第2話 ノーム、教官になる
――――対サドデス戦3日前。
新たに発見された地下迷宮の探索を終え、中央都市デンファレにある巨大ギルドに併設された酒場ではささやかな慰労会が催されていた。
「此度の迷宮探索、ご苦労であった。皆無事で何よりだ。さて、今回の迷宮では魔女の遺産も手に入った。現在、魔道協会が勢力を上げて研究に励んでいる。結果が分かり次第、報告するとのことだ。皆本当によくやってくれた。成功報酬も倍に弾んでいただけるようだ。加えて、迷宮から見つかった金品は慣例により参加者で山分けとする。それぞれ好きなものを持ち帰るとよい。さあ、今宵は存分に楽しんでくれ」
その逆鱗に触れれば最後。全てを無に帰すほどの圧倒的な力の象徴、龍の腕章を身につけた筋骨隆々の男、ラゴンが壇上に上がり、高らかに演説をしている。
だがそんなことなど今のノームの耳には入っていなかった。彼にはすべきことがあったのだ。それもかなりの勇気を必要とすることである。
「よしっ!」
紅潮した頬をパンパンと叩きながら気合を入れ、酒場の一角にある木製の丸いテーブルで一人酒を煽っている女性の元へと向かった。
「あ、あのセリカさん!俺と結婚を前提に付き合ってください!」
決死の覚悟と共に、迷宮で見つけた黄金に輝く指輪を差し出しながら、鳥と蛇の合成獣、猛毒の幻獣バジリスクの腕章を身につけたセリカに求婚を申し込んだ。
だが、彼のほとばしる熱い思いは、
「ごめんなさい。あたしまだ結婚とかそういうのは興味ないの。ついでに言うとあなたにも」
という残酷な言葉と共に儚くも散っていった。
だが、そんな時ですら美しいと思ってしまうほど、セリカは美人なのだ。
――――艶やかな緋色の長髪。ガラス細工のように精巧な瑠璃色の大きな瞳。きりっとした目は見ているだけでとろけそうだ。ほんのりと紅色に染まった唇の妖艶さ。そのすべてが言葉にできないほど妖しく輝いている。
どこをとっても褒められないところが見つからない。改めて高嶺の花だと思う。
「そ、そうですか・・・・・・」
特にこれといった動揺もなく、ただただ冷静に、そして即座に断られた。普段からクールな彼女ではあるが、こういう時くらいは何か反応してくれてもいいのではないだろうか。
せめて目を丸くして、赤くなった顔で「な、何言ってんのよ!」くらいは言ってほしかったところだ。
受け取ってもらえなかった指輪を握り締めたまま立ち尽くしているノームをよそに、セリカは続ける。
「それにあなたシスコンじゃない。それもかなりの。正直妹が好きすぎるのもどうかと思うわ。そんなんじゃ一生結婚なんてできないわよ。いい機会だから妹を卒業しなさい。これは忠告じゃなくて警告。いい?」
「は、はい・・・・・・」
無慈悲にもばっさりと断られた上に、好きだった相手からのシスコン宣告。
――――何かが壊れる音がした。
それはノームの脆弱極まりないメンタルだった。これは彼を知る者の間では周知の事実なのだが、ノームは実力とメンタルの強さが全くといっていいほど釣り合っていない。それは彼の永遠の課題であり、乗り越えなければならない高い高い壁でもあった。
「兄貴・・・・・・大丈夫?」
「シオン!」
事の運びを柱の陰から見守っていたのは、ノームが愛してやまない妹、シオンだった。肩までで切りそろえた、緩い曲線を描く栗色の髪を揺らしながらそろりと近づいてくる。無惨にも砕け散ったバラバラの心が一瞬にして元通りになった。これが妹の力なのだ。
ああ、もういっそのこと妹と結婚しようか。そんな考えまで浮かんでくる始末。思考の末、ノームは思わずシオンを抱きしめてしまった。シオンの華奢な体はその腕の中にすっぽりと納まり、小さな顔が桜色に染め上げられていく。
「ちょっ!きもっ!離れろ!死ねクソ兄貴!」
シオンの必死の抵抗に身動ぎ一つしないノーム。もはや彼の耳には何も届いていない。
妹の温かさに包まれ、というか妹を包み込んだ彼の意識は雲の彼方へと飛んでいたのだった。
「取り込み中済まないね。君がノーム君かい?」
妹との素敵な時間に横槍を入れたのは、一目見ただけで分かるほど、高貴な服装の男だった。
雲の彼方から一気に現実へと引き戻されたノーム。なんだよ、こんな時に。その顔には苛立ちが見えた。
男は丁寧に礼をしてから自己紹介を始めた。
「私はサラス・カリムス。ギリアの東、カリムス領の領主をしている。最上位冒険者に最年少で叙勲された君を見込んで相談があるのだが・・・・・・」
「なんでしょう?私はこれから妹に精神的ダメージを癒してもらわなければならないので手短にお願いします」
「なるほど。シスコンという噂は本当だったのだな。ならば好都合だ」
サラスはそっけない対応をするノームにうろたえることなく、一つ咳払いをしてから本題を切り出した。
「サイラス冒険者育成所にて、冒険者見習いの育成を頼みたいのだ」
――――冒険者育成制度。
若い命を無為に散らしていたかつての全冒険者時代を鑑みて、国が法律化した制度である。
冒険者を夢見る少年少女たちは、まず訓練学校に入学する。ここで魔物に関する知識を学び、戦闘訓練、魔道の研究などを行う。そして15歳で訓練学校を卒業した生徒たちは、魔物との実戦経験を積むために、それぞれの資質に応じた育成所に所属することになっている。その育成所の一つが東の端、サイラスという街にあるのだが――――
「そこって・・・・・・」
「ああ。君も知っての通り、サイラスは現在、育成所序列最下位だ。実に遺憾なことに、わが娘も在籍している。どうか娘をいや、娘だけではない。他の者たちも君の力で冒険者にしてやってはくれないか」
冒険者の質の向上のため、数年前から導入された序列制度は、育成所から排出される人材や在校中に収めた戦績などの項目を設定し、それらを点数化、得点の高い育成所から優先的に様々な援助を行うというものだ。
当然、最下位の育成所は国からの待遇も悪く、そこに集まる生徒も問題児ばかり。さらには至るところで不当な差別を受ける。
そのあたりの事情はノームもよく知っていたのだが・・・・・・
「お言葉ですが領主様。私にも最上位冒険者としてのプライドがあります。いくら貴殿のご依頼であろうとお受けすることはできません」
「それはもっともだ。だが彼らには時間が無いのだ。残された猶予は後一年。このままではそう遠くない内に廃校となってしまう。次に調査員が派遣されるのは2週間後だ。あまり時間が無い」
冒険者の育成期間は最大でも三年。その期間内に国から派遣される調査官からその実力を認められなければ、問答無用で資格を剥奪され、二度と冒険者して活動することはできない。ゆえに彼ら冒険者見習いたちは必死なのだ。
「もしサイラスが廃校となれば、彼らの居場所が、夢や希望が潰えてしまう。これは領主としてではなく、私個人としての頼みだ。恥を忍んでお願いしたい。私にできることがあればなんでも協力しよう。どうか頼む。この通りだ」
領主ともあろうものが、衆人環視の中深々と頭を下げている。そこには一切の打算もない。ただただ純粋に、冒険者見習いたちの将来を憂いての行動だった。
だが、ノームにはメリットと呼べるものが無い。加えて最上位冒険者としての任務もある。
自分がそこへ行けば、多くの人に迷惑をかけてしまう。だから、例えいくら頼まれようと、首を縦に振ることなどできなかった。
「と、とにかく頭をお上げください!それでも私には――――」
ノームが何かを言いかけたところで、一部始終を見守っていたセリカが口をはさんだ。
「今のあなたに足りないものが多すぎる。サイラスに行って色んなことを学んできなさい。それで・・・・・・もしも彼らを一流の冒険者に育て上げることができたら、その時は私の見る目も変わるかもしれないわね」
さらにそこに居合わせた最上級冒険者の一人、その咆哮は大地を揺るがし、吐き出す豪炎はあらゆるものを灰燼に帰す、三つ首の怪犬ケルベロスの腕章を身につけたカイラスが、
「ふむ。ノームよ。お主の仕事は儂が引き受けよう。なに、優秀な部下も多い。どうということは無い。それに今は沈静期。魔物も比較的おとなしい上に強力な魔物はあらかた討伐済みだ。未来の冒険者のために、その力存分にふるってくれ。儂からも頼む」
そして最後にシオンが、
「私からもお願い。冒険者になりたくてもなれない気持ち、よくわかるからさ・・・・・・」
物憂げにうつむきながらダメ押しの一言。
セリカに認められることができれば、結婚の可能性は見えてくる。請け負っていた多くの仕事はカイラスが引き受けてくれる。そして、なによりシオンに懇願された。もはやノームに引き受けない理由は無い。
あと一歩、背中を後押ししてくれる何かがあれば・・・・・・
「シオン・・・・・・お兄ちゃん大好きって言ってくれ」
「は、はぁ!?こんな時に何言ってんの!?」
「バカ野郎!こんな時だからこそだ!お前のその一言があれば俺はいくらでも頑張ることができる!」
もうこれしかない。愛する妹からの愛の言葉。それを聞くことができれば・・・・・・
シオンは何度も何度も考えた結果、顔を真っ赤に染め上げて、
「・・・・・・おにい・・・・・・だ・・・・・・き」
蚊の鳴くような小さな声で恥辱にまみれながらも絞り出したのだが、
「え~聞こえな~い。もっと大きな声で!」
ノームに妥協は一切なかった。
シオンは何かをあきらめ、プライドを捨てて叫んだ。
「・・・・・・お兄ちゃん大好き!」
「いいぞ!もっと気持ちを込めて!」
ノームの欲望は加速する。
そしてついに、渾身の『お兄ちゃん大好き』を引き出すことに成功した。
「お兄ちゃんだぁ~い好きぃ!」
「げぼぁっ!な、なんだこの破壊力は!貴様もしや魔王軍の手先か!」
「ひぇ!きもすぎる!あんたが言わせたんでしょうが!」
感情の高ぶりに身体が耐えきれなかったのだろう。妹への愛の大きさを表すかのような大量の吐血でもって一連のやり取りは終幕を迎えた。
「ああ、もう死んでもいい・・・・・・。妹よ、兄はもう思い残すことは無いようだ・・・・・・」
「よくないわ!兄貴にはやることがあるんでしょ!」
その言葉でようやく我に返ったノームは、改めてサラスに向き直り、
「では領主様。その依頼、謹んでお請けいたします」
そう言い終えると、満面の笑みを湛えているサラスを見向きもせず、
「セリカさん。さっきの言葉、忘れないでくださいね。俺、必ずあなたを手に入れますから」
先ほどの言葉を確固たるものにしようと、セリカを脅迫じみた目で見つめる。
その瞬間、周囲の気温が一気に低下した。背筋を一撫でされたような感覚。冷気が襲いかかる。
「せ、セリカさん!?唇から血が・・・・・・」
「な、何でもないわ。大丈夫。・・・・・・分かったわ。忘れない」
おそらく気のせいだったのだろう。セリカはたらりと垂れた血を手の甲で拭いながら、相変わらずのクールな表情でコクリと頷いた。
かくしてノームは冒険者から育成所教官への道を歩むこととなったのだ。
だが、後に訪れる不幸はすでにここから始まっていたことを彼はまだ知らなかった。
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