第22話 天の気という宇宙エネルギーの爆発

 JR千葉駅の千葉公園口から公園通りへ歩き、商店街を抜けると、千葉公園に突き当たる。

 欅、樫、鈴懸、紅葉、桜など大樹が繁る下をくぐると、綿打池と呼ばれる大きな池が目の前に開ける。ぐるりと池を周回する遊歩道が高齢者の散歩コースになっている。池にはいろいろな水鳥たちが集い、散歩の足を止めて一休みの高齢者たちの目を楽しませてくれる。しだれ桜の下、カモのファミリーが隊列をなして進み、シラサギが舞い降り、アオサギがポツンと岩陰にたたずみ、鵜もまたじっと杭に止まって動かず、それぞれに時の流れに身を任せている。

 そんなのどかな初秋の昼下がりーー、水面に波が立ち、カモのファミリーが一斉に飛び立った。急旋回したボートが隊列に突進したのだ。ボートも左右に大きく揺れて、「アッ、あぶねえ!」

「ひっくりかえる」と、子供の悲鳴が水面を走った。

「大丈夫、大丈夫、あわてない、あわてない」と、大人の声。「二人の漕ぐ手がバラバラだから、ボートがあっち行き、こっち行き、揺れるんだ。呼吸を合わせてオールをぐいと引くんだ」

「そうか。阿吽の呼吸だったな」

「そうだ。二人で声を合わせたら、ボートはまっすぐに進むんだべ」

 横並びで、オールを片方ずつ握り、ボートを漕ぐ、二人の子供。ワタルとショーマだった。

「そうだ、そうだよ。その調子だ」

 艫(とも)にどっかと座り、二人と向かい合う大人は、法蓮。カンカン帽に白い麻のスーツという、亥鼻の山の郷土博物館へ上がった時と同じ身なりだ。

「あ」「ん」「あ」「ん」と、ワタルとショーマは声を発してオールを漕いだ。ボートはまっすぐに進んでいった。

「おー、初めてにしちゃあ、上達が早いじゃないか。その調子、その調子だ」

 二人をボートへ誘ったのは、法蓮だった。


 夏休みが終わって三日がたつが、ワタルが毎日会っているはずの法蓮和尚と言葉を交わすのはこの日が初めてだった。朝御飯のときでも、ワタルは法蓮和尚と向き合っているのに、顔を伏せてしまい、黙々と御飯を口に入れて、そそくさと食卓を立った。その彼の脳裏には、あのショーマが仕掛けたハシゴショーのことがよみがえっていた。

 もしや、法蓮和尚があの「ミョーケンの魔法」のことを知ったら、なんと思うだろうかーー。ワタルはそのことが気がかりで、法蓮和尚の顔を見ることができなかった。

 たぶん、和尚は怒るだろう。みんなを驚かして、とんでもないことをやってくれたーーと、お説教するに違いない。お説教で済むならまだいい。もう出ていけと言われるかもしれない。

 二日間は法蓮和尚の機嫌は何事もなかったように過ぎた。ところが、三日が過ぎた今日、学校が午前で終わり、ワタルが光法寺へ戻ったところ、本堂の障子が開かれると同時に、法蓮和尚が縁側に仁王立ちになって現れ、ワタルを出迎えた。

「ワタル」

 法蓮和尚の太い声がワタルの耳をつんざいた。

「ただいま帰りました」

 ワタルは、うつ向いたまま、声を絞り出した。

「早かったじゃないか。どこか体の具合でも悪いのか」

 ワタルは身をすくめるようにして答えた。

「いいえ、何もーー。今日は先生方の会議があるとかで授業が早く終わりました」

「そうか、そういうことか」

 ワタルは本堂の裏へ回り、自分の部屋の物置小屋へ向かおうとした。その背中に、「ワタル」と、また和尚の太い声がぶつかってきた。

やっぱり、法蓮和尚はハシゴショーのことを知っているにちがいない。今度こそ怒られるぞと、ワタルは立ちつくし、身構えた。が、次に法蓮和尚の口から出た言葉は意外にも柔らかな声だった。

「じゃあ、今日は勉強会を二人だけでやろうか」

 ワタルは振り返り、法蓮和尚を見上げた。和尚の顔は声と同じように柔和な笑みを浮かべていた。

「ショーマくんも一緒でいいですか」

 とっさにこんな言葉がワタルの口を突いて出た。

「ほう、ショーマも?――」

「ショーマくんが、妙見のことを和尚さんにもっと教えてもらいたいと言っていたので」

 と、ワタルが訳を言うと、

「ほう、そうか。それは感心なことじゃないか」

 法蓮和尚も応じて、ショーマを呼ぶことになった。そして、「そうだ。ショーマも加わるなら、勉強会は千葉公園でやることにしよう」ということになった。


 ボートはスイスイと進んで、池の真ん中まで出た。

「いい天気だなあ」

 艫で大仏様みたいになって座る法蓮和尚が空を見上げた。

「なんて気持ちのいい青空なんだろう」

 ワタルもショーマも櫓を漕ぐ手を休めて、空を仰いだ。

「ほんとだ。雲がどこにもいないや」と、ショーマが言えば、「真っ青だべ」と、ワタルも瞬きしながらほほ笑んだ。

「こういう素晴らしい空のことを何というのかな」

 法蓮の問いに、即、ショーマが空へ向かって大声を発し、答えた。

「アッパレーーだ」

 迷答に拍子抜けの法蓮。クスッとワタルが笑って、答えた。

「日本晴――だべ」

「あ、そうか、そうか、そうだった。アッパレはカツの反対だったな。へッへへへ」

 首をすくめ、頭を掻く、ショーマ。腹を抱えて大笑いの法蓮。その振動でボートが揺れ、法蓮の体が池へ引っくり返りそうになる。

「アッ、危ない、和尚!」

 ワタルとショーマが同時にオールから手を離し、法蓮の片脚ずつを掴む。危うく池に落ちるところだった法蓮、悠然と身を起こして、「あわてるな、あわてるな。これきしでボートは引っくり返りゃせんから」と、二人を制した。そして、天へ向けて、人差し指を突き立てた。

「ほら、見ろ。お天道様も笑っとるじゃないか」

 青空にさんさんと輝く太陽――。

「うわっ、まぶしい」

 ワタルもショーマも目を眩ませられてしまい、手の中に顔を隠した。

「アッハハ。太陽のレーザービームが命中だな」と、法蓮は笑い、言った。

「これがもし宇宙戦争だったら、きみたちはここで死んでいるところだよ。だけど、きみたちは死にはしない。逆に、このレーザービームをここで浴びたら、もっと強い人間になれるかもしれないぞ」

「それは、どういうことですか、和尚さん」

「ほら、もう一度、空を見てごらん」と、法蓮に言われて、二人は今度は用心して太陽を避け、首を伸ばした。ショーマがぐるりと首を回してから、答えた。

「青空しか見えないです」

「そうだろう。三百六十度、見渡しても、目に見えるものは青空の他に何も無い」

 ショーマは思い出した。ワタルと吾妻小学校の屋上へ上がって、寝そべったとき、同じように目に入るのは空ばかりで、太陽の目つぶしをくらった。だけど、あのときとはまた何か違う感じの光景だ。そうかーーと、ショーマは思った。

「青空が池に映って、太陽がギラギラ、池から光を放っているみたいだ」

「ほう、ショーマくん、文学的なことを言うじゃないか」

 えへへーーと、髪をかき、照れる、ショーマ。

 ワタルもショーマと同じようなことを思っていた。

「妙な感じだやな。空の太陽が池に降りてきたみたいだべ」

「おお、ワタルもいいことに気がついたな。そういう現象を神話的には降臨というんじゃないかな」

「コウリン?――」と、ワタルとショーマ、首を傾げる。

「そう。降臨だ。たとえば、日本の神話には、天孫降臨という言葉が出てくる。天から神が舞い降りてきて、そしてこの国が始まったーーということになんだが」

 法蓮の答えに、ショーマが首をひねる。

「じゃあ、この池にも、神様が舞い降りたりするのですか」

「するとも」と、胸を張る法蓮。

「ええっ、ホントに?」と、目を丸くする二人に対して、法蓮がにらめっこするように言った。

「だから、この千葉公園のこの池のこの場所は、パワースポットなんだ」

「パワースポット?」と、二人。

「天の気というパワー、つまり、宇宙のエネルギーが集中する場所のことだよ」

「天の気――というと、天気のこと?」と、ショーマ。

「うむ。天気の気だが、天気のことを気象とも言うよな。その気という字で表される力のことだよ」

「気という力――というと、気力ですか」と、ショーマ。

「それもまあそうだが、もっと他に気という字の付く日本語がいろいろあるよな」

「はい、あります」と、ワタル、ショーマが一斉に答えた。

「元気」

「勇気」

「おお、すばらしい」と、拍手する、法蓮。「元気、勇気が真っ先に出てくるとは、きみたちがそういう人間だからなんだろうな。いい子だ、いい子だ」

 法蓮に褒められて調子に乗った二人は続けざまに気の字の言葉を並べていった。

活気、鋭気、気分、陽気、人気、本気、気心、陽気、人気、気合、気性、気絶、気配、気味、気色、健気――。

「すごい。すごい。小学5年生にしてはいっぱい思いついたじゃないか。エライ、エライ」と、法蓮はまた拍手して、こう言った。「このように、人間に関することだけでもいろいろな気があるよな。その気というものが空にもがあるんだよ」

「空の気ですか?」と、ショーマが法蓮に問う。

「そうだよ。空の気と書いて、なんと読む?」

あっ、そうかとばかりに、またも二人が声をそろえた。

「空気!」

「そう。空気だ。人間は呼吸して生きているが、その吸って吐いての空気は、天からのもらいもの。つまり、人間は、天の気によって、この地上で生かされているのだよ」

「その天の気という宇宙のエネルギーが降り注ぐ場所が、この池ーー」

 ワタルは納得できるような気がした。

「とくに今日のような日本晴の日には、そういう気配が池にみなぎっているだろう」

 法蓮にそう言われてみれば、青空の光がギラギラ反射する水面はエネルギーに満ち溢れているように見える。

「いま、きみたちの顔も、天の気を浴びてギラギラと輝いているぞ」

 法蓮は、満面の笑みを二人へ向けて広げた。

 二人は気を良くして笑顔を合わせた。

 ショーマが深呼吸して、そして、思った。

 ぼくの体にも、天の気のエネルギーがいっぱい入ってくるようになったらいいな。そしたら、ワタルみたいに、ミョーケンの魔法が使えるようになるかもしれない。

 ワタルも思った。

 妙見という神は稲妻から現れるーーというのは確かなことに、おらが「ミョーケン」を唱えたら、空の天気が急に変わって稲妻が走り、カミナリが落ちた。あれは、天の気という宇宙エネルギーの爆発だったのかもしれない。

 自問自答する、ワタルとショーマ。その二人をにこやかに眺める、法蓮。

 その笑顔に、ワタルはハッと気づいた。

 やっぱり、和尚は、「ちばたこ」の裏で起きた「ミョーケン事件」のことを知っているに違いない。なぜならば、このパワースポットへおらたちを連れ出して、「天の気」という話をした、その訳は、「ミョーケン」はふざけた遊びでやるものではないと、おらを戒めるつもりで、諭したのだ。

 実際、法蓮は、知っていた。

 三日前、たこ焼き屋裏でつむじ風の騒動が起きたとき、ハミングロードの商店街は閑古鳥だったが、それでも、商店主の数人が何事かとばかりに飛び出してきた。その中に、商店会の小山勇吉会長もいた。翌日、小山会長が光法寺へやってきて、法蓮へ、目撃した一部始終を話した。「子供の遊びにしちゃあ、ちょっと度が過ぎる」と、小山会長は苦情を言った。が、その後で、「それはともかくとして、あの子、もしかして、とんでもない魔法少年かもしれませんなあ」と、感心しきりだった。

「うむ。わしも、実は、もしかして、もしかするかもーーと、あの子のことが気にはなっておるんだが、さて、どうしたものかと、しばらくは大目に見守っていくしかなかろうというところでしてな」

 法蓮にしては歯切れの悪い釈明をして、小山会長をなだめたのだった。

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