第14話 シルクロードへ通じる馬の道
光法寺寺子屋に子供たちが集まってきた。本堂中央に日本地図が広げられていた。子供たちは地図を囲むようにして座った。瑠璃観音菩薩像を背にして、法蓮和尚が座り、両隣にワタル、ハルカを従えた。
「おはようごぜえます。ではこれから、千葉千年伝説勉強会をはじめます。今日から新しく葛西翔馬くんが加わりました」
ワタルの紹介で、廊下側に座るショーマがお辞儀をした。
「葛西翔馬です。ぼくもこれからは一生懸命勉強するので、みなさん、よろしくお願いします」
ハルカの拍手に続いて全員が手を叩き、ショーマを迎えた。
「では、法蓮和尚、前回の続きのお話をお願いします」
「よっしゃ」
ワタルに促されて、法蓮和尚が気合をこめた。そして、子供たち一人一人に目を配った。
「光法寺寺子屋もだんだんに充実してきましたなあ。みんな、熱心で意欲満々だなあ。うれしいよ、法蓮は。これも、ワタル、ハルカのおかげじゃな。ワッハッハッハ」
お腹を揺する大笑いを発して、「さあ、みんな、日本地図をよーく見るんだ」と、講義を開始。
「埼玉県の秩父、ここに千葉一族のもう一つの拠点があったと、前回は話したが、さて、それからだよ、問題は。この秩父にそびえる大きな山、これを甲武信岳という。この甲武信岳の向こうの信州に流れている大きな川、この川が千曲川だ。みんなも知っているだろう、あの有名な歌を」
「千曲川?――そういえば、そういう歌があったわね」と、沙織。
「あ、そうそう、いつか家族でカラオケに行ったら、パパが歌ってた。ほら、あのおじさんの歌手、コロッケが物真似してる――」と、千尋も思い当たった。
「わかった。五木ひろし」
ハルカがズバリと言った。法蓮、ガックンと肩を落とす。
「ハルカ、それは演歌のことだろう。私が言う千曲川とは文学なんだ」
「文学?――」
「そうだよ。ほら、かの有名な島崎藤村が『小諸なる古城のほとり』と詠んだ名作『千曲川旅情の歌』のことだ」
「法蓮さん、それはいつの時代のことですか」
「藤村は明治の人だが」
「明治? ちょっと法蓮さん、私たち平成の小学生に明治の文学なんか、分かるわけないでしょ」
「そうか、それは困ったな。だったら、小諸馬子唄のことなんか、チンプンカンプンだろうな」
「マゴウタ?」
「そうだよ、馬子だよ」
「孫?――、お孫さんの子守歌ですか」
法蓮、またもやガックン。
「あのな、馬子という字はな、馬の子と書くんだよ」
「ああ、馬のお孫さんの――そういうお馬さんの歌があるの?」
「ハア――こりゃ困ったぞ」
法蓮、髪の毛のない頭をツルツルかきむしり、思案投げ首。
「とにかくじゃ、馬子がいなけりゃ、馬は走りも歩きもしない。馬の産地には必ず馬子がいる。小諸馬子唄の小諸には昔から馬子が大勢いた。この信州の千曲川周辺も台地が広がり、昔は馬の牧場だった。千葉の北総台地と同じようにな。そこでずっと昔から歌い継がれてきた民謡が小諸馬子唄なのだ」
「すると、法蓮和尚」と、男の子の声がかかった。ショーマだった。「昔、その小諸と千葉が馬で結ばれていたということですよね」
「ピンポンじゃ」と、法蓮、にわかに元気を取り戻す。「そうなんだよ、ショーマくん。偉いねえ、君は。さっきから地図をじっと見ていたもんな。だから、さ、みんなももう一回、地図をよーく見て、推理を働かせてごらんなさい」
法蓮に促されて、子供たちは顔をくっつけるようにして地図を覗きこんだ。ワタルが指で地図を「千葉、秩父、小諸」となぞり、言った。
「この三つの地域が利根川―利根川流域―千曲川を線にして結ばれとるだ。この線を通り、小諸から千葉へと馬が伝わってきた――と」
「そういうことだ」と、法蓮が膝を叩いた。「昔、ここに、馬の道が通っていたんだな。かのシルクロードは『絹の道』ということだが、それに倣えば、さしずめ、ホースロードだ。この馬の道によって、千葉は、昔、はるかシルクロードに通じていたのだよ」
「ええっ、シルクロードと千葉が」と、驚く、ハルカ。「そんな話、初めて知ったわ」
「初めてなのも無理はない。これはな、法蓮説なんだよ」
「ホーレンセツ?」と、首をかしげる、ハルカ。
「うむ。何を隠そう、この法蓮めが研究して考えたことであってな。残念なことに、大学の先生たちの歴史学会では無視されておるんだわい」
法蓮、眉を下げ、苦虫を潰した顔になる。
「法蓮さん、かわいそう」と、ハルカ、つぶやく。
「なに、かわいそうなもんか。学会という世界はな、タコツボにはまった井の中の蛙どもがガアガア言い合って、ケンカばっかりしとるんだ。そんな蛆虫など無視だよ、わしは」
「ウジムシをムシ――だなんて、下手なオヤジギャグだわね」
ハルカ、クスッと笑う。
「親父?――ハルカちゃん、わしのことなら、せめて坊主と言ってほしいな」
法蓮、もっと苦虫になる。その横顔をハルカが覗き込み、突っ込む。
「だったら、ボーズギャグって言っちゃおうかしら」
「ボーズギャグ?――そりゃ、もっとひどいじゃないかよ、ハルカちゃん」
「意味わかるかしら。頭からツルリと滑るボーズギャグーーっていうことよ」
キャハハと笑い転げる、ハルカ。
「いやいや、こりゃまいったな」と、法蓮、一本取られたとばかりに手で禿頭をこすり、「さすが、たこ焼き屋の娘だよ、ハルカちゃん。大きくなったら、お笑い芸人になれるぞ」
「そうよ、ハルカにはお笑いの素質があるのよ」と、沙織が法蓮の肩を持ち、千尋も同調。
「そうなのよ。たこ焼き屋の店だって、ハルカがお客さんをさばいてるんだもんね」
「お笑いなんていやだあ。あたし、どうせテレビに出るなら、やっぱ、アイドルがいいわ」
ハルカ、ツンとすまし顔で答える。女の子たちはテレビの話題で盛り上がる気配。その空気をショーマが察知して、軌道修正にかかる。
「お笑いか、アイドルか、はたまたタレントかというハルカの将来問題はまたにして、法蓮和尚、今は馬の話だったのじゃないですか?」
「そうだよ。話が脱線してしまったよな」と、法蓮、座りなおして、眉をきりりと張り、「えー、つまり、その馬だが、馬はどこから日本へやって来たのか。それを研究して解明すれば、日本という国の成立過程も明らかになると、ま、こういうことなんだな」
「馬で日本の昔がわかるだ?」と、ワタルが問う。
「そうなんだよ」と、法蓮、その訳を述べる。「わしが私淑してきた江上波夫先生は一貫して馬と日本人について研究し、生涯を捧げた偉い考古学者だった。その江上先生の労作に『騎馬民族国家』という本がある。ちょっとみなさんには難解かも知れないが、『北方騎馬民族征服王朝説』といってな、要するにだ、古代、日本の起源の大和という国は、シルクロードの北方の騎馬民族によって建国されたという大胆な仮説を立てて、発表したんだ」
再び熱をおびてくる法蓮をショーマが遮った。
「今、ぼくたちが日本地図の上に線を引いた、その馬の道がシルクロードへとつながっていると、その江上先生は考えていたのですね」
「そういうことだよ、ショーマくん。きみはなかなか物分かりがいいぞ」と、法蓮はご機嫌になり、続けた。「江上先生はシルクロード研究の第一人者でもあったから、現地発掘調査もやって馬の道の仮説を立てた。だが、しかしだ。学会の蛆虫どもは『考古学的証拠がない』として江上説を無視し、今日に至っておる。だから、日本の古代史はいつまでたっても諸説紛々のチンプンカンプンなんだよ」
興奮がつのる法蓮。そのアドレナリンの鎮静化を図ろうと、ハルカが横から口を出す。
「法蓮先生、怒って、江上先生の味方になり、千葉一族の馬の道という研究に挑戦したというわけなのね」
「うむ。江上説を立証するには、千葉一族の馬の道がうまい具合に当てはまると、ここにわしは着目したわけだ」
「それで研究に長年打ち込んだ結果、遺跡とか何か、証拠になる物が発見されたのですか」
ショーマが突っ込む。
「掴めたとも」と、応じる法蓮。「物的ではないが決定的な証拠をな。それが、小諸馬子唄なんだよ。この昔からの民謡に古代史の謎を解明する鍵が秘められていたのだ」
「古代史の謎を解く鍵が民謡に?――、法蓮先生、その鍵とはなんだべ?」
ワタルが追い込む。
「小諸馬子唄の曲、それが鍵だった」
「曲が鍵?――」
「歌詞は後になって付けられたものだが、曲、つまり、元々の調べ、旋律、メロディーは、馬頭琴で奏でられていたのだよ」
「えっ、馬頭琴?――というと、あの星祭りで流れた美炎さんの演奏の」
ワタル、星祭のあと、夢を見た、その夢の中に奏でられていた馬頭琴の旋律を思い起こす。
「そう。馬頭琴こそ、あれはモンゴルの古代からの民族音楽なのだよ」
「ほだらば、その小諸馬子唄の元々の曲は昔のモンゴルの民謡だったべな?」
「そうなんだ。シルクロードから古代日本へ伝えられてきた音楽である」
「じゃ、だれが、古代の日本へ馬を?」と、ショーマ。
「だれがって、だから、小諸の馬子たちに決まっとるじゃないか」
「そのお馬子さんたち、日本人ではなかったの」と、問うハルカに、法蓮、断言する。
「渡来人だよ」
「渡来人?――」
子供たち一同、互いに顔を見つめあい、天井を見上げる。勢いづく法蓮。
「渡来人とはだ、シルクロードの文明文化を古代日本の大和国へもたらした人たちだ。ほら、奈良の正倉院にシルクロードから伝来した宝物が納められているだろう。あれを持ってきた人々が渡来人と呼ばれている。彼らはそのシルクロードの宝物を大和国へ運んできたのだが、その交通手段は何だったのかな」
「馬だべ」と、ワタル。
「そうだよ。馬に乗せて、大和へ運んできた。宝物ばかりでなく、それを作る技術もまた、つまり、シルクロードの文明文化を馬によって日本へもたらした――というわけなんだよ」
法蓮の解説をショーマがまとめる。
「シルクロードは絹の道であると同時に馬の道でもあった」
さらに、ワタルが推理する。
「その渡来人たちのなかには、馬を専門にする人たちがいたんだべ。彼らが馬子という集団でもって村をなし、牧場を開拓した。それが、信州の小諸というわけだべ。その小諸で育てた馬をさらに秩父から千葉へと連れてきた。そして、千葉の北総台地にも牧場を開拓して、ここでも馬を育てた。育てるだけでなく、馬に乗る技術も伝えたでがんす」
「うむ。ワタル、おぬし、読めるぞ」と、法蓮、ワタルへ向かってにんまりと相好をくずす。「それが、この房総という地域の文明文化の始まりである。つまりだ、馬によって、房総の歴史の扉が開かれたというわけじゃ」
ここに、法蓮学説の結論がようやく導き出され、子供たちはやれやれとばかりに溜息をついた。ところが、ここで法蓮の熱弁は終わらなかった。
「だがな、もう一つ、重要なことがあるんだ」と、法蓮が続けた。「馬を自由自在に乗りこなす技術もさることながら、そのために必要な何かがあるよな」
「もう一つ?――」と、ワタルは考えて、思いついた。「それは、道具のことでがんすか」
「正解」と、法蓮。「そのとおり、馬の道具だ。これがなけりゃ、馬は乗りこなせない」
ショーマも思いついた。
「鞍とか、口の所にはめて手綱と繋がっている、あれ――」
「うむ。轡のことだな。それも正解。だが、もう一つ、あるだろう」
「競馬のお馬さんは足の裏に何か金具を打ち付けているわよね。お馬さんが靴を履いているみたいに」
と、ハルカも思いついた。
「うむ。ハルカも正解。それは蹄鉄という」
「人間が靴を履かなきゃ歩けないように、馬もひずめに蹄鉄を打たないと走れない」
と、ショーマが補足。
「そういうことだ。蹄鉄、轡、そしてもう一つ、鐙という、馬に乗る人間が足を掛ける金具がある。が、この三つに共通しているものは何だ」
「三つとも、鉄で作られているでがんす」
と、ワタルが即答。
「おっ、ワタル、さすがによく分かっておるぞ」と、法蓮、またも相好をくずす。「みんな、覚えているかな。前々回、千葉千年伝説勉強会が始まったとき、千葉一族が東北地方へ進出していった大きなねらいは岩手県で採れる鉄にあった――と、ワタルが発表したが、ここでようやく、その鉄と馬が結びついたということだ」
法蓮、腕組みして、やれやれとひと息つく。
「アー、鉄とか、馬とか、なんだか、すごいお話になってきたわね」
沙織があくびしながら言い、ややうんざり。
「とにかく、千葉一族って、すごい力を持っていたのね。馬と鉄の両方を持っちゃって」
千尋も疲れ気味らしく、投げやりに言う。しかし、ショーマはまだやる気十分とばかりに話をつなぐ。
「千葉一族は、馬と鉄で下総の千葉県はおろか、利根川流域の坂東、すなわち関東全域を支配していった」
ワタルもショーマに追随。
「その千葉一族の活躍の陰には渡来人が存在した」
――千葉一族の始まりは平安時代の中期、九世紀の頃、桓武天皇の孫の高望王が下総地域を統治し、平氏を名乗ってからであるが、それ以前の古墳時代から飛鳥時代にかけての5、6世紀の頃、馬はすでに日本へ渡来していたという学説が古代史では定説になっている。
法蓮和尚が子供たちに説いて聞かせた「馬の道」とは、その古代史を踏まえてのことである。
古代、すでに渡来人が北総台地に牧場を拓き、馬を育てていた。平安時代になり、千葉一族の源流である平氏が京都から下総へ入り、領地として統治。そして、馬の技術者である渡来人集団を支配下に置き、弓を武器にして戦う騎馬武者を育成し、統率。武者、すなわち武士の発祥がここにあるという学説もある。
平安時代、強大な騎馬武者集団を組織した千葉一族が関東に台頭し、「坂東武士団」を形成。そのリーダーシップを握った騎馬武者の大将が、千葉常胤であった。
ここまで、子供たちの理解が深まったところで、「さあて」と、法蓮が腰を上げた。少々お疲れの様子。
「後はワタルに任せることにしよう。みんなで歴史の推理ゲームを楽しむがいい」
「あっ、法蓮和尚、妙見のことがまだです」
ショーマも立ち上がり、口をとがらせた。
「ん。妙見?――それはな、次回のお楽しみにしよう」
法蓮、あっさり言って、背を向けた。へなへなと腰を落とすショーマ。
「次回が楽しみだよ、ショーマ」
ショーマをなぐさめる、ワタル。
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