第2話 お母さんが学校で監視してきます。
「なぁ。今日の藤村、様子がおかしくないか?」
昼休み、悪友の
奨吾の肩がぎくりと上がる。
「そ、そうかぁ? 別に普通だと思うけど」
「ふーん……一緒に暮らしてるおまえなら何か知ってると思ったんだけど」
「バカ! 大声で言うなって!」
藤村繭香と上原奨吾が義理のきょうだいになったということは、この学校では陽人しか知らない情報だ。
いくら家族になったとはいえ、高校二年生の男女が一緒に暮らしている事実は、下世話なうわさ話として格好のネタになってしまうかもしれない。奨吾はそう考え、陽人にのみ事情を打ち明けた。
繭香は名字を変えていないし、学校側も必要以上の配慮をしてくれたので、当人が言わない限り知られることはないだろうが、それでも奨吾は周囲にばれないよう、細心の注意を払っていた。
それなのに。
今日の繭香はあきらかに様子がおかしかった。ふと視線を感じて振り向くと、彼女がこちらをじっと見ているのだ。
繭香の席は奨吾よりも後ろなので、そのせいでそう感じているだけだろうと最初は思った。そうでなくても、朝の「お母さん」宣言の衝撃をまだ引きずっている。彼女のことを必要以上に意識してしまってもおかしくはなかった。
しかしその視線は、席を離れてもまとわりついてきた。振り向けばそこに繭香がいる。
その行動は、奨吾のことをぴったりとマークしているようで「監視」という言葉が頭に浮かんだ。
いつも奨吾と一緒にいる陽人は、そのことに気づいてしまったのだろうかと、ひやひやする。
「そ、そもそも様子がおかしいってどんなふうにおかしいんだよ」
「んー、なんかいつもと違うんだよな。オーラが」
陽人は見た目も中身もチャラチャラだが、ときどき妙に鋭い。
もしかしてあふれでるお母さんオーラに気づかれたのだろうかと、奨吾は身構えた。
「オ、オーラってなんだよ」
「なんていうか、バンバン出ているんだよな」
「な、なにが……?」
「眠たそうなオーラが」
「なんだよ、そんなことかよ! 紛らわしい表現やめろよな!」
「もしかして……」
陽人はニヤリと笑う。
「昨日の夜はお楽しみだったとか?」
「なっ……、ん、んなわけねーだろっ!」
「いや、あるだろ。若い男女がひとつ屋根の下だぜ? 過ちのひとつやふたつ」
「義理のきょうだいとか過ちが過ぎるだろ」
「壁があったほうが恋は燃えるっていうじゃん?」
「そもそも恋してないし」
「じゃあ、今日からしようぜ?」
「おまえじゃあるまいしそんな気軽にできるかよ」
「ひでーな。俺こう見えて純情なんだけど」
「どの口が言ってんだよ」
陽人は「この口で~す!」とタコの口にしておどけた。悔しいのは、そんなふざけたことをしていても彼はかっこいいということだ。パーマがかった茶髪、すっと通った鼻筋に、庇護欲をくすぐる垂れ目の甘いマスク。
性格がこうでなければ、きっともっとモテるだろう。
しかし奨吾は、彼が軽薄なお調子者になることで守っているものを知っている。そしてそういう
「しかしうらやましいよなぁ、あの藤村繭香と同棲なんてさ」
「同棲じゃねえよ」
「今は二人きりなんだろ? そんなのもう同棲じゃん」
「同居だよ。義理のきょうだいだから普通に同居。適当なこと言うなよな」
「いーんだよ、なんでも適当で。同居より同棲のほうがテンション上がるじゃん」
奨吾は「あっそ」と生返事をしながらも、同棲という言葉に少しだけときめきを感じてしまった。
思わず、ひとり静かに弁当を食べている彼女のことをちらりと見てしまう。
普段は固く結ばれた桜色の小さな唇が、今はほんの少し開いている。ただ弁当を食べているだけなのに絵になる。軽く唇を動かしているだけで、そのつやめいた魅惑的な唇に、吸い込まれそうなほど見入ってしまう。
あらためて思った。陽人がうらやましがるのもうなずける。いや、今の奨吾は学校中の男子がうらやましがる状況なのかもしれない。
彼女のことをもっと知りたい。彼女の声が聞きたい。彼女にこちらを見てほしい。この高校に入学して彼女と出会ってから、そんな気持ちを多くの男子が抱いてきたはずだ。
しかも今となっては、奨吾の生活の世話をしてくれるのだ。
……ただし、『お母さん』として。
今朝のことを思い出して、奨吾は身震いした。同級生の美少女がお母さんとして接してきても、それらはうらやましいことなのだろうか。もしそうだとしたら、素直に「お母さん」と呼べばよかったのか? いや、そんなのは羞恥プレイだ。そうか、あれはお母さんプレイとして楽しむものだったのか!?
ひとりもんもんと考えていると、再び視線を感じた。恐る恐る振り返ると、繭香が箸を止め、明らかに奨吾のことを見ていた。
ばっちり目が合ってしまい、冷や汗が出る。すると繭香は、奨吾に見せるように弁当を持ち上げた。
その意味を読み取ろうとしていると、小さな唇がなまめかしく動いた。
「食 べ て」
ドキリと鼓動が跳ねたが、おそらく、弁当の話だ。
奨吾は慌てて弁当を取り出すと机に置き、再び振り向いた。すると繭香は満足そうにゆっくりと頷く。どうやら正解だったらしい。
せっかく作った弁当だ。早く食べてほしいのだろうし、奨吾も楽しみにしていた。
今朝のことはひとまず置いて、誰もがうらやむ藤村繭香の手作り弁当を食べるという優越感に浸ることにした。
「おい、それ! まさか藤村の手作りか?」
「ま、まぁな」
「なんだよ、愛妻弁当かよ! マジで同棲じゃん!」
「だからそういうんじゃないって」
そう言いながらも悪い気はしない。パカッとふたを開けると上段はおかずで、揚げたからあげ、手ごねのミニハンバーグ。ブロッコリーとゆでたまごのサラダ。たこさんウィンナー。別容器にカットフルーツまでついている。すべて手が込んでいたし、鮮やかな彩りに目を見張った。
陽人も思わず「すげー!」と声を上げる。
「なぁ、からあげ一個ちょーだい! いちごミルク一口あげるからさぁ」
「いらねーよ」
なんてやりとりをしながら、二段目を開けて固まった。
「……えっ?」
敷き詰められた白いご飯の上に、海苔でこう書かれていたのだ。
――MOTHER
「!?」
慌ててふたをかぶせる。
「……いま、弁当になんか文字書いてなかった?」
「……気のせいじゃね?」
「いや、書いてあっただろ。キャラ弁か?」
あんな狂気じみたキャラ弁は聞いたことがない。奨吾の心臓が口から飛び出しそうなほど、どくどく鳴っていた。
「あっ、もしかして……LOVEとか書いてあったんじゃね!?」
「ち、違う! そんなんじゃなくてもっと」
「もっとヤバイのか!? ちょっと見せろって!」
「ダメだぁー!」
手を伸ばしたが少し遅く、陽人に弁当を取られてしまった。
「さーて、何が書いてあるのかなぁ♪」
まさか弁当でもお母さんを主張してくるとは思わなかった。しかもグローバルに。なんでだよ、意味がわからないよ。
これを作った繭香は変人だと思われるだろう。もしくは、これを奨吾が作らせたと思われるかもしれない。いずれにせよ変人ルートだ。奨吾は泣きそうだった。
しかし、やはりことなかれ主義の奨吾は、強くは出られない。大した抵抗もできないまま、陽人がゆっくりと蓋を上げていく。
「……なんだこれ?」
おしまいだ。
奨吾はぎゅっと目を閉じる。そして陽人から、どちらが変人になるかを決める運命の一言が発せられた。
「モサーって誰?」
「……は?」
「いや、だって書いてあるじゃん。なんかのキャラクター?」
陽人がバカで助かったー!
奨吾は心の中で両手を挙げた。
英語が苦手な彼は、「MOTHER」が読めなかった。
レトロゲームへのリスペクトだとか、優秀な彼女が自分に英単語を教えてくれているのだとか、いろいろな言い訳を考えていたのだが、無用な心配だったらしい。
「いやー、やっぱおまえはいいやつだよ」
「そんなこといいから、モサーって何か教えろよ。秘密の暗号か?」
「違うって。モサーは……ほら、あの……ペットの名前だよ」
「おまえん家ペットなんて飼ってないだろ」
「さ、最近飼い始めたんだよ。えっと、あれだ、金魚」
「へぇ、金魚か。今度見せろよな」
「お、おう。いつでも会いに来いよ。モサーに」
奨吾は危機を乗り越え、ほっと胸をなでおろす。ようやく弁当を味わえそうだ。
とりあえず、のりで書かれた「MOTHER」の文字を食べる。複雑な気持ちになったが、その気持ちは次に食べたからあげで一気に吹き飛んだ。
「なんだこれ、うま」
朝食の時にも感じたが、奨吾は改めて確信する。繭香は料理がうまい。
さっき見た狂気のことは忘れ、奨吾は夢中になって弁当を食べはじめる。
食べ始めてふと気づく。教室の前方が何やらざわついている。いつもおとなしめの男子グループが、机を四角にして弁当を食べているあたりだ。あいつらが騒ぐなんて珍しいなと奨吾は注視して、口の中にあったからあげを吹き出しそうになった。
繭香がグループのひとり、中でも特におとなしい性格の中村に、声をかけていた。
クラスの誰とも交流しないあの藤村繭香が、あろうことか男子生徒に話しかけている。この事実は、いつの間にか教室全体を騒がせていた。
「中村くん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
中村は「は」を10回くらい言ってから返事をした。見ていて気の毒になるくらい緊張していて、顔は真っ赤である。
果たして藤村繭香のお願いごととはなんなのかと、クラス全体が聞き耳を立てている様子だ。
「少しの間、中村くんの席に座らせて」
「え、ぼ、僕の席にですか? どうして?」
「座らせて」
「は、はいっ! 喜んで!」
「じゃあ借りる」
理由も礼も言わないあたりが、さすがである。しかしそれでも、彼女に頼まれたら断れる男子はいない。
繭香はおもむろに彼の席に座ると、文庫本を取り出して読書を始めた。
中村くんたちのグループは、突然の美少女来襲に恐れをなして席を立ってしまう。
そこに座りたかった理由はいったいなんなのか? という疑問が教室全体を包み、誰もが固唾を飲んで彼女を見守った。
だがしかし、繭香はただそこに座って本を読み続けるだけであった。
「た、ただ僕の席に座りたかったのかな?」
「は、はぁ? うぬぼれるなよ。ほら、あれだ。藤村さんは気分を変えたかっただけだ」
「そ、そういえば中村の机だけ新しいもんな!」
「たまには違う席で本読みたいとか、あるあるだよな!」
あの藤村繭香が男子に話しかけたという事実は彼らを浮き足立たせ、なんとか自分もその幸運のおすそ分けにあずかろうと、わざと声を大きくして話している。
そうしていつの間にか、彼女がそこに座りたかった理由はなんなのかという疑問は、男子たちにとってどうでもいいものとなり、うやむやになってしまった。
しかしたったひとり、奨吾だけがその理由をわかっていた。
中村くんの机と椅子は、後方に向けられている。そして、そこからは奨吾の席がよく見えた。つまり奨吾のほうからも、いま繭香の姿が遮るものなく見えている。
彼女が読んでいる文庫本の上部に、キラリと光る何かがあった。スマホのカメラだ。
俺が弁当を食べている姿を動画に撮っている……!
奨吾は震え上がった。
さすがに止めたい。でもいま指摘をすれば、彼女が奨吾を撮っていることがばれてしまう。そうなれば、騒ぎはさっきの比ではないだろう。
繭香は無表情で、黙々と動画を撮っている。
奨吾はカメラに気づかないふりをして、撮られ続けることを選んだ。
無心で弁当をかきこみ、ようやくデザートのフルーツにたどり着く。すると容器の下に、カサリという手触りがあった。手紙だ。
恐る恐る開いてみると、こう書かれていた。
――ずっと見ているからね。 お母さんより
震えながら顔を上げる。心なしか、繭香がほほ笑んでいるような気がした。
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