第15話 阿吽の呼吸の友情

 ワタルにも千葉に来てからようやく仲良しと言える友達ができた。ショーマのことである。毎朝、ショーマは登校前に光法寺へやって来るようになった。お寺の門をくぐると、自分から納屋へ行って、竹箒を取り出し、境内を掃いた。ワタルは雑巾がけに専念。役割分担だ。それが二人の日課になった。

 そして、夏休みになった。一学期最後の日、二人で登校する道すがら、ショーマがワタルに訊いた。

「自由研究、何にするんだい」

「うーん」と、ワタルはすぐには答えなかった。

「なんだ、まだ考え中か。おれ、妙見にしようかと思ってるんだ」

「やっぱ、そうだど」

「おれ、妙見なんて全然知らなかったから、面白そうだもんな」

「んだ、面白れえだ、妙見は。ショーマがやるなら、おらも協力するべ」

「そうか、ワタルも協力してくれるか」

「おらも妙見に興味あるだが、もう一つ別にやらなけりゃならないと思うことがあるんだ」

「なんだい、それは」

「陸前高田にいたとき、夏休みにやる予定でいたことなんだ」

「へえ、本当の宿題だな、それ」

「そうだちゃ。ケンちゃんと一緒にやる約束をしてただ」

「ケンちゃんと? 何というテーマなんだい、その宿題」

「梯子虎舞だっべ」

「ハシゴ?――って、上に登っていく足場の?」

「そうだべ」

「じゃあ、トラマイというのは?」

「虎は動物の虎」

「ジャングルにいて獲物に飛びかかる、あのおっかない動物か」

「そうだちゃ。舞というのは獅子舞の舞だべ」

「えっ、じゃ、虎がハシゴに登って、獅子舞をやるのか」

「虎というのは実際は唐獅子のことだ。高さ15メートルのハシゴのてっぺんで唐獅子が曲乗りをやるんだ」

「15メートル! 想像しただけでもぶるっちゃうよ。そんなおっかないお祭りが陸前高田にあるのか」

「んだ。広田町でも根岬という所に黒崎神社がある。そのお祭りで、梯子虎舞が奉納されるんだ」

「見物人もいっぱい来るんだろうな」

「そうさな。あちこちからいっぱい来て、陸前高田では一番大きなお祭りだど」

「歴史も古いのか」

「黒崎神社は平安時代に建てられたといわれとるべ」

「平安時代だったら、千葉の町が始まるよりも昔なんじゃないか」

「おらもケンちゃんに誘われて一回きり黒崎神社へ行っただけだから、あんまり詳しくねえが」

 ――陸前高田市広田町は広田半島のほぼ全体を占める。ワタルが住んでいた広田地区は半島西側で広田湾に面しているが、根岬は半島東側で太平洋に面している。ケンジの家は根岬にあった。

 広田半島の端は大森山という低い小さな山になっていて、広田と根岬が分けられている。その大森山の上に天明寺があり、両方の地区から子供たちが寺子屋に集まってきていた。ワタルとケンジは小学校は違い、一週間に一回、天明寺寺子屋に集う仲間だった。それがかえって、一週間を楽しみに待つお互いの気持ちから、友情という心が大きくはぐくまれていくことになったのかもしれない。

「ケンちゃんは、大人になったら、梯子虎舞の唐獅子になるんだ、それがおらの夢なんだ、と言っていただ」

 天明寺寺子屋では、ケンジは「ミョーケンごっこ」のリーダーだったが、あのときの樫の木登りも、ケンジにとっては、梯子虎舞の稽古のつもりだったのだろう。ワタルはそう思っている。

「その夢をかなえられる者は、寺子屋ではケンちゃんだけだった」

 平安時代から伝わる根岬梯子虎舞の伝統として、唐獅子に選ばれる者は根岬の長男に限るとされていた。ケンジは、平安時代から続く根岬の漁師の家の長男だった。彼の父親も若い頃は唐獅子を演じた。祖父もまた唐獅子だった。先祖代々、唐獅子を受け継いで、梯子虎舞という郷土芸能を守ってきたのである。

 熊野神社大祭の日、ワタルはケンジの誘いで初めて根岬へ行って、一緒に梯子虎舞を見物した。そのときのケンちゃんの興奮ぶりが、ワタルには今でも忘れられない。

 ――テンツクテンツクと締太鼓のお囃子が鳴らされるなか、唐獅子に扮した男性が登場。唐獅子は二体のペアだ。先に現れた唐獅子が主、後の唐獅子が従という関係で、先の唐獅子を後の唐獅子が支える。

 その主従の関係は「阿吽(あうん)の呼吸」といって、吐く息と吸う息の出入りのように、両者の心と体、意思と動作がぴったりと合っていなければ、うまくいかない。特に地上15メートルのハシゴのてっぺんで曲乗りの場面になったときは、両者の演技が「阿吽の呼吸」で一瞬の隙、一寸の狂いもなく展開されることが絶対に求められる。もし、失敗したら、唐獅子は命を落とすことになるだろう。両者に命綱は用意されていない。すべてが素手で演じられる。

 この「阿吽の呼吸」の妙技――それが、梯子虎舞の醍醐味というものであった。

 主の唐獅子がハシゴに足を掛ける。まずは観衆を眺めまわし、挨拶代わりの見得を切る。それから慎重にハシゴを上がっていく。間をおいて、従の唐獅子がハシゴを一段上がる。ここで、もうケンジは興奮していた。観衆の最前列、ハシゴの直下で主の唐獅子を見上げて、自分も立ち上がると、その足と手の動作とまったく同じように自分も演技した。

「ヤ――ッ。ソレソレ、ヤ――ッ。ヨイショ。ヨイショ。ソレソレヤ――ッ」

 気合を込めた掛け声を唐獅子に送り、ケンジは自分自身も「阿吽の呼吸」の妙技を真似ることに夢中になっていった。

 ハシゴに足首を引っかけた唐獅子が体を空中に投げ出し、胸を張り、天を仰ぐ。観衆はやんやの喝采。ハシゴのてっぺんに立った唐獅子がヤーッと気合もろとも逆立ち。片方の手を離し、一本立ち。またやんやの大喝采。そのとき、ハシゴの下で、ケンジも逆立ちし、一本立ちをやってのけた。観衆からおこぼれの拍手をもらって、得意満面のケンジ。

「おら、あのときのケンちゃんを見て、ケンちゃんの夢が本当になるといいなと思った。だから、お祭りのあと、ケンちゃんと約束しただ。二人で梯子虎舞の練習をやろう、おらたちも、阿吽の呼吸になろうな――と」

「あうん――? どういう意味だい」

 ショーマにとっては初めて耳にする日本語だった。

「『あ』というのは、日本語があかさたな――でできている、その最初の言葉で、『ん』はその最後の言葉。ほだが、その意味はとなれば、ちょいと難しいが。これも仏様の言葉らしいだ」

 ワタルも説明に苦慮。

「むつかしいことを知ってるんだな、ワタルは」

「天明寺寺子屋の宗徳和尚に教わったんだ。ほだ、お寺の入口の両側に狛犬が立っとるが、その顔をよく見たらば、『あ』と開いた口と『ん』と閉じた口とで違うだ。だども、『あ』と『ん』で一対の狛犬だ。そんだらば、役割は違うども一緒にというか、一つになってという――そういうことなんだが」

「余計にむつかしくなったなあ」

「そんだらば、デコボコというだべ、そのデコとボコが組み合わさってひとつになる。電池だって、プラスとマイナスで通じ合って電気が流れる。そういうように、この宇宙は、全てが『あ』と『ん』で成り立つことによって永遠なんだ」

「もっとむつかしくなっちまったぞ」

「困ったべ。話せば話すほど意味がわからなくなる日本語なんだ」

「とにかく、要するに、ワタルとケンちゃんは梯子虎舞の約束をして、阿吽の呼吸の友達になったと、そういうことなんだよな」

「おらは、そうだと思っとるだが」

「なるほど」と、ショーマは真面目な顔をして、これまでワタルが思っていた少年とは全く別人のようなことを言った。

「そういうところから、友情というのは生まれるんだよな」

 ワタルは、ショーマの目を見つめた。ショーマもワタルの目を見つめた。

「ワタル。ケンちゃんとおまえの友情は、あの大津波の夜に、永遠になったんだよな、きっと。おれはそう思うな」

「おらも、そう思うとるだが」

 ショーマを見つめるワタルの目に、みるみる涙があふれて、こぼれ落ちた。

 ショーマは、ワタルを見送った後、一人で帰りながら、ふとワタルのことが思い浮かんできた。さっき、ワタルと難しい話をしていたあいだ、ワタルの口からズーズー弁がどんどん抜けていってたみたいだな――と。 


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