第29話 魔法「ミョーケン」の奇蹟
春――。吾妻小学校最後の六年生の第1学期が始まった。吾妻小学校の場合は一学年一学級の小規模校だから、クラス替えはなく、五年組がそのまま六年組に上がり、教室が校舎の一番奥に移っただけ。始業式が終わると、最初の学年会が開かれ、まず中村裕子先生が新六年生たちへ呼びかけた。
「みなさん、六年生になって、どんなことを目標にしてがんばるか、みなさんの抱負を聞かせていただきましょうか」
「はーい」と、大きな声でリョースケが立ち上がり、発言。
「そりゃ先生、なんてたって、運動会の組体操ですよ。六年全員が目標をこの一点に絞り、挑戦する。そういう意気込みで取り組んで、吾妻小学校最後の組体操を成功させる。そして千葉市に吾妻小学校ありという伝説をつくる。これが僕の抱負です」
リョースケの力強い発言に生徒のほぼ全員が拍手した。続いてショーマが立ち上がった。
「組体操成功の鍵は第一にてっぺんにあるわけだから、中村先生、てっぺんを誰にするか、その問題を今すぐに決めて、早く練習にかかるべきだと思います。これが僕の目標というか、抱負です」
またもや生徒のほぼ全員が賛同の拍手。
運動会の開催は5月の第3日曜日と決まっている。新学年が始まってすぐだ。もう後1か月余りしかない。新六年生の目標はここに集中していた。
「てっぺんの人を今ここで選んで、決めるのがいいと思います」
ハルカが促す発言をした。どうやら、生徒たちはこの件に関して事前に根回しをしていたらしい。春休みの間に、リョースケ、ショーマ、ハルカの三人が生徒たちに連絡を取り合い、打ち合わせ済みだったようだ。学年会は、以降、中村先生をそっちのけにして、彼ら三人の仕切りで運ばれていった。
「次回運動会組体操のてっぺんに、僕は千葉航くんを推薦したいと思います」と、リョースケが発言したかと思えば、「賛成」と、すかさずショーマが応じて、あの寛希までもが賛同の声をあげた。
「ぼくも、千葉航くんがやってくれると期待します」
「ほう、ヒロキも賛成かよ」
リョースケがいかにも驚いたといわんばかりのわざとらしい大声をあげた。これで大勢は決した。
「ほかに誰か推薦したい人がいますか」と、ハルカが教室を見回したが、挙手がないことを確認。「いないようですね。では、てっぺんは千葉航さんに決定ということでよろしいですか」
ハルカが採決をとる。ほぼ全員が「異議なし」の拍手。「では、決定しました」と、ハルカが採決を下す。またまた拍手。
「千葉航くん、抱負をどうぞ」と、最後列からリョースケがワタルを指名。最前列でワタルが立ち上がり、後ろへ振り向き、「がんばります」の一言でぺこりと頭を下げ、着席。
こうして、生徒主導により、吾妻小学校最後の運動会組体操のてっぺんがワタルに決定した。
六年生のこの生徒主導の取り組みが中村先生によって職員会議で報告されると、先生たちから生徒の自主性が大いに評価され、運動会の運営を生徒に委ねる児童委員会が組織されることになった。そして、吾妻小学校最後の運動会を盛り上げるために、組体操をメインイベントの競技として、六年生単独ではなく五年生との合同で挑戦――という方針が打ち出された。
組体操は運動会の花形である。いろいろな技のパターンがあるが、なかでも一番華やかな技が「ピラミッド」である。それも、大きくて高い、つまり、大人数で構成される大型ほど大向こう受けする。
職員会議で先生たちが五、六年生合同を打ち出したのは、もちろん、大型ピラミッドを考えてのことだった。
去年の運動会で五年生が挑戦したが失敗したピラミッドは5段だった。
「今度も5段じゃ、ただのリベンジで挑戦の意味がない。五年生と合同なんだから、その上に挑戦しようぜ」
運動会児童委員会が開かれて、委員長に選ばれたリョースケが威勢のいい発言をした。
「では、6段でやろう」と、ヒロキが応じた。が、「どうせ挑戦するなら7段だ」と、もっと積極的な意見をショーマが述べた。
「千葉市の小学校ではどこもやっていない7段に挑戦して、成功させれば、吾妻小学校の伝説が永遠に語り継がれるようになる」
この強硬論に他の児童委員たちも異議をはさむ者はいなかった。
高さ七段の小学生では最大級といえるだろう超大型立体ピラミッドに挑戦。組体操の図解のマニュアル本を開いてみると、立体型7段の構成人数は55人となっていた。吾妻小の六年生と五年生の男子を合わせるとちょうど55人だった。
「よし、七段に挑戦だぞ、みんな、がんばろうぜ」
リョースケが気合を入れると、児童委員全員が「オー!」と勝鬨を上げた。
女子たちは、ハルカの提案で、組体操の「WAVE(波)」を作り、ピラミッドを囲むということになった。このアイデアが発展し、全校あげて組体操を同時一斉に演じることになり、児童委員たちがマニュアル本と首っききでアイデアを考えた。
低学年は、二、三人でできる「塔(タワー)」「サボテン」「しゃちほこ」「飛行機」「花」、四年生は6人編成の「扇」「ブリッジ」など、いろいろな組体操をグランドいっぱいに繰り広げるという壮大な構想が膨らんでいった。
児童委員会では、いろいろな組体操の配置を平面図に描き出した。その図をたとえると、まるで巨大なウエディングケーキを真上から鳥の目で見たようなデザイン。その中心が七段ピラミッドである。
これを成功させる鍵は何か――。ワタルは、リョースケとショーマから児童委員会の決定を聞かされて、考えた。
その答えは、スピードである。
人間ピラミッドを組み立てるには、大人数の大型になればなるほど下段に負荷がかかる。マニュアル本によると、立体7段の場合には最下段にかかる負荷は200キロにもなるという。その重量に耐えられずに、下の段から潰れてしまうのだ。
去年の失敗もそうだった。一段ずつ上がっていくのに時間がかかった。特にショーマの4段目からワタルの5段目にかけて時間がかかったために、下段から悲鳴が上がり、大地震現象を起こしてしまった。
この失敗を繰り返さないためには、よじ登らないことだと、ワタルは気づいていた。猫がピョンピョンと屋根へ跳ね上がるみたいに一気に飛び上がるのだ。この技は、広田の寺子屋で、ミョーケンごっこをやったとき、ワタルがどうしても勝てなかったケンジがいとも簡単にヒョイヒョイと樫の木に登っていった、あの身のこなしがヒントになった。
足裏全体で踏んづけるのではなく、つま先だけで一段抜きで駆け抜ける。名づけて、猫っ跳びの術。
このさながら忍者みたいな足技をマスターするのに、ワタルは、また『ちばたこ』裏駐車場へ行って、ハシゴの練習を繰り返した。そして、ショーマとヒロキも誘って、猫っ跳びの術を教えるとともに、七段ピラミッド最上段の組み方を三人で練習し、運動会まで毎日繰り返した。
5月第3日曜日――、いよいよ吾妻小学校最後の運動会が開催される日が訪れた。
その早朝、まだ吾妻町商店街が眠りの中の時刻、光法寺の門が開き、中へ入る人影があった。三人の少年である。ショーマ、リョースケ、そしてヒロキだった。
「おはよう」と、中でワタルが彼らを迎えた。
「まず、掃除だ」と、ショーマがリョースケとヒロキを納屋へ連れていった。
「おれはどこを掃除すればいいのかな」と、リョースケがショーマに聞いた。
「そうだな。おれが庭、ワタルが廊下をやるから、後はトイレだな」
「なに、おれとヒロキで便所掃除かよ」
「そうだよ。ウンが良くなるにはまずトイレをきれいにしなきゃ。なあ、ワタル」
ショーマに同意を求められて、「ウンだべ」とワタルも笑って返事した。
「このおれ様がワタル殿のオシッコの後始末をすることになるとは、トホホのホだよ」
リョースケがこぼすと、ヒロキも、ぶつぶつ。
「家のトイレソージもしたことがないのに、お寺のトイレをピカピカにしたとママが知ったら、泣いて喜んじゃうかな」
二人は雑巾とバケツをぶら下げ、文句たらたら、離れの来客用御手洗室へと向かった。
掃除で気持ちのいい汗をかいた後、彼らは和室に集まった。
「へえ、これが妙見様か」
リョースケが仏壇の妙見童子像を覗き込んだ。
「不思議な仏様だねえ。だって、どう見ても、この仏様、子供だよね」
ヒロキは、初めて見る妙見童子像に謎めいた興味を感じた。
「みんなで、きょうの運動会の成功を妙見様にお願いしよう」
ショーマに促されて、四人が仏壇の前に正座し、頭を下げ、目を閉じ、合掌。それぞれが心の中で何かを唱えた。ワタルは、「ケンちゃん――」とだけ、つぶやいた。
トトトン・トトトン・トトトン・トントントン・トトトントン・・・
太鼓が吾妻町商店街に響きわたった。なでしこ太鼓とは違う、大きく轟く華太鼓だった。この日のために、お姉さんたちが協力を買って出てくれた。
華太鼓に誘われるようにして、朝早くから大勢の吾妻町住民が校門をくぐった。その列のなかには法蓮夫妻、ハルカのママ、そしてアキラに率いられたストリートダンスのお兄さんたちの姿もあった。
校舎の下、グランド全体を見渡すテントの中で、中村先生が心配そうな顔を空へ向けていた。
「このお空の模様ですと、最後まで持たないかもしれませんわね」
あいにくの天気だった。空は曇天。黒い雲にグランドはおおわれ、今にも雨が降り出しそうだった。校長も皺を寄せた顔で空を見上げていた。中村先生が校長に進言した。
「校長先生、組体操を最初にもってきてはどうでしょう」
プログラムでは、組体操は最後の種目になっていた。花形競技として最後の大仕掛けに用意されていた。だが、雨で中止になっては元も子もない。「よし、そうしよう」と、校長の即断で、開始早々に組体操を全校で演じることになった。
紅白ゲートの下で開始を待つ生徒たちも空模様に心配そうだった。六年生の列で、最後尾にいたリョースケが最前列のワタルのところへやってきて耳打ちした。
「ワタル、魔法は大丈夫か。雨の魔法はヤバイぞ。雨は降らさないでくれよ。カミナリもダメだぞ。みんな帰っちゃうぞ。運動会、中止になっちゃうぞ。なんなら、魔法は止めた方がいいかもしれんぞ」
「ん――」
ワタルも緊張しているのか、口数少なく、空を見上げていた。
ゆずの『栄光の架橋』行進曲が始まった。グランドの四方を市民の人垣に囲まれるなか、一年生の列を先頭に、二年生、三年生と続き、全校生徒が行進。「止まれ」の合図でピタリと行進が止まり、整列。その列の並びは、縦の列で一年生から順に並ぶのではなく、学年ごとに横並びで編成された。つまり、最前列が一年生、次に二年生の列、そして最後に六年生の列と、だんだん高くなり、扇型に広がった。
校長の訓辞があり、終わるや、扇型の列が分かれ、全校組体操のシフトがグランドに展開されていった。
ドドドンドン・ドドドンドン・ドドドドン・ドドドドン・ドンドンドン・・・
平野愛理がリーダーの華太鼓が応援の大太鼓を勇ましく叩く。
「組体操、開始」
スピーカーから中村先生の声がグランドに響きわたった。全校組体操が一斉に始まった。
一年生が「花」、二年生が「しゃちほこ」、三年生が「飛行機」と「タワー」、四年生の女子が「扇」、男子が「ブリッジ」、五、六年生女子が「WAVE」と次々に成功させていき、観客席から拍手、拍手、拍手の波が起きた。
いよいよセンターの七段ピラミッドの組み立てだ。
ピラミッドの組み立て方にはいくつかの型があるが、55人編成の7段では「立体型三角錐」というパターンになる。これは13列で組まれる。
まず土台になる1段目は、第1列7人、2段目に第2列と第3列6人ずつの12人。3段目は、第4、第5、第6列5人ずつの15人、4段目は、第7、第8、第9列4人ずつの12人、5段目は、第10、第11列3人ずつの6人、そして、てっぺん直下を構成する6段目に第12列として2人、7段目に第13列となる1人。
「第1段、完了!」
リョースケの号令が轟いた。彼は4番、すなわち土台となる1段目のセンターで大黒柱を担った。その後方から、第2、3列が加わり、2段目をつくる。四つん這いの1段目の間に入り、その背に腕を立て、2段目が完了。同じようにして、第4、5、6列が1段目の肩に足を乗せ、2段目の背に腕を立て、3段目が完了。こうして、4段目が完了したとき、5段目を構成する第10列、11列に続いて間髪を置かず、てっぺん組の三人がピョンピョンと猫っ跳びの術で上がった。5段目が完了したとき、同時に6段目も完了していた。
トトトン・トトトン・トントントン・トトトントントントン・・・
華太鼓が心臓の鼓動のような響きを躍らせる。
ここからが見せ所だった。6段目のショーマとヒロキがかがんだままの姿勢で向かい合い、互いの肩に両の腕を掛ける。その二人の肩にワタルが足を掛け、乗る。ショーマとヒロキが立ち上がる。と同時にワタルも立ち上がる。シュルシュルッとピラミッドから角が出るみたいな勢いでタワーが突っ立った。
まさに「阿吽の呼吸」であった。
膝を伸ばし、直立したワタルは、両腕を空へ向け、そして開き、水平に広げた。ピラミッドの上にタワーがそびえた。
「おおーっ!」と、観客席からどよめきが起きた。と同時に万雷の拍手が轟いた。
「すごい!」「なんという勇気だ!」「がんばれー!」
声援がこだました。ピラミッドの上のタワーはしばし静止。そしてゆっくりと沈んでいった。観客席は大拍手。これで終了かと誰もが思っただろう。が――、
「おお、なんだ、何が始まるんだ?」と、観客席は驚きに包まれ、みんな、固唾を飲んで見守った。
ピラミッドの上で沈んだはずのタワーが再び浮上。かがんだショーマとヒロキの肩の上で、ワタルが倒立。逆立ちのワタルを肩で支えるショーマとヒロキが立ち上がった。なんと、7段ピラミッドで倒立タワーをやってのけたのである。
度肝を抜かれた観衆は声も失って拍手の嵐で応えた。
タワーが再び沈むと、今度は、またまた直立のワタル・タワーがそびえ立った。
空を見上げるワタル。両手を広げて頭上で交差させ、叫んだ。
「ミョーケーーン!」
すると、ビカビカッ――と、真上の空が光った。今にも雨になって落下しそうだった黒い雲が割れ、一条の光がグランドに降り注いだ。
観客席から口々に叫ぶ声が空へ飛び交った。
「あっ、光った」「何だ、あれは」「鳥じゃないか」「鳥が光ってる」「きらきら、エンジェルみたいに翼がきらめいてる」「光る鳥だ」「光の鳥がこっちへ向かってくるぞ」
ガチャガチャガチャガチャガチャ――。空が泣いた。すさまじい鳴き声がこだました。と思ったら、光の鳥を先頭に、その後を追うようにして、おびただしい数の鳥が吾妻小学校の上空に集まってきた。光の鳥が羽ばたくと、翼が発光し、その光の乱反射を浴びて、小さな鳥の大群がまるで光のトルネードのような渦を空に描いて旋回。その鳥の正体は、いつもは近くの中央公園をねぐらにしているムクドリだった。3回、4回、5回――とムクドリの大群は光のトルネードを描くと、空高く舞い上がり、去っていった。と同時に、先頭を飛んでいた光の鳥も高い空の中に溶け込むように見失われてしまった。
空は、真っ黒だった雲が散り散りに消え、太陽が顔を出して青く澄みわたり、吾妻小学校のグランドにさんさんと光が降り注がれた。
「奇蹟だ」「これは奇蹟だぞ」「奇蹟が起きたんだ」「ミョーケンの魔法が奇蹟を起こしたのだ」
観客席から父母たちの驚嘆の叫びが上がった。
吾妻小学校最後の運動会は、青空のもと、プログラムが滞りなく繰り広げられ、熱い声援、歓声の波がうねり、街にこだました。
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