第21話 嵐を呼ぶ魔法

 テテンツク・テテンツク・テンテンテンツク・テンテンテンーー

 9月の新学期が始まった日の放課後、たこ焼き屋裏駐車場に吾妻小学校5年の元気者たちが集まってきた。ショーマがクラスのみんなに呼びかけたのだ。

「ワタル、ハシゴの曲乗りができるようになったじゃないか。たいしたもんだ。自信をもちなよ。おれはこういうことができる人間だぞというところをみんなに見せてやれ。そしたら、おまえをいじめるやつなんか、もうだれもいなくなるぞ」

 ショーマはそう言って、「ハシゴショー」を仕掛けた。

「んだちゃ、やるからな。もうチビチューなんかじゃねえべ」

 ワタルも決心した。

「なんだ、なんだ、チビチューがハシゴの曲乗りをやるんだって。へっ、おもしれえじゃねえか、見せてもらおうじゃねえかよ」

 リョースケも野次馬気分でやってきた。ハシゴの下で準備のストレッチをするワタルをみんなが取り囲んだ。

「おい、チビチュー、早く曲乗りをやって見せろよ。さあ、ハシゴに乗れ。みんな、チビチュー大魔神様に応援の拍手をしようぜ」

 意地悪くはやし立てるリョースケ。みんなも調子を合わせて野次馬になり、パラパラと拍手。

「失敗しても救急車をすぐスマホで呼んでやるから、心配するな」

「安心して落っこちろ」

「死んじゃったら、ご苦労様、お陀仏様だけどな。はっはは」

 ワタルは嫌味な声援などは無視し、白ハチマキを頭にキリリと結んだ。白いランニングシャツ、白い短パン、それにハダシ。

「ムシケラはムシだからな」

 ショーマがワタルの耳元でニヤリとささやいた。ショーマも白一色に決めてハダシだ。

「今日は『あ』だけでやる。『ん』はいい」

 ワタルはショーマの耳元に返した。

「自信があるのか」

「あるだ」

「じゃ、おれは下でハシゴを支える」

 テテン・テレツク・テンテンテン・テテン・テレツク・テンテンテン・・・

 なでしこ太鼓のお囃子に送り出されて、ワタルはハシゴに足を掛けた。足裏の土踏まずでしっかりと最初の段を踏むと、ヒョイヒョイと難なく上がっていった。中段で止まると、振り返り、みんなを見下ろし、右手をかざして、にっこり笑みを振りまいた。余裕しゃくしゃくである。野次馬たちのほうが緊張の面持ち。

 テレツク・テレツク・テンテンテン・・・

 再び段を踏み、いよいよ曲乗りの構えに入る。両脚を踏み段に絡ませ、両手を離し、上半身をみんなの頭上にせり出す。両手を翼のように開く。

「オオー!」と、野次馬たちのどよめき。「ヤバイ―!」と女の子の悲鳴。

 テレツク・テレツク・テンテンテン・・・

 さらに上がり、もう一回、翼の形。そして、左手を上の段に絡ませると、右脚を抜き、横向きになって上半身を倒し、飛行機の形。右手、右脚を伸ばして、ぴたりと止め、決めた。野次馬たちたちから拍手が起きる。

「おお、チビチュー、やるじゃないか」

「ワタル、手を離すなよ。離したら、お陀仏様だぞ」

「いい度胸、しとるじゃないか、チビチュー」

「ワタルくん、カッコいいわよ」

 野次馬たちの心情はワタルへの称賛へと傾いてゆく。ひとり、リョースケが腕組みしたまま、苦々しい顔で舌打ちを連発。

「チェッ、気取りやがって。チェッ、いい気になりやがって。チェッ、今に見てろ、失敗するぜ。真っ逆さまに落っこちてくるぜ、チビチューのやつ」

 テレツク・テレツク・テレツク・テンテンテン・・・

 いよいよ最上段だ。はたしてワタル、どんな曲乗りをやって見せるのか。野次馬たち、固唾を飲み、見上げる。

 ワタル、最上段に両手を掛ける。

「エイ!」

 気合もろとも全身を迫り上げ、真上へ両脚を突き上げる。

「おお、逆立ちだァ!」

「キャー! ヤバイ!」

 ワタルの小さい体が一瞬、逆立ちになった。が、静止は束の間、ハシゴ段を握る両手がバネになって体は宙返り。

「アッ、飛んだ!」

「回転だァ!」

 ストンとワタル、屋根の上に着地。

「ヨシ、決まった!」

「着地10点満点だ」

「お見事よ! ワタルくん」

 野次馬が一転して応援団になり、屋根の上でにっこりと十字架ポーズのワタルへヤンヤの喝采。ひとりだけ、リョースケが野次を飛ばし続ける。

「なんだよ、チビチュー、ハシゴで逆立ちだったんじゃねえのかよ。手を抜きやがったな」

 ワタル、屋根の一番上へ歩み、棟の上に立つ。

「そんな高いところで、ワタル、まだ何をやろうとするんだ」

「ワタル、もういいから、下りて来いよ」

「ワタルくーん、無理しちゃだめよ」

 ワタル、下界の心配をよそに、棟の上で空を見上げ、目を閉じて、合掌し、無念無想。

「ヤ――!」

 掛け声もろとも、倒立。

「ヒャーー!」と、応援団から悲鳴が上がる。

 5秒、6秒、7秒・・・10秒。こわごわ見上げ、息を止めたまま硬直する応援団。ワタル、ひらりと反転するや、再び十字架ポーズを決める。応援団、万雷の拍手。

 ワタル、合掌。その両手をそのまま頭上へかざして、鳥が翼を広げるように開くと、再び両の手を頭上で接合。そして、太陽が輝く空へ向かって叫んだ。

「ミョーケーンーー!」

 すると、ワタルの背の向こうから一陣の風が吹き上がってきた。風は屋根を滑り、駐車場へ流れ落ちた。その風の勢いで、見上げる子供たちの髪が逆立った。

「どっどど どどうど どどうど どどうーー」

 風はワタルの声を乗せて子供たちの頭をなでていった。

「どどっど どどうど どどうど どどうーー」

 風が駐車場の中でつむじを巻いた。子供たちは吹き飛ばされまいと身を縮めて踏ん張る。

「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどうーー」

 天明寺寺子屋の「ミョーケンごっこ」でケンジが演じたあのミョーケンがワタルに乗り移ったかのように、ワタルはケンジのミョーケンをそっくりに真似て、翼を広げる大鳳を演じた。

「どっどど どどうど どどうど どどう。風の又三郎がやってきたぞお。どっどど どどうど どどうど どどう」

風は逆巻き、突風を起こして吹き荒れた。突然、空に輝いていた太陽が消え、黒い雲に空が覆われ、駐車場は真っ暗な闇に閉ざされた。と同時に、屋根の上のワタルの姿も闇のベールに包まれ、黒い影になって消えた。

「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ怒ラズイツモ静カニ笑ッテイルーー」

 ワタルの声が呪文のように流れた。すると、真っ暗な空が割れ、閃光が走った。

「アッ、稲妻だ、妙見が現れるぞ!」

 ショーマが叫ぶや、ワタルの大鳳の姿が浮かび上がり、その頭上に稲妻が破裂。ビカビカバリバリドカーン。炸裂した雷が大鳳のワタルへ目がけて落下。ワタルの体が感電。光の球となって溶解。

 キャーーッ 頭を抱えてへたり込む子供たち。その頭上へ、大粒の雹のような荒々しい雨が降りかかった。激しい夕立の直撃に襲われ、駐車場の中を逃げ惑う子供たち。

「うわわわ、魔法だ、魔法だァ。とうとうチビチューのやつ、魔法をやりやがった。逃げろ、逃げろ、みんな、逃げろォ」

 リョースケが叫んで慌てふためき、クルマの下に頭から潜り込む。

「お助けを、お助けを、カミナリ様、お願い、お願いします、カミナリ様、許してください、ぼくのヘソだけは勘弁してください」

 ぶるぶるがたがた震えるリョースケのお尻。

「あっ、あれを見ろ!」

 ただ一人、逃げもしないで雨に打たれ、立ち尽くしていたショーマが、屋根の上を指差し、驚きの声を発した。

 真っ暗だった空が、夜明けのように明るさを取り戻して、たこ焼き屋の屋根が再び浮かび上がった。その屋根の上で、大鳳が翼を広げ、発光しているではないか。

「ワタルが、ワタルが、ワタルが、よみがえるぞ!」

 ショーマが叫ぶ。その声で、駐車場のあちこちに身を隠していた子供たちが恐る恐る出てきた。ハルカが指を組む手を額に付けて屋根を見上げ、祈った。

「ああ、ワタルくんーー、ワタルくんーー、お願い、ワタルくん、よみがえって」

 大鳳の翼が大きく揺れて、羽ばたくと、発光が光の微粒子になって弾け散った。そして、あたかも抜け殻のようになって、大鳳は空高く吸い込まれ、溶けていった。後には、ワタルの小さな体が残されていた。まるで昆虫が脱皮するような変身の場面の一瞬だった。

「よみがえった! よみがえったぞ! ワタルが。ミョーケンの魔法に挑戦して、成功したぞ」

 変身の一瞬に目を凝らしていたショーマは、感動に声を震わせた。

「ああ、無事だったのね、ワタルくん」

胸をなでおろす、ハルカ。

「ワタル、ワタル、ワタル」と、声を合わせてエールをワタルへ送る子供たち。ワタルがにっこりと笑顔を投げかけ、応える。そして、ワタルが呼吸を整え、再び合掌。

「北極北斗の星の神よ、遥かなる旅する我らに照覧あれーー」

 たちまち夕立は上がり、風は静まり、青い空が広がった。

「よかったわ。カミナリ様に打たれて感電したのかと思って、みんな、心配したわよ」

 ハシゴを下りてくるワタルをハルカが迎える。ワタルは答えた。

「かくれんぼはもう終わったのかい」

 子供たち、ワタルの何事もなかったかのようなすまし顔を見て、あっけにとられる。

 ひとりだけ、まだクルマの下から震えるお尻が出ている。子供たち、笑い転げる。

「頭隠して尻隠さずよね」

「このお尻、どなた様の忘れ物かしら」

「ヘソを取られたガマガエルじゃないか」

 ハルカがウフッとショーマに笑みを放ち、ショーマもニヤリと返した。

「魔法だ。魔法だ。くわばら、くわばらーー」

クルマの下でガクガク震え続ける尻。クスクス笑う女の子たち。

「そっとしておいてあげましょうよ」

 だれかが言ったら、みんな一斉にクルマから目を背け、明るくなった彼方を仰いだ。すると、北の空、たこ焼き屋の屋根の上に、虹が美しい弧を描いていた。


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