第17話 シルクロード渡来の神のタブー

 夏休みもたけなわのころ、千葉千年伝説勉強会の子供たちはみんなで千葉神社のお祭り「妙見大祭」へ行った。法蓮和尚が「妙見を勉強するなら千葉神社へお参りして、現地視察するのがよかろう」と言って、お祭りを楽しみながら野外学習することになった。

 法蓮和尚はいつもなら袈裟姿なのだが、まさか神社の坊主がお参りというわけにはいかないから、白いパンツに白い開襟シャツ、それにカンカン帽という古風な学者風に変装してきた。

 この日は、華太鼓のお姉さんの平野愛理もハルカに誘われ、加わった。愛理は花火模様の浴衣姿だった。しかも、アロハシャツに麦藁帽子のお兄さんを伴って。彼は大川明という大学生だが、深夜の中央公園を練習場にするストリートダンスのチームを率いている。そう、あの光法寺で開かれた星祭りで、「千葉千年伝説」の輪踊りを演じたリーダーである。ハルカの勘では、二人はラブラブらしい。

 千葉神社へ行くと、通町公園を二重三重に囲む行列が続いていた。

「一言妙見」といって、妙見様に何かひと言、願掛けをする。千葉千年伝説勉強会一行もその尻尾にならんだ。この分だと、鈴を鳴らすのに一時間は立ちんぼかもしれない。

 縁日の屋台もいろいろな店が並んでいる。焼き鳥、お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、チョコバナナ、あんず飴、クレープ、綿菓子、かき氷――。食べ物屋の間に昔懐かしい金魚すくい、ヨーヨー、射的、トランプの店も出ている。

「あっ、金魚すくいだ。やりたい」

 ハルカが列から出て、金魚コーナーへ向かった。「わたしも」と、真優、千尋、沙織、陽奈の女子たちが追った。

「こらこら、ダメ」

 法蓮の声でストップがかけられた。

「ええ――なんでぇ」と、不満顔を返す、ハルカ。

「今日は勉強に来たのだから、遊びは勉強が終わってからだ」

「だって、行列していても勉強にならないでしょ」

「行列も勉強のうちじゃ」

「え――どういうこと?」

「行列しながら妙見を考えてみよう」

「もうここから勉強会が始まっているんですか」と、ショーマが法蓮に問う。

「そうだよ。いつ、どこでも勉強はできる。さあ、始めようじゃないか。妙見について勉強だ」

「どうやって?」と、ハルカ。

「考えるんだ」と、法蓮。

「何を?」と、真優。

 法蓮が子供たちの疑問を一手に引き受け、禅問答を仕掛ける。

「そもそも君たちは今、何を目的にしてこの行列に並んでいるのかね」

「それは、もちろん、妙見です」と、ショーマ。

「そうか、妙見に出会うために、その順番を待っていると」

「はい。そうだと思います」と、ショーマ。

「しかし、この行列の人たちはみんなそうなのだろうか。本当に妙見に会いたいと思っている人がいったい何人いるだろうか」

「どうだべ」と、ワタル、首をひねる。

「たぶん、いないわよ。みんな、ただ鈴を鳴らして、お賽銭をあげるだけよ」と、ハルカ。

「第一、千葉市民で妙見を知っている人なんて、何人いるかしら」と、チヒロ。

「問題はそこだよ。やっと見つけたな、問題を」

「妙見を千葉市民が知らないという問題でがんすか」と、ワタル。

「そうだよ。千葉市民で妙見を知る者は、今やまったく少なくなってしまった。全国的にもそうだろう。嘆かわしいことだ。神々の世界では、妙見は、もはや、レッドリストかもしれんな」

「レッド? 妙見が退場。神様から」と、ショーマが神妙な顔を法蓮へ向けた。

「退場というのはレッドカード。サッカーだよ」と、大川明がショーマに教える。

「レッドリストとは絶滅危惧種のことだ」と、法蓮。

「絶滅?」と、またショーマが反応。

「仏滅じゃないの? 和尚さん」と、サオリ。

「何? 子供がオヤジギャグを飛ばすもんじゃない」と、法蓮、サオリへ怖い顔をする。

「そういえば」と、ハルカが思い出す。「クジラとかウナギとかマグロに続いて明石のタコも絶滅危惧種になるかもしれないとか、ママが心配していた。もしそうなったら、たこ焼き屋の商売、あがったりなんだって」

「ええっ、『ちばたこ』がなくなっちゃうの? 千葉で一番行列ができる店だって、ハルカ、自慢してたじゃん」と、チヒロ。ハルカが受けて、

「今は千葉一番でも、ハミングロード商店街がこのまま閑古鳥だったら、そのうち、たこ焼き屋なんか、潰れちゃうかもよ」

 ショーマが苛立ち、女子の間に割って入る。

「なんだか、タコとか閑古鳥とか、横道に反れていってるよ。問題は妙見なんだからな」

「いいや、反れておらん」と、法蓮、女子の肩を持つ。

「妙見がレッドリスト入りするおそれがある、その一番の要因は、この商店街の閑古鳥にあると、私も思っておるところだ」

 また長い話になりそうな法蓮の気配を、ワタルが察知してまとめる。

「商店街問題と妙見問題は閑古鳥対策で一致する」

「おお、ワタル、さすがにズバリ。議論のまとめのコツがつかめてきたな。将来、テレビのMCになったら、田原総一朗ぐらいになれるかもしれんぞ」

 法蓮、ワタルの頭の回転を激賞。

「このように、商店街振興と妙見復活は表裏一体の問題なのだ」

 ここから、ワタルが予知したとおり、法蓮の独演になってしまった。

「この明白な実態を目の前にしていながら、市民のだれも立ち上がらん。みんな、手をこまねくばかり。だから、打つべき具体策が何も出てこない。困ったもんだ。このままじゃ、妙見を神と崇め奉る市民は千葉からいなくなってしまう。そうなったら、千葉の歴史は崩壊するも同然。なんとかせにゃならんのに、だれにも知恵がない。これが悲しい千葉の現実なんだ」

 法蓮の嘆き節が最高潮に達したところで、ようやく彼らは朱塗りの尊星殿楼門をくぐった。正面に鈴が見えてきた。鈴は3個。太く撚り合わせた房を揺すり、鳴らす。

 彼らは三方に分かれて、参拝。賽銭を投げ入れ、二礼、二拍、一礼。

 参拝が終わった順に再び尊星殿楼門に戻り、法蓮を囲んだ。法蓮、にんまり笑みを向け、問いかけた。

「みんな、妙見様に会ってきたかね」

 それに対して口々に答える子供たち。

「いいえ。妙見さん、いらっしゃいませんでした」「ぼくも見なかったな」「どこに妙見さんがいらっしゃったのですか」

 法蓮、神妙な顔になり、

「何、みんな、妙見様にご挨拶しなかったのか」

 ハルカ、子供たちを代表して法蓮に迫る。

「だって、妙見さん、いないんだもん」

 法蓮、振り向き、社殿に正対して、人差し指を正面に突き立てた。

「そこにいらっしゃるではないか」

 子供たち、一斉に法蓮の人差し指の方向へ視線を走らせる。

「どこ?」「どこに?」

 法蓮、再度人差し指を突き立て、鋭い眼光を光らせた。

「あの大きな字が見えないのか」

 子供たち、もう一度法蓮の人差し指の方向へ目をキョロキョロ。

「え?――あら、ほんとだ。あそこに妙見って、書いてある」

 社殿の鈴の真上に畳一枚もあろうかという大きな額が掲げられ、青地に金箔で妙見と浮き彫りされているではないか。ようやく気づいた子供たちに、法蓮、人差し指を折り、やわらかな笑顔になる。

「あれが、千葉神社の妙見だよ」

 華太鼓のお姉さんのアイリが首をかしげる。

「ええっ、妙見って、ただの字なの。御神体ではなくて」

 法蓮、アイリを見つめて、言う。

「妙見の御神体などというものは千葉神社には存在しないのだ」

 ショーマがアイリに同調する。

「法蓮和尚の光法寺には妙見童子像があるのに」

「あれは仏教のお寺の仏様だ」

「では、神社には妙見の神様はいないのですか」と、ストリートダンスのお兄さんのアキラも口をはさむ。

「いない」と、法蓮、断言する。

「ええっ、いないの? 神社なのに、神様がいないって、どうして」と、アイリ、驚く。

 法蓮、一呼吸飲み込み、表情を硬く引き締めてから答えた。

「千葉神社の場合は、江戸時代までは神仏習合でお寺でもあったから、妙見菩薩像があったといわれている。しかし、明治になり、神仏分離令により神社になってからは、不幸なことに、千葉神社は火事で丸焼けになってしまった。その時、御神体もまた千葉神社の歴史を伝える古文書もみんな燃えてしまったとされている」

 アイリ、不信を抱く。

「火事で焼けてしまったって?なんで神社が燃えちゃうの。その火事の原因は何かしら?」

「不審火ということになっておる」と、法蓮、答える。

「不審火? その理由は」と、アキラもアイリに追随。

「それは謎になっておる」と、法蓮、素っ気なく答える。

「わからないということですか?」と、アキラ。

「わからないのではない。言えないということなのだよ」

 法蓮は答えたのだが、一呼吸置いて、それからおもむろに続けた。

「この問題には、明治時代における近代国家建設の裏側が秘められている。その事実関係を究明し、真相を明らかにすれば、千葉一族における『馬の道』どころではない、日本国成立における万世一系の皇国史観に基づく国家神道の矛盾というものが暴かれ、国を揺るがす大問題に発展してしまうことになりかねないんだよ」

 法蓮、慎重に言葉を選んだあとでこう付け加えた。

「いや、いま私が言ったことは、あくまでも郷土史研究家としての一個人の歴史推理ということなんだがな」

 子供たちはポカン。法蓮和尚が妙に慎重になっているのはわかるが、なにやら勉強の本題から外れてしまいそうな気配。

「なんだかよく分かりませんが、大変な、怖いような話ですね」

 大学生のアキラもついていけない感じ。なのに、法蓮がさらにもうひと押し。

「これは、つまり、タブーということなんだよ」

「タブー?――触れちゃいけない秘密ということですか?」と、眉を寄せる、アキラ。

 法蓮、アキラを見つめてうなずく。

「そうじゃ。妙見は、神は神でも、伊勢神宮のアマテラスとは異なる、渡来の神なのだ」

「渡来?――シルクロードから来たという、その渡来ですか」と、ショーマが問う。

 今度はショーマを見つめてうなずく、法蓮。

「そうなんだよ。妙見は、シルクロードから日本へやってきた神なのだ」

 ワタルが法蓮に再確認する。

「ほだらば、妙見も千葉一族の馬と同じようにシルクロードからの渡来なんだべ」

法蓮、答える。

「そうだよ。日本へ馬を連れてきた渡来人たちによって妙見という神も伝えられた。彼ら渡来人たちは、何世代にもわたる悠久の旅をして、シルクロードから日本へやって来たのだが、その永遠なる旅を続けるうえで、夜空に輝く北極星を見つめて、その光を羅針盤とし、方角を定めた。そして、北極星を自分たちの守護神として信仰するようになった。その守護神信仰から、妙見という神が生まれた」

「そうだったでがんすか」と、ワタル、こっくりとうなずく。「だから、妙見とは北極星の化身であるとも言い伝えられているんだ」

「なるほど」と、ショーマもうなずく。

「だがな」と、法蓮が続けた。「妙見という神の経典などは何もない。キリスト教の聖書や仏教のお経みたいなものはないのだ。いうならば、信仰する心――その心こそが、妙見なのである」

 ワタルもショーマもアキラも、みんな、きょとんと沈黙。法蓮が続けた。

「だから、妙見とは、謎である」

「謎?――。ということは、妙見のことは法蓮和尚にも分からないのですか」と、ショーマが食いつく。法蓮がショーマへ八の字眉の顔を返す。

「そーなんだよ、ショーマくん。残念だが、この法蓮にもそうとしか言いようがない。妙見とは考えても考えても答えの出ない謎だ。タマネギの皮むきみたいな謎なんだ」

 がっくりと肩を落とす、ショーマ。代わりにハルカが口を尖らす。

「タマネギみたいな謎なの?――変な神様なのね、妙見さん」 

「そう、異形の神なんだよ、妙見は。だから、妙見は日本の歴史から消されてしまった」と、法蓮は言いかけて、口をつぐんだ。「おっと、これも私個人の推理的見解ということにしてくれ。もう、この問題はここまでにしておこう」

 法蓮、語れば語るほどタブーの壁に当たってしまうらしく、締めくくるつもりでつぶやいた。

「この妙見という異形の神にまつわる謎にこそ、妙見自体の不幸があると言えなくもない」

「不幸な神――妙見ですか」と、アキラが反芻する。その一言がまた法蓮を刺激してしまった。

「そう。歴史から消されてしまった今は、な。だから、妙見の本宮がこの千葉神社であるというのに、千葉市民のだれも妙見を知らないのだ」

「本当に不幸ですね、妙見さんは」と、アイリ。

「妙見さん、かわいそう」と、ハルカ。

 法蓮、ようやく締めくくる。

「しかしだ。歴史の曲がり角には必ず妙見が現れる。今こそ、千葉市民はわが町の歴史を見よ、わが町を歴史から学べ――とわたしは言いたいのだ」

 千葉千年伝説勉強会一行は、千葉神社へ参拝したものの、結局、正殿の鈴の上に掲げられた「妙見」という額を眺めただけで引きあげた。

 子供たちはようやくお祭りで遊べるとばかりに歓声をあげて縁日の人混みの中に紛れ込んでいった。


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