第27話 希望の星へ向かって生きていく
光法寺とは路地を挟んで建つ千葉市科学館『きぼーる』の中にプラネタリウムがある。『きぼーる』という妙な名称は、この建物のデザインからネーミングされたということが、ワタルは吾妻小学校の行きかえり、見上げているうち、なんとなく分かった。ガラス張りの施設正面の空間に、プラネタリウムが星の球体、すなわち巨大なボールの形で吊るされている。そのボールは木製である。木でできた巨大なボール、つまり、『きぼーる』ということなのだが、そのネーミングにはもう一つ、「希望」という日本語が隠されていることに、ワタルはもう少し後になってから気がついた。
「先生。日本語の中で一番美しい言葉は何ですか」
ワタルが広田にいたとき、大津波の前に天明寺で開かれた寺子屋で、ケンジが宗徳和尚に質問したことがあった。
そのとき、宗徳和尚は腕組みして首を傾げ、しばしウーンとうなっていたが、やおら顔を上げると、本堂の天井をにらみ、そして、おおと得心したのか、右の拳を槌にしてポンと左の掌を叩き、答えた。
「ケンジくん、それは、希望という言葉じゃないかな」
ワタルは、吾妻小学校の行きかえり、『きぼーる』の前を通るたびに、宗徳和尚がケンジに答えた「希望」という言葉を思い出した。
「希望」とは、ケンちゃんがおらに遺してくれた言葉だどーーと、ワタルは悟った。そして、この「希望」という言葉を心によみがえらせては励みにしてきた。その甲斐あってか、やっと友達もでき、どうにか千葉の町にも馴染み、これからも前を見てがんばれると、ワタルは勇気が出せるようになった。
しかし、ワタルは『きぼーる』の中に入ったことはこれまでに一度もなかった。外から、ガラスの壁の向こうに浮いているように見える巨大な木の球を見上げるばかりだった。
「ワタル、プラネタリウムへ行かないか」
下校の途中、千葉銀座通りの角でアキラとばったり出くわした。
「うん。行きたいです」
ワタルはアキラに誘われて、二つ返事で応じた。
「ショーマやリョースケも誘ってみるか」
「うん。そうしよう」
アキラの提案にもワタルは即答。
そして、アキラと『きぼーる』入口で待ち合わせることにして、いったん光法寺へ帰り、ショーマに電話した。リョースケにはショーマが連絡した。
こうして、男子三人組がアキラの引率でプラネタリウムを観賞することになった。実は、ショーマとリョースケは三年生のとき、理科の野外学習でプラネタリウムへ行ったことがあった。それ以来である。
「満天の星が見れるぞ」と、ショーマ。
「おれは、魔法使いの流れ星が見たいな」と、リョースケ。
プラネタリウムへ上がるエレベータの中で、二人ともわくわくと胸をはずませた。
プラネタリウムの館内に入ると、他に観客は見当たらず、がら空きだった。貸し切りも同然だ。だから、ばらばらに好きな位置に座った。座席はリクライニングで、背もたれに寄りかかると、視界は見渡す限りの宇宙のパノラマ。天井はドーム型で、東西南北360度星空である。
ドーム・スクリーンにはまず現在の千葉市中心街の360度パノラマが投影された。『きぼーる』屋上からの眺望の映像である。陽が沈み、西の空に一番星の金星がまたたき、二番星の木星、三番星の土星も現れて夜空になり、満天の星となる。もし、千葉の空が透き通っていたなら、実際にこのような星空が今は見えるという夜空が再現されたのである。
「ああ、満天の星だァ・・・すごいやあ」
ショーマが感嘆の声をあげた。
「ワタル、見えているかい」
観客席は暗くて、どこに誰が座っているか、分からない。それでも、ショーマはワタルを確かめたかった。
「ん」というワタルの小さな声が空気を震わせてショーマの耳に届いた。
「大津波の夜、ワタルが地面に寝転んで見上げたという星空も、こんなだったのか」
「んだ・・・」
「こんなに美しい満天の星空だったのか」
「んだ・・・」
「宇宙には数えきれないほどの星があるんだなァ」
「んだ・・・」
「この満天の星空の中で、北極星はどこに光っているのかな」
「んだ・・・」
「ワタル。北極星を見つけろよ」
「んだ・・・」
「ケンちゃん、どうしているかな」
「・・・・」
ワタルからの返答はなかった。彼らの空気の震えで伝える対話はここで途切れた。
「あっ、流れ星だよ。ほら、今、光った。ほら、また、もう一個、北から西へ光って流れたぞ」
リョースケの興奮した大声が静寂を破った。「今に、魔法使いが箒に乗って現れるぞ」
ドームに瞬く星座を解説するアナウンスが流れた。投影されている星空は「秋から冬への星座」だった。
北の空――真北の真ん中にまたたく星、それが、北極星である。
その下に、小さいひしゃくの形をしたこぐま座。北極星はそのひしゃくの柄の先端、こぐま座のしっぽの先で光っている。
そして、こぐま座の右側に、もっと大きいひしゃくの形が描き出されている。それが、北斗七星で、周りの星も一体にして、おおぐま座と名づけられている。この北斗七星のひしゃくの枡を形づくっている二つの星の線を五倍のばすと、そこに北極星を見つけることもできる。
北極星の左側に目を移すと、無数の小さな星の帯、天の川が流れている。天の川のほぼ真ん中にWの文字の形に星が並んでいる。カシオペヤ座だ。
ギリシャ神話では、カシオペヤとは古代エチオピアの王妃の名前である。国王との間にアンドロメダという名の美しい娘がいる。そのアンドロメダ座がカシオペア座に守られるようにして、美しい娘の姿を星座に描き出している。
古代の人々は、このような星座をキャラクターに見立て、その配置から物語を想像した。それが、神話である。ギリシャ神話では、アンドロメダを主人公にする次のようなストーリーが語り継がれてきた。
――王妃カシオペヤが美しさを自慢するあまり、海の神ポセイドンの怒りを買ってしまい、エチオピアの海岸に大きな化けクジラが現れて大暴れするようになった。困った王が神に相談すると、「ポセイドンの怒りを鎮めるには、娘を化けクジラへ生贄にして捧げよ」というお告げ。それを知った王女アンドロメダは自分から生贄を申し出て、海岸の岩に鎖でつながれた。王女に同情する人々が見守るなか、化けクジラが現れ、王女へ突進。人々は悲鳴を上げて目を覆った。その瞬間、一人の若者が化けクジラの前に立ちはだかった。彼の名はペルセウス。神ゼウスの息子で、魔女メデューサを退治した帰り、鎖につながれた娘を発見し、助けに駆けつけたのだった。ペルセウスは剣で化けクジラに立ち向かい、腰に下げていた魔女メデューサの首を化けクジラに突きつけると、その魔力で化けクジラの巨体は岩に変わり、海の底に沈んでいった。命が救われた王女アンドロメダは助けてくれたペルセウスと結婚。そして、二人はエチオピアの王位に就き、国を幸福に治めた。
このギリシャ神話のナレーションが流れるうち、リョースケやショーマは急におとなしくなったと思ったら、すやすやと寝息を立てていた。
ドームは明るくなり、星空は消えて、朝焼けの千葉市街のパノラマが再び映し出された。
「あっ、朝だ」と、リョースケとショーマは目覚めた。ワタルは二人に苦笑した。アキラは――と見ると、彼はまだ天空を仰いで、沈思黙考していた。
彼らは「きぼーる」の外へ出た。外はすっかり夜になっていた。冬の星空を仰いだ。だが、星は見えなかった。
「みんな、面白かったかな」
と、アキラが歩きながらワタルたちに聞いた。
「んだ」と、ワタルは答えた。「昔の人は、星空を見て、よくあんなギリシャ神話だとかいう物語を思いついたもんだ」
「魔法の場面はまあまあ面白かったけどなあ」
と、リョースケもやや満足の笑顔だった。しかし、ショーマはやや不満気な感じ。
「でもよ、おれは、やっぱ、もっと恐竜の戦いが展開されたほうが面白かったのにと思ったな」
アキラは、星のない、ただの闇の空を見上げて、つぶやいた。
「そうか、恐竜の星座か・・・」
そのあとにアキラが何を言おうとしていたのか、ショーマは耳を傾けずに駆けだした。「いけねえ、晩御飯の時間だ。早く帰んなきゃ」と言って。「おいらもだ。ワタル、じゃあな」と、リョースケもショーマの後を追った。
ワタルは、自分も駆け出したのではアキラに悪い気がして、アキラと共に歩道をゆっくり歩いた。アキラは、プラネタリウムで星座を見上げた感動の余韻にまだ浸っているようだった。
「いいアイデアが浮かんだよ」
アキラがつぶやいた。
「どんなアイデアでがんすか?」
ワタルがたずねた。
「ストーリーはギリシャ神話だけど、キャラクターは恐竜にして、星座をダンスで演じる。そのダンス・パフォーマンスを夜のストリートで展開するんだ」
「それは面白いでがんす」
「その星座の中心は北極星。つまり、ヒーローは妙見。そして、ストーリーのテーマは共生――」
「ほう、壮大なアイデアですね! 本当に実現できたら、すごいストリート・ダンスになりそうだべ」
「テーマとなる歌はもうできているんだ。あの例の『千葉千年伝説』を上演したNPO法人うたともクラブのプロデユーサーが作ってくれてね」
アキラは、その歌をアカペラで口ずさんだ。『蒼い昴』という題名の歌だった。
夢 虹のかなた 愛 夕陽の海でも 胸に悲しみ秘めて ぼくは ぼくを信じる
道なき荒野を ただひとり行こうとも 蒼い昴 見つめて ぼくは歩みつづける
この宿命(さだめ) この力 君の未来に捧げよう 新しい世界のため 望みはるか 遠い 遠い夢でも 朝日浴びて 明けゆく海のように 夢の扉 開く 未来 信じて
夢 見果てぬ夢 夢見る力のかぎり ぼくは歩み続ける あの星 めざして
この命 この情熱 君の心に捧げよう 美しい日本のため 望み高く 蒼い 蒼い夢でも 光 満ちて 晴れゆく空のように 夢の天窓 開く 心 愛して
夢 見果てぬ夢 夢見る力のかぎり ぼくは歩み続ける あの星 めざして あの星 めざして
ワタルは、アキラの歌に耳を澄ましていて、ふと思った。
歌の「あの星」とは、妙見のことか――。そうだ。おらも、「あの星」を見つめて、希望へ向かって生きていくんだ。
ワタルは、自分の心に誓った。
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