第15話 同級生と密室でイケナイことをします。

 そして、土曜日がやってきた。


「しょーごくん、やっほ~! るなぴよだよ~」


 待ち合わせ場所に現れた荻野瑠奈を見て、奨吾は目を見張った。

 いつもポニーテールで束ねられている髪はおろされて、ふんわりとカールしている。

服装はオフショルダーのワンピースで、露わになっている肩が白く眩しい。学校で見かける時とはずいぶん雰囲気が違う。メイクも変えているのかもしれない。


「行こっ?」


 そう言って、彼女はごく自然に腕を取ってきた。

 奨吾は言葉を失って、固まったままだ。


「あれ? どしたの、しょーごくん。なんか顔、赤いよ?」

「……えっ、あっ」

「ふふっ、わたしに見惚れちゃった?」

「ちがっ! そ、そういうんじゃなくて」

「……ちがうの?」


 瑠奈がしょぼくれると、奨吾としても、どうしても慌ててしまう。


「い、いや! なんていうか、学校の雰囲気と違うから驚いて……」


 どう言葉を返せばいいのかと、思わず逃げるように目をそらしてしまった。

 だが、瑠奈はそんな奨吾を逃すまいとしてか、すかさずぴょんとはねて視界に入ってきた。


「かわいいでしょう?」

「え、あ、うん、まぁ……」

「しょーごくんのためにおしゃれしてきたんだよっ」

「あ、ありがとう」


 自分のためと言われて、顔が緩んでしまう奨吾だが、すぐに気を取り直す。

 今日の集まりはデート対決という名目だが、奨吾がるなぴよに会う目的は別に決まっている。


『なぜ俺が好きなのか?』


 その答え聞くことだけだ。

 しかし、序盤から彼女のペースに巻き込まれてしまい──。


「しょーごくん、ちょっと耳貸して」

「えっ、なに!?」

「いいから!」

「わっ」

「この服……ちょっとえちえちだよね?」


 耳元で囁かれ「うわあっ!」と彼女を引きはがす。

 再び目をそらした。意識を強く持たなければ、あっという間に流されてしまいそうだった。


「そういうのいいから! で、今日はどこへ行くの?」

「ふふっ、あのね~……ふたりっきりになれると・こ・ろ!」

「えっ!?」


 るなぴよはそう言うと、人差し指を口に当てて、意味ありげにウィンクしてみせた。


「ふたりっきりでイケナイこと……しよ?」

「っ……!」


 神様仏様お母様──!


 果たして自分は、無事に帰ることができるのだろうか。

 奨吾の心臓は、既に限界だった。


***


 呆然としながらるなぴよに連れられ、数十分。

 奨吾は子供のように手を引かれて、ついに『イケナイことができる場所』へとやって来た。

 彼女が言うとおり、密室に二人きりである。


「しょーごくん……やっとふたりっきりになれたね……」

「あ、ああ、うん、そうだね……」

「ふふっ、ここならおっきな声を出したってへーきだよ」

「そ、そんな、俺……は、恥ずかしいよ……」

「えっ、もしかしてしょーごくん、はじめてなの?」

「…………」

「だいじょーぶ! わたしがやり方おしえてあげるよ。まずはコレを握って……」

「い、いきなり!?」

「ふふっ……あとは入れるだけだよ……」


 るなぴよはおもむろに――奨吾にマイクを握らせ、リモコンで曲を入れようとした。

 二人がやって来たのは、カラオケボックスである。


「待って、待って! 俺マジで、人前で歌うのとか苦手なんだよ!」

「えっ? しょーごくん、ほんとにはじめてなの?」

「そ、そりゃあ何回か来たことはあるけど……」


 説明しようとして、ぎゅっと口をつぐんだ。

 陽人とふたりでバカ騒ぎをしたり、親父の歌をただひたすら聞くなど、説明するのがはばかれるような記憶ばかりだ。


 卒業式の打ち上げなど、クラス単位での誘いをうけたことはあるが、実際に参加したことがない。

 奨吾は震えていた。

 学校のアイドル『るなぴよ』と1on1でカラオケなど、いきなり適応して歌いだせるはずもない。


「ていうかイケナイことってカラオケかよ!」

「えーだってカラオケっていちおー校則では禁止でしょ? だから~イ・ケ・ナ・イこ・と」

「心臓に悪いからそういう表現やめて!?」

「あーっ? もしかしてしょーごくん、へんなこと想像した?」

「ちっ、ちがっ」


 目を伏せる。違うとは言えなかった。


「でもしょーごくんとだったら~……わたしそーゆーコトしてもいいよ?」


 隣に座っている彼女が、奨吾を誘うように上目遣いになり、肩を寄せて密着してくる。

 奨吾が逃げるようにうつむくと、今度は彼女の真っ白な太ももが視界に入ってしまう。


「あ……いや……」


 奨吾はどうすることもできず、小さくなって拳を握りしめ、目を白黒させていた。

 カラオケボックスという薄暗い密室で、地肌をさらしながら体を寄せ合っているという事実に、意識は爆発する寸前だ。


「ふふっ、じょーだんじょーだん!」


 るなぴよは笑ったが、いったいどこまでが本気でどこまでが冗談なのか、奨吾にはさっぱりわからなかった。


「と、とにかく! 俺、歌はマジで苦手なんだよ……流行りとかも知らないし……」

「わかったよ! じゃあまずは、わたしから歌うね!」


 るなぴよはそう言って、慣れた手つきで曲を入れた。

 流れてきたのは、流行にうとい奨吾でも知っているメジャーなアイドルソング。


「やっほー! いっくよ~!」


 スカートをひらり翻して、るなぴよが歌い出した。


「えっ、うま……!」


 思わず声を漏らしてしまう。

 るなぴよの甘くて透明感のある声はアイドルソングにぴったりで、耳に心地よく抜けていく。

 振り付けまで完璧で、彼女の容姿も相まって、本物のアイドルが目の前にいるかのようだ。

 音楽に気分を乗せられているうち、奨吾はいつの間にか手拍子をしている自分に気が付いた。


 ジャンッ!


 曲が終わると、るなぴよはこれまたアイドルのように深く長い礼をする。


「すごい! めっちゃうまいよ!」

「えへへ~! おそまつさまでしたっ」

「アイドル好きなの?」

「ん~べつにそういうワケじゃないんだけど。さー、つぎはしょーごくんだよ?」

「えっ? お、俺はまだ心の準備が……」

「もー! しょーがないなぁ~」


 そう言って、またるなぴよが曲を入れる。

 今度は大ヒットしたアニメ映画の主題歌だった。彼女の澄んだ声が響き渡る。

 バラードだったので、奨吾は体を揺らして聞き入った。男性が歌う曲だったが、これも見事に歌い上げた。


「これもめっちゃうまい!」

「ふふっ、ありがと~」

「このロックバンド好きなの?」

「ん~べつに。ただ映画おもしろかったから!」

「映画、俺も見たよ!」

「ほんと? ラストすっごいよかったよねえ~」

「わかる! セカイ系最高!」


 思いがけず映画の話へと転がった。

 同じ映画の、同じシーンを気に入っていることがわかって、奨吾はつい顔をほころばせてしまう。

 一通り盛り上がったあと、再びるなぴよがマイクを握った。

 お次はお茶の間で聞かない日はない子ども向けヒット曲。ポップなメロディを歌い上げる彼女にあわせ、奨吾もつい、肩を揺らしながら口ずさんだ。

 これまた振り付きで歌っていたるなぴよが、最後のポーズを決める。そして少しはにかみながら、奨吾の隣へと戻った。


「えへへ~、どーだったかな?」

「すごいよかった! あとなんかこの曲、荻野に似合ってるよ!」

「どゆこと~?」

「なんていうか、ふわふわしてかわいい感じ?」


 言ってから、我に返る。

 つい、ナチュラルにかわいいと言ってしまったからだ。

 自分はそんな言葉を軽々しく使うタイプではないし、付き合っているわけでもない女の子に向かって「かわいい」と言うのは馴れ馴れしい感じがする。柄にもないことをしてしまい焦ったが、すぐに思い直した。 

 なんせ相手は、るなぴよなのだ。そんな言葉は、きっと言われ慣れているだろう。

 だからいつものように「ふふっ、ありがと~」と、なんなら「えへへ~知ってる」くらいの感じで流してくれるだろう。

 だがしかし、彼女がしたのは思いがけない反応だった。


「わ、か、かわっ……」


 言葉にならない声が聞こえてきた。何かと思って奨吾が見ると、るなぴよの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。


「か、かわいいって……」


 奨吾の認識に間違いがなければ、これは女の子が照れているときの反応である。


 あの荻野瑠奈が? まさか!


 しかしそのまさかだった。


「うっ……」


 そう言ってうつむいてしまったのは、息が苦しかったわけじゃない。


「うれしいっ……!」


 顔を上げた彼女は、まる花がパッと咲いたかのような可憐な笑顔。

 奨吾は思わず「うれしいの!?」と聞き返してしまう。

 思い切り『にわかに信じがたい』という顔をしてしまったが、それでもるなぴよは満面の笑みを浮かべて頷いた。


「とってもうれしいよ! だって好きな人に言われたんだもんっ。この曲、ほんとはぜんぜん好きなんかじゃなくて、ただしょーごくんのために歌っただけなんだけど、わたしすっごくラッキーだねっ」

「えっ、俺のため?」

「うんっ! これならしょーごくんも一緒に歌ってくれるかな~って思ったから!」


 奨吾はふと、るなぴよの歌を思い返す。

 たしかに聞きなれた歌いやすいフレーズだったので、つい口ずさんでいた。

 彼女が歌う曲には一貫性がなくジャンルもバラバラだったが、ひとつだけ共通点があった。

 それは誰もが知っているヒットソングであるということ。

 奨吾は彼女の意図に気が付き、思わず息が止まった。彼女は好きな曲を好きなように歌っているだけなのだと思っていた。ヒットソングを歌うのは、彼女がミーハーだから。でも違った。

 それは「歌が苦手」だと言った奨吾のため、あえてそうしていたことだったのだ。


「ずるいよ……そんなことされたら……」


 ──心が動いてしまうじゃないか。


 奨吾は聞こえない声で呟いた。


「ふふっ、じゃあ次! 今度こそ、しょーごくんの番だよ! 一緒に楽しも?」


 そもそも彼女は、一緒にカラオケを楽しもうとしていただけだ。

 奨吾は自分のこめかみにこぶしを当て、反省する。

 彼女はここまでしてくれたのに、自分が歌わないわけにはいかない。

 かっこ悪いところを見られたくない。そんな子どもじみた理由で彼女の気持ちを裏切るのは、罪深いことのように思えた。


 こういうところ、だよな……。


 差し出されたマイクを握る。奨吾としても、ここまでされて、恥ずかしいなどと漏らすわけにはいかなかった。


「うん──俺も、歌うよ」


 奨吾は立ち上がる。しかしそのときであった。


「わーいっ! 楽しみだよっ。しょーごくんっ」

「わっ! とっとっ……!」


 奨吾がぐらりとバランスを崩す。立ち上がるのと同時に、るなぴよが彼の下半身に抱き着いたのだ。


 ドサッ!


「きゃっ」


 るなぴよに引き寄せられる形で、ソファに倒れ込んでしまう奨吾。

 しかし彼女を潰してしまうことだけは避けたいと、とっさに手をついた。結果──るなぴよをソファに押し倒す形になってしまった。

 彼女のくりっとした丸い瞳、桃色に染まる頬、薄いリップで彩られた唇が目の前にある。

 手から離れたマイクが落ちて、室内にキーンという不快な音が鳴り響いた。


 ――この体勢は、非常にまずい。


「ごっ、ごめんっ!」

「う、ううん。わたしが急に抱き着いちゃったから」

「す、すぐにどくから」


 しかし、るなぴよは首を振った。そして奨吾のことをじっと見つめてくる。


 奨吾もまた、その大きな瞳から目が離せなかった。


「……いいよ」

「えっ……?」

「しょーごくんなら……いいよ?」

「はぁ!? えっ、な、なにが」

「んっ」


 るなぴよが目を閉じる。いくら恋愛にうとい奨吾でも、それが何を意味しているのかということくらいわかった。


「そんなの……ダ、ダメだよ……」

「だいじょうぶ。だってわたし、しょーごくんのこと、すきだから」


 いいのか? ほんとうに?


 このシチュエーションで女の子が目を閉じて待っている。しかもその女の子は自分のことが好きなのだ。なぜかはわからない。でも──。

 

 荻野瑠奈はいつだって、恥ずかしくなるくらいまっすぐに「好き」って言ってくれるんだ。


「ダメだよっ!」


 奨吾は体を起こす。彼女の想いが真剣であるからこそ、中途半端な気持ちで応えるわけにはいかないと、そう思ったのだ。


「……どうして?」


 起き上がったるなぴよが、しょんぼりと悲しそうにした。


「ねえ……ずっと聞きたかったんだけどさ……どうして俺なんかのことが好きなの?」

「……それがわかったら、キスしてくれる?」

「なっ、でっ、できないよ、そんなこと!」

「じょーだんだよ~」

「だから心臓に悪いって……」

「ふふっ。しょーごくんを好きな理由、か……」

「あっ、前みたいに運命とか、そういうのはナシでお願いします」

「えっ、ダメなの? ん~むずかしいな~」


 少し考えてから、るなぴよが言った。


「しょーごくんはね、わたしを救ってくれたの!」

「えっ……」


 まったく身に覚えがない。彼女と同じクラスだったのは去年の一年だけだ。そのあいだも、ろくに関わったことがない。


 俺が荻野瑠奈を救った……?


「ご、ごめん。俺、全然覚えてなくて。荻野さんに何かしたっけ?」

「ふふっ、覚えてなくていいんだよ。君にとってそれは、ごく自然で、あたりまえのことだったんだから」

「気になるよ。教えてくれないかな?」

「ん~それはないしょ」

「どうして?」

「これを話したら、わたしはわたしの、いちばんのひみつを話さなくちゃいけないの。だから教えられない。ごめんね?」


 るなぴよはいつになく真剣な表情で、奨吾は「わかったよ」と頷くしかなかった。


「ほら、まだまだ時間はたっぷりあるよ! デート、楽しも?」


 天使のような笑顔で彼女が笑う。今日のことで、奨吾は荻野瑠奈への気持ちが少し変わったことを実感していた。

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