第16話 お母さんにショッピングセンターで服を選んでもらいます。

 奨吾は困惑していた。それは荻野瑠奈とのデートが、楽しかったからだ。

 結局、彼女の「ひみつ」はわからないままだったけれど、大声で歌をうたうと心が晴れやかになることを知った。

 そのあとも「イケナイこと」をたくさんした。

 おしゃれなカフェに行って、生クリームがたっぷり乗った背徳的なパンケーキを食べた。

 ゲームセンターにも行った。これも一応、校則違反だ。そこで彼女が欲しがったぬいぐるみを取ってあげたり、カーレースで白熱の勝負をしたりした。

 二人きりでじっくりと話してみれば、瑠奈は話題が豊富なだけではなく、聞き上手でもあった。

 気づけば奨吾は、同級生の女の子とのデートをただただ楽しんでいた。

 そうして瑠奈は、最後に言った。


「ねえ、今日の記念にプリクラ撮ろ?」


 ごく自然に頷いてしまいそうになり、ハッとする。二人きりの写真を形に残してしまうことだけは、さすがに避けたいと思ったからだ。


「ごめん、それだけは、ちょっと」

「えーどして?」

「ほ、ほら、やっぱりさ。付き合ってるわけでもないのに、二人きりで撮るってのはちょっとまずいかなって」

「そんなことないと思うけどなー?」

「……とにかくごめん!」


 そう、断ったのは自分のほうなのだ。それなのに──。


「そっか~わかったよ」


 瑠奈の顔は笑っていたけれど、その表情はどこか寂しそうだった。


***


 ……瑠奈の表情が、あれからずっと、頭から離れない。


「しょーちゃん、準備できた?」


 部屋のドアがノックされていた。扉越しに自分を呼ぶ控えめな声で、現在に引き戻される。

 そうだ、今日は繭香とデートをする日。

 ふたりきりで出かけるのは夏祭り以来のことで、奨吾はこの日をとても楽しみにしていたのだ。いつも着ている適当なシャツではなく、新品の服をおろした。髪も少しワックスを付けていた。

 藤村繭香の横に並ぶ男として恥ずかしくないよう、彼なりの努力だった。

 いそいそとドアを開けようとしたが、寸前で奨吾は「あっ」と声を上げてしまう。

 気付いてしまった。

 繭香は奨吾のことを「しょーちゃん」と呼んでいた。つまり彼女は、今日「お母さん」としてデートをするつもりなのだ。

 奨吾は少しだけがっかりしてしまう。しかしすぐに思い直した。お母さんがなんだ。二人きりの時間が楽しいものになれば、きっと夏祭りのときのように同級生の繭香になってくれるはずだ。

 奨吾は「よし」と呟くと、ドアを開けた。


***


 繭香を楽しませようと張り切って出かけた奨吾であるが、このデート対決の主導権は女の子側にある。よって、デートをプロデュースするのは繭香のほうだった。


「今日はとっておきの場所に行く」


 と、言って連れて行かれたのは――近くにある郊外型ショッピングセンターのミオンモールだった。

 よくある大型商業施設で、地元民のほとんどがここに集まると言っても過言ではない場所である。飲食店、本屋、アパレルショップなどがずらりと並び、とりあえずミオンがあれば買い物には困らない。奨吾も陽人と、よくここに遊びに来ていた。

 しかし適当に遊ぶにはいい場所であるが、とっておきかと言われると疑問である。

 店はどこにでもあるチェーン店ばかりであるし、何よりもあのおしゃれな母親を持つ繭香が、地元のミオンに来ているイメージがなかった。

 しかし繭香は店に入るなり言った。


「なんておしゃれな場所なの」

「えっ?」


 思わず声を上げてしまう。顔はいつもどおりの無表情であったが、その目はキラキラと輝いており、本心から言っているのだとわかる。もしかして、自分のレベルに合わせたチョイスをしてくれたのかと思ったが(事実、ここは奨吾にとって落ち着く場所である)、そういうわけでもないようだ。


「今日はこのおしゃれな場所にあるおしゃれなお店でしょーちゃんにおしゃれな服を選んであげる」

「お、おう……」


 いきなりのお母さんムーブに面食らったが、ふと気づく。繭香の今日の服装は、シンプルな白のシャツに紺色のふわりとしたスカートというもので、昨日瑠奈がしていた垢抜けたファッションに比べると、特段おしゃれをしているというわけではなかった。ミオンを「おしゃれ」だと言うことからしても、彼女はあまりそういうことに興味がないのだろう。

 ときどきおしゃれな服装をしているが、あれはおそらく母親が買い与えたものであり、きっとこれが普段の繭香なのだ。

 急に親近感が増して、奨吾はふっと笑みを浮かべた。慣れ親しんだショッピングセンターも、好きな子と歩くと景色が違って見える。

 そう、今日は繭香が「お母さん」になる隙を与えないくらいに楽しもうと決めたのだ。

 ひとまず奨吾は、お母さんモードの彼女に従うことにした。


 彼女に連れられて(迷いながら)辿り着いたのは、男女両方の服を扱うティーン向けのアパレルショップだった。


「さぁ、しょーちゃん。お母さんが服を選んであげる」


 店に入るなり、繭香が目をらんらんとさせて奨吾に迫る。しかしそうはさせない。


「気持ちはありがたいんだけどさ、高校生にもなってお母さんに服を選んでもらうっていうのは、ちょっとどうかと思うんだ」


 ひとまず彼女の「お母さん」としての気持ちを尊重しつつ言ってみたが──。


「そんなことない。息子は何歳になってもお母さんに服を選んでもらうもの」


 そんなことで引く繭香ではない。まぁ、これは想定内だ。だから次は、反対にこちらから提案をしてみる。


「じゃあ俺が繭香に服を選んであげるってのは、どうかな?」

「わたしはお母さん」

「……お母さん的な服を選んであげるから」

「だめ。息子がお母さんの服を選ぶなんて言語道断」

「そこまで!?」


 やはりお母さんモードになった繭香はてこでも動かない頑固さだ。さて次はどんな手を打つべきか。せっかくの機会なのだから、やっぱりデートらしいことがしたかった。

 両手に洋服を持って「ねえ、どっちが似合う?」と迷う繭香。「どっちも似合うよ」と答える奨吾。「もうっ! ちゃんと考えてよ~」なんて彼女が膨れて……なんてことを妄想していると、繭香が言った。


「ねえ、どっちが似合う?」


 まさか妄想が現実に? 驚いて顔を上げた奨吾は固まった。

 彼女が持っていたのは、黒地に大きく十字架がプリントされたTシャツと、黒地に大きくドクロがプリントされたTシャツだった。どちらも呪文のように、英字で何かが書かれている。裾はわざとビリビリに破れた退廃的なデザインで、ご丁寧にシルバーチェーンの飾りまでついていた。


「しょーちゃんにどっちが似合うかな?」

「いやどっちもやめて」

「どうして? 男の子ってこういうの好きなんでしょ?」


 繭香がかわいらしく小首をかしげる。できればその台詞は別のシチュエーションで言われたかった。


 ていうか俺って繭香の中でこういうイメージなのか?


 そのことが一番複雑である。これはあくまで、お母さんである繭香からの奨吾へのイメージだと、そういうことにした。いや、お母さんじゃないけど。ていうか本当のお母さんならむしろ「こんな洗濯しにくい服買って!」と怒るところだ。

 いらぬダメージを負ったが、こんなことでめげているわけにはいかなかった。


「マジで俺の服はいいからさ、繭香の服を選ぼうよ」

「そんな必要はない。しょーちゃんのためならお母さんは服なんて着なくていい」

「いや、服は着よう?」


 もはやお母さんの主張ですらなくなっている繭香に対して、奨吾は強硬手段に出た。


「ほら、このワンピースなんて似合うんじゃないかな?」


 指をさしたのは、マネキンが着ていた水色ギンガムチェック柄のワンピース。爽やかな感じが繭香に似合いそうだと、店に入ったときから思っていたのだ。


「そんなの似合わな……あ……」


 それは小さな変化であったが、彼女の表情が緩んだことを見逃さなかった。そこへタイミングよく店員のお姉さんがやってくる。


「それ、かわいいでしょう? 新作なんですよ。よかったらご試着されますか?」

「さ、されないですっ」

「ご試着されますっ!」

「えっ、し、しないっ」

「されますっ!!!!」


 押し切る奨吾。あとはお姉さんが、いかにもアパレル店員らしい強引さで繭香を試着室に押し込んでくれた。

 そして数分後──。

 試着室のカーテンが恐る恐る開き、恥ずかしそうに繭香が顔を出した。


「まぁ、すっごくお似合いですよ!」


 女性店員がすかさず駆け寄る。彼女の全身を見て、それがお世辞ではないことがわかった。

 細身のギンガムチェックワンピース。ウエスト部分はベルトできゅっと締まり、そこからふわりと裾が広がる。パステルカラーの水色は、やっぱり繭香にとても似合っていた。


「か、かわいい」


 思わず口に出してしまう。聞こえてしまったのか、彼女の肩がビクリと上がった。怒られてしまうだろうか? そう思ったが、繭香の顔はみるみるうちに真っ赤になった。そして、


「あ……う……」


 と、言葉にならない声を発している。


 これは……もしかして照れているのか?


 もしそうなのだとしたら、こんなにうれしいことはなかった。

 ようやくデートらしくなってきたことに心が弾んだ奨吾は、もっと素直に気持ちを伝えたいと思ってしまう。だからその言葉は息をするように、自然と口からこぼれた。


「うん、かわいい。よく似合ってるよ」

「ひうっ……」


 繭香はさらに赤くなり、もじもじと指先をいじった。店員に促されるようにして、全身を鏡に映す。その表情が、ぱあっと華やいでいくのがわかった。

 もし彼女も気に入っているのなら、今日の記念としてプレゼントしてあげようと思う。実は密かに値段をチェックしていたのだ。ティーン向けの店なので、奨吾の小遣いでもじゅうぶんに買える値段だった。

 繭香が喜ぶことならなんでもしてあげたい。

 奨吾はそう思い、あらためて彼女への恋心を自覚した。

 それなのに──。


「よかったですね。彼氏さんもかわいいって!」


 女性店員がそう言うと、彼女は必死の形相でこう言ったのだ。


「ち、違いますっ!」

「失礼いたしました。お友達だったのね」

「それも違う」

「えっ?」

「私はお母さんで──」

「お、お母さん!?」


 まさか店員にまでそう言うとは思わず、奨吾は慌てて言った。


「あっ、お、お母さんへのプレゼントを買いに来たんです! その、お、俺たちはきょうだいで……」

「まぁ、そうだったのね」

「す、すみません。それなのについ試着してしまって」

「そんなこといいのよ」


 店員は再び接客用の笑顔になり、すぐにセールストークを変更する。しかしもうその言葉は、なにひとつ頭に入ってこなかった。


***


 ──俺たちはきょうだい。


 自分と繭香の関係を表す言葉に、これ以外のものはない。もともとクラスメートであったとはいえ友人ではないし、もちろん恋人でもないからだ。

 そんなことはわかりきっているはずなのに、いざ「彼氏ではない」と目の前で否定をされるのはつらかった。

 それどころか、彼女は「お母さん」というわけのわからない関係を続けようとしている。

 そのあとも、今の奨吾には耐えられないことが続いた。

 ランチを食べようということになったが、お母さんモードになっている繭香の納得する店が見つからない。彼女を喜ばせようとセレクトしたおしゃれなカフェは教育上よくないと却下され、気軽におしゃべりでも楽しもうとファストフードを提案すれば、栄養バランスが悪いと叱られた。

 結局、有機野菜を使っていることが売りの自然派レストランに入ったのだが、店内は年配の女性ばかりで落ち着かなかった。それでも二人きり、普通の話ができればそれでよかったのだが、繭香はお母さんという立場を崩さない。


「しょーちゃん、野菜はたっぷり食べないとダメだよ」

「うん」

「しょーちゃん、人参は残しちゃダメ」

「うん」

「しょーちゃん、育ち盛りなんだからたくさん食べてね」

「うん」

「しょーちゃん」

「もうわかったよ!」

「……お母さんまだ何も言ってない」

「あっ」

「しょーちゃん……怒ってるの?」

「ご、ごめん!」


 奨吾は慌てて謝ると、残りの食事をかきこんだ。

 つい感情的になり、強い口調になってしまったことを後悔する。でも彼女にそれを問われて、「怒ってない」と言えなかった自分にも気づいていた。何もかもがうまくいかなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 奨吾は焦っていた。このままでは、ほんとうにただお母さんとショッピングモールに来ただけになってしまう。

 食事を終えてモールを歩きながら、奨吾は様々な提案をした。しかし映画もパンケーキも食べ歩きも何もかも、お母さんモードの繭香に不健全だと却下されてしまう。

 そのときふと、ゲームセンターが目に入った。瑠奈との楽しい時間を、つい思い出してしまう。だからこそ、ここに繭香と行きたいと思った。

 

 だって彼女と行けば、きっともっと楽しいはずだから──。


「ねえ、あそこ行こうよ」

「! ゲームセンターなんて絶対にダメ!」

「どうして?」

「ゲームセンターは不良のたまり場!」

「そんなことないって。楽しいよ」

「もしかしてしょーちゃんはゲームセンターに行ったの?」

「ゲームセンターくらい誰だって行くよ! ほら、見てよ。女子高生だっている! そうだ、プリクラ撮ろうよ! 繭香はゲームをしないのかもしれないけど、それなら──」

「絶対にダメ! お母さん許しません!」


 その言葉で何かがプツリと切れた。


「いいかげんそのお母さんってのやめろよ!」


 自分でも驚くほどの大声が出てしまう。繭香の肩がびくりと上がり、表情が歪んだ。しかし止まらない。


「それ、なんなわけ? 私はお母さんであなたは息子だってさ。そんなこといきなり言われてもワケわかんねーよ! なんなんだよ!?」

「だ、だって……私はお母さんだから!」

「だからその理由を教えてよ!」


 奨吾はもう限界だった。ただ好きな女の子と楽しい時間を過ごしたかっただけなのに。

 でもその相手は、自分を恋愛対象として見てくれないどころか、対等に扱ってもくれない。お母さんだなんてわけがわからない。

 でももし、彼女がそうならざるを得ない理由があるのなら。それさえ知ることができれば、自分は納得できると思った。


「わ、私は……」


 彼女はすがるように、右手で左腕をぎゅっと握っている。そして小さく震えながら、ゆっくりと口を開いた。


「しょーちゃんのことが、好きなの」


 好き。


 その言葉に一瞬だけ胸が弾んだが、繭香は奨吾のことを「しょーちゃん」と呼んだ。


「それは……お母さんとして?」

「…………」


 彼女は答えない。でも、それが答えだった。


「わかったよ」


 奨吾はそう言って、ぎゅっと拳を握る。この恋は、もうあきらめるべきだと、そう思った。


「……だったら昨日、荻野さんとプリクラ撮ってあげればよかったよ」

「っ……お、荻野さんとゲームセンターに行ったの?」

「──お母さんには関係ないだろ」


 奨吾は繭香の顔を見ないようにして踵を返す。だから、彼女の瞳から涙が一筋流れていることには気が付かなかった。






──Side 繭香


「しょーちゃんのことが、好きなの」


 それが藤村繭香の精一杯だった。

 思い返せば、自分こそが「お母さん」に頼っていたのかもしれない。

 瑠奈から「デート対決」を提案されて、つい頷いてしまった。しかし繭香はデートなど、生まれてこのかたしたことがなかった。

 奨吾と二人きりで行った夏祭りでさえ、あんなにも緊張してしまったのに。

 お母さんになりさえすれば、奨吾と普通に話すことができた。だから彼女は、そうすることを選んだのだ。

 でもそのことが、彼を怒らせてしまった。


「私は……奨吾のことが好き……」


 繭香は絞り出すような声でそう言うと、その場にしゃがみこんでしまう。

 今更もう届かない。

 ……涙が昔の記憶を呼び覚ます。

 泣きじゃくる男の子。

 自分のせいで、彼の『お母さん』は失われてしまった。

 繭香は涙を拭き、立ち上がった。

 自分にできることは、もう、彼の『お母さん』になることだけだ。


 ――この恋は、もうあきらめるべきだと、そう思った。

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