第12話 ティラノサウルスの目玉の星 

 ――あの大津波に襲われた夜、「てんでんこ」で天明寺に避難して助かった人たちは本堂に上がり込んで、身を寄せ合うように雑魚寝した。だが、ワタルはひとりはじき出されてしまった。崖の上から黒い海を見下ろして、父、母、妹を案じ、泣いているうちに夜になってしまい、気がついて本堂へ上がったところ、横たわる大人たちで足の踏み場もない状態だった。無理矢理潜り込もうとしたら、だれかの腹を踏んで、蹴とばされてしまった。

 ワタルは仕方なく妙見堂に忍び込んだ。そして、妙見童子の仏壇に寄りかかり、膝小僧を抱えてうずくまった。

 板張りの床、破れ格子の窓、雨漏りの天井。明かりは何もない真っ暗闇の小部屋。四方八方から風が吹き込み、寒さでワタルの小さな体は縮こまった。あまりの寒さに体が震えて、眠るどころではなかった。板の上で横になって目を閉じたら、体がコチンコチンに凍って、そのまま死んでしまうのではないかと、怖かった。寒さと恐怖と疲労で体力は消耗していった。

 早く朝になってくれーーと、ワタルは祈った。考えられることはただ朝を待つことだけだった。時間は確実に朝へ向かって経過していっている。だが、朝が来るよりも先に睡魔に襲われた。眠りたくないのに、睡魔に引きずりこまれた。ワタルは残る体力の限りを使って睡魔とたたかった。

 睡魔に勝たなければ、朝は来ない。絶対にこの睡魔に負けるわけにはいかない。だが、もう限界だ。力が尽きてしまいそうだ。だめだ。とうとう睡魔に負けてしまう。

 コックリ、コックリとワタルは膝小僧に頭をぶつけ、舟を漕ぐと、頭を支える力もなくなって崩れ落ち、床に横たわった。

 お母あ・・・お父う・・・さくら・・・

 ワタルの心の画面に、また母、父、妹が現れた。みんな、笑顔だった。いつも楽しく暮らしていたときの笑顔。その笑顔に、ワタルも笑顔を返して、近づいていった。だけど、歩めど歩めども、母、父、妹との距離を縮めることはできなかった。目の前にまで接近しているというのに、あと一歩、手が届かない。胸に飛び込めない。

 ワタルは思い切って跳んだ。すると、心の画面がハレーションを起こして、光が破裂。母も父も妹も、その笑顔は一瞬にしてはじける光の中に溶けてしまった。

 ワタル自身も、光の乱反射を浴びて、目を眩まされてしまった。

 ウウワーーまぶしい。

 パチリと、ワタルは瞼を開いた。

 真っ暗闇に一点の穴があいて、一条の光がレーザービームみたいに差し込んでいる。ワタルはぼんやりとかすむ眼で光の穴を見上げた。天井が裂けて出来た穴だった。そこから漏れる光が妙見堂の中を照射している。

 何の光だろう?――。

 ワタルは仰向けになったまま、目で光線をなぞった。光線は頭上を通過して、仏壇に注がれていた。

 ハッとワタルが背を起こし、振り向くと、妙見童子像が光輪を背にしてまばゆいばかりに輝いていた。

 ワタルは立ち上がり、妙見童子に向きあい、その顔を見つめて、驚いた。

「ケンちゃん・・・」

 光輪の中で妙見童子が微笑んだと思ったら、その顔はケンジの笑顔にそっくりだった。

「ケンちゃん、やっぱり、天明寺に来たんだべな」

 光輪の中でケンジが笑っている。ワタルもにっこり、微笑み返した。ケンジと再会できたと思った。うれしい気持ちを笑顔いっぱいにしてケンジを見つめた。ケンジも光輪を大きく大きく膨らまして大きな笑顔になった。ワタルは大きな笑顔を両方の手に包もうとケンジに迫った。光輪が渦を巻いて、ケンジが飛び出してきた。「来なよ、ケンちゃん」とばかりにワタルは手のひらを開き、迎えた。アッと、その手が空を切った。光輪がはじけた。

「なじょしたど、ケンちゃん」

 光輪とともにケンジの笑顔も消えた。と思ったら、ふわりとシャボン玉のような光がワタルの頭上に浮かんでいた。

「ケンちゃん、火の玉になっただがァ」

 妙見堂の暗闇の中を光の球がふわり、ふわりと浮遊し、輪を描く。見上げるワタルは、光の球に操られるように、ぐるぐる回った。

 暗闇の中で光はただ一点、ワタルの頭上を浮遊する球だけだ。その球が回る軌跡へ向かって、天井の穴からのビームが射している。ワタルは気づいた。

「光を食っとるだ。球が光を食って膨らんどるだ」

 光の球は妙見堂を回りながらどんどん大きくなっていった。ワタルの頭よりも大きくなって、高く、高く、飛んだ。

「アッ、あぶねえ、天井にぶつかるぞ。ぶつかったら、シャボン玉みたいにはじけるぞ。アッ、ぶつかる。爆発する!」

 思わずワタルは目を伏せ、両手の人差し指を耳に突っ込んだ。が、何も音はしなかった。恐る恐る顔を上げると、鳥が一羽、天井すれすれに飛んでいた。

「あっ、光の鳥だ!」

 ワタルは直感した。

「光の球が割れて、光の鳥が生まれただ」

 光の鳥は、きらきら、輝きを放ちながら悠然と羽ばたいた。羽からは光の微粒子が飛び散り、そのきらめきの乱反射で真っ暗だった妙見堂が煌々と照らし出された。

 光の鳥は虹の輪の軌跡を描き出して旋回。ほうぜんと見上げる、ワタル。その頭上に光の鳥は虹の輪を描くと、天井の光の穴へ一直線に突っ込んでいった。

 ワタルも後を追った。妙見堂の引き戸を力まかせに開け、外へ飛び出した。

 天明寺の境内は音も光もまったく消えてしまった静寂の闇だった。本堂で雑魚寝する避難者たちはみんな、深い眠りに落ちていた。

 妙見堂から飛び立った光の鳥はどこへ飛んでいったのか。ひとり、ワタルは境内に立ちすくみ、周囲を見回した。しかし、暗闇の中に光るものは何も見つけられなかった。

「夢ーー、夢だったんだべーー」

 ワタルは力が抜けて、へなへなと地べたにしゃがみこんだ。

「ケンちゃんの夢を見たんだーー」

 ひらひらと一枚、落葉が目の前で散った。足もとの地面にどんぐりがいっぱい落ちていた。はっと、ワタルは頭上を振り仰いだ。樫の巨木が黒いシルエットになって、恐竜の骨格みたいに武骨な造形を作り出していた。まるで獲物に襲いかかるティラノサウルスみたいに、ワタルには見えた。太い幹から太い枝が分かれて、ティラノサウルスの尻尾みたいにせり上がっている。ケンジが仁王立ちになって「ミョーケン」と叫んだあの枝だ。

 ワタルはティラノサウルスの足に抱きつくと、よじ登ろうとした。だが、ワタルの体からはもうそんな力は沸き上がってこなかった。むなしく、ティラノサウルスの尻尾を見上げた。首が痛くなるほど見上げた。涙がこぼれ落ちた。

 心の眼に、ティラノサウルスの尻尾の上で立ち上がるケンジの雄姿が映し出された。耳の奥で、ケンジが唱えた呪文が響き、こだました。

「ミョーケーーン」

 アッと、ワタルは息を止めた。見上げる瞳にぼんやりと瞬く光が映った。涙で曇る目を拳でこすり、光に焦点を当て、もう一度まじまじと見つめた。

「光っとるど!」

 ティラノサウルスの尻尾よりもっと上の黒いシルエットのところ、骨格をなぞれば、ティラノサウルスの眼玉のあたりに、ピカッと輝く光を、ワタルの眼は確実にとらえた。

「あれは、光の鳥に違いねえだど。あんな高いところに止まっとっただが」

 思わずワタルは叫んだ。

「ケンちゃん、お願いだ。光の鳥を捕まえてくれ」

 ワタルは心の中でケンジに頼んだ。すると、ケンジからの返答が聞こえてきた。

「それは無理だ。光の鳥は、人間には絶対に捕まえられない。人間は星に近づくことすらできないのだから」

「なんだ、ケンちゃん、光の鳥は星と同じだど」

「そうだ。ワタルが見つけた光の鳥は星なんだ」

「さっきまでおらの目の前を飛んでいたのに、なして星になってしまっただ」

「ワタルが鳥と思った光は、実は、星の光だった」

「それは、何という星だべ」

「今、ワタルが見ている光は、北極星」

「北極星?――あのティラノサウルスの眼ん玉みたいな光が北極星だと」

 ワタルは仰天し、目をパチパチしばたくと、樫の木の上で輝く光を逃すまいと見つめた。

 本当に北極星ならば、すぐ近くに北斗七星が見つけられるはずだ。ワタルは眼を見開いて、ティラノサウルスの頭のあたりを凝視した。

「あっ、あったど、見つけたど。あれが北斗七星だ」

 今まさに獲物を捕まえてガオッとばかりにつかみかかろうとするティラノサウルスの手のところ、そこに瞬く数個の光を線でなぞっていくと、北斗七星特有の柄杓の絵が浮かび上がった。

「ケンちゃんの言うとおりだ。あのティラノサウルスの眼ん玉は、本当に北極星だべ。そんだらば、おいらが見たあの光の鳥は、その正体が北極星の光だったのか」

 ワタルは、悟った。あらためて夜空を仰ぎ、北極星と北斗七星を見つめた。

 すると、樫の木の黒いシルエットが揺れた。風が天明寺の下、海から吹き上げてきた。樫の木が大きく揺れて、黒いシルエットの形が崩れた。風の唸りとともに夜空が黒い幕に覆われ、ティラノサウルスの巨体が消えた。

「ああっ、北極星は、どこさ、行っただ?ーー」

 ワタルは、視線の矢を北極星が瞬いていた方角へ向けて放った。

 夜空を覆う黒い幕はにわかに立ちこめた雲だった。

 ワタルは、目を凝らして、北極星の光が再び現れるまで立ち続けた。やがて風が静まるとともに雲は消え去っていった。

「光った。また光ったぞ。北極星が光っただ」

 ピカリと夜空に一点、ふたたび輝きを放つ星――。その星を北極星だと、ワタルは確信した。なぜならーー、「ティラノサウルスの眼ん玉がよみがえったど」と、ワタルは思ったからである。そう思って疑いのない理由がワタルにはあった。

「あっ、流れ星だ」

 ティラノサウルスの眼の光がひときわ大きく膨らんだと思ったら、その瞬きとともに小さな星が線香花火のようにはじけて飛んだ。

「やや、北斗七星も出てきよったど。ティラノサウルスの手が現れただ。やっぱり、あの一番でかい星は北極星にちげえねえべ。ということは、ティラノサウルスが星座になっただ」

 夜空に次々と光が流れて、星が生まれた。その星をワタルは眼にとらえると、線でつないでいった。すると、ティラノサウルスが星座になって描き出されたのである。ワタルの眼にはその姿がはっきりととらえられた。あの樫の巨木が黒いシルエットになってあたかもティラノサウルスの骨格であるかのように見えていたが、その形のとおりの星座が夜空に描かれているのを、ワタルは見つけたのだ。

「あっ、また、流れ星だ。あっちにも飛んだ。こっちにもだ。流れ星がピューピュー飛んでゆくぞォ」

 ワタルは、ティラノサウルスの発見でそこだけに目を奪われていたが、そのまわりにも目を広げて、気がついた。ピカッと光が生まれては流れ星になって飛び交い、次々と星が生まれていく。おびただしい数の星が夜空の全面に輝いていた。

「うわァーー、すげえお星様の空だべ。キラキラ、ピカピカ、お星様がいっぱい光っとるだ。いつの間に空が星だらけになっただ」

 まさに、満天の星の夜空だった。その美しさに、ワタルは寒さも忘れて見とれた。津波の恐さも消えていた。母さん、父さん、さくらのことを考えることもなく、樫の木の根っこを枕に、満天の星空を見上げて、大津波の夜を眠らずに過ごし、朝を迎えた。


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