第11話 心で見た宇宙の不思議現象
吾妻小学校は千葉市の中心市街地にあって四方が商業ビルに囲まれ、校舎は鉄筋コンクリート四階建ての一棟だけ。昭和40年代に木造だった校舎が鉄筋に改築され、エレベータはない。が、屋上がある。
放課後、ワタルはショーマに誘われて、二人で屋上へ上がった。教室は二階だったが、廊下の突き当りの非常口を開けると外階段へ出て、踊り場から上がっていけば屋上だった。
外階段は鉄製で、ショーマは振動音を立てないよう慎重に足を運んだ。同じようにワタルも後に続いた。四階の踊り場からさらに上がったところで、ショーマがチェッと舌打ちして立ち止った。屋上の入口は鉄格子の扉で、施錠されていた。
「こんな通せんぼなんか、簡単に乗り越えられらァ。ワタル、おれについてこい」
ショーマは背負っていたランドセルを肩からはずして扉の向こうへ放り、鉄格子を握るや、ひらりと身を翻して屋上へ躍り立った。ワタルも両手で鉄格子を握って、ぐいと力をこめ、体を迫り上げようとした。が、足が上がらない。つい、足下を見た。はるか下に校舎を囲む花壇が見えた。がくがくと足が震えた。
「ワタル、なにモタモタしてんだよ」
ショーマが振り返り、鉄格子の向こうで顔をこわばらせているワタルに手を差し伸べた。
「何を怖がってんだ。大丈夫だよ。おれに飛びついてこいよ」
ワタルはショーマに抱き着くようにして体を預けた。受け止めたショーマは両腕をワタルの脇に差し込むと、ワタルを力まかせに抱え上げようとした。ワタルの体が浮き上がり、ショーマの上にのしかかった。ショーマは体を反りかえらせて、ワタルを扉越しに引きずり下ろそうと渾身の力をこめた。ワタルはショーマにかぶさり、扉を越えた。その直後、ウワッとショーマが声を発した。バサッと何かが顔面に当たり、目の前が閉ざされた。ストンとショーマは尻から砕けて倒れた。ゴツンと後頭部がコンクリートの床の上で音を立てた。二人の体は重なり、相撲の決まり手の浴びせ倒しのような形になって転がった。
「イッテエーー」
両手で頭を抱えるショーマ。彼の上にのしかかっていたワタルがあわてて起き上がった。その足もとに、教科書やノートが散っていた。アッとワタルは背負ったままだったランドセルに気づいた。肩からランドセルをはずすと、口が開いて中が空っぽだった。
しまった。ランドセルのカバーを止めていなかった。そのため、教科書やノートが滑り出てショーマの顔を打ったのだ。
「すまねえ、すまねえだべ、ショーマ」
ワタルはショーマの頭をさすり、謝った。ショーマは痛みに耐えているのか、目を閉じたまま、しかめっ面だ。
「大丈夫だがや、ショーマ」
「大丈夫じゃないぜ、ワタル。ああ、イテエ」
やっとショーマは目を開けた。
「すまねえ、すまねえだ、ショーマ」
ワタルはショーマの手を取り、引っ張り起こした。
「ワタル、おまえも悪いやつだなあ」
上半身を起こして、苦痛にゆがんだ顔でワタルを見上げる、ショーマ。
「すまねえ、ショーマ。おらが悪かっただ」
ワタルもショーマの傍らにしゃがみこみ、眉をしかめて詫びた。
「これで2回目だぞ、ワタル」
ショーマがいつもの顔に戻り、口を尖らせた。
「2回目?――」
どういうことなのか、ワタルにはすぐには理解できなかった。
「ひっくりカエルをまたやっちゃったじゃないか」
そう言われて、ワタルも思い出した。
「組体操で失敗したことだがや?」
「そうだよ。おれとおまえで2回もひっくりカエルになるとはなあ」
ショーマは苦笑をワタルへ向け、言った。ワタルの脳裏にも、二人で組体操のてっぺんから滑り落ちた場面がよみがえった。あのカエルみたいにひっくり返った無様な恰好が今回もまったく同じだった。
ワタルも返す言葉がなく、苦笑を浮かべるほかなかった。
ショーマもワタルの苦笑を見て、さらに苦笑を重ねた。
互いに苦笑を見つめあい、その顔がおかしくて、吹き出す、二人。
「ワタル。あの組体操のときはみんなの前で失敗したから、恥をかいちゃったよな。だけど、今回のひっくりカエルはだれにも見られていないよな」
「んだべな」
「ということは、おれとおまえの二人だけしか知らない」
「んだ」
「だから、今日のひっくりカエルは、おれとおまえの秘密だぞ」
ショーマがワタルに迫り、ワタルも大きくうなずいた。
「だれにもしゃべるなよ。もし、リョースケに知られたら、それこそ学校中の笑い者にされちゃうぜ」
ショーマが念をおした。
「しゃべるもんかよ、こげな恥さらしを」
ワタルの返答にショーマも「そうだよな」と相槌をうち、笑った。ワタルも笑った。校舎の屋上にしゃがみこむ二人は、空へ向かって、無邪気な笑い声を放ち続けた。
その笑い声が中断した。突然、ワタルが立ち上がり、アッと叫んだ。
「見ろ、ショーマ、空を走ってくるだ、電車が!」
「シーッ! 大きな声、出すなよ、ワタル」
ショーマも立ち上がり、人差し指を口に当てて、ワタルを叱った。
「もし先生に見つかったら、おれたち、大目玉をくっちまうんだぜ」
「そうだったでがんす。すまねえ、ショーマ」
首をすくめ、謝るワタル。
「モノレールだよ」
ショーマはそっけなく言った。彼には見慣れた光景だった。
「モノレールかーー」
ワタルは上空を音もなく通過して行く電車を目で追いながら、感嘆の声を小さく絞るようにして言った。
千葉市の中心街をモノレールが走っていることは、ワタルも知ってはいたが、実際に走行するところを間近に見るのはこれが初めてだった。ありがとうございました。吾妻小学校の2階の教室や校庭からは高層ビルに遮られてモノレールを見ることはできなかった。
「空を電車が走るだとは、不思議だんべ。ガッタンゴットンの音も出さねえでよ」
「あのモノレールは、一本のレールで宙づりになって走っているんだ。だから音がしないんだ」
「ふーん? そんだべーー」
ショーマに説明されても、ワタルには不思議の謎は解けなかった。千葉県庁の高層ビル街へ向かって小さくなっていくモノレールを見送りながら、ファンタジックな想像にかき立てられていった。
「もしかして、あのモノレール、次の駅で停まらないで、空中を走り続けたらば、そのまんま空の彼方へ飛び出して、ついには宇宙まで走って行って、そしたらば、あの銀河鉄道になるのかも知れねえぞ」
ひとり言みたいにつぶやく、ワタル。疑いの目を向ける、ショーマ。
「おい、ワタル、どうかしたのかよ。変だぞ。なにを夢見てるんだよ」
「モノレールが銀河鉄道と合体するところを想像しとるだ」
「銀河鉄道?――なんだい、そりゃ」
「『銀河鉄道の夜』で宇宙を走っているSLだよ」
「SL?――蒸気機関車のことかよ。そんな昔の汽車が宇宙を走ってるのかよ。ホントかよ」
「おらはーー、信じとるだ」
「へえーー」と、ショーマはあっけにとられるばかり。
「やっぱり、ワタル、おまえは普通じゃないな。変人とか、奇人とかいう、そういう一種の超能力人間の一人かもしれんぜ」
「宇宙ば、ケンちゃんが天馬に乗って駆けとるだ。同じように、銀河鉄道も走っとるにちがいねえだ。ただ、地球の人間たちには、それが見えねえだけだべ」
「ワタルの眼には見えるのか?」
「眼では見えねえかもしれんが」
「眼で見えなくて、じゃ、何で見るんだよ」
「んーー心かな」
「心?」
「そんだべ」
「ワタル、おまえの心は宇宙が見えるのか」
「んーー、あの大津波の夜、おいらは、宇宙の不思議を見たんだ。そんでがんすが、あれは、眼で見たことじゃない、心に映ったことだったに違えねえと、今になってみれば、そう思うでがんすが」
「それは、あの大津波の夜にワタルが見たという満天の星空のことか」
「そんでがんす」
「その話を聞きたくて、おれ、おまえをここに連れてきたんだよ。もう一回、ちゃんと話してくれよ」
「わかっとるだ。おらも、そのつもりだった」
ワタルは腰を下ろし、しゃがみこんだ。ショーマもしゃがんだ。二人で並んで空を仰いだ。青かった空は黄色に染まっていた。太陽が雲の中に沈もうとしていた。その雲間から陽光が放射され、校舎の屋上が明るく照らされていた。
ショーマは肩までもコンクリートの床につけて、寝そべった。
「こうやって、地面に寝そべって、ワタル、満天の星空を見上げたって、言ってたよな」
「んだ。寝そべって見上げたら、見えるものは空だけだべ」
「そうだよな」
ショーマは細い眼をいっぱいに開いて空と向き合った。が、「ウッ、まぶしい」と瞬きして眼を閉じた。雲間の放射光に眼を直撃されたのだ。
瞼を手で覆うショーマに、ワタルが言った。
「眼はつぶって、耳だけ澄ましてればいいだ。そんだらば、心に星が見えてくるだ」
「あっ、そういうことだったか。なるほど。心で宇宙の不思議を見るって、ワタルが言った意味が、今、ようやく、おれにも分かったよ」
ショーマは目をつぶった。ワタルも瞼を閉じた。そして、心の画面に、大津波の夜に体験した宇宙の不思議現象を映し出していった。
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