第11話 義理のお母さんと恋バナをします。

 るなぴよこと荻野瑠奈に屋上へと呼び出され、衝撃的な告白をされた奨吾は、これ以上ないほどに動揺した。


「理由なんて関係ない。だって……奨吾くんはわたしの運命の人なんだもん」


 アイドル級のルックスを持つ同級生にこんなことを言われて、動揺しない高校生男子などいるだろうか?


「あ、あの、それはどういう」


 あまりのことに、また同じことを聞いた。


「ふふ、君ってやっぱりおもしろいね。大丈夫だよ。何度だって説明してあげる。わたしは君のことが好き。だぁいすきっ! そしてこれは運命なのだっ!」

「わけがわからないよ! あと、顔近いからっ」

「わざと近くしてるの」

「っ……」


 ダメだ、この子には敵わないと、奨吾は白旗を上げた。まるで金縛りになったように、彼女から目を離せなかった。


「ねぇ、わたしと付き合って?」


 肩がびくっと上がる。今までの奨吾であれば、つい頷いてしまったかもしれない。

 でも──繭香とつないだあの手の温もりが、それを阻止した。


「ごめんっ! それはできない」


 あの荻野瑠奈からの告白を断るなんて、どうかしているのかもしれない。だがしかし、奨吾には譲れない想い人がいる。

 何もかも完璧なのに、時折ちょっと抜けていて。お母さんになろうとするのは解せないけれど、夏祭りには子どもみたいに喜んだりする女の子。


「どうして? 奨吾くん、彼女いるの?」

「いないけどっ……すっ……」

「す?」

「好きな人はっ……いる……」


 はじめて他人に言った。相手の名前を明かしたわけではない。それなのに、なんだかとても恥ずかしくて、奨吾は真っ赤になった。


「ふーん……」


 るなぴよがつまらなさそうに唇をとがらせる。


「だから、その……君とは付き合えない! ごめんっ!」


 女の子に告白されたのもはじめてなのに、その相手を振るなんて。しかも相手は荻野瑠奈。奨吾はどうしたらいいかわからず、とにかく頭を下げた。


「わかったよ」


 るなぴよはそう言うと、ぴょんと跳ねるようにして奨吾から離れ背を向けた。いろんな意味で、ほっとする。

 彼女は背中で手を組み、一歩、二歩と、平均台を渡るように歩いた。目の前には、るなぴよみたいにふわふわした入道雲がいっぱい広がった空。

 そして彼女がゆっくりと振り返って言った。


「でもね、君はきっと、わたしのことを好きになるよ?」

「えっ?」

「わたし、あきらめないから」


 なんなんだ、その自信。

 ふふっと、小悪魔のように笑う彼女から、目が離せなかった。


***


 るなぴよの告白を受け、動揺しながらもなんとか家に帰った。

 すると、梨花子がお昼ごはんを作っていた。今日は珍しく日中からいるらしい。


「あら! おかえりなさい、奨吾くん」


 「ただいま」と答えながら、奨吾はどこかでほっとしていた。

 繭香とは付き合っているわけではない。自分が一方的に好いているだけ。

 それなのに、彼女とふたりきりで顔を合わせるのが、どうしてか気まずかったからだ。


「さぁ、ごはんできたわよー!」


 梨花子の声に、トントンと階段を降りる音がする。緊張で、喉がごくりと鳴った。

 リビングのドアが開き、繭香と顔を合わせる。


「た、ただいま」

「……おかえり」

「あ、きょ、今日は梨花子さん仕事休みなんだね」

「…………」


 話しかけたが無視をされる。それどころか、目をそらされてしまった。代わりに梨花子が答える。


「そうなの、珍しくオフなのよ~! と、言いたいところだけど、残念ながら夜に撮影が入っているのよね。でも今日は始業式だからあなたたちも半日でしょう。一緒に昼ごはんが食べられてうれしいわ。あっ、夕飯は繭香にお願いしてもいいかしら?」


 繭香は黙って頷いた。おや、と思う。奨吾に素っ気ない態度を取るのはいつものことだが、母親に対してもそういう態度を取るのは珍しいことだった。機嫌が悪いのだろうか。


 もしかして、るなぴよのことを怒っている?


 いや、そんなはずはない。奨吾が彼女に告白されたことを繭香は知らないし、仮に知ったとしても、そのことで不機嫌になる理由は残念ながらない。


「ありがと! お土産にプリン買ってくるわね! スタジオの近くにおいしい店があるのよ」


 梨花子がそう言いながら、テーブルに料理を並べる。今日のメニューは焼きそばだった。夏祭りに繭香と食べた、ソースの味が濃い屋台の焼きそばを思い出す。


「いただきます!」


 手を合わせて食事がはじまる。しかし久しぶりに3人揃った食卓なのにも関わらず、場はシーンと静まり返り、カチャカチャと箸の音だけが響いた。

 いたたまれなくなったのだろう、梨花子が口を開く。


「ねぇ、奨吾くん。今日は学校で何か変わったことはあった?」

「ブフォッ!」


 焼きそばを吹き出した。


「やだ、大丈夫? ほら、お茶飲んで!」

「あ、ありがとうございます」


 なぜピンポイントでそんな質問を?


 いや、こんなのは別に、ただの雑談だ。他意はない。意識しすぎているのは自分のほうである。


「な、何もないですよ! 普通の……そう! ごく普通の日でした!」

「そっか。ならいいのよ。というのもね、繭香がなーんか機嫌悪くって。帰って来てから、ろくに話してくれないのよ」

「えっ?」


 やっぱり機嫌が悪かったのかと、顔を上げる。しかし繭香は箸を止めずに言った。


「機嫌悪くなんかない。別に話すことがなかっただけ」

「ほらぁ! なんかツンツンしてるじゃない!」

「してない!」

「もー……遅れて来た反抗期かしら……ねぇ、奨吾くん?」

「はい」

「奨吾くんは今、彼女っているの?」

「ブフォアッ!」

「ちょっと、やだ、また? ほんとに大丈夫?」

「ゴホッゴホッ……だ、大丈夫です……」

「ならいいけど。今日は奨吾くんも様子が変よ?」

「梨花子さんのせいですよっ! なんですか、いきなりその質問!」

「えー? 恋バナしようと思って!」

「とつぜん!?」

「だって恋バナするのに前置きいらないでしょ! 夢だったのよ~息子とこういう話するの!」


 頬杖をついた梨花子が、んふふっと笑いながらじっとこちらを見て言う。

義理の母親であるとはいえ、プロのモデルとして活躍する彼女は客観的に見て美人だ。しかも性格は気さくで、とても明るい。以上の条件を考えれば、梨花子がいわゆるリア充の人生を送ってきたことは間違いないだろう。

 そういう人種とは唐突に恋バナをするものなのだろうか。しかも親子で。奨吾はついていけず、頭がくらくらした。

 しかしここにもうひとり、実の娘でありながら母の言動に動揺する人物がいた。


「ママ、そういう話はやめて! よ、良くない」

「ほら、あなたがそんなふうだから……」

「ど、どんなふうよ……!」

「ママに恋バナとか全然話してくれないんだもん」

「だ、だ、だって! 恋とか、そ、そんなのは、ふ、不純!」

「不純って、あなた本当に平成生まれなの? 時代はもう令和よ」

「じ、時代は関係ないっ!」


 繭香は真っ赤になって力説している。意外に思った。たしかに学校生活を見ていれば、繭香に男の気配はない(まぁそれどころか他人の気配がないのだが)。

 しかしこれだけの美少女である。過去に恋バナのひとつやふたつ、あってもおかしくはないのになと、奨吾は思った。

 恋バナという単語に、こんなにも動揺する繭香を見て、少しだけ安心してしまう。もちろん、そんな権利はないのだけれど。


「で、どうなの? 奨吾くんは今、彼女いるの?」


 梨花子は目をキラキラさせて迫った。心なしか、繭香までこちらを見ているような気がする。変な汗が出た。

 まさか一日で二度も、彼女がいるかどうかを質問されるとは。

 色恋沙汰に縁のない奨吾の日常では考えられないことだった。同時にふと思う。もし今日、荻野瑠奈からの告白にOKしていたら、奨吾には初めての彼女ができていたということなのだ。

 あらためてことの大きさに震える。彼女いない歴年齢の男子高校生にとって、これはものすごく大きなできごとだ。しかも振ってしまった。

 そう、自分は振ってしまったのだ、あの荻野瑠奈を。

 もしかしてものすごくもったいないことをしてしまったのでは? という思いがふと頭をよぎる。しかし慌てて首を振った。

 もったいない、などとそんな気持ちで告白をOKするなんて、あってはならないことだ。

 奨吾にとって彼女、恋人というのは特別なものである。

 不仲な両親を見て育ち、ある「悲劇」を経験している彼は、異性に対する愛情について人一倍そういう想いが強かった。

 藤村繭香への気持ちは揺るがない。だから、


「彼女はいません!」


 と、はっきり宣言した。


「なぁんだ~、そうなの。残念。でも、好きな人くらいいるんでしょう?」

「すっ、好きな人!?」


 それはいま目の前でちびちびと焼きそばを食べている美少女で、あなたの娘さんです!


 などと言うわけにはもちろんいかず、しかし変に誤解をされたくなかった奨吾は、


「好きな人もいません!」


 と、嘘をついた。


「好きな人もいないって、奨吾くん修行僧か何かなの!?」


 梨花子があんぐりと口を開けて驚く。


「じゃ、じゃあ初恋は? 初恋くらいはあるわよね?」

「そ、それくらいはありますけど……」

「へぇ、いつ!? どんな人!?」

「き、近所に住んでた……お、お姉さんです……って、そんなのもうすげえ昔のことですよ! 俺が小学生になる前くらいのことで」


 修行僧と思われてはたまらないので、とりあえず当たり障りのない話をした。この話は事実だが、今となってはもうなんでもない過去の思い出である。

 と、思ったのであるが──ある光景がふいに蘇った。

 誰もいない公園、照りつける太陽とうるさい蝉の声。風に吹かれた真っ白なワンピース。目を細めて笑う、ショートヘアの女性──。

 こんなふうにあの人のことを思い出したのは、久しぶりだった。


「本当に、もう、ずっと昔のことです……」


 ここ数日はいったいどうしたというのだろう。色恋沙汰にあてられている。


 梨花子は頬杖をついたまま「ふーん」と言って、なぜかうれしそうに笑っていた。念願の恋バナができたからだろうか。

 そして繭香もこちらをじっと見ていることに気づいた。その表情を見てハッとする。それは一見無表情であるが、怒っているような悲しんでいるような、複雑な表情だった。


***


 昼ごはんを食べ終わったあと、二階に上がり自分の部屋のドアを開けようとしたとき、シャツをくんっと引っ張られた。


「奨吾」

「わっ! 繭香!? な、何?」


 さっきまでそっけなくされていたのに、急に近くなった距離に動揺する。梨花子はまだ、階下で洗い物をしていた。


「どうかしたの?」

「……なんでもない」


 尋ねたが、そう言って首を振る。じゃあこの行動はいったいなんなのか、奨吾にはわけがわからなかった。うつむいていて表情も見えない。


「繭香?」


 名前を呼ぶと、おずおずと顔を上げた。

 息をのむ。だって彼女が、真っ赤になっていたから。

 繭香はもじもじとしながら、とても大切なことを言う前のように深呼吸をしたあとで決心したように言った。


「今日の夕飯は、奨吾の好きなから揚げだから」


 そんなことをわざわざ言いに?


 奨吾が戸惑いながらも礼を言うと、繭香は小さく頷いて自分の部屋へと戻って行った。

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