わたし、今日はデート対決の結果を聞きにきたんだよ?」
「結果……と言いますと……?」
「も~約束したでしょ~? どっちがしょーごくんのハートをゲットできるか、デート対決だよって!」
「そ、そういえばそうだったね……」
いろんなことがありすぎて忘れていた。
「で、どっちだったの?」
瑠奈がずずいと迫る。その顔は自信に満ち溢れ──と思いきや、大きな瞳はまるですがるように濡れていた。繭香は繭香で、自分とのデートがあんな結果になってしまったことで明らかな不利になっている。だから唇を噛み締めて深刻な表情をしていた。
奨吾にとって好きな子は繭香だ。だけど彼女との関係は「お母さんと息子」という形でしか最上にならない。それに瑠奈に対して感じたあの感情にも、まだ答えが出ていない。
こんな中途半端な状況では、何を言っても無責任になると思った奨吾は、せめてその無責任を貫くことにした。
「ひ……引き分けですっ!」
世界で一番つまらない回答である。
「はぁ?」
瑠奈が治安悪めのイントネーションで、露骨に顔をしかめた。そこにいつもの天使感はまるでない。
「ちょっとなにそれ。そんなんで許されると思ってんの? ねえ」
胸ぐらを掴む勢いで瑠奈が迫った。助けを求めるべく思わず繭香のほうを見ると、彼女は冷めた顔をしてこちらを見ている。
「……ごめんっ!」
いたたまれず、奨吾はその場を走り去った。
***
「せっかくしょーごくんとおべんと食べよーと思ったのに……なんであんたたちがいるのよ~!?」
昼休みの屋上に、荻野瑠奈の声がこだまする。
登校中にデート対決の結果を迫られ、つまらない回答をしてその場から逃走した奨吾であるが、あのあとすぐに瑠奈と繭香に追いつかれてしまった(二人とも足が速い)。
そして瑠奈はまたも、手作り弁当を作ってきたと奨吾を誘ったのだが、これもまた
昼休みにまたも修羅場が訪れることを予想した奨吾は、陽人に頼んでその場にいてもらうことにしたのである。
「俺もご相伴にあずかろうと思ってさ」
「陽人のぶんなんてないからっ!」
「あ、ほ、ほら俺も弁当は持ってきているからさ。二つも食べられないし、みんなで食べればちょうどいいと思ったんだよ」
「いやー助かるぜ。サンキュー荻野」
「わたしはしょーごくんだけに食べてほしかったのに~!」
「ふふっ……」
「ちょっと、藤村さんいま笑ったでしょ!?」
「……無様ね」
「うわ~ん、しょーごくん! 藤村さんがいじめる~」
「上原くんから離れなさい、このハレンチ女」
「わたしハレンチじゃないもん! ていうかそんな言葉知ってるなんて藤村さんのがハレンチじゃんっ」
「ち、ちがっ! わ、私は本で読んだだけで」
「え~そんなえちえちな本よんでるの~?」
「え、えち……お、荻野さんの……お、おたんこなすっ!」
「わたしなすじゃないもんっ」
「わ、ちょ、お、お弁当がこぼれるから!」
奨吾たちにとってはもはや定番となったやりとりだが、それを見た陽人が目を丸くした。
「おまえたち……いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
わちゃわちゃしていた三人の動きがぴたりと止まる。陽人は奨吾の家庭の事情を唯一知っている人物なので、繭香との仲について疑問はないだろう。しかし瑠奈を含めた三角関係については知る余地もない。
彼女に告白されたことは話したが、男同士で恋バナなんてすることはどこか恥ずかしく、その後のことは伝えていなかったのだ。
そういえば陽人が言っていた「あいつには気を付けろよ」というのは、どういう意味だったのだろう?
とりあえず、瑠奈と繭香が自分を取り合っており(繭香はお母さんとしてであるが)デート対決をしたなどということを知られるわけにはいかない。
奨吾はなんとか誤魔化そうと──
「わたしとしょーごくん、このまえデートしたんだぁ~」
「いや、なんで言うの!?」
「え~なんでだめなの?」
「い、いろいろとマズイだろ!? 付き合ってるわけでもないのにデートとか!」
「じゃあ付き合って?」
「そういうのやめて!?」
「わ、私も……デートしたっ!」
「どうしてここで張り合ったぁああああ!?」
万事休すである。陽人を見ると、怒っているような面白がっているような、なんとも言えない複雑な表情をしていた。なんとなく気まずい。
「……ずいぶんとおモテになっているようで」
「ご、ごめんな。黙っているつもりはなかったんだけど……なんとなく、その……恥ずかしくて……」
「わかってるよ。おまえはそういうやつだからな。それよりさ……デートするなんて、マジで本気なんだな。瑠奈」
陽人の言葉に違和感があったが、奨吾は気が付かなかった。瑠奈のこめかみがピクリと動く。しかしすぐにその顔は天使の笑顔になった。
「あったりまえでしょ~だって私~しょーごくんのことだいすきなんだもん! 陽人くんも協力してね?」
陽人はその言葉を「はい、はい」とあしらいながら、瑠奈の作った弁当をつまんだ。
「で、そのデートの話とか超おもしろそーなんだけど。聞かせてよ?」
「はぁ? おまえやめろって!」
「わたしとしょーごくんはね~……ふふっ、密室でイケナイことをた~っくさんしたんだよ~」
「言い方!!!!」
「んっ……んうっ……」
「ほら、藤村さんが真顔でむせちゃってるから! 刺激強すぎるから!」
「みっしつ……イケナイこと……」
「大丈夫! ただの健全なカラオケです!」
「チッ」
「荻野さん、いま舌打ちしたでしょ!?」
「ふ、ふたりきり……カラオケ……」
「あーっ! ダメだ、カラオケも刺激が強かったぁああああ!?」
「おまえらマジでおもしれーな」
「笑いごとじゃねえって!」
「なぁ、今日みんなでカラオケ行かね?」
「「「えっ?」」」
それは思いがけない誘いで、三人の声が揃う。
「いや、なんかさ。やりとり見てたら俺もカラオケ行きたくなったんだけど……ダメかな?」
顔を見合わせる。瑠奈はみんなでというのは気に入らなかったが、それでも奨吾と一緒にいられるならそれもいいと思った。繭香はお母さん的立場からすればカラオケなど言語道断であったが、いち女子高生としてはずっと憧れていた。それに何より、奨吾と瑠奈が楽しんだカラオケというものを、対抗心から体験してみたかった。
そして奨吾はといえば──ただシンプルに、みんなでカラオケに行きたいと思った。
「「「行くっ!」」」
それぞれ思惑は違うけれど、再び三人の声が揃う。
「じゃあ放課後、校門に集合な!」
陽人がそう言って、ニカッと笑った。
***
そして放課後、4人は校門の前に集まった。
「よーし、揃ったな! それじゃ、行こうぜ! あっ、行く途中にコンビニ寄らねーとな」
「持ち込みOKの店なのか?」
「おう、だから好きなもんいっぱい買って行こうぜ」
「私、新作のスイーツ食べたい~!」
「また太るぞ」
「も~陽人うるさいっ! 藤村さんも食べるでしょ?」
「わっ、私は……」
繭香の困った態度を見て、奨吾の肩がハッと上がる。もしや彼女は、またお母さんになってしまうのだろうか? コンビニスイーツなんて食べられない、もしかしたらカラオケ自体やっぱり行きたくないと言うのでは──?
繭香は唇をぎゅっと噛み締めて、意を決したように言った。
「わ、私も……食べたい……!」
返事を聞いて、奨吾はほっと胸を撫で下ろす。
「OK~! じゃあ~ふたつ買おうね! それで相談なんだけど~新作スイーツはバニラとチョコ味があるの! ふたつとも食べてみたいから、ふたりで半分こしよ?」
「は、はは、半分こ!」
二人のやりとりを見て、奨吾はふっと笑う。繭香がまるで普通の女子高生のようにこの場にいることがうれしかったのだ。
「もしかしたら……これでいいのかな……?」
奨吾はふと、呟いた。
なぜかわからないが「お母さん」になろうとする繭香と、なぜかわからないがまっすぐに自分を好いてくれる瑠奈。
その関係性はあまりにも不透明だ。そして自分は弱く、あまりにも無力で、きっと彼女たちが望む答えを差し出すことができない。
無意識に歩くのが遅くなってしまった奨吾を、皆が呼ぶ。
「おーい、奨吾! 早く来いよ!」
「しょーごくん、早く早く~!」
「い、行こう……しょ……奨吾!」
奨吾との約束を守り、お母さんではなく同級生として繭香が名前を呼んだ。
「うんっ!」
奨吾は走り出す。途中、小さな女の子を連れたショートヘアの女性とすれ違った。女の子はお母さんの手をしっかりと握り、ときおり甘えたようにその顔を見上げている。
──お母さん、か。
今はそれでもいい、でもいつか──そう思いながら、奨吾は三人の名前を呼んだ。
──Side ?
重いスーツケースを転がしながら、この街には戻って来たくなかったと、憂鬱な気持ちで思う。
すると向かいから、三人組の高校生がやって来た。ワイワイと楽しそうにはしゃいでいる。漏れ聞こえる声から察するに、今からカラオケに行くらしい。
いかにもイマドキの男女と、清楚な雰囲気の女の子。タイプは違うけれど、女の子は二人ともかなりの美少女だった。
「ダブルデートかな……青春ね~」
思わずそう言うと、「せーしゅん?」とかわいらしいオウム返しが聞こえ、でもその言葉をどう説明したらよいかわからなかったから、ふふっと笑って誤魔化した。
しかしダブルデートにはひとり男の子が足りない。すると彼らから少し遅れて、見覚えのある少年が走り出した。
「今の、もしかして……?」
懐かしい思い出が蘇る。太陽が照り付ける真夏の公園、耳障りな蝉の鳴き声、砂遊びをする小さな子供、そして──まだ若かったころの自分。あの頃は近所の綺麗なお姉さんとして、ピュアな恋心に救われた。
「おかーしゃん、どしたの? おともだち?」
「ううん。おともだちじゃないの」
「じゃあだれなの?」
「ふふっ、お母さんの青春」
あのときの季節のように、心が熱くなる。何もいいことがなかったこの街、大嫌いな街。でも──ひとつだけあった、大切な思い出が。
「また一緒に遊ぼうね、しょーちゃん」
朝起きたら同級生がお母さんになっていました。 モノカキ・アエル @monokaki_aer
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