第9話 坂東武士団を統率した謎の一族
次の日曜日の朝、あいにくの雨だったが、「千葉千年伝説勉強会」は予定どおりに開かれた。まず、ハルカが発言し、法蓮が答えた。
「法蓮和尚、ショーマくんを誘ったのに、今日は用事があるとかで」
「そうか、それは仕方ないな。さ、始めよう。今回も先生はワタルくんに頼んだからな。では、ワタル先生、よろしく」
「おはようごぜえますだ、みなさん」と、ワタルが挨拶。「前回は千葉一族と鉄の歴史でしたが、今回は千葉一族と馬について考えてみたいと思いますだ」
「ワタル先生、お馬さんって、あの競馬の?」
だいぶ先生に慣れてきたワタルに、さっそく、ハルカが茶々をいれる。
「え、いや、競馬も馬だが、きょうの話の馬は、あのお城の銅像の千葉常胤公が乗っている馬のことだべ」
まじめに答えるワタル。
「先生、競馬の馬と常胤さんのお馬はどこがどう違うのですか」
ハルカがさらに突っつく。
「えーと、馬に違いはないと思うだが、その、馬の働きというか、役目というか、そこがちょべっと違うとるだど・・・」
ワタルが詰まる。クスッと笑うハルカ。法蓮がワタルに助け船を出す。
「昔は競馬なんかなかった。昔の馬は荷物を運ぶか畑で働くか、それにもう一つ重要な役目として合戦で大活躍しておった」
千尋が法蓮に問う。
「合戦というと、戦争のこと? 戦争をするのに馬で?」
「そーだよ。今なら戦車だけど、まだ機械などない時代は兵隊さんは馬に乗って弓矢で戦った。騎馬武者といってな、その大将の雄姿が、あのお城の千葉常胤公だよ」
「騎馬武者ですって?――ちょっとかっこ良さそうだわね」と、沙織がつぶやくと、子供たちは笑みを浮かべて見合った。ワタルは気を取り直し、語りを再開。
「その騎馬武者の集団を率いて下総、今の千葉県の半分を治めていたのが千葉一族だど。その大将として千葉常胤が活躍したころ、千葉一族は下総だけでなく、上総、常陸、下野、秩父、武蔵と関東の大部分を支配する『坂東武士団』を統率していただ」
「ふーん、強かったのねえ、千葉一族さん」と、ハルカ。
「そうなんだよ、平安から鎌倉へという時代、当時の日本では最大最強の武士団だった」
法蓮が力をこめた。
「どうしてそんなに強くなれたのかしら」
「そこだよ、問題は。さすが、ハルカちゃん、いいところに目をつけたね。お利巧さん、お利巧さんだよ」
法蓮、うれしくなり、背後の衝立の裏へ回ると、ひと抱えもある紙の巻物をとりだし、畳の上にふわーっと広げた。畳一枚がまるまる隠された。
「これを見よ」
「うわあ、大きな日本地図だ」と、囲む子供たち。
「わが千葉県はどこじゃ」
「ここ」と、指さす子供たち。
「そうじゃ、ようく分かっておるじゃないか。感心、感心。この千葉県を真上からようく見てごらん。何か思いつくことはないか。さあ、考えてごらん」
「あっ、わかった。チーバくんだ」
チヒロが即答したが、それは、千葉県の地形を模して創作された千葉県のアイドル・キャラクターのことだった。その迷答に法蓮は唖然。
「そうか、確かに形はチーバくんだな、それも正解だな。だけど、今、私がみなさんに期待している答えは、形じゃないんだ、色なんだよ」
「えっ、色?」
「しまった。正解を自分で言っちゃった」
毛のない頭をかく法蓮。「わかった」と子供たちが一斉に回答。
「緑」
「ご名答。そうだよな、千葉県は一面の緑。ということは?」
「高い山がない」と、サオリが答えた。
「そーなんだよ。だから、ほら、ここの所、ここに今、何があるのかな」
法蓮が指さす地点を子供たちが覗き込み、そこに書き込まれた地名を読んだ。
「成田――東京国際空港」と一斉に答える子供たち。
「ズバリ、そのとおりだ。山がないからここに国際空港が造られたというわけだ。『北総台地』といってな、ここに立てば360度遮るものなく見渡せる平坦な地形が広がっている。富里から八街にかけては一面のスイカ畑だし、多古町は多古米の田んぼ、そして千葉市に近い方には印旛沼。昔、印旛沼は利根川とつながっていたんだよ。千葉一族が騎馬武者で活躍した場所とは、まさにこの平坦な北総台地だったのだよ」
「ほだがら、千葉一族と馬の関係がこの北総台地で明らかになるというわけでがんす」
ワタルが法蓮の解説に区切りをつける。
「さすが、ワタル、よく勉強したな、偉い、偉い」
「そうだったの。昔の千葉県は馬がいっぱいだったのね」
「ハルカちゃんも偉い、偉い」
再びワタル先生の出番が回ってくる。
「そんでがんちゃ、北総台地は馬を放牧で育てるにはうってつけの場所、下総の全体が広大な牧場だっただ。この地域を治めた千葉一族は馬をどんどん育てて、強大な騎馬武者集団になったんだが、問題は、その馬がどのようにして下総に入ってきたのかということでがんす。そうだちゃね、法蓮和尚」
「そこだよ。これから先の話はまだ歴史学では定説になっていない、推理ということになるのだが、郷土史家としてこの法蓮めが推理したそのストーリーは推理小説よりもっと面白いミステリー、あるいは、アニメ映画よりもっと楽しいファンタジーなんだよ」
法蓮、調子に乗り、自画自賛に陥る。ハルカ、冷や水をひっかける。
「へえ、『ワンピース』よりも楽しくて面白いの? ホントに?」
「ん? なに、ワンピ―ス? 女の人の洋服のことかいな?」
キャハハハと声を発して笑い転げる子供たち。
「ワンピースも知らないんじゃ、ホーレンさんの推理ストーリーはどうなんだかねえ」
クスクスと笑う子供たち。ムカッと真顔になる法蓮。
「笑っておる場合じゃないぞ。今日の勉強はここがポイントなんだから。真剣に考えるんだよ。ほら、もう一回、よーくこの地図を見てごらん」と、地図を広げ直す。
「昔、この北総台地は印旛沼と利根川に囲まれていた。利根川は『坂東太郎』と呼ばれる関東一の大河だった。したがって、ここは船で物を運ぶ水運が早くから発達した地域でもあった。馬もそうなんだ。船に乗って、北総台地に運ばれてきたと考えるべきなんだな」
「利根川を行き来する船だべ」
ワタルが話を先へ進ませる。
「そう。千葉一族の子馬は利根川から運ばれてきた。さらにその先、どこからどういうルートで利根川へと子馬は来たのか。それが解明されれば、千葉常胤も乗った騎馬武者の馬が日本へ伝来したルートが突き止められるはずだ」
ワタルが地図に人差し指を当て、利根川上流へとたどっていった。
途中で幾筋もの支流が枝分かれし、全体が「利根川流域」と称される地域はまるで血管が露出する人体図のようであった。
鬼怒川(栃木県)、渡良瀬川(栃木県)、吾妻川(群馬県)、鳥川(群馬県・埼玉県)、中川(埼玉県・東京都)、江戸川(東京都・埼玉県)――と、主な支流をあげただけでも、利根川流域の広がりが関東一円を包み込んでいることが分かる。
かつて千葉一族は、この利根川水域の「坂東太郎」を支配することにより騎馬武者の「坂東武士団」を統率したのである。
「千葉一族の勢力は埼玉県の秩父にまで及んでいた。秩父といえば、日本最大の星祭りが行われる秩父神社があるが、その星祭りが始められた昔、宮司は千葉神社で修業した権禰宜が送り込まれ、その妻は千葉常胤の娘であったという歴史的事実が古文書で明らかにされている。つまり、秩父神社は千葉神社の分祠なんだ」
「そんだらば、千葉神社が本家で秩父神社が分家という関係だべ?」と、ワタル。
「そうなんだよ」
「へえ、千葉神社って、すごいのね」と、マユ。
「すごいんだよ。なんてったって、日本全国に二千社あるといわれる妙見社の本宮が千葉神社なんだからな」
「会社で言うと本社なんですね」と、ハルカ。「すると、千葉神社の本社に対して秩父神社は関東支社だったということになるわね」
「そうなんだよ。みんな、飲み込みが早くて、お利口さんだなあ」と、喜ぶ法蓮。「この秩父支社を大いに活躍させて、馬を利根川ルートで北総台地へ運び込ませていたーーと、これが私の推理だ。どうじゃ、この謎解きにガテンしてくれるかな」
ガテン、ガテン、ガテンと子供たちは一斉に拳で手のひらを叩いた。
「ありがとう、和尚の長年にわたる研究を一瞬にして理解してくれて、本当にいい子たちだ、みんないい子たちだ。和尚、感激だなあ」
法蓮は袖からハンカチを取り出して、のぼせた禿頭の汗を拭い、フーッと一息ついた。その間をワタルが割って入った。
「では、今日はここまででがんす」
法蓮はあわててハンカチを引っ込めた。
「ワタル、まだ早いよ、これからだよ、面白くなるのは」
「あら、まだ続きがあるの?」
地図を丸めようとしたハルカ、法蓮を見上げる。
「秩父のさらに向こうの南アルプスの麓にも広大な台地が広がっておる。そこの話をしないことには、千葉一族の馬がどこから来たかという学説、いや、これから先はファンタジーロマンになってゆくんだが、その私の長年にわたる研究成果をぜひともみなさんに」
と、法蓮はぶつぶつ言いながら、ハルカが丸めた地図をまた広げにかかった。そのとき、ハックションと大きなくしゃみが障子の向こうで破裂。びっくりの子供たちが、障子を両側からサッと引いた。アッと一同、息をのむ。障子と障子の間、廊下に身を縮めて顔を伏せてうずくまる少年。
「ショーマ!」
ハルカが少年に向かって叫んだ。少年の体半分、外へはみ出した尻のズボンは雨でびしょ濡れだった。
「ショーマ、やっぱり来たんじゃないの。家で用事があるなんて嘘言って」
ハルカがやさしい声でなじった。ショーマはうなだれて、か細い声で言った。
「ぼくも、勉強したい」
法蓮和尚がショーマに手を差し伸べ、体を起こした。
「雨に濡れて、寒かったろうに。このままじゃ、風邪をひく。着替えて、あったまらなくちゃ」
法蓮はショーマの手を取り、本堂へ入れ、和室へ通し、「早苗さーん」と、奥へ向かってお経で鍛えた声を響かせた。
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