第23話 地のエネルギーが咲かせる古代ハス
ボートから上がった三人は、カフェのテラスでひと休みした。法蓮が自動販売機で買った缶ジュースを飲みながら、ボートで回った綿打池を眺めた。
「あっ、そうだ。あそこへも行かなきゃ」
法蓮の目に何かが映ったらしい。三人はジュースを飲み干した空き缶を自動販売機のエコボックスに戻して、池の奥へと歩いて行った。藤棚をくぐると、もう一つ、小さな池があった。池は無数の葉に覆われて、一面の緑だった。
その緑の池のほとりに、「蓮華亭ホール」と呼ばれる、法隆寺の夢殿のようなデザインの木造建築が建っていた。池は木道を歩いて渡れ、板の段を上がると、ホールを囲む回廊がテラスになっていた。ホールの壁はガラス張りで、内部が丸見えだった。
知らず知らず歩いてきた、細く長いこの道 振り返れば はるか遠く 故郷が見える・・・と、歌声が漏れ聞こえた。高齢者たちがパイプ椅子に座り、ナツメロを歌っている。
「おお、美空ひばりか。――ああ、川の流れのように、ゆるやかに、いくつも時代は過ぎて・・・」
法蓮も鼻歌まじりに口ずさみ、しかし、ホールの扉は開けずに、ガラスの壁を背にするベンチに「どっこいしょ」と腰を下ろした。その両脇に、ワタルとショーマも分かれて座った。そこからは綿打池の全景が一望できた。
「どうだ、すばらしい眺めだろう」
法蓮が視線を遠くへ向け、ワタルとショーマに同意を求めた。そして、「はい」という二人の返事を耳に入れると、さらに重ねて同意を求めた。
「ここから綿打池を眺めたら、確かにここがパワースポットだということが、きみたちにも信じられるだろう」
ところが、今度は二人からの返事はなかった。
「あっ、モノレールだ!」と、ショーマが声を上げた。
「ほんとだ。空を走って行く」と、ワタルも叫んで、立ち上がった。
小高い林の丘に囲まれている綿打池の向こうの上空、その右手からモノレールが銀色の車体を輝かせて現れた。そして左手の森の中へ潜り込むように通過していった。
「おーい」と、ショーマも立ち上がり、手を振った。
「おーい」と、ワタルも手を振り、叫んだ。
モノレールは左手の森の中へ潜り込むように通過していった。その間、ものの数十秒で、モノレールは消えていった。
ワタルとショーマは、手を下ろしたものの、口をぽっかりと開けたまま、モノレールが走った空へ視線を放ち続けた。秋の空はいつの間にか白い雲が沸き上がり、うろこ状の帯を広げていた。
「やっぱり、子供は子供だよな」
ひとり、ベンチに無視されていた法蓮がぼそぼそとつぶやきながら立ち上がり、二人からちょっと離れて回廊の欄干にもたれかかった。その目は空を見るでもなく、足元の小さい池へ向けられていた。
「子供はみんな、未来が大好きなんだよな。それでいい。それでいいんだ。夢は常に未来にあるんだから」
ひとり言のように漏らし、自問自答して、うなずいた。背中を丸めて、ご機嫌ななめ気味の顔を伏せてーーと、子供でも気づいたのか、ワタルが声をかけた。
「法蓮和尚、分かりましただ」
「ん?――何が」
不意の声に、ピクリと法蓮が振り向いた。
「ここがパワースポットだいうことがです」
「ほう、ワタルは分かってくれたか」
顔に笑みをよみがえらせた法蓮へ、ワタルも「はい」と、笑顔で答えた。
「それは、ここが、モノレールが一番カッコよく見える場所だからです」
法蓮、唖然と、声も出ない。ショーマがさらに突っ込みを入れた。
「あんな高い空をモノレールが吊り下がって、走って、それでも落っこちないなんて、よっぽど強力な天の気のパワーが働いているんだと思うよ。なあ、ワタル」
「そうだべ」と、ワタルも同意。
法蓮、黙っていられなくなった。「ムムムーー」と唇を噛むと、腹にため込んだ空気を一気に吐き出すような勢いで口を開いた。
「パワースポットとはな、天と地がだ、一体となってだ、その両極のエネルギーが一致して、火花を散らすように交流している、そういう場所のことなんだ。だから、天の空ばかり見上げていたって駄目だ。それなのに、きみたちは、空ばかり見上げて、結局のところ、なんにも見えとらんじゃないか。地を見なきゃ。地を。その地が、ここなんじゃ。ほら、その小さい目を大きく開いて、よく見るんだ、この下のここを」
法蓮、人差し指を回廊の下の池へ向け、突っつく。
「ここって、この小さい池に何が?」と、ショーマ、欄干の隙間に顔を突っ込み、覗き込む。ワタルも回廊にしゃがみこみ、欄干の下から身を乗り出す。
「池と言ったって、大きな葉っぱばかりがいっぱいで、鯉も泳いでいないし、鳥もいないし、ただのドブ池だべ」
「あっ、何かいるぞ」と、ショーマが腹這いになり、首を伸ばす。
「何が? どこに?」と、ワタルもショーマの目線を追う。
「そこそこ、その大きな緑の葉っぱの下の、茎の陰のところ」
「あっ、波紋が。ほんとだ、何かいるだ」
「ドジョウか」
「いや、ちがうだ。ドジョウだったら、波紋なんか立たねえべ」
「じゃあ、何だ?」
「たぶん、ゲンゴロウだべ。あっ、ほら、潜って逃げただ」
浅い池の底は泥。おびただしい数の大きな葉の茎が生い繁っている。ゲンゴロウにとってはジャングルだ。ゲンゴロウは餌を探しているのか、遊んでいるのか、泥煙を起こして茎の陰に消えていった。その泥煙がおさまった池の底に、またショーマが見つけた。
「あっ、ぶくぶく、アブクが出てきたぞ。なんだ、あれは。ヌーッと泥から顔だけ出して、ほらワタル、目がこっちを見たぞ」
「どこだ?――。あっ、あれか。あれは、もしかして」と、ワタルも見つけた、そのとき、泥煙が爆発したかのように巻き上がり、顔だけでなく全身が現れ出た。
「あっ、亀だァ」
二人同時に喉を裂くような叫びを発するや、ワタルとショーマは板段を飛び降り、木道を駆け、踊り場で腹這いになって泥池のジャングルを覗き込んだ。
「あそこにいるぞ」
「うんだ。見えとるだ。ショーマ、声を出すな。気づかれんように、ここで待ち伏せだ」
「わかった」
息を殺し、茎の陰の亀を凝視する二人。
すると、亀は、水中を泳いでいるからなのか、それとも餌を漁るのに夢中なのか、茎と茎の間をかき分けるように泳いで、彼らに気づかないで近づいてくるではないか。
ついに、亀は、彼らが手を伸ばせば届きそうな近さまで前進してきた。
ショーマがワタルに目配せした。
どうする?――と聞いているのか。
ワタルは、ショーマの目を確かめた。
ショーマは亀を捕まえるつもりでいるのか。
ワタルは、目を三角にして、首を横に振った。
その合図をショーマはどうキャッチしたのか、ニッと笑って、その直後、両手を開いて突き出し、亀に襲いかかった。バシャーンと水しぶきが上がった。ショーマはヘッドスライディングみたいに頭から泥池に突っ込んだ。
「捕まえたぞ!」
ショーマは泥池から立ち上がると、両手につかんだ亀を高々と掲げて、勝ち誇ったように笑顔をはじけさせた。その一瞬の隙に、亀はスルリとショーマの手から滑り落ちた。
「アッ! あれれ。あーあ」
ショーマ、茫然。手のひらには泥だけが残されていた。
アッハッハハハ、アッハハハハ、アッハハハハーー
大きな笑い声が池にこだました。法蓮がショーマへ向かって大笑い。ワタルも笑いを堪えられなかった。
「亀さんのほうが一枚上手だったなあ」と、法蓮、びしょ濡れのショーマを慰める。「鶴は千年、亀は万年というから、亀は人間よりはるかに長い歴史を生きているんだよ。だから、人間よりも利口なんだな。ショーマくん、身に染みて分かっただろう」
「はあーー」
しょげかえるショーマ、べそをかき、今にも泣き出しそう。うなだれる頭からポタポタと水滴が落ちて、木道へはみ出した大きな緑の葉に当たり、転がった。
「あれ、これ、ショーマの涙かな」
ワタルが傘を逆さにしたような形の葉の中で揺れる水玉に気づき、チクリと言った。
「おれは、泣いてなんかいないよ」
ショーマは口を尖らせ、葉を覗き込んだ。その拍子にまた髪から水滴が落下して葉の中に転がった。水玉はさらに大きくなり、銀色の輝きを放ってコロコロと揺れた。
「おお、ワタル、いいものに気がついたじゃないか」と、法蓮も葉の底の水玉を覗き込んだ。「ハスの葉には無数の産毛が生えている。だから、水が玉になって転がるんだ。まるで水銀の玉みたいだろう。雨あがりの朝にここへ来ると、一枚のハスの葉に一個ずつ、水銀玉がコロンコロンと踊っている。それを見てまわるのも面白いもんだよ」
緑の葉の底で本当に水銀玉がコロンコロンと踊り始めた。だれの手も葉に触れていないのに。風のせいだった。池の上に風が立ち、走り、池を一面の緑にしている葉がさわさわと揺れ、緑の波を起こした。
「なんて気持ちのいい、そよ風なんだ」と、法蓮は緑の波に目を細め、言った。「まるで、ハスの葉のダンスを見ているようだなあ」
「ハス?――」と、首を傾げる、ワタル。
「レンコンのことだよ」と、ショーマが教える。
「ああ、あの穴がいっぱいの芋みてえな、てんぷらにして食べるとうめえ」
「そうだよ。この葉っぱ下の泥を掘ったら、レンコンが出てくるんだ」
「おらの広田にはレンコンの池はねえだ。ほだがら、ハスいうのを見たことがなかったべ」
「そうか、ワタルはハスが初めてだったか」と、法蓮が長さ一メートルもあろうかという棒のような茎の一本をつかみ、手繰り寄せた。ところが、それはハスの葉の茎ではなかった。
「なんじゃ、これ?」と、ショーマ、細い目を見開く。「ハチの巣みたいに穴がいっぱいだぞ」
ハスの葉の陰から現れたのは、葉と同じ緑色だが、彼も初めてなら、もちろんワタルも初めて見る珍しい形の植物だった。とんがり帽子を逆さにしたような緑の円錐形が茎に乗っかり、その平らな面に無数の穴が開いている。
「これは花托と言ってな、花が散ったあとの実で、いうならば、種の壺みたいなものだ。この花托の中に、穴の数と同じだけの種が入っているんだよ」
「ふーん、面白い植物なんだ、ハスって」
「それにしても、不思議な形だべ」
法蓮の説明にたちまち好奇心をかき立てられる、ショーマとワタル。彼らをさらに煽るような説明を、法蓮は続けた。
「実に面白い、実に不思議だ。そのうえ、この千葉公園の池のハスはただのハスではない。古代ハスと呼ばれている」
「古代?」と、ワタル、ショーマは法蓮を見つめた。
「そう。今から2000年前のことだから、古代だ」
「2000年前?」
「というと、何時代だ?」
「縄文時代」
「そうだよ。二人とも、日本の歴史がちゃんと頭に入っているな。エライ、エライ」
「その縄文時代に、このハスがーー」
「うむ。この池に咲くハスの花は、またの名を大賀ハスとも呼ばれている。大賀一郎博士が2000年前の地層から発掘した一粒のハスの種を発芽させることに成功して、花を咲かせた。実に2000年という悠久の大昔の種から花が咲いたんだよ。これは驚くべきハスの生命力というほかないだろう。その大賀古代ハスがこの池に移植されて、今、こうして池を一面の緑に覆うほどに広がっていった。毎年、6月下旬から7月にかけて、大賀ハスはピンクの大きな花を咲かせる。それはそれはまさに楽園、この世の極楽浄土と言っても言い過ぎではないような見事なピンクの花園なんだよ。今はもう9月だから、花が終わり、一面の緑だけれどな」
「縄文時代の古代ハスがよみがえり、今もこの池で縄文時代のままの花を咲かせとるということなんだべ」
法蓮の説明をワタルが要約すると、法蓮も深くうなずいた。
「そういうことなんだよ」
「古代ハスには不思議な力があるんだなあ」と、ショーマが感心。それを受けて、法蓮、ますます力説。
「だから、その古代ハスの不思議な力はどこから生まれてくるのかーーと言えば、それは、言うまでもなく、この蓮池だろうよ」
「うーん、そういうことだべ」と、うなずく、ワタル。それを受けて、法蓮、結論を出す。
「この蓮池には、言うならば、地のエネルギーが秘められているのだ。古代ハスは、その地のエネルギーを吸収することによって、縄文時代をよみがえらせてきたのだよ。毎年、毎年な」
「なるほど、そういうことなのか」と、ショーマはなんとなく分かったような感じだったが、ワタルはきっちりと法蓮の説く論理が理解できるまでになっていた。
「その地のエネルギーが天のエネルギーと交流している場所がこの千葉公園で、だから、千葉公園はパワースポットなんだと、こう法蓮和尚は考えとるんだべ」
「そのとおり」
法蓮、パチパチとワタルへ拍手を送り、ワッハッハッハハと豪傑笑いして、大喜び。
「いやあ、二人とも、よく理解できるようになったもんだ。すごい成長だ。エライ、エライ」
その声が池に緑の波を起こさんばかりに響きわたった。
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