第14話 お母さんと同級生の戦いが続いています。

「いってきます」


 悪夢のタピオカ戦争から、一晩経った登校路。

 今日は梨花子がいたので、繭香はクールな同級生モードだった。「おはよう」の挨拶をしたきり、言葉を交わすことはなかった。

 彼女がお母さんモードでなければ、親しく会話をすることができない。

 でも、自分と対等な同級生の彼女でいてほしい──。

 奨吾はもやもやとした苦悩を考えながら家を出た。いつも答えは出ない。まず、どうして彼女が「お母さん」になろうとするのか、その理由がわからないのだから、解決策など出るはずもない。

 しばらく歩いたころ、背後からトットッ、と、小さな足音がした。

 振り返ると、そこにいるのはなんと繭香だった。


「えっ、どうしたの?」


 繭香と義理のきょうだいになったことは学校では明かしていない。もちろん一緒に住んでいることも秘密だ。だから登校時は特に気を付けていた。

 いつも時間差で家を出ていたし、一緒に並んで登校するなどもってのほかである。

 たまたま追いついてしまったのだろうか? そう思って、奨吾は歩くスピードを速めてみた。すると──やけに速足で追いかけてくる。

 今度は止まってみた。すると彼女も止まった。


「い、一緒に……行きたいの?」

「うん。だって心配だから」

「それってやっぱり、お母さんとして?」

「そう。登下校中は危険がいっぱい。だからしょーちゃんのことが心配。今までひとりで行かせていたなんて、お母さん最大の失態」

「なんか韻踏んでるし……」

「いん……?」

「いや、き、気持ちはありがたいんだけどさ。こんなところ誰かに見られたら」

「しょーちゃん、はい。防犯ブザー」

「いらないから……」

「GPS付きなのに」

「余計いらないよ……」


 そんな会話をしているうちに学校までの距離が近づき、同じ制服を着た生徒たちが道中に増えてきた。


「ねぇ、藤村さんが男子と一緒にいるよ!?」

「えっ、珍しくない? もしかして彼氏かな?」


 なんて女子の声が聞こえてきて、心臓が飛び上がる。

 繭香に「離れるように」という意味でアイコンタクトを送ったが、何を勘違いしたのかぐいぐいと体を寄せ付けてきた。


「ちょ、繭香! 違うって! ヤバイんだよ! そこの女子たちに見られてる!」

「わかってる。あいつらはしょーちゃんを狙ってる」

「いや、全然わかってない!」


 そう言った瞬間、繭香がぎゅっと奨吾の左腕に抱き着いた。


「うわあっ」


 思わず大きめの声が出る。とたん、女子たちから、きゃあっという歓声があがった。


「ほら、やっぱ付き合ってるんだよ!」

「てか相手の男子って誰だっけ?」

「いや、知らない」

「たしか上村とかなんとか……」


 上原です!


 幸いなことに、女子たちは奨吾のことを認識していない。

 奨吾は心に無駄な傷を負ってしまったが、これならあとで噂になることはないだろうと安堵した。

 しかし繭香はその手を離さないどころか、さらに体を押し付けてくる。


「しょーちゃんのことはお母さんが守るから!」


 キリっと見上げたその瞳は決意に満ちていて──そして奨吾は情けなくも、腕を組んだ状態での上目遣いにまいってしまった。


「うっ……あ、ありがとう……」

「お母さんはずっとしょーちゃんのそばにいるからね」


 ぎゅっ! と、巻き付く力が強められた。

 奨吾は一瞬で陶酔してしまい、繭香の桜色した唇を、思わずじっと見つめてしまった。

 ――が、すぐに我にかえる。


「い、いや、ぎゅっ! じゃなくて! マジでそろそろ離れないとヤバイって!」


 こんなところを男子たちに見られたら大ごとだと、周囲を見回した。

 藤村繭香の顔と名前は学年中、へたをすれば学校中に知れ渡っていると言っても過言ではない。

 彼女はみんなにとっての意中の女子なのだ。そんな彼女と一緒にいるところをクラスメートに見られでもしたら──奨吾は想像して背筋をふるわせた。

 体育の時間、繭香と親しく話しただけで、筋肉隆々の山下から徹底的に攻撃されたことを思い出し、青ざめる。

 すると背後から足音がした。奨吾に向かってまっすぐに走って来ている足音である。


 もしや山下に見つかった?


 教師の目の前でありながら堂々と反則技を使ってのけるような輩である。こんなところで遭遇したら、何をされるかわからない。

 奨吾が慌てて振り向こうとすると、空いているもう片方の腕をぐっと掴まれた。


「しょーおごくんっ!」


 やられるっ! そう思ってぎゅっと目を瞑った奨吾は、砂糖菓子のような甘い声に耳をくすぐられる。


「やっほ~! るなぴよだよ~」


 茶髪のポニーテールがぴょんと弾んだ。


「わっ、ど、どうしてここに!?」

「えーどうしてって~同じ学校なんだからぁ、ここにいてとーぜんでしょ? ふふっ、しょーごくんってばおもしろーい!」


 そうじゃない。どうしてよりによってこの状況の時に? という意味だ。案の定、奨吾の左側からまるで敵を睨む蛇のような鋭い視線が。

 しかしるなぴよは動じることなく、あろうことか奨吾の空いている右腕に繭香と同じように抱き着いた。


「うわあっ」


 また声が出てしまう。


「……荻野さん、その手はなに」

「藤村さんこそー! どうしてしょーごくんと腕組んでたの~?」

「こ、これは……やむを得ない理由」

「やむを得ない理由って?」

「うっ……」


 繭香が困っていた。そりゃあそうだろう。

 まさか「お母さん」として奨吾を守るためだなんて、言えるわけがない。奨吾は助け船を出すために嘘をついた。


「あ、えっと、お、俺ちょっと右腕をひねっちゃったみたいでさ。藤村さんがマッサージをしてくれていたんだ!」


 ちょっと苦しいか? そう思ったが、通すしかない。繭香のほうも、


「そう、マッサージ。苦しんでいるクラスメートは放っておけない」


 と、その嘘に乗った。るなぴよは「ふ~ん……」と言って、ジト目で奨吾を見上げる。


「クラスではいつもひとりで~、私クラスメートには興味ありませーんってカンジの藤村さんでも~そういうこと思うんだねぇ!」

「…………」

「…………」


 彼女はうわてだった。


「まぁ、べつにいいけど~。それよりしょーごくんっ! わたしのSNS見てくれた!?」

「えっ、ごめん。荻野さんのアカウント知らなくて」

「えー! JKインフルエンサーのわたしのアカウント知らないなんて、ひどーいっ!」


 るなぴよが、かわいらしく頬を膨らませた。

 しかしその小動物を捕えようと、左にいる蛇が牙を向く。


「あなたインフルエンザなの? なんて非常識な! すぐにその手を離しなさいっ!」

「はぁ? 違うってば! インフルエンサー! 知らないの?」

「私の辞書にはないわ」

「藤村さん、本当に女子高生? インフルエンサーっていうのは~、世間に与える影響力が大きい人のこと! まっ簡単に言えば、フォロワーがたくさんいる有名人ってことね!」

「あなたみたいな人をフォローしてなんの得があるっていうの?」

「失礼ねっ! かわいいからに決まってるでしょう!」

「すごく頭悪い発言」


 このやりとりを見ていてもわかるが、るなぴよと繭香は決定的に合わない。いわば天敵同士。繭香が美しい蛇なら、るなぴよはマングースだ。見た目はかわいらしい小動物だが、蛇にも果敢に牙を向く。

 そしてそんなふたりの戦いは、奨吾をあいだに挟んで繰り広げられていた。


「とにかく! 藤村さんこそ、手を離してくれないかな?」

「なぜ離さなければならないの?」

「だってしょーごくんは藤村さんのものじゃない!」

「あなたのものでもないわ!」

「あの、ふ、ふたりとも! ちょっと落ち着いてくれないかな!」


 割り込もうとするが、聞く耳を持たない。何がまずいって、ふたりとも奨吾の腕を掴んだままの状態で争っていることだ。体を乗り出すたびに、ぐいぐいと押し付けられる。

 そう、制服を着ていてもわかる、やわらかい胸元──。


「わあああああっ!」


 たまらず奨吾は、ふたりの腕を振り払った。これ以上は、いろいろとまずい。


「びっくりしたぁ~どしたのしょーごくん?」

「上原くん、急に大きな声を出さないで」

「いや、なんでそんな冷静なんだよ!?」


 奨吾にはこのふたりの考えていることがまったくわからない。

 なぜ自分を巡って争うのか? いや、それはわかる。繭香はお母さんとして、るなぴよは奨吾のことが好きだからだ。


 でもその理由は?


 繭香がどうして奨吾の「お母さん」になろうとするのか。その理由はいまだにわからない。そしてるなぴよが奨吾のことを好きだという理由も、わからないままだ。

 一番知りたいことが、どちらもわからない。

 そう、だからこんなバカげた提案に、きっと頷いてしまったのだ。


「──わかったよ、藤村さん。じゃあ、勝負するしかないね」

「勝負。望むところ」

「さすが藤村さん。引かないね。ふふっ、気に入ったよ。それじゃあ~……どっちがしょーごくんのハートをゲットできるか、デート対決だよっ!」

「「デート対決!?」」


 勝負と聞いてそんな発想になるとは思いもよらないふたりの声が揃う。さすがの繭香もうろたえているようだった。


「デ、デ、デート対決だなんてそんな」

「あれれ~? さっき望むところって言ったよねえ? それとも聞き間違いだったかな?」

「くっ……」

「ねえ、どうするの? 勝負するの? しないの? しないんなら……ふふっ、しょーごくんはわたしのものだよっ」

「するっ!」


 食い気味で繭香が答えた。えっ、マジかよ。


「ふふっ、そうこなくっちゃ~! とゆーわけで~……しょーごくん、わたしとデートしよっ?」

「上原くん、私と、デ、デ、デ、デートすりゅ……デートする!」


 いやいやめちゃくちゃ噛んでるし! あと、なんかお誘いじゃなくて断言してるし! 

 てかこの状況でどう答えりゃいいんだよ!?


 誘いを受けても、断っても、絶対に面倒くさいことになる。

 しかし奨吾はふと思った。もしふたりきりになれば、知りたかったこと──繭香がどうしてお母さんになろうとするのか? そしてるなぴよがどうして奨吾のことを好きになったのか? ということが、知れるのではないかと。


「──わかったよ」


 繭香が驚いて顔を上げる。るなぴよは、ふふっと不敵に笑って言った。


「じゃあ、しょーごくん。土曜日はわたしとデート。日曜日は藤村さん。それでいい?」

「えっ、それって今週?」

「あたりまえでしょー。だってわたしはすぐにでもデートしたいもんっ」


 そう言って、るなぴよがまたぎゅっと腕に抱き着いてくる。


「ふふっ、楽しみだねっ? しょーごくんっ」

「楽しみかどうかは上原くんが決めること」

「わたし、ぜったいデート楽しくする自信あるから」

「わ、わ、私だって、ある!」


 奨吾を挟んで睨み合うふたり。

 あらためてとんでもないことになってしまったと、奨吾は思った。

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