第16話 梯子虎舞曲乗り

 夏休みになった――。

テンツクツ・テンテンツクツ・テンツクツ・テンツクテンツテンテンツクツ・テンテンテン・・・

 ハミングロード十字路のたこ焼き屋『ちばたこ』裏の駐車場で華太鼓なでしこ組の稽古が始まった。いつもの宮太鼓ではなく小さい締太鼓を並べて、撥(ばち)のリズムを合わせる稽古だ。

 なでしこたちの後ろで、たこ焼き屋の屋根へと、ショーマがハシゴを立てかけた。

「おれの父ちゃん、赤帽屋なんだけど、それだけでは食べていけないから、便利屋もやっているんだ。その仕事で一番稼ぎがいいのがお年寄りの家の庭の木のチョキンチョキンさ。だから、ハシゴがあるんだ」と言って、ワタルにも手伝わせ、運び出してきた。

 ハシゴは折り畳み式だったが、開いて伸ばせば、掘っ建て小屋も同然のたこ焼き屋の屋根の軒にちょうど先端が掛かった。

「よし、これで大丈夫だろう」

 ショーマがハシゴの足を握り、揺すって、安全を確かめた。

「まず、おれが上がる。その後を、ワタル、ついて来いよ」

 ショーマ、ハシゴの下段に足を乗せ、そろりと上がっていった。ワタルが続いた。ひょいひょいとワタルは上がった。ハシゴの上でショーマの足とワタルの足が重なった。あれっと、ショーマが背後のワタルを見つめた。

「なんだ、ワタル、おまえ、ハシゴ、のぼれるじゃないか」

「ハシゴぐらい、のぼれるだ」

「怖くないのか?」

「怖くなんかねえだ。おら、東北の田舎育ちだ。木登りごっこで遊んでただ」

「そうだよな。なーんだ。そうだったんだよなあ」

 ショーマは、さらにハシゴを踏み、屋根へ上がった。ワタルも続いた。

 たこ焼き屋の屋根の上で、二人は腰を下ろして並び、西の空を眺めた。そこからもモノレールが眺められた。太陽が雲間に隠れ、雲がオレンジ色に染まっていた。そのたそがれの空を背景にして、モノレールが右から左へ音もなく通過していった。

「ワタル、おまえ、なんで、組体操、失敗したのか」

 ショーマがぽつりと聞いた。

「う―ん・・・」と、ワタルはかすかに返しただけでうつむいてしまった。

 モノレールがまた一台、今度は左から右へ通過していった。

「おらも、今でも、あの失敗がくやしいだ・・・」

 噛みしめる口からワタルの無念が漏れ出た。

「なして失敗したか、おらも分かっとるだが・・・」

 ワタルの脳裏に、組体操の練習場面が再現された。

 あのとき――ワタルが人間ピラミッドの土台に足を掛けたとき、もうすでにピラミッドはぐらぐらと揺れていた。地震の予兆みたいにして。一段上がるにつれ、揺れはひどくなった。最上段まで上がって、ショーマのズボンに手を掛けたとき、ワタルの耳の中が叫び声に襲われた。と同時に、ワタルの意識は大地震の恐怖の記憶の底へ落ちていった。

「おらの頭は、地震の恐怖いうのが傷になっとるだ。その恐怖心に打ち勝たねば、おらはダメなんだべ」

「ワタル。それ、トラウマとかいう、頭の病気みたいなやつじゃねえのか」

「そうかもしれね」

「あの大地震と大津波で、ワタルの頭の中にトラとウマが潜り込んで、何かの拍子に暴れるんじないのか」

「そげな、バカな」

 ショーマの冗談にワタルも吹出し、苦笑。

 雲間から太陽が再び顔を出して、オレンジの雲は茜色になり、ステンレスの車体のモノレールが黄金の輝きを放ち、通過していった。

「おら、虎舞をやるだ。梯子の曲乗りがやれるようになったらば、もう怖いものなんか何んもねえ。ほだらば、おら、ケンちゃんの代わりになって唐獅子になるだ」

 ワタル、屋根の上に立ち、夕焼け空に向かって、胸の思いを吐いた。

「ワタル、おまえが唐獅子になったら、おまえの頭の中に隠れているトラだろうとウマだろうと、びっくりして逃げ出しちゃうぜ」

 ショーマがワタルの背を押すつもりで冗句を繰り返した。

「もし、もう一回、みんながおらに組体操のてっぺんをやらせてくれたならば、絶対に成功してみせるだ。絶対に」

 真っ赤に燃える太陽を見つめる、ワタル。その真剣な表情をショーマが見つめて、言った。

「そうだよ、絶対にできるよ、ワタルなら。なんてったって、ワタルには強い味方がついてるんだもんな」

「んだーー」

 口を結び、深くうなずく、ワタル。

「ケンちゃんも、応援してくれるぜ」

「んだーー」

「いまや、ケンちゃんがワタルの守護神の妙見様だもんな」

 ショーマ、ワタルの決心を励まそうと、言葉を畳みかける。ワタル、ショーマに意気を感じると同時に、心の画面にケンジをよみがえらせた「天明寺の樫の木で虎舞の稽古をしたとき、ケンちゃんは、成功したら、必ず『ミョーケン』と叫んだべな」

「ワタル、おれたちも、『ミョーケン』を叫んでみようか」

「よし、叫ぶぞ、ショーマ」

 たこ焼き屋の屋根の上なら、吾妻小学校の屋上とは違い、大声が出せる。ワタルとショーマは「阿吽の呼吸」で声を合わせ、夕陽へ向かって思い切り大声で叫んだ。

「ミョーケーン――」

 テンツクテンツクテンテンテン・テンツクテンツクテンテンテン――

「おーい、そんな高いところで何やってんだーい」

 下からハルカが太鼓の稽古の手を休め、大声をあげた。

「お、まずい、叱られるぞ」

 あわててハシゴを下りるショーマとワタル。

「今日から二人はなでしこ組のハシゴ隊なんだから、毎週月曜日、たこ焼き屋が休みの日、ここでハシゴの稽古よ」

 降りてきたショーマとワタルにハルカが命じた。

「はい。わかりました。ハルカ組長」

 ショーマとワタル、ハルカに敬礼。

 その日から、夏休みの終わりまで、梯子虎舞の稽古がたこ焼き屋裏で繰り返されていくことになった。

 テンツク・テンツク・テンテンテン――

 なでしこ組の締太鼓のリズムに乗って、ワタルとショーマがハシゴをのぼる。

「ワタルが『あ』、おれが『ん』だからな」

 ショーマがワタルのお尻を見上げながら上る。

 まずハシゴ上りの基本。ワタルは靴も靴下も脱ぎ、素足になった。そして、土踏まずでハシゴの一段一段を確実に踏み、膝を曲げ、上の段を掴む腕の力を利用して体を引き上げるように足を一段上げる。

 これが安全にハシゴを上る基本だとわかり、二人で何度も上っては下り、下りては上りを繰り返した。

 お盆のころには曲乗りに挑むようになった。

 片手、片足でハシゴに立ち、離した方の手と足を宙に浮かせる。

 まずこの宙乗りに慣れてから、もう一段上に挑戦。

 ハシゴ上段で手を離す。離した手を上に開く。胸を反らして、顔は空を仰ぐ。

 こんな姿勢をとれば、体はハシゴから落下するはずだ。が、落ちない。なぜか。実は、片足を抜き、一段上に通してまたぎ、両方の脚で段を挟むのだ。そのとき、またいだ方の足は五本の指で段の縁をしっかりと掴んでいる。

 さらに上段になると、両膝を折り、足首を絡ませ、逆さまになってハシゴ段からぶら下がる。

 これは怖い。つい目をつぶってしまう。本物の虎舞では、こうやって唐獅子の頭を振り、観衆に睨みをきかし、大見得を切る。

 さすがにこれはワタルには挑戦すらできなかった。怖くて、勇気がない。

 もっと最高難度の曲乗りがハシゴのてっぺんの逆立ちだ。しかも、本物の虎舞は片手の逆立ちだ。

 これもワタルには自信がなかった。しかし、ハシゴのてっぺんは無理だけれど、屋根の上で両手の逆立ちならできるかもしれない。

 ワタルは、屋根に上ってから、両手逆立ちの練習に挑戦した。その直下、ハシゴのてっぺんでショーマがワタルの腕を支えた。

 こうして、ワタルは千葉で初めての夏休みを梯子虎舞の練習に打ち込んで、ついに屋根の上の逆立ちも平気の平左でやれるようになった。

 

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