第11話 歓楽地と隻眼の男
「あの・・・・・・教官殿、そちらの方が――――」
クレスとネリネは寝室へと移動し、食堂では作戦メンバーだけが机を囲んでいた。
ノームが連れている人物を不信感むき出しで眺めるナルシス。こんな少女が・・・・・・とかなんとか思っているのだろう。見た目は幼く、背も低い。そう思われても仕方ない。
ちなみにシーラは風呂上りで、タオル一枚という悩ましい格好でナルシスの膝の上に座っており、濡れた髪を拭いてもらっている。
・・・・・・あの、俺代わりましょうか?という邪な考えに、ノームの横にちょこんと立っている少女は気づいたのか、笑顔のまま、千切れそうな勢いでノームの腹の皮をつねっている。痛い痛い痛い!ああもうごめんなさい。ノームはその手を振り払い、顔を歪めながらも平静を保ちつつ紹介を始める。
「ああ、今回の作戦の協力者、ルチアだ」
「ちょっとノーム!作戦って何!?協力者って何!?私に会いたいから呼びつけたんじゃないの?」
何も聞かされていなかったルチアは眉を吊り上げながらノームに迫る。腕をパタパタさせ、さながら子どものようだ。
ノームは困り果てた顔でルチアの腕を拘束しつつ、呼びつけた事情を説明する。
「いや、ちょっとお前の手を借りたいことがあってだな・・・・・・それで呼んだんだよ」
「そ、そんな・・・・・・」
ルチアの腕は重力に従って力なくだらんと垂れ下がった。うつむき、背中も丸まり、ただでさえ低い身長がさらに低く感じられる。
ルチアはしばらく黙り込んだかと思うと、わなわなと身体を震えさせながら徐々に顔を上げた。ほのかに薄い桃色の頬が一気に紅潮を始め、それと共に言葉の濁流が流れ込む。
「いつもそう!用のある時だけしか会ってくれない!それも自分の都合で!私が会いたいときには一切会ってくれないどころか、連絡さえしてくれないし!こっちから連絡しても無視するし!こっそり会いに行ってもすぐに逃げるし!それに、それに――――」
「わ、悪かったよ!・・・・・・だってお前一度会ったらなかなか帰らないし、何日も家に泊まるし、危険な任務にも構わずついてくるし・・・・・・とにかく、いろいろと危なっかしいんだよ!」
ルチアが泣きじゃくりながらノームを責め立て、ノームがそれにあたふたしながら応えている。そんな修羅場を見た見習いたちの顔は「・・・・・・」という感じだった。シーラに関しては、ノームをまるでごみを見るような目つきでじっと見据えている。え、これ俺が悪いの?そう思ってしまうほど恨みがましい目つきだった。いや確かに冷たくしすぎたかもしれないけど。でもお前らこいつのことよく知らねえだろ。大変なんだよ。本当に。
「ノームにとって私は何なの?ただの都合のいい女なの?ねえ。答えてよ・・・・・・」
ノームの胸に小さな顔を押し当て泣き続けるルチア。全員の視線がノームに集中する。まずい。これはなにか答えなければ。ごまかしはきかない。あとシーラ。怖いからその目やめて。
「・・・・・・大事な・・・・・・仲間だよ。都合のいい女なんかじゃねえ。これは絶対だ」
「ノーム・・・・・・」
ノームの服をつかむルチアの手は強く握られていた。
だが――――
「なっ・・・・・・!」
顔を上げたルチアは舌を出してにたりと笑っている。
あれが演技だったのか・・・・・・。でも泣いてるしな・・・・・・・迫真にもほどがあるだろ。何もそこまでしなくても。だからこいつは信じられないんだよ。
「お前なあ!」
「さて、満足したところで話を聞きましょうか。私を呼び出したってことは、よほど込み入った話みたいだし。ね、ノーム?」
先ほどとは打って変わって、けろりとした顔つきのルチア。片目を閉じて、ノームに挑発的な視線を送る。
「さてじゃねえ!・・・・・・作戦内容は、奴隷館っていう店で働いているサドデス数名の救出と金品の奪取だ」
「それだけでわざわざ私を?あなた一人でもそれくらい簡単なんじゃ――――」
わざとらしく天井を見上げる仕草で疑問を示すルチア。あざといんだよ。ほんと。
ノームはそんな彼女に突っ込むことなく、冷静に、低い声で言う。
「盗賊ギルドが一枚かんでるらしい」
「なあんだ。そういうこと・・・・・・なら私を頼るのも理解できる。・・・・・・じゃあ行きましょうか」
「い、行くってどこへ?」
唐突すぎるルチアについていけないとばかりに、ナルシスが驚いた様子でシーラの髪を拭き続けている。さぞかしいい香りがするんでしょうな。髪もつやつやなんでしょうな。なんなんだよあいつは。モテる星の下にでも生まれたのか。結局は顔なのか。もう嫌だこんな世界。
ノームが萎えていることなどつゆ知らず、ルチアはさも当然のように言った。
「はあ?何言ってんのあんた。奴隷館よ。奴隷館。サドデスを助けに行くんでしょ?」
「い、今からですか?なんの準備もなしに?相手は盗賊ギルドと関わっているんですよ?そんな無茶な・・・・・・」
「こうしている間にも彼女はたちは苦しんでいる。助けるなら早いにこしたことは無い。それに、準備ならこれから済ませる。安心しろ。そうだな・・・・・・ひとまずお前らには変装でもしてもらおうか。そのままだと目立ちすぎる」
ナルシスの言葉を制しつつ、ノームはルチアに相談を始める。
「それで・・・・・・ルチア、今回の報酬なんだが――――」
毎回仕事の依頼をするたびに高額な報酬を要求してくるルチアのことだ。今回もそれなりの覚悟はしておかなければならないだろう。
ルチアはまるで待っていましたとばかりに、
「デート」
と表情を変えずに言った。
「は?」
「聞こえなかったの?デートって言ったの!デートデートデートデートデート!デートよ!私とデートして!」
「か、金は?」
「最近大きな仕事があってね、それで大儲けさせてもらったの。だから今はそんなものいらない。別に報酬が払えないっていうのなら協力はしてあげないけど、どうする?」
「・・・・・・それでいいです」
「え~そんな言い方嫌だなあ~~~~。もっとちゃんと言ってほしいなあ。『ルチア、デートしよう』って」
人差し指を薄い唇に当て、甘えたような声でノームにささやくルチア。
・・・・・・ここは仕方ない。それでこいつが満足するのなら、甘んじて受け入れよう。
妙な既視感を覚えたノームだったが、意を決して、なるべく感情を込めずに言った。
「ルチア、デートしよう」
「もう、素直じゃないんだから!『ルチア、大好き』はいどうぞ!」
「ルチア、大好き」
「嬉しい!私も大好き!『ルチア、結婚しよう』はい!」
「ルチア、結婚しよう――――ってもういいだろ!」
「え~まだ足りない!全然足りない!・・・・・・でもまあいっか!これで毎日聞けるし!」
手放しで喜んでいるルチアの手には録音結晶が握られていた。
これも通信結晶と並ぶ優れものだ。光蝙蝠と呼ばれる魔物から採取できる魔石を加工して作られたもので、魔力を込めるとその間だけ周囲の音を保存できる。主に裁判などで使用されたりしているらしいが、ノームやルチアのように趣味で持っている者も少なくない。ただし、高価な代物なので、それなりに稼いでいる者しか手に入れることはできない。
「お、お前まさか・・・・・・!」
「ごちそうさま!」
「『ごちそうさま!』じゃねえよ!消せ!今すぐ消せ!ていうかそれ貸せ!ぶっ壊してやる!」
子どものように舌を出して逃げるルチア。ほんと、ただの悪ガキにしか見えない。
彼女は狭い室内を縦横無尽に駆け回り、そのまま逃走劇を続けた。そして最終的に、「はあ・・・・・・」疲れたノームは追うのをやめた。
サイラスの住民と同じように麻製の衣類を身に纏った一行は、ルチアの案内でとある場所に向かっていた。
育成所を出てからしばらく歩いたところにあるサイラスの市街地。夜も深くなり、民家の明かりはほとんど消えた。そのせいか、暗い街道から見える星空はいつもより輝いて見える。
そんな民家の密集地を抜け、さらに奥へ奥へ行くと、やけに明るく騒がしい場所に出る。そこだけが別の空間のような印象を受けるほど、先ほどまで歩いていた街の様相と異なっている。
「すごいな・・・・・・」
ノームがそう呟くのも無理はない。ここはいわゆる歓楽地だ。朝まで営業している酒場や、美人ぞろいの娼館などが点在しており、仕事終わりの冒険者たちでごった返している。
魔物の生息地と化した旧市街バルディアに近いということもあり、冒険者が寄り付きやすいこともこの盛況の理由の一つだ。
「ねえそこの白髪のお兄さん。ちょっと寄っていかない?あたしと楽しいことしましょ」
ノームにもこうしてド派手な着物を着た娼婦から声がかかる。ナルシスなんかはすでに五人ほど侍らせていて、シーラから睨まれている。ざまあみろ。と思わなくもない。
「た、楽しいことって何かなあ」
緩く着崩した着物からは魅惑の谷間がのぞいている。あれはだめだ。見ようとしていなくても目が勝手に追ってしまう。
「いだだだだだだだ!」思わず鼻の下が伸びてしまったノームの頬を力いっぱいつねったのは「どこ見てるのかなあ」にこやかに笑いながら隣を歩くルチアだった。
「ご、ごめんなさい」
このままでは頬が大変なことになりそうだったのでとりあえず謝ることにしたノーム。でも釈然としない。なぜ乳を見るだけでこんな仕打ちをされなければならないのか。
・・・・・・もし他の女性のそれを揉んだともなれば、頬どころの被害じゃすまないかもしれない。自重しよう。
そうこうしているうちに、ようやく目的地に到着した。
歓楽街の裏通り。そこからさらに複雑に入り組んだ道を進んだ場所に佇む、危険な雰囲気が漂う二階建ての建物。こんなところ、一人じゃまず来ない。どう見ても怪しい。それ以外の言葉が浮かんでこない。
「おい、ここって――――」
「知り合いのギルド。とりあえずここで相手の情報を集める」
ルチアはやはり笑いながら言った。この笑顔を見ていると安心する。少なくともノームが思っているほど危険ではないのだろう。だが油断は禁物だ。なにせここはルチアの知り合いのギルド。ということはおそらくそういう仕事を生業としている方たちがいるのだろう。腹をくくるしかない。
「行くよ」
ルチアが建てつけの悪いドアをゆっくりと開く。ギギギと、不快な音が響き、少しひんやりとした空気が漏れだした。ずかずかと中に入るルチアに付き従い、ノーム、ユリオ、シーラ、ナルシスの順番でそれに続く。
酒場のような雰囲気の室内は薄暗く、気味が悪い。汚れた小窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。目が闇に慣れるまで時間がかかる。この間に何か仕掛けられでもしたら、後ろの三人は対応が遅れるだろう。何事も無ければいいのだが。
「誰かいない?」
物静かな室内に、ルチアの明るい声が反響する。だが返事が返ってくることは無かった。
「上かなあ・・・・・・ちょっと待ってて」
そう言ってカウンター奥の階段を駆けあがっていくルチア。だんだん足音が小さくなり、やがて完全に消えた。再び静寂が訪れる。
取り残されたノームは気が気ではない。この状態でこいつらを守れるか。いや厳しいな。せめて明かりだけでも点いてくれれば・・・・・・
そう思っていた矢先のことだった。――――闇を切り裂くランプの炎。室内をぐるりと取り囲んでいた、魔石のランプが一斉に灯りだした。
暖炉のような暖かな光。自然と心も落ち着く。「ふう」ノームが一息ついたのもつかの間、ルチアが一人の男を連れ、階段から降りてきた。
「やあやあ、お待たせ。紹介するよ。このギルドの長、ダルクだよ。この前の仕事で知り合ったんだ。見た目はやばいけど、基本的に人畜無害だから!ね!」
「・・・・・・ダルクだ」
元気いっぱいのルチアとは対照的に、冷え冷えとした印象のダルク。落ち着いた大人の男といった感じで、声もなかなか渋い重低音だ。身長はナルシスよりも高く、横に並ぶルチアと比べると巨人族のようだ。まあ実際の巨人族はこんなものではないのだが、あくまで体感的にということだ。マントのような黒い布を身につけていて少々分かりにくいが、そこから垣間見える丸太のように太い腕と、重そうな上半身を支える下半身もどっしりとしており、太腿は太く分厚い。
そしてなんといっても――――
「その傷・・・・・・拷問の痕か」
堀深い顔に刻まれた無数の傷跡。切り傷、刺し傷、火傷、その他どうやったらこんな傷がつくのだというものまで多種多様な傷で顔中が覆われている。頭部は頭巾で隠されているため判断が付きにくいが、十中八九無事ではないだろう。特にひどいのは右目の傷だ。縦に切り裂かれた刀傷。目玉はくりぬかれているのだろう、代わりにはめ込まれた黒い魔石の奥には底知れぬ深い闇が広がっている。
「・・・・・・こんなもの、俺にとっては些細なことだ。それよりも要件を聞こう」
ダルクは近くにあった朽ちかけた丸椅子にドスンと腰掛けた。
あれ壊れないの?大丈夫?そんなことを思ったノームだったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。男の体躯とは正反対の小さな椅子は、軋みながらもその体重を懸命に支えている。
「あ、ああ。・・・・・・この辺りに奴隷館という店があるのは知っているか?」
「奴隷館・・・・・・魔物を雇っている店か」
「そうだ。そこの店がどうやら盗賊ギルドと繋がっているみたいなんだが・・・・・・そいつらがどんな奴らか、知っているのなら教えてほしい」
「・・・・・・」
ダルクは太い腕を組み、黙り込んでしまった。
NOと言わない辺り、知ってはいそうだ。ノームはこういう時の対応を心得ている。ルチアに軽く目配せをし、その合図を受け取ると、腰に下げていた麻袋から銀貨を数枚取り出した。
「5シルバーでどうだ。足りなければ後で支払う」
この世界の通貨――――人間の間で取引される際に使用されるものに限る――――は
「いや、それで十分だ。・・・・・・奴隷館のバックにいるのは『三つ首鷲』という盗賊ギルドだ。首魁はマルスと呼ばれる冒険者崩れで、賞金は3ゴールド。現役の頃、同業者の大量殺戮でその資格を剥奪。以来、他の冒険者崩れを率いて盗賊ギルドを立ち上げ、主に街から依頼を受けて仕事をしている」
「三つ首鷲・・・・・・」
「ルチア?」
「これは結構しんどい仕事になりそうね。マルスは――――あれは狂人っていてもいい。確実にイカれてる。一度その仕事を見たことがあるけど・・・・・・」
ルチアは壁に吊るされたぽうっと光る魔石を見つめたまま黙り込んでしまった。
こいつがそこまでいうのなら相当の覚悟をしておかなければならないだろう。とにかく、もう少し情報が必要だ。ダルクは腹に響く重低音で説明を続ける。
「商人や冒険者を襲撃するのはもちろん、人さらいに人身売買、生きた魔物の取引、魔石の違法改造、それに――――」
ダルクは一呼吸おいてから、重い口を開くようにして言った。
「魔女の遺産を複数所持しているとの噂を聞いた」
魔女の遺産。はるか昔、それこそ童話で描かれるような太古の出来事。魔女と呼ばれる存在がこの世界のどこかでひっそりと暮らしていたそうだ。彼女ら魔女は、特殊な技能を有していた。世界の理をも超越する異能の力を宿した宝具を生み出す技能だ。
例えばそれは、大空を自由に飛行するという人類の夢を実現し、例えばそれは、この世のものとは思えないほど芳醇な香りの果実を瞬時に実らせ、例えばそれは、国のどんな研究者でも実現不可能であった死者の蘇生をも可能にしてしまう。そんな夢のような代物を冒険者たちの間では魔女の遺産と呼んでいる。世界に無数に存在する地下迷宮のどこかに、隠すかのように埋まっているそれは、誰もが渇望する神秘の宝なのだ。
「魔女の遺産・・・・・・どんな能力のものかは聞いているか?」
思わず身体を硬直させるノーム。もしかしたら探し続けてきたものがそこにあるかもしれない。期待半分で聞いてみる。
「いや、そこまでは。だが、相当価値のあるものも含まれているらしい。これは人づてだからな。本当かどうかは分からない。あまり期待はしないことだ」
「・・・・・・そうか。ありがとう。もう十分だ。済まないが、大きめの紙と、ペンはあるか?それから、もう少しここを貸してもらいたいんだがいいか?」
「・・・・・・少し待っていろ。金は貰った。好きに使うといい」
そう言い残して、ダルクは二階へ向かった。巨躯の男が古びた階段を上るのはいささか不安ではあったが、椅子と同様、見た目以上に頑丈に作られているらしい。
それから少しして紙とペンを取って戻ってくると、「明かりはそのままでいい」とだけ言い、また二階へと戻っていった。
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