第24話 妙見とは夢である
蓮華亭ホールの扉が開き、高齢者たちがぞろぞろとテラスへ出てきた。歌声が終わったようだ。
「おや、ワタルくんじゃないの」
「ほんとだ。法蓮和尚も、それにショーマも、お揃いとは」
高齢者たちを見送るように、アイリとアキラが出てきて、木道の踊り場へ手を振った。
「あっ、アイリさんとアキラさんだべ」
ワタルたちも気づき、ホールへ向かった。
「いやに外がにぎやかだなあと思ったら、みなさんでしたか」
アキラがにこにこと三人を迎えた。
「歌声の邪魔をしちゃったかなあ」
法蓮がすまなさそうに言った。
「いえいえ、どういたしまして。逆に高齢者を元気づけてくれる応援団みたいで、歌声も盛り上がりましたよ」
アイリがそつなく社交辞令を法蓮へ返した。
「そうおっしゃっていただければ、ありがたいのだが、ところで、ご両人は歌声もやっていたの?」
「いえ、実は、私たちもたまたま今日は助っ人でしてねーー」と、アイリが蓮華亭ホールへ来たわけを話した。それは次のようないきさつだった。
――6月に、光法寺で星祭りが開催されたとき、アイリとアキラが協力して、輪踊りを演じたが、あの『千葉千年伝説』を市民歌踊祭で上演したNPO法人うたともクラブが活動する会場の一つがこの蓮華亭ホールだった。近々、うたともクラブが総力をあげて取り組む「健康長寿ちば!歌声大会」が開催される予定で、アイリとアキラも協力を頼まれ、その予行演習が、今、行われたばかりだった。
アイリの話を聞きながら、彼らは蓮華亭ホールの中へ入っていった。歌声の催しは後片付けもすっかり終わり、誰も残っていなかった。
「なるほど、蓮華亭とは、よくぞ名づけたものだ。これは面白い建物だなあーー」
法蓮がホールの内部空間を見回しながら、感嘆の声をあげた。彼が中へ入るのは初めてのことだった。もちろん、ワタルもショーマも。しばし、三人は珍しい物でも見るように、目を泳がせた。
青い空、白いうろこ雲、銀色のモノレール、秋色に染まる樹々、愁いを映しはじめる湖面、風が戯れる緑の波――。ガラスの壁が千葉公園のパノラマを3Dスーパーハイビジョンで展開している。
「蓮華とは、つまり、仏教でいうところのハスだが、この蓮池のほとりに建つホールだから、法隆寺の夢殿を想わせるような、寺の御堂を模した設計にしたというわけか。なるほど、なるほど」
よほど気に入ったとみえる法蓮へ、アキラが冗談を投げかけた。
「和尚、そんなに気にいったなら、光法寺をここへ引っ越したらどうですか」
これには法蓮も一本取られた感じで、口を曲げて笑い、冗談を返した。
「そうだなあ、妙見様がそうしなさいとおっしゃるならば、そうしてもいいんだがなあ」
「妙見がですか?」
ワタルが真に受け、怪訝な顔を法蓮へ向けた。
「そうだよ。妙見様をお迎えするには、ちょうどいい御堂の造りになっているよ、ここは」
「それは、どういうことですか」と、ショーマもいぶかし気な顔になった。
「上を見よ」と、法蓮は人差し指を真上へ突き立てた。
ホールは天板のない吹き抜けで、円錐形の天井のてっぺんがガラスの天窓になっていて、空の光が注ぎこんでいた。
「見よ、この一条の光を。これはまさに、妙見様が降臨するにふさわしい天の道と言えようぞ」
「ええっ」と、ショーマの顔が驚きへ急変。「妙見がここに現れると、法蓮和尚はおっしゃっているのですか」
「うむーー」
深くうなずく、法蓮。
ワタルは、はっと思い起こした。
あの大津波の夜――。天明寺の妙見堂の天井からも、一条の光が降りそそぎ、そして、光の鳥が現れた。あの光の鳥は、やっぱり、妙見だったのか。
ワタルは、脳裏によみがえったその場面を口には出さずに、法蓮とショーマの問答に耳を傾けた。
「北極星の化身である妙見様は、天のエネルギーと地のエネルギーが交流するパワースポットに現れる。そのパワースポットがまさにここなのだからな」
「そういうパワースポットに立っていたら、妙見を見ることができるのですか」
「うむ。それは、誰の目にもというわけには参らんだろうが。見える人には見える。しかし、見えない人には見えない」
「ぼくの目には、どうですか」
「うむ。さて。それは、どうだかな」と、法蓮は断定を避けて、逆にこう問い返した。「ショーマくんには、UFOが見えるかな」
「UFOですか。いいえ、ぼくはまだ一度もUFOをみたことがありません」
「そうか、まだ見たことがないか。もし、きみにUFOが見えるようになったら、その時は、妙見様も見えるようになっているかもしれないな」
「え?――。UFOが見える人には妙見も見えるのですか」
「うむ。そういうことになるかもなあ」
「では、どうすれば、ぼくはUFOを見ることができるのですか」
「うむ。それは、きみしだいだなあ」
法蓮とショーマの問答が繰り広げられている間に、アキラとアイリが天窓の真下にパイプ椅子を並べた。立ち話が止まり、みんな、椅子に座って一服。あらためて法蓮を囲み、「千葉千年伝説勉強会」の課外授業を続けることになった。
はたして、妙見は、人の目に見えるのか否かーー。
「前回の勉強会で、妙見を信仰した歴史上の人物たちのことを話したよな。どういう人たちだったか、覚えているかな」
法蓮がこう問いかけて、課外授業が再開された。
四人は、その歴史上の人物の名前を思い出そうとして、一斉に目を天窓へ向けた。そして、まず最初に口から出た人物は四人共通して「平将門」だった。が、それに続いて、後はバラバラに名前が連ねられていった。
千葉常胤、千葉周作、坂本龍馬、宮澤賢治、日蓮、徳川家康、徳川家光、天海、伊能忠敬、平良文――と、ここで止まった。
「まだあと何人かいたはずだが、ま、これだけ覚えているなら、いいだろう」と、法蓮はにこやかな顔をして、本論に入った。
「ところで、彼らに共通していることは何か。それは、夜空を見上げて、北極星と北斗七星を見つめ、物事の真理を考え、そして行動したということだ」
法蓮の顔が真剣になり、四人も表情を引き締め、耳を立てた。法蓮が天窓を見上げ、問いかけた。
「天にまたたく、北極星と北斗七星。その星の連鎖を諸君らが見つめたら、一体何が見えるだろうか」
四人からは返答がない。ただ彼らも天窓を見上げるばかり。
「ショーマくん、きみは答えられるかな」
人差し指をショーマへ向ける、法蓮。
「ぼくにはーー、今のところーー」と、ショーマには唐突だったので、「何も見えません」と答えるほかなかった。だが、ひと息飲み込むと、思い出すことが浮かんできて、「だけどーー」と付け加えた。
「ワタルくんには、見えたものがあったようです」
「ほう、ワタルには何か、見えたことがあったのかね。それは何だね」
法蓮が人差し指をワタルへ移した。ワタルは、ショーマの発言に「あのことだな」と思い当たるものがあった。だから、正直に答えた。
「ティラノサウルスだべ」
「ん?――,」と、法蓮は眉をぴくりと寄せてから、ハテナと首をかしげた。
「なに、寺のサルだと?――。それは、この法蓮のことかね」
法蓮のトンチンカンにみんな吹き出してしまい、大笑い。場の緊張感がいっきょにはじけて、ショーマがワタルに代わり、言い直した。
「ティラノサウルスという恐竜です。一番大きくて一番強かった恐竜のことです」
「なに、恐竜だと」と、法蓮、苦笑し、言い訳をした。「星の話をしていたのに、いきなり恐竜だなんて、だから、この法蓮、勘違いしてしまったよ。なんでまたここで恐竜が出てきたのじゃ」
法蓮はワタルへ向かって問うたのだが、またショーマが答えた。
「大津波の夜、ワタルくんが見上げた満天の星空に、ティラノサウルスが現れたんだそうです」
ショーマの返答に、一同の表情は驚きへ一変。アキラがまん丸まなこをワタルへ向けた。
「なんだって? ティラノサウルスが満天の星空にだって?――ホントか、ワタルくん」
ワタルは困惑の目をアキラへ返した。法蓮は腕組みして、ウーンと息を腹から吐き出して唸り、考え込んでしまった。
「これは信じられない大ニュースだわね」と、アイリがアキラへ同感の目を向けて、言った。
「もしテレビ局が知ったら、ワイドショーでてんやわんやの大騒ぎになっちゃうんじゃないかしら。あの大津波の夜に、ワタルくんがティラノサウルスを満天の星空に見たということが、もし本当だったとしたらね」
ワタルは話に尾ひれがついて大袈裟に広がる気配を感じ、困惑を深めるばかり。
「ワタルは嘘なんか、言わないよ」
ショーマがアイリへ向かって口を尖らせた。それに対して、アイリが言い訳を返した。
「嘘と、わたしは決めつけているわけじゃないわよ。ただ、にわかには信じられない話だなあってーー」
うつ向いたままのワタルを間にして、アイリとショーマが気色ばむ。その空気を読んだのか、考え込んでいた法蓮が腕組みを解き、「まあまあ」と二人をなだめた。そして、アキラへ向き直り、言った。
「アキラさん。昔、東京にゴジラが現れて大騒ぎになったことがあったよな。アキラさんは覚えているだろう」
「えっ?――」と、アキラは一瞬、なんのことだか、戸惑いの表情を浮かべた。他の子供たちも、また突拍子もないことをとばかりに法蓮へ怪訝な視線を浴びせた。
「そのゴジラって、ジャイアンツの松井選手のことですか?」
「松井?――ああ、あの野球選手のーーそういえば、彼もゴジラだったか」
「ええ。松井が大リーグのニューヨーク・ヤンキースへ行ってからも、日本からゴジラがやって来たとかで大人気だったそうですよ」
「そうらしいな。だけど、今、わしが話そうとしているのは、本物のゴジラのことなんだ」
「本物のゴジラ?」
「そうだよ。昔、『キングコング対ゴジラ』とか、ゴジラ映画がシリーズで何本も上映されて、大人気だっただろう。アキラさんは観なかったかね」
「映画のゴジラなら、ぼくもDVDで何本か、観ましたけど」
「DVDかーー。まあ、それでもいいだろう。あの映画、面白かったよなあ」
「はい、ぼくも興奮して観たのを覚えています」
「そうか、そうだよな」と、法蓮、アキラへ向ける顔をにんまりと和らげた。「それなら、アキラさんに訊くが、きみが興奮して『ゴジラ』を観ていたとき、そのゴジラが本物かどうか、つまり、ゴジラが実在して、映画が本当にあった話かどうかとか、きみは考えていたかね」
「いいえ。ただぼくはハラハラ、ドキドキして、夢中でした」
「そうだろうな。みんな、手に汗握り、ゴジラの大暴れに夢中になっていたんだよな。その夢中ということが、本当か嘘かということよりももっと大事なことなんだよな」
沈黙していたワタルがはっと気づかされたのか、顔を上げて、口を開いた。
「おらも、あの大津波の夜、ティラノサウルスを見つけたときは、まず満天の星空に夢中になっていただ」
一同の目がワタルへ集中して、その視線を集めるように、ワタルが続けた。
「ティラノサウルスは、おらのこの目で見たというよりも、おらの夢中になった心に映ったことというのが正しいかもしれねえだ」
「なるほど。ワタル、よくぞ気がついた」と、法蓮が膝をたたき、言った。「その夢中とは、どういうことか。すなわちそれは、心の有り様を言うのだ。問題の核心はここだよ」
またいよいよホーレン節が始まり、一同、引き込まれる。
「ワタルが満天の星空を見上げたとき、ティラノサウルスを心に映した。それは、そのとき、ワタルが満天の星空に夢中だったからこその、一種の心霊現象だったと思われる」
「心霊現象?――」と一同、口をそろえて、法蓮へ迫る。
「うむ。そうとしか、言いようがないな。この地球の自然界は、どんなに科学の文明が発達したといえども、まだまだ謎だらけなのだ。だから、自然は不思議、地球は面白いんだよなあ」
ショーマが法蓮に問う。
「ティラノサウルスが満天の星空に現れたということもまた謎であるーーと」
法蓮が答える。
「うむ。北極星を見て、『何も見えない』というショーマくんには謎であろう。しかし、ティラノサウルスが『心に映った』というワタルには、それが真実であろうーーと。そういうことだな」
「確かに、満天の星空を見たこともないぼくには、ティラノサウルスも謎でしかないです」
「そうか。それでいいのだよ、ショーマくん」
「星を見ても、何も見えなくてもいいのですか」
「それでいいのだ」と、明言する、法蓮を、ショーマもアキラたちも「なぜ?」という目で見つめる。
「先に、妙見を信仰した歴史上の人物たちを挙げたが、彼らもまた、おそらく、北極星を見上げたとき、何かを見るということはなかったろう。見えない。つまり、謎。妙見とは謎であるからこそ、彼らは北極星を繰り返し見続け、そして妙見を考え続けたのだろう。すると、いつしか、その心には、それぞれの妙見が映し出されるようになってくる。そのことこそが信仰というものであると。そうじゃないかな」
一同、無言。
「謎。見えないと分かっていても、つまり、現実ではないのに、見る、考える。すなわちーー、それはどういうことであるかな」
法蓮は、ひとりひとりの顔を見つめながら、問いかけた。しかし、だれからも答えはない。法蓮が自ら答えをだした。
「それは、夢――というものではないかな」
「夢?――」と、一同、思案投げ首。法蓮が繰り返す。
「彼らが北極星に見ていたものは、夢というものだったのではないのかな」
一同、「あっーー」「そうかーー」「なるほどーー」と、声を漏らす。
「これでお分かりかな」と、法蓮。
「はい」と、うなずく、一同。
「北極星の化身である妙見とは、すなわち、夢である」
法蓮はこう断言して、さらにその意味するところをこう説いた。
「彼ら歴史上の人物に共通することは、夢を見る力というものが彼らにはあった。だから、歴史に残る大きな役割をやってのけることができた。人間にとって一番大事な能力とは、夢見る力というものではないだろうか。その力を養ってくれる神こそが、妙見であった。すなわち、妙見を信仰するとは、夢見る力の鍛錬であったと言えようぞ」
一同、大きくうなずく。
「だから、妙見に御神体などは無い。人々の心の中に謎であり、夢として存在しておるのだよ」
一同、ガッテン。そして法蓮はこう続けた。
「その妙見の夢ということを物語に表現した人物こそが宮澤賢治だったのではないのかな。この法蓮めは不肖ながらもそう思って、『銀河鉄道の夜』などを読みふけったものだよ」
これには、ワタルも「法蓮和尚も『銀河鉄道の夜』を読んでいたのか」とびっくり。その驚きを口には出さずに心の中でつぶやいた。
「ケンちゃんの名前は金崎賢治だったけども、もしがしだら、ケンちゃん、宮澤賢治の生まれ変わりだったかもしれねえだ」
そんなワタルの胸中に構わずに、法蓮はこうしめくくった。
「みんなも夢を見るんだよ。夢を見れば、いずれそのうち、夢の中に妙見が現れて、会えるかもしれないよ」
ショーマがピクリと目を見開いて反応し、心の中でつぶやいた。
「なるほど、夢の中で妙見と遭遇するのかーー」
ショーマは、その時が来るまで、毎晩、夢を見る努力をして眠ることに決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます