第9話 サイラスの闇

 育成所に戻り、食堂にてナルシス達と再会を果たしたノーム。


 八人掛けの長机の左側には、ナルシスとユリオが一つ席を空けて座っており、クレスとネリネは台所で夕食の準備を進めていた。だが、なぜかラムズとパルムの姿は見えない。

 しかし、今のノームにはそんなことなどどうでもよかった。彼の目に映る光景があまりにも驚愕すべきものだったからだ。


「おいナルシス。これはどういうことだ」


「い、いえ教官殿。これは、その・・・・・・」


 そこにいたのは、裸にエプロンという前衛的な格好をしたサドデスだった。彼女は吊り上がった目が垂れ下がるような、幸せそうな笑顔でナルシスに手料理を振る舞っている。

 ナルシスと同じ色の金髪に、白のエプロンが良く映える。

 ・・・・・・後ろから見れば臀部が丸見えなのではなかろうか。前はギリギリの所で上手く隠されてはいるが、すらりとした身体付きにもかかわらず、肉付きのいいむっちりとした純白の太腿がちらりとのぞいている。そして、それは思春期只中の白髪少年には目に毒であった。思わずごくりと唾を飲んでしまう。


「・・・・・・」


 ノームは生まれてこの方、女の人の生尻など拝んだことが無かった。

 もしもここを逃せばその機会は一生訪れないかもしれない。行けノーム。さあ行くんだ。幸福を、尻をつかみ取れ。足音を殺せ。吐息をたてるな。空間と一体になれ。そう。無だ。俺は今ノームではない。空気だ。空気に紛れろ。気配を隠せ。あと少し。もうちょっとだ。

 ノームは目標との距離をじりじりと詰めていく。彼は今、17年という人生の中で一番集中できていた。・・・・・・これならいける!


 ――――だが、


「なによあんた。この料理はダーリンだけのものなんだから、あんたはその辺の草でも毟って食べてなさい」


「あ・・・・・・」


 サドデスは蔑んだ目で白髪の隠密を睨みつけていた。

 あと少しの所で気づかれてしまった。もう少し行けば見えていたというのに。


「ああ・・・・・・」


 ノームは心の底から悔しがっていた。これが男の悲しき性だ。そこにお尻があれば否応なく反応してしまう。つまるところ、極限の集中状態であったがゆえに、自身の性欲が駄々洩れていることに気が付かなかったのだ。


「え」


 ――――背後から刺すような視線。悪魔に心臓を握られたかのような感覚。

 咄嗟に振り返ると、そこにはクレスが鬼の形相で包丁を持って立っていた。


「ぎぃやぁぁぁああああ!!!」


「『ぎぃやぁぁぁああああ!!!』じゃないわよ!なにしてんのあんた!い、今サドデスのおおおお尻を見ようとしてたわよね!?気持ち悪い!変態!近づくな!」


「ははははははぁ!?みみみみ見てねえし!全然見てねえし!むしろ見たくねえし!って危ねえ!クレス!とりあえず包丁を置け!」


「見たく・・・・・ないの?」


 サドデスが妙に艶っぽく、情欲を掻き立てるような声で、しかも上目遣いに言った。


「・・・・・・見たいです」


「ちょ・・・・・・あんた!」


「ふふ。素直な子は嫌いじゃない。さあこっちにいらっしゃい」


 妖艶に笑うサドデス。もうノームの欲望は止められない。


「ほら。早く」


「は、はい!」


 ドキドキしている。心臓――――は無いので代わりに魔石に流れる体中の魔力が激しく脈打ちだしているのが分かる。

 手招きをするサドデスにゆっくりと近づき、その後ろに隠された魅惑のお尻を拝もうとしたのだが――――


「なっ・・・・・・」


「残念。ちゃんと履いてるのよ」


 彼女の大きすぎず小さすぎない、張りのある芸術のようなお尻は、その透き通るような肌と同系色の下着によって守られていた。


「騙しやがったなてめえ!俺の、俺の純情を・・・・・・青春を返せ!」


 こんなものを見たいがためにあそこまで頑張っていたなんて・・・・・・俺はなんて馬鹿なことを・・・・・・・。ただその割れ目を拝みたいと思った。それだけだったのに。


「・・・・・・で、どうして旧市街にいたんだ?」


「『・・・・・・で』じゃない!ごまかすな!」


 クレスの怒号が食堂内に響き渡る。

 だがノームには届いていないようだ。


「・・・・・・」


 サドデスは途端に黙りこくってしまった。その物憂げな表情は、まさに薄幸の美少女そのものだった。

 そんな彼女を気にして、ナルシスは優しい口調で話しかける。


「シーラ。何があったのか聞かせてくれないかい?もしかしたら力になれるかもしれない」


「シーラ?」


 ノームが聞き慣れない名前に疑問符を浮かべる。

 ナルシスは爽やかに笑ってそれに応えた。


「彼女の名前ですよ。シーラ。美しい彼女にぴったりの、涼やかな響きでしょう」


「ダーリン・・・・・・分かった。話す」


 それからシーラはナルシスの手をギュッと握りながら話し始めた。


「私は元々この街で働いていたの。・・・・・・奴隷館というところよ。そっちのあなたなら知ってるんじゃないの?」


 急に話を振られたユリオ。なぜ彼がそんなことを聞かれたのか、ノームには分からなかった。


「・・・・・・もちろん。私も会員の一人ですから」


 と言って、麻服のポケットから白字で『奴隷館』と書かれた黒いカードを取り出した。

 なにその怪しげなカード。奴隷館という名前の響きから何となくだが分かってきた。・・・・・・できればただの思い過ごしであってほしい。


「あら、一級会員様だったのね。ということはもしかしたら私がお相手したことがあるかもしれないわね」


「・・・・・・うすうす気づいてはいましたが、やはりセイラさんなんですね。卓越した鞭さばきと華麗な罵詈雑言でM男の被虐心をそそる人気ナンバーワンの女王様・・・・・・だった。それがどうして失踪なんか・・・・・・」


 ユリオは眼鏡の位置を直し、シーラを一瞥しながら言った。その眼鏡の奥の瞳は悲しみで溢れている。

 ダメだこいつ。やっぱり特殊性癖の持ち主だった。まあどことなくその片鱗は感じていたが、こうして明言されるとなかなか辛いものがある。

 出会ったばかりのユリオの性癖を暴いたシーラもあっぱれだ。これを褒めていいのかどうかは甚だ疑問だが。


「あら、よく知ってるのね。・・・・・・はっきり言って疲れたのよ。あの仕事にも、人間と暮らす今の生活も、何もかもね」


 シーラは俯いたまま、床から視線を外さずに続ける。


「あなたは知らないかもしれないけれど、あの店は盗賊ギルドと繋がっていてね。色々やばいこともしてるの。・・・・・・私たちは市民権を与えられる代わりにほとんど不眠不休で働かされていたわ。辛くて、辞めたくて、他の仕事をしようとしたけれどそれは許されなかった。逃げ出した子もいたけれど、市民権を剥奪された上に、見つけ出されて殺された。それでもあたしは――――」


 眦に涙を湛え、今にも泣き出しそうなシーラ。

 ナルシスはそんな彼女を優しく抱き寄せ、「大丈夫、大丈夫」とささやいている。

 ユリオは「盗賊ギルド・・・・・・」と力なく呟いた。


 魔物でも市民権を獲得することができる。もちろん一定の条件はあるが、大事なのはそこではない。金だ。まず上納金としていくらか払い、その後月々決まった額を収めることになっている。また、シーラのように働き先が市民権を保証してくれる場合もある。その場合上納金などは不要なので、人間の通貨を持たない魔物にとっては魅力的な話だが、同時に自由は奪われる。魔物の待遇は完全に店に一任されているため、無茶苦茶な働かせ方をしているところも多いと聞く。なので、大半の魔物は何とかして金を稼ぎ、自分で市民権を買うようにしているのだ。


 彼ら彼女らはそうして市民権を得ることで初めて街を歩くことを許され、冒険者の狩りの対象になることも無くなる。街の施設は大抵利用できるし、何より外よりも安全だ。特に戦闘力の低い人型の魔物などは、人間との共存の道を選ぶ。街の食堂で働く者や、サドデスのように特殊な店で働く者、冒険者になる者など、仕事も魔物によってさまざまだ。

 しかし、この制度の闇は深い。魔物からの上納金で潤う国や街の上層部。魔物に対してのみ有効な法律。数を上げれば枚挙にいとまがない。

 実際、魔物に対する差別も至るところで見受けられる。特に都市部から離れるごとにそれは顕著になっていく。サイラスなどの辺境ではなおのことだ。魔物の扱いなど奴隷同然といってもいいだろう。


「逃げ出したはいいものの、追われる身になってしまったと。それでバルディアに・・・・・・」


 ノームの言葉にサドデスはコクリと頷いた。


 サドデスは本来、バルディアに居つくような下級の魔物ではない。魔物の階級は戦闘力の高さ=階級の高さなどという単純なものではない。戦闘力もそうだが、体躯、知能、使用する魔法などの総合的な判断の下、階級付けがされる。もちろん、これは人間側が便宜上つけただけのものなので、魔物側からしたら迷惑もいい話なのだが・・・・・・。

 そんな彼女がサイラスのギルドの討伐対象とされていた理由が今明確となった。これは相当に根深い問題だ。そもそも、魔物に市民権を与えてやるという人間側の傲慢な態度――――国の法律を変えない限り、シーラのような魔物が苦しむ現状は変えられない。いや、これに限っては人間も同じだろう。どの街にも魔物以下の扱いを受ける人間だって存在する。どうにかして現状を変えたい。だが、今、ノームにその力は無い。待つんだ。まだその時じゃない。


「鞭・・・・・・罵詈雑言・・・・・・ん~・・・・・・」


 先ほどのユリオの言葉を咀嚼しているクレス。何かを考え込んでいるらしい。

 少し気になったので、ノームは聞いてみることにした。


「どうしたクレス?」


「・・・・・・いや、この前実家に帰った時のことなんだけど――――」


 野菜を切る傍ら、背中をこちらに向けたままクレスは続ける。

 なぜだろう。嫌な予感しかしない。


「その日は疲れていて、帰ってすぐに寝ちゃったの。でもやっぱり深夜に目が覚めちゃってね。その時、パパとママの寝室から物音が聞こえたから、何してるのかなーと思ってそっと覗いてみたら――――」


 クレスの手が止まった。

 これは聞かない方がいいのではないだろうか。

 そんなノームの心配をよそに、クレスのおしゃべりな口は止まらなかった。


「パパがね、『もっと!もっと激しく!』って言いながらママに鞭で叩かれてたの。それでママも『この卑しい豚が!鳴きなさい!もっといい声で!ほら!』みたいな感じで・・・・・・あの行為が何だったのか気になって後で聞いたら、ああしないと子どもが生まれないとかって。それまでどうやったら子どもが生まれるか疑問だったけれど、実際にああやって具体例を見ることができてよかったわ。少し大変そうだったけれど――――」


「もういい!やめろ!今割と深刻な話してたんだけど!?思い悩んでたみたいだったからてっきりサドデ――――シーラのことを心配してるもんだと・・・・・・お前のご両親の特殊な営みなんか聞きたくないんだよ!あと誰か!彼女に正しい性教育を!」


 なんてことだ。まさか領主様にそんな性癖があろうとは・・・・・・。

 その前に・・・・・・いくら何でも箱入りお嬢様すぎるだろ。なんでまともな性教育をしてやらなかったんだよお父様お母様。それでどうやって子どもを授かるんだよ。生まれてきた子どもの将来が心配で仕方ない。娘が特殊な性癖に目覚めたらどうするんだよ・・・・・・ったく。


「あ、あのあの、ここは私が!」


 さっきから一言も話さず、クレスの傍らで黙って調理補助をしていたネリネが勢い良く手を挙げた。

 まあ女の子同士の方が色々と話しやすいだろう。ここは彼女に任せよう。


「ネリネ!頼んだぞ!優しく、優しく教えるんだぞ!」


「は、はい!あ、あのですねクレスさん――――」


 開閉可能な兜の口元を下げ、クレスの耳元に口を近づけ、ノームに聞こえるか聞こえないかという微妙な音量で話し始めた。


「男の人のあれが――――なってそれで――――で――――女の人の――――に――――するんです」


 肝心の部分は聞き取れなかったが、クレスには確かに伝わったのだろう。


「ままままままままさか、そんなはずは・・・・・・だってあれってすごく小さいじゃない!それがどうやったら・・・・・・小さいときに一度だけ見たけれど、パパのは小指みたいな大きさだったのよ!」


 顔色がみるみるうちに赤く染めあがっていく。ノームと同い年の彼女――――残念なお嬢様は、その歳にしてようやく子どものつくり方を知ったのだった。

 でも問題はそこじゃない。


「ク、クレス!もうその辺にしとこうな!お父上の御尊厳のためにも黙っていてくれ!」


「え?あ、ああ。ごめんなさい。つい取り乱してしまったわ」


 先ほどから父の性癖や粗末なナニの様子まで気づかぬうちに暴露していることを、この娘は知っているのだろうか。きっとお父様は今頃木陰で泣いておられるだろう。ああ、かわいそうな領主様。このままでは領主様のイメージが地に落ちるどころか埋没しそうな勢いで失墜する。ここで止めて正解だろう。

 ・・・・・・もう遅いかもしれないが。


 そんな楽し気なやり取りの中、


「教官殿。お願いがあります」


 いつになく真剣な表情のナルシスが、そのキラキラした瞳をまっすぐにノームへと向ける。


「奴隷館の彼女たちを助けに行かせてください!」


「ダーリン・・・・・・」


 その言葉を聞いたシーラは、うっとりとした表情でナルシスの双眸を見つめている。おいおいまたですか。君を助けたのはこっちなんですけど。って見えてないよな。


「そ、そうは言ってもだな・・・・・・下手すりゃ街の、領主の管理責任だって問われかねない。これはそういうデリケートなものであって、お前みたいな一介の冒険者見習いが首を突っ込むような問題じゃないんだよ」


 領主の管理責任という言葉に引っかかったのだろう。クレスは肩をピクッとさせた。

 ノームに忠告されたナルシスだったが、全く引き下がらなかった。


「それは・・・・・・ですが彼女たちを放っておくわけにはいきません!騎士として、いいえ、一人の男として!」


「彼女たちを助けるってことは、盗賊ギルドを敵に回すってことだ。お前はそれを分かって言ってるのか?」


「もちろんその覚悟はできています!」


 ナルシスは握り締めた拳を震わせながらノームに迫る。

 だがそれに対するノームの反応は控えめに言っても落ち着いていた。


「・・・・・・それに、今苦しんでいるのは何もその奴隷館のサドデスたちだけじゃない。この街にも、いや、この国にもそんな輩は大勢いる。彼女たちを救うってことは、そういうやつらも見捨てないってことなんだ。お前のやろうとしていることはただの偽善だ。それでも本当に覚悟ができていると言えるか」


「た、確かに、その通りです。でも、それでも・・・・・・すべての者を救うことはできないかもしれませんが、せめて目の前で苦しんでいる者だけでも助けたい!たとえそれが偽善でも、自分の意地くらいは突き通せる人間でありたいんです!」


 美麗な顔を歪ませながら、決死の覚悟で宣言したナルシス。そこまで熱い奴だったとは正直思ってなかったよ。

『目の前で苦しんでいる者だけでも』か。そういや前にも聞いたなあ。そんな台詞。・・・・・・ああ。いつでもそうだ。俺をやる気にさせるのはやっぱりお前だけだよ。シオン。


「・・・・・・分かった。だがあくまで助けるのはお前だナルシス。俺はその手助けをするだけ。それでいいな?」


「教官殿・・・・・・!はい!」

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