第7話 天の川を駆ける天馬

 星祭りが終わったあと、ワタルは顔を火照らせ、熱を出した。

「ワタルくん、今晩はお薬を飲んで、早くお休みなさい」

 早苗さんはワタルの布団を和室に敷いた。いつもなら、ワタルは本堂裏の狭い物置部屋に寝泊りしているのだが、早苗さんは、ワタルの風邪を気遣い、そればかりでなく、この日の星祭りがワタルにとっていい思い出になるようにという、心配りをしてくれたのだろう。

 ワタルが寝床に足を入れると、布団も客用のふかふかで、ぽかぽかだった。ワタルはすぐに深い眠りに誘い込まれていった。

 眠りの奥深くへ沈んでいくと、湖の底から湧き上がる水のように、音が生まれ出ていた。音は最初は微かな響きだったが、眠りが深くなるにつれ、だんだんに大きくなり、いくつも重なり合って旋律を奏でた。

 弦楽の音。馬頭琴だった。星祭りで聴いた、あの馬頭琴。それが、ワタルの心によみがえった。

 曲は『ポラリス』――。その音色のストリームが風を起こして、ワタルの体がふんわり浮かび上がった。

 ワタルは馬頭琴の風に乗り、運ばれ、高く高く舞い上り、雲の中に突入していった。視界は何も見えない暗黒。馬頭琴が激しく響き、ワタルは息を詰めて加速を上げ、轟音とともに暗黒の壁を突き破った。そこに開けたスペースは、見渡す限りの星。無数の星がきらめき、星座となる、果てしない宇宙。

 ワタルは、無重力状態で宇宙に浮かんでいた。その小さな小さな、羽虫よりもっと小さな体はたちまち大気圏外の気流に吸い込まれてしまい、流されていった。

 羽虫になったワタルの眼には、星がミカン畑に鈴なりのミカンのように大きく見えた。

「北極星は、どこだべ」

 ワタルは、ミカン畑の中をブンブン飛ぶ羽虫の眼になって、無数にきらめく星の中に北極星を探した。

 今、自分が宇宙の中のどこにいるのか。どこを飛んでいるのか。その位置、方角を確かめるには、北極星を見つければいい。

「北極星が宇宙の中心だべ。そんだらば、北極星は宇宙の羅針盤なんだべ」と、ケンジが言っていたことをワタルは思い出した。「北極星は動かねえだ。どんな星座も、北極星とつながり、位置を定めることで、宇宙の均衡が保たれとるだ」

 その北極星をこの星だらけの宇宙の中で見つけるにはどうすればいいのか。

「北極星との位置関係で一番近い星座が北斗七星。七つの星を線で結んでいくとひしゃくの形が浮かび上がる。それが、北斗七星。そのひしゃくの枡の外側を構成する二つの星を五倍伸ばしていったら、きらきら、強い光を放つ星があるだ。それが、北極星なんだべ」

 ケンジはそう言った。

 そうか。北斗七星を探せばいいのだ。ワタルは宇宙遊泳しながら、四方八方を眺めた。だが、まるで星座のジャングルのような宇宙の中にいて、どの星がどんな星座をなしているのか、知識のないワタルにはさっぱりわからない。

 馬頭琴の曲は『翼のある馬』に――。

 さあ、困ったぞ。星座のジャングルの中で、迷子になってしまうぞ。ワタルは焦った。宇宙遊泳のはずだったのに、危ないぞ、これじゃ、おぼれちゃうぞ。

 ワタルは手足をバタバタさせて、もがいた。しかし、もがけばもがくほど手足は空を切り、体はでんぐり返った。

 あっ、ヤベエ! 落っこちる!

 ワタルの体は失速してキリモミ状態になった。垂直に急降下するジェットコースター。ワタルは悲鳴を上げた。

 助けでくれー、ドラえもん!

 ワタルは藁をもすがる思いで叫んだ。

 ドラえもん! はよう、はよう、来てけろー!助けでくれー!

 とっさにワタルにひらめいた宇宙のレスキュー隊がドラえもんだった。

 神様、仏様、ドラえもん様――!

 宇宙の真空の闇に吸い込まれるようにキリモミ状態で頭から墜落する、ワタル。

その眼下に、青い大きな星が迫ってきた。地球だ。

 ああ、大気圏に突入するぞ。ワタルは目をつぶった。

 その直後、ドーンとワタルは腰のあたりに衝撃を受けた。何かに体がぶつかった。垂直に落下していた体が跳ね、横向けになった。何か、物体に、体が乗っかった。ワタルはしがみついた。

 あっ、ドラえもんだ。ドラえもんが来てくれただ。

 ワタルは助かったと思った。

 ドラえもん、ありがてえ、助けに来てくれたんだべ。ありがてえ。

 ワタルは、自分がドラえもんの背中にしがみついていると思って、その首筋をなでて感謝した。すると、「ヒヒヒーン」といういななきがして、首がブルブルッと震えた。

「お、おい、ワタル、危ねえだ、振り落とされっべ」

 ズーズー弁で誰かが叫んだ。

 あれっ、ドラえもんじゃないのか。

「おらだべ、ワタル」

 ええっ、おら?――

「おら、ケンジだべ」

 ええっ、ケンちゃん?

「んだぞ、ケンジだぞ」

 ケンちゃんが、おらを助けてくれたんだ。

 ワタルはケンジの胸の中に守られて、馬の首にしがみついていたのだ。

 ケンちゃん、ありがとう。

 ケンジは白い馬に乗っていた。手綱を握り、白馬を疾駆させていった。その白馬には翼がついていた。翼をはばたかせて、白馬は宇宙の真空の軌道をまっしぐらに駆けていった。

 宇宙の真空で、ワタルはケンジと再会したのだ。

 馬頭琴の曲は『風の馬』へ――。

「ワタルは、北斗七星を探しとるが」

 そんでがんす。北斗七星を見つけたら、北極星もわかると、ケンちゃんが教えてくれたがや。

「そうだったが。じゃ、おらにしっかりつかまっとれ。連れてってやっがらな」

 んだ、もうケンちゃんと離れ離れにならないよう、しっかりつかまっとだ。

「ゆっくり行ぐど。こっがら先は『銀河鉄道の夜』の旅だがらな」

 ケンちゃん、宇宙でも、宮沢賢治を読んどうがや。

「いいや。宇宙に本はねえだ。ほだども、おらの頭ん中には宮沢賢治がもうみんな入っとるだべ。ほだがら、ワタルに、『銀河鉄道の夜』宇宙の旅を案内してやるだ」

 二人を乗せた白馬は悠然と翼を広げて、銀河の宇宙を駆けて行った。

 馬頭琴の曲は『スーホの白い馬』に――。

「さあ、ワタル、銀河ステーションに来ただ」

 うわあ、きらきら、きらきら、たくさん、たくさんのお星様が光って、またたいてるだ。

「天の川だべ。北極星への道だ。あの天の川の流れに乗り、『銀河鉄道の夜』宇宙の旅を楽しむだ。ここから先は、おいらはカムパネルラ。おまえはジョバンニだべ」

 んだ。そうだったべ。おらたち、『銀河鉄道の夜』の少年になるんだ。

「んだ。ジョバンニとカムパネルラ。二人の友情で力を合わせたらば、宇宙の旅も楽しくなるだ」

 そんだな、カムパネルラ。

「さあ、走ってけれ、スーホ。北極星へ向かって飛ぶだ。しっかり手綱につかまっとれや、ジョバンニ」

 えっ、カムパネルラ、今、この白い馬のこと、何て言ったんだ?

「この白い馬の名前はスーホというだ」

 スーホって、いつか、天明寺の寺子屋で、ケンちゃんが読んでくれた絵本の『スーホの白い馬』の、あのスーホのことか?

「おら、もうケンちゃんじゃねえだ」

 あ、そうか、カムパネルラだったべ。

「そんだ、ジョバンニ。おらたち、いま、スーホの白い馬に跨っとるんだべ。天の川を駆ける力のある馬は『天馬』と呼ばれる。その天馬がスーホだべ」

 『スーホの白い馬』とはモンゴルに昔から語られてきた民話である。この民話をもとにして馬頭琴の『スーホと白い馬』は李波(りは)という馬頭琴奏者によって作曲された。その馬頭琴は昔からモンゴルに伝わる民族楽器なのだが、それがどのようにして生まれたのか、その物語を語り伝えてきたのが、民話『スーホの白い馬』である。

 ――「スーホ」という名の少年が、傷ついて倒れていた白い仔馬を拾い、家に連れて帰り、大切に育てた。仔馬はたくましい白馬に成長。「優勝者は娘と結婚させる」と領主が宣言する競馬大会が開かれ、スーホは白い馬に乗り、出場。見事に優勝する。しかし、領主は、貧しいスーホを見て、娘と結婚させず、家来に命じて暴力でスーホから白い馬を奪った。スーホは傷だらけで帰宅。白い馬はお城から脱走し、スーホのもとへ逃走する。だが、家来たちの矢を体中に受けて、スーホのもとへ戻ってきた時には瀕死の状態。スーホの看病もむなしく天国へ。悲嘆にくれるスーホは夢の中で白い馬に再会する。白い馬はスーホに「自分の死体を使って楽器を作るように」と言い残す。

 こうして、馬頭琴という楽器は、白い馬の体を材料にして作られたのである。玄は馬の尻尾の毛をより合わせて作られ、棹の先端には馬の頭が彫刻されている。

 モンゴル民話の『スーホと白い馬』は日本でも絵本になり、また教科書にも載り、子供たちに読まれてきた。ケンジは読んだ後で想像した。

 天国へ行ったスーホの白い馬は、天馬になって銀河の宇宙を駆けているに違いない――。

 天明寺の寺子屋で、ケンジは想像力をたくましくしてワタルに語った。それは、ケンジが『銀河鉄道の夜』と『スーホの白い馬』を重ねて創作したつくり話だったが、ワタルは興味深く耳を傾けたものだ。

 ジョバンニとカムパネルラは銀河鉄道に乗って宇宙の星めぐりの旅をした。同じように、ワタルとケンジは、馬頭琴の弦楽の風とともに現れた翼のある白い馬の背に乗り、銀河ステーションから宇宙の旅へ出発し、天の川を駆け上って行った。

この天馬こそ、ケンジが想像した、あの天国へ行ったスーホの白い馬に違いない――と、ワタルは信じた。

 『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニとカムパネルラは、白鳥座―ふたご座―さそり座―ケンタウルス―マジェラン青雲―南十字星―というコースを巡って行く。この『銀河鉄道の夜』をガイドブックにして、ワタルのジョバンニとケンジのカムパネルラも天馬を疾駆させた。いざ、北極星へ向かって――。

 ぼくらは仲良し 星の子だ 明日を見つめて 夢を見て 心を合わせて 手をとって 

 大空はるかへ 飛んで行け ランララランラ・ランラララン・ララララ・ランランランランラン・・・

 天馬が駆けるままに身を任せて、宇宙の旅を楽しむケンジとワタルは、得意満面の笑顔になり、歌った。天明寺寺子屋の校歌のようになっている歌だ。「線路は続くよ、どこまでも」というアメリカ民謡の歌がある。その曲に、寺子屋の先輩が歌詞をつけたと言い伝えられている。つまり、替え歌だが、曲に歌詞がぴったり乗り、子供たちには歌えばいつも明るく楽しく元気になる、お気に入りの愛唱歌だった。

「ワタル、ほら、そこに北斗七星が見えてきただ」

 ケンジが手綱を引き寄せ、天馬の首を上へ向けた。

「ほんとだ。大きなひしゃくが宇宙にぶら下がっとだ」

 ワタルが見上げ、わくわく興奮して叫んだ。

「あの七つの星をたどって行けば、その先が北極星だべ」

 ケンジは、七つの星を線で結んでいくようにして天馬の手綱を取った。

「あっ、ケンちゃん、見えとるが、大きな大きなダイヤモンドみたいに光っとる星だぞ」

「おお、あれが北極星だ」

 ダイヤモンドみたいに光る大きな星がぐんぐん迫ってくる。

「あっ、もう目の前だ。あっ、危ねえぞ、ぶつかるっだが」

 ワタルが叫ぶ。天馬はダイヤモンドの光の中へ突入。ワタルは目をつぶされた。

 

 ここは、どこだべ?――。眩暈の中をさまようワタル。

 ケンちゃん、ケンちゃん、どこにいるだ?――。ワタルはケンジを探した。目つぶしをくらって閉ざされていた瞳がぱっと開いた。

 あっ、ケンちゃん、なんだ、こんなところにおっただが。

 ワタルの目の前で、光を背に、ケンジがほほ笑んでいる。ワタルはケンジをしっかり抱き寄せようと左右の手を伸ばした。すると、ケンジはみるみる小さく縮んで、ワタルの手の中に納まった。

 ワタルが手にしたのは、和室の仏壇の奥に立つ妙見童子の木像だった。

 ケンちゃん――。そうだ、そうだったべ、天国へ行ったケンちゃんは、天馬に乗って、妙見童子になったんだべ――。

 ワタルはそう信じて、妙見童子像を拝んだ。


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