第7話 対サドデス戦開始

 ――――そして時は戻り現在。


 旧市街バルディア。朽ち果てたとまではいかないものの、ギリギリ雨露がしのげるくらいのレンガ敷の建物の中、ノームが小窓から荒涼とした外を見る。かつてはバルディアで最も栄えていた街道、その大通りをサドデスが数匹の魔物を連れて悠々と闊歩していた。距離はここから20マイルほどだろうか。こちらに向かって歩いてくる。すかさずノームが皆に知らせた。


「いる・・・・・・連れは・・・・・・オークか」


 豚のような顔面と、つぶれた低い鼻に禿頭。口の端から上方向に反り返るようにして伸びた大きな牙が二本。くすんだ緑色の皮膚が特徴的な、人間よりも一回りほど大きい身体を持った種族。それがオークだ。全部で四匹。明らかに一匹だけ他のオークよりもでかいオークがサドデスを肩に担いで、それをあとの三匹で囲み、守るようにして移動している。


 そしてサドデスはというと・・・・・・・一言で言えば目のやり場に困る。デカオークの肩に座り、足をぶらぶらとさせてなんだか余裕のようなものを感じるが、あれは人としてどうなのだろう。いや、人ではないんだけども。・・・・・・・一応大事なところは隠れているが・・・・・・艶めかしい肢体に、妙に光沢のある黒い革製の下着のようなものを身につけ、右手には同じような素材で作られた、丸めた長鞭を持っている。それでいて見た目はほとんど人間と変わらない。もうそういう趣味の女の人だと言われても正直納得してしまう。


 でも現実問題、ああやって人間の女がオークに出くわせば、間違いなく襲われる。それがオークどもをああやって従えているのだから、奴は間違いなくサドデスだ。


「オークは鼻がいい。このままだとすぐに見つかる。距離を開けよう」


 ノームは小窓から見えるサドデス一行に目線を固定したまま指示を出す。

 本来ならばこの役割はクレスが務めなけらばならないのだが、先ほどからどうも様子がおかしい。威勢のいいことを言っていた割には身体を震わせ、唇も、いや唇だけでなく顔全体が蒼白している。ただでさえ白い肌なのにこうも白くなるものなのか。それに息も荒い。胸を押さえて苦しそうにしている。嗚咽交じりのひゅー、ひゅーとか細い呼吸音が聞こえる。


「お、おい。大丈夫か?」


「・・・・・・」


 クレスからの返事は無い。だが、こうなっているのは彼女だけではないのだ。ネリネは特にひどい。身体を小刻みに震わせているせいで、鎧同士がこすれ合いカシャカシャと音を立てている。顔全体を覆う金属製の兜をつけているせいで相変わらず表情は分からない。だがクレスと同じか、それ以上の蒼白具合だろう。

「――――ぅっ」という謎の声を発し、開閉可能な口元の部分を下に下げると――――


「ぅおろろろろろろろ―――――」


 それはもう豪快に吐瀉物をまき散らした。

 ビシャビシャビシャ――――狭い室内にネリネの苦しそうな息遣いと胃の内容物が地面に跳ね当たる音が響く。風通しは頗る良いが、いかんせん狭い。すぐに異臭が拡散される。


「ネリネ!」


 ノームは慌てて声をかけるが、


「大・・・・・・丈、うっ―――――ぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ―――――」


 また嘔吐を繰り返す。どう見ても大丈夫ではないだろう。

 ネリネにしてもそうだが、この状況もだ。


「ガウロッ!アラ!」


 サドデスを三角形の陣で囲んでいた先頭のオークが鼻をピクピクとさせながら、こちらを指さし叫んでいる。まずい。気づかれたか。


 豚のような顔立ちをしているオーク。だが嗅覚はその比ではない。この距離――――15マイルほど離れていても嗅ぎ取るのだ。特に動物の吐瀉物や分泌液、排泄物が発する臭いには敏感だ。加えて、海から近いこの地では時に風向きが変わる。今がちょうどその時だった。不運は連鎖する。完全にこちらの存在とだいたいの位置を把握したオークたちは、少しスピードを上げだんだんと距離を詰めてくる。


 もっと早く離れるべきだったか。いや。今はそんなことなどどうでもいい。こうなってしまった以上、取るべき行動は決まっている。


「ひとまず下がる!」


 現在位置から10マイルほど離れた位置に身を隠せそうな建物を発見。ここよりも条件はかなり悪いが、そうは言っていられない。なにしろ非戦闘員というか、戦闘には参加できそうにない者が四人に増えてしまったのだから。


 まずパルム。なぜついてきてしまったのだろう。馬鹿なのか。止めたよ?もちろん止めた。そしたらどうしたと思う?馬車の荷台に隠れてたんだよ。いや気づかなかった俺も悪いけど。

 あと、ネリネは回復担当だからいいとしてもラムズ(ゴーレム)、お前は何してんだよ。ていうか何しに来たんだよ。ゴーレムのくせに荷台に引きこもりやがって。本体が育成所にいるんじゃ、今操作してる小型のゴーレム一体しか使役できない。伝導系魔導士と操作対象との間に距離がありすぎると、制御がうまくいかず、操作が難しくなるのだ。そのため、本来複数のゴーレムを操作できる魔導士でも、数体、もしくは一体の操作に専念しなければならなくなってしまう。とはいえこの距離で一体でも使役できることも十分にすごい。ポテンシャルが高いだけに今この場にラムズ(本体)がいないのが悔やまれる。

 最後にクレス。このパーティーで断トツの破壊力と戦闘力を備えているはずの彼女が、一体何に怯えているのだろうか。この尋常じゃない雰囲気。過去に何かあったにせよ、このままじゃやばい。とにかく一時撤退だ。


「あそこまで走――――」


 ノームが半壊した建物を指さし、移動を促そうとしたその時――――

どこからか飛来した矢が、先頭のオークのこめかみ辺りに突き刺さり、「フゴッ」という声にもならないような声を漏らして前のめりに倒れた。

 それからすぐに「フガッ」左後方、「フグッ」右後方のオークもそれぞれ鼻の中心、こめかみに矢を食らい、同様に倒れ伏した。


「え?」


 ノームが状況を飲み込む前に、もうすべて終わっていた。

 取り残されたサドデスとデカオークの背後から人影が近づたかと思えば、すぐにデカオークは倒れた。その大きな背中からはどくどくと赤黒い血液が溢れ出している。デカオークを仕留めたのは身体全体をボロ布で覆い、ぐるぐる巻きのターバンのようなものから目元だけを出した小柄な人間だった。右手には血で光るナイフが握られている。護衛を失ったサドデスは右手の長鞭を構え、そいつに向き直る。その瞬間、損壊した建物の残骸からわらわらと新手が現れた。数は先のデカオーク狩りも含め全部で6人。どれも同じように顔を隠している。不気味だ。それぞれがサドデスを囲むように一定の距離を保って牽制している。サドデスはただただ無言で彼らを睨みつけていた。


「は?いやいや、依頼ちゃんと受理されたよな?なんであんなことになってんだ?」


 わざわざサイラスのギルドまで行って、無愛想な受付嬢に腕章を見せつけながら頼み込んだのに。何言ってんだこいつ、みたいな顔されたけどめげずに頑張ったのに。・・・・・・それどころじゃないだろこれ。あいつらはなんだ?盗賊・・・・・・でもなさそうだしな・・・・・・うーん。


「おらおらぁ!」


 集団の一人が湾刀で地面をたたきながら威嚇している。

 サドデスの注意がそちらに向いたとき、背後を取っていたデカオーク狩りが音もなく忍び寄り、サドデスの首元にナイフを突きつけ鞭を奪った。それを見計らい、他の者たちはサドデスに慎重に近づき、縄をかけ始めた。暴れるサドデスを数人がかりで押さえつけ、両手両足を縛りつける。

 ノームの様子がおかしいと気づいたユリオとナルシスが小窓から外の様子を眺める。


「教官殿!あれは一体・・・・・・」


「サドデスが囲まれて・・・・・・ !」


 ユリオが言葉を失った。


「おらっ!暴れるな!おとなしくしろ!」


「おい、こいつやっちまわねえか?傷さえつけなきゃいいんだろ?だったら――――」


「だな!最近ご無沙汰だったし、ここらで発散でもしとくか!」


 男たちはサドデスの下着のような衣服を剥ぎ取り、その艶めかしい肢体を文字通り舐めまわしながら、自らの下服を脱ぎ始めた。

 デカオーク狩りは彼らに一瞥をくれると、「・・・・・・勝手にしろ」とだけ言い、反対の方向を向いた。我関せずと言ったところか。


 まあ、こういうことはよくあるのだ。実際。

 ギルドから発注される魔物の討伐、魔石調達のための魔物狩り、地下迷宮の探索、要人の護衛等々、冒険者というのはその職業柄、常に命を危険にさらしている。そのため、性的衝動も並みの人間より強い。自らの子孫を残さんとする、獣としての本能だろう。特に男性冒険者はそれが顕著に表れる。

 もちろん、ノームのように大半の冒険者はその辺の自制が効くのだが、中にはああやって人型の魔物相手に事をいたそうとする者も少なからずいる。正直見ていて気持ちのいいものではない。魔物を自分たちよりも下位の存在としている人間は多い。ましてやこれは法律の外で行われていることだ。咎める者などいやしない。でも魔物にも尊厳がある。心がある。それは決して踏みにじっていいものではない。だからノームは、今回のように止められる場合ならば多少力づくでも止めるようにはしているのだ。


「ほんっと、クソみたいな連中だよな・・・・・・」


 そう言いながら、腰のナイフを引き抜き、大通りに出ようとしたのだが、なぜか背後にいたはずの金髪騎士(仮)の姿が見えない。


「ユリオ、ナルシスは?」


「ああ、彼なら――――」


 ユリオは小窓の外に指を向けた。

 そこにはいた。痛々しく、黒々とした鎧を纏った双剣使いが。


「おい!貴様ら!何をしている!今すぐやめろ!清く美しき女性相手に何たる狼藉か!この騎士たる僕が直々に成敗してくれよう!」


「おい~~~~~!なにやってんだよあいつ!『何をしている』じゃねえよ!お前だよ!馬鹿なの!?ねえ、あいつ馬鹿なの!?なんで一人で出ていったんだよ!こんな時までかっこつけなくてもいいんだよ?あ~もう!ユリオ!ここは任せる!」


 文句を垂れながらもナルシスを援護しようと急ぐノーム。

 あの馬鹿、後で説教だ。


「騎士?そのなりでか?がははっ!」


 集団の一人、湾刀持ちの男が蔑んだ目で下品に笑う。


「あ?なんだてめえ。俺らがこいつに何しようが勝手だろうが」


 杖を持っているので、おそらく魔導士だろう。鋭い目つきでナルシスを睨みつけている。


「君も混ざりたいのかなぁ。まあもちろん順番は最後だけどねぇ」


 最初にサドデスと一戦交えようとしていた弓持ちの男は、その手を止め、ナルシスを振り返る。


「この・・・・・・クズ共がぁ!!!」


 静寂な旧市街にナルシスの怒声が響き渡る。

 二本の剣を抜き、両手に構えて男どもに猛突する。


「待て・・・・・・つっても聞かねえよな!」


 その後を追うように、ノームも続く。内心腹は立っていたし、何よりこいつらは俺の生徒じゃない。ちょっとかましても大丈夫だろう。


「ふんっ!」


 ナルシスが右の剣で一番近くにいた湾刀持ちに斬りかかる――――がどうも思い切りが良くない。当てることを避けているような、威嚇だけの剣撃だ。殺すつもりがないのか。それではだめだ。剣に気迫や殺意がこもっていなければ相手に見透かされる。それでは怯まない。むしろ舐められる。ほら見ろ。囲まれた。


「威勢の割にはたいしたことねえなぁ!ビビってんのか?騎士さんよぉ!」


 きひひと下品に笑いながらナルシスを挑発する男。湾刀の剣先を左右に振っている。


「ほらほら!こっちにもいるよぉ!」


 弓を構えた男がナルシスに矢を向ける。その後ろには魔道士と、どでかい棍棒を持ったこれまたどでかい男が立っている。最後尾にいる軽装の男は短剣片手にデカオーク狩りと共にサドデスを監視しているようで、特に動く気配もない。


「くっ!」


 感情に任せて突撃してみたはいいものの、こうなることを予想できていなかったみたいだ。ナルシス・・・・・・足が震えてるじゃねえか。ったく・・・・・・


「下がれっ!」


 敵の注意を引き付けるため、そして、ガチガチに震えているナルシスの緊張を解くため、短く大きな声でノームは叫んだ。

 後方からの声に、一瞬身体をびくっとさせようやく冷静さを取り戻したナルシスは、「は、はい!」となぜか畏まった返事をし、ノームの後ろに下がった。


「なんだこのガキ・・・・・・髪の色も・・・・・・」


「ん~まあどうでもいいんじゃない?とりあえず敵ってことで」


 湾刀と弓の男はノームを眇めた目で観察し、大した相手ではないと判断したようだ。

 顔が明らかに舐めた奴に向けるそれだ。むかつくなこいつら。


「誰がガキだ!俺は17だぞこの野郎!童顔なんだよ!悪いか!」


 もう頭来た。やってやる。知らねえからな。

 まずは弓だ。ノームは腿に装備していた投げナイフを引き抜き、走りざまに弓使いを狙う。


「うがぁっ!」


 細長いナイフは右腕に突き刺さり、奴は弓を落とした。ここだ。一気に仕掛ける。

 言うまでもなくノームは最上位冒険者だ。たとえ魔法を使わなくても十分に強い。人間の常識が通用する相手になら、基本的にはまあ負けないだろう。それに、むやみに魔法を使うと疲れる。それもすごく。だから使う際は必要最低限。ここぞという時だけにしている。だが今はその時ではない。手心を加える必要が無い分、あいつらよりもやりやすいし、経験と技術だけでどうにかなる。さあやるぞ。

 ――――地面を蹴る。蹴る。蹴る。加速し、弓使いの懐へ入り込む。動揺している弓使いの顎を掌底で打ち上げると、奴は膝から崩れ落ちた。次だ。


「くそがぁぁぁああああ!!!」


 湾刀の男が声を上げ迫りくる。ただのガキ相手に仲間をやられたのがよほど堪えたのだろう。大振りで振り下ろされたその一撃をノームは半歩横にずらすだけで躱した。そのまま交差する奴のみぞおち辺りにフックを食らわせ、無力化。あと四人。

 魔導士が杖先につけられた赤い魔石に魔力を込める。あれは――――火系統だ。

魔石には様々な種類があり、その色によって発現する魔法は異なる。赤は火・炎、青は風・水、土色はそのまま土系統。ラムズの魔法はこれに当たる。緑は回復、加護。ネリネがこれに当たるが、回復系統の魔石のみ金属と相性が悪く、仮に板金鎧を着ようものならその効果は半減、それ以下にまで下がってしまう。その他、黒・白とあるが、これは物によってばらつきがあるため一概にくくることはできない。


「焼き殺してやる!」


 魔導士の男はいきり立つ怒りを炎の球に替え、ノームに向けて放った。近づく度に空気を吸い込み肥大していく炎の球体は脅威だ。魔石の効果や性能は、元々それを体内に宿していた魔物に依存し、個体によっても能力に差がある。あの炎の球体。元の生物は火蜥蜴

だろう。ゴォォオオオという音を立てながらかなりの速さで向かってくるその球体を、ノームは横っ飛びで躱し、すぐさま反撃に転じようとするが、魔導士の第二射、三射が間髪を入れずに襲う。あいつ連続で出せるのか。ちょっと厄介だな。

「あちっ!うわちっ!」当たりはしなくとも、近くを通り過ぎるだけで熱風が吹き付けるため、軽い火傷を負ってしまう。今度は横に飛ぶのではなく、球体の射出先を目掛け、前に飛ぶ。熱い。でも我慢できる熱さだ。それを繰り返し魔導士に接近。流れるような動作で下腹部を殴打。素早く気絶させ、最後の二人に向き直る。


 向かって正面。サドデスを後ろに隠すようにして立っている二人の男。片方は短剣。もう片方は血に塗れたナイフをそれぞれ所持している。短剣の男は大したこと無いはずだ。立ち姿一つとってみても、身体をこわばらせ、脱力ができていない上に短剣の構え方もでたらめだ。

 だがナイフの男――――デカオーク狩りは、なんというか、ありていに言えば強そうなのだ。これは経験を重ねることでしか到底理解できるものではないのだが、相手が強者である場合、なんとなく、ああ、こいつやばい、みたいなものを感じることがある。まさに今がそれだ。あいつはやばい。ナルシスなどでは間違いなく歯が立たないだろう。ふぅ。とりあえずは短剣男からだな。ノームは腿に差していた投げナイフを引き抜き、デカオーク狩りの顔面目掛け投げつける。だが奴はまるで蚊でも払うかのような動作で投げナイフを打ち落とした。続けざまに二本、投げナイフをお見舞いするが、やはりこれも弾かれた。

 だが隙を作ることには成功した。短剣男の突きをねじって避け、そのまま身体を反転させた力を利用して男の顎に裏拳を叩きこむ。男はくずおれた。


「お前・・・・・・何者だ?ただの賊ってわけでもないよな?」


「・・・・・・」


 ノームの呼びかけに応じる気配もそぶりも見せないデカオーク狩り。代わりにナイフを正面に構え、敵対の意志だけは示している。やるしかないか。

 ノームは漆黒のナイフを逆手に構え直し、じりじりと距離を詰める。相手も同じ武器を使っている。間合いはほぼ同じ。こういう時は瞬発力と判断力がものを言う。均衡状態を破ったのはデカオーク狩りだった。踏み込みと同時にノームを襲う鋭い突き。短剣男とは比較するのがおこがましい。はっきりとした殺意を持った、冷たく速い突きだ。それを後退して避けるが、男はさらに踏み込み、ナイフを逆手に持ち直してそこから斜め上に斬り上げた。ノームはこれをナイフで弾く。男は体勢を崩しかけたが、そのままぐるんと回転し、ノームの頭部に回し蹴りを見舞う。「うおっ!」しゃがんで躱したところにナイフの追い打ち。下から上。持ち替えて上から下。突き。右上段蹴り。回転して後ろ回し蹴り。ダンスでも踊るような華麗な体捌きとナイフ術。


 ――――正直想像以上にやばい。このままではじり貧だ。出し惜しみしてもしょうがない。戦いの中でこそ心を平静に保て。ノームは波を立てないようにして、魔力をそっと熾す。そうして得た少量の魔力を魔石へと注ぎ、瞬間的な魔法を発動させる。身体が帯電し、バチバチと音を立てている。白髪は逆立ち、童顔に似つかわしい、意外なほど大きい瞳がはっきりと見える。

 ――――途端に視界が書き換わる。時の流れが緩やかになり、一歩踏み出すために必要な時間は通常の三分の一程度にまで減少。1マイルを移動する感覚で3マイルの距離を移動することができる。だが持って数秒だ。手早く片付けよう。

 まずは武器を奪う。デカオーク狩りの剣筋を予測して、動作の終着点、次の動作へのつなぎ目を待つ。――――きた。ここだ。右から左へと一閃させたナイフを逆手に持ち替え、顔面に向けて斬り上げる。その持ち替える瞬間、奴はナイフを持つ手を一瞬緩める。そこを狙う。奴のナイフにこちらのナイフをぶつけ、武器を叩き落とす。武器を失った奴は体術を仕掛けて――――来なかった。


「・・・・・・っ!」


 くるんと身体を反対方向へ向け、全速力で走りだした。


「ちょっ!おい!待て!」


 ノームが制止の言葉をかけるが、もちろん待てと言われて待つ輩などいない。その逃げ足の速さに呆気に取られている間にも、デカオーク狩りはどんどん距離を開ける。いかん。このままでは逃がしてしまう。この距離ならもう一度魔法を使えば間に合うか・・・・・・。


「ナルシス!サドデスを頼んだ!ユリオ!こいつらを縛っておいてくれ!」


 ユリオにも届くように大きな声で二人に指示を出し、ノームは魔力を熾し始めた。走りながら熾すことも可能だが、それでは時間がかかる。静止した状態の方が集中できる上に、何より無駄を省き、余分な魔力を消費せずに済むのだ。

 ナルシスはコクリと頷き、ユリオは建物の中から駆け出してきた。

 ナルシスが近くに倒れていた魔導士のローブを剥ぎ取り、そっとサドデスに差し出し、


「お怪我はありませんか?」


 と優しい言葉をかけたまでは良かった。


「・・・・・・好き」


「え?」


 ノームは思わず魔力を熾すことも忘れ、声がした方を振り返った。

 今の・・・・・・女の声・・・・・・だよな。クレスとネリネ、パルムさんはあっちにいるし・・・・・・じゃあ誰だ?まさか・・・・・・いやいや流石になぁ・・・・・・聞き間違いとか空耳じゃなければ・・・・・・『好き』って言ったよな。うん。まさかな。


「好き」


「まじじゃねえかぁぁぁぁああああ!え!?なに!?好き!?何がどうなってそうなったの!?」


 サドデスは間違いなくそう言った。今にも泣き崩れそうな表情で。そして、ナルシスの瞳をじっと見据えながら言葉を紡ぐ。


「助けてくれて・・・・・・ありがとう。本当に怖かった。もうだめかと・・・・・・でもあなたが助けてくれた。ねえ愛しい人。名前を教えてくれない?」


「はい?」


 おやおやおやおや?おかしいですよ?助けたのは俺だよね?6人もいた盗賊集団をかっこよく倒したのって俺だよね?颯爽と登場して、物語に登場する英雄みたいな雰囲気を出してたのって俺だよね?

 ――――って問題はそこじゃねえよ!サドデス・・・・・・喋れたんだ。まあ知能の高い人型の魔物の大半が人間の言語を話すけれども・・・・・・好きって。しかも愛しい人って。もうわけわかんねぇよ・・・・・・。

 そんなノームの頭の中に浮かぶ様々な疑問を吹き飛ばすような衝撃の展開が訪れる。


「ナルシス・オードナーだ。もう泣かないで。ほら、立てるかい?」


 ナルシスは白い歯をきらりと輝かせ、天使でもコロッと堕ちてしまいそうな笑顔で手を差し伸べた。男でも妙な気分になってしまいそうなのだ。サドデスに至っては、助けられた――――と勘違いしているのだが――――相手ということもあって、それは効果抜群だった。


「ナルシス・オードナー・・・・・・。ねえ、ダーリンって呼んでもいい?私、運命の相手見つけちゃった」


 まだ膝は震えているようだが、サドデスはナルシスに抱き寄せられながらなんとか立ち上がり、上目遣いでその魅力的な双眸を見つめている。顔はほのかに赤く、目もとろんとしており、完全に乙女が恋に落ちるそれだった。もう二人の間には薔薇の花びらでも舞っているみたいな、キラキラとした雰囲気が漂っている。

 ねえ俺の功績は?惚れる相手間違えてませんか?こっちですよ。ここにいますよ。ほら・・・・・・。


「そんな場合じゃねえ!あいつは!?」


 ふと我に返り、デカオーク狩りの姿を探すが、もう奴はいなかった。遮蔽物が多いため、まだ近くに潜んでいる可能性も無いことは無いが、ここでリスクを冒すほどのことではない。なぜサドデスを討伐することなく捕縛したのか。そのあたりの事情を問い詰めたかったのだが、それは地面にのされている――――のしたのはノームだが――――こいつらにでも聞けばいいか。


「はあ・・・・・・」


 ノームは厭味ったらしく晴れ晴れとした空を見上げ、肺の空気をすべて出し切るような大きなため息をついた。

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