第5話 900年後に先祖帰りの千葉一族少年
次の日曜日、五月晴れの朝、ワタル、ハルカ、そして、なでしこの真優と千尋の四人は、法蓮和尚に引率されて、亥鼻山へ登った。
亥鼻山のてっぺんには、「千葉城」と呼ばれて、千葉市を展望する天守閣が建っている。光法寺のあたりからも天守閣の屋根が見える。歩いて20分ちょっとの距離。
光法寺の裏手に流れる都川の大和橋を渡り、見上げると、雑木林の丘から爽やかな風が降りてきた。山というにはあまりにも小さいが、この森が「亥鼻山」と呼ばれている。
山へ上がる石段は子供には急で、歳月を刻む石は滑りやすく、危なっかしい。
「ちょっとここらで一服するかな」
法蓮和尚はすぐに石段へは上がらずに、樹齢何百年の欅が枝を広げる木陰のベンチに腰を下ろした。そこは、苔むした碑や祠やお地蔵様が何体も立つ歴史の扉だった。
「ほら、そこの碑に文字が刻まれているだろう。何と書いてあるか、読めるかな」
法蓮和尚が指さした石の塔には確かに文字が刻まれていた。が、青い苔がこびりついて、よく分からない。ワタルが指で文字をなぞり、一字一字、読んだ。
「お・茶・の・水」
「そう。ここは御茶ノ水という由緒のある場所なんだよ。ほら、そこの凹んだ所に石が重なっているだろう。今はもう枯れてしまったが、昔はこんこんと清水が湧き出る井戸だった。野点(のだて)と言ってな、清水を汲み、お茶を立て、都川の清流を眺めながら、一服する。それが、昔の千葉の人々の風流というものだった」
「今だったら、カフェでコーヒーを飲むみたいなこと?」
ハルカが訊いた。
「そうだね。だけど、野点は贅沢な遊びだったから、余程の偉い人でないと、ここでお茶はいただけなかったろうな」
「偉い人って、たとえば?」
「源頼朝だな」
法蓮和尚の即答に、ワタルが「えっ」と反応した。
「源頼朝いうと、鎌倉時代を始めたサムライだど」
「そうだよ。ワタルは源頼朝を知っておるのか」
「はい。日本の歴史の本に出とっただ」
「そうか、学校で習ったか」
「いいえ、広田の寺子屋で習っただ」
「ほう、寺子屋でそんな勉強をしたとは、感心なことだ」
「その源頼朝がここでお茶を飲んだど?」
「そうなんだよ。君たちがいま休んでいるここで、あの頼朝がお茶を飲まれたのだよ」
「えーっ、そんじゃ、源頼朝は千葉に来たいうことがあっだべな」
「そうだよ。これは昔の絵巻物にもその場面が描かれている歴史的事実であるぞ」
「そんだらば、法蓮和尚、なして、源頼朝がこごさに?」
「そうか、ワタルにはそれが謎なのか。興味があるというわけだな」
「はい。知りてえだど」
「その謎は、この石段を上がれば解ける。さあ、参るぞ」
腰を上げた法蓮和尚は、自分が源頼朝になったような気分で、子供たちを従え、石段を一歩一歩慎重に上がっていった。
千葉城天守閣の石垣前に千葉市開祖の武将とされる千葉常胤公の像が立つ。前脚を上げて今にも駆け出そうとする馬にまたがり、鎧兜に身を固め、弓をきりりと絞る雄姿を、子供たちは見上げた。
「今から約890年前の平安時代末期、この千葉常胤公が千葉の地を都として治めた。この時から、千葉市の歴史の扉が開かれていったというわけだ。以来、幾星霜、歴史とともに文化が積み重ねられて、今日の千葉市へと発展してきた。みなさん、想像してごらん、実に890年というと、どんなに長い時の流れかとなれば――」
法蓮和尚が独特の講談調の語りで知識を披歴するという自己流の歴史ガイドを始めた。
「ああ、そうだ、松尾芭蕉の『奥の細道』に、えーと、なんだったか、あ、そうそう、『月日の流れは百代の過客にして行き交う年もまた旅人也』という有名な文句があるが、そのまさに百代だよ。百代という悠久の月日、それほどに古い歴史ある町なんだよ、千葉という街は」
子供たちはあんぐりと口を開けて、法蓮和尚の昔語りを耳の穴の右から左へ流すばかり。
「ねえ、ホーレンソーさん」と、ハルカが法蓮和尚の語りを遮った。
「ホーレンソー?――」と、今度は法蓮和尚が口をあんぐり。「ソーはいいの。余計なの、ハルカちゃん」
「あら、ソーなの?」
「だから、ソーじゃないって」
マユがハルカを突っついて注意。
「ソーがない、ただのホーレン?」
「ソー、ソー、ソーいうこと。わしはただのホーレンなんじゃ」
「あ、ソー。なんだか、ソーじゃないとか、ソーだとか、ややこしいお名前なのね、ホーレンさん」
ハルカが首をひねりつつ法蓮に謝った
「ややこしいって、どういう意味なんじゃい。わたしの名前は仏様からいただいた由緒正しいものなんだがな」
ハルカは改まり法蓮に言った。
「ホーレンさん、わたしたちは小学五年生です。五年生にも分かるようなお話をしてくださいな」
「おお、そうか、まだ五年生か。それじゃ、この話をしよう」
法蓮は、人差し指を常胤公像の弓へ向けた。
「ほら、常胤公が弓を引き、今にも矢を放たんとしているが、あの矢はどこへ飛んで行くのか。君たちならどう考えるかな。これが私からの最初の質問じゃ。さあ、考えてごらん」
子供たちはポカン。だれからも返事がない。法蓮が自分で答えを出した。
「あの矢が向かう彼方は、空。すなわち、宇宙じゃないか。夜になると、あの矢の方向の悠久の宇宙に星がまたたく。その星とは、何という名前で呼ばれているかな。これが二番目の質問じゃ。さあ、考えてごらん」
子供たちは無言。また法蓮が自分で答えた。
「北極星だよ」
「えっ、北極星!」と、ワタル。
「北極星なら知っているわよ。法蓮さん」と、ハルカ。「わたしだって知ってるわよ」と、マユも答えた。法蓮も調子に乗ってきた。
「ならば、北極星と対になっている星座は、何だ?」
「北斗七星」と、子供たちは一斉に答えた。
「ピンポン!ご名答」と、法蓮は相好を崩し、子供たちに拍手。「いい子だ、いい子だ、みんなお利口さんだね」と言って、子供たち四人の頭をなぜて回った。
「北極星と北斗七星。この悠久の星座を守護神にして千葉市の悠久の歴史の扉を開いた人物が、千葉常胤公なんだ」
法蓮はどうも「悠久」という言葉がお気に入りらしい。その法蓮のくどい歴史語りにようやく子供たちも慣れ、聞き入った。
「そして、その守護神こそが、妙見様なのだ」
えっ?と、ワタルは法蓮を見つめた。
「妙見童子は、千葉にも現れでだんすが?」
「そういうこと。そういう時代も千葉にはあったということ」
「そうだったが。そんだらば、もしや昔、陸前高田と千葉は妙見童子で結ばれとっだど」
「おお、さすが、ワタルじゃ。いいところに気がついた。その陸前高田の妙見はな、この千葉から行ったのだよ」
「ええっ。千葉の妙見童子が陸前高田さ来たど?」
「そう。ワタル、きみのフルネームは千葉航だよな」
「はい」
「その千葉という名前の一族、すなわち、ワタルのご先祖様が、その昔、千葉から陸前高田へ行って、都を開いたというわけだ」
「やっぱし、そうだったべかーー」
深くうなずくワタル。それを見て、法蓮が続けた。
「妙見という北極北斗の星の神を心に抱いて、悠久の旅を続け、日本の各地に歴史の扉を開いていった、それが千葉一族なのだ」
ふーん、なんだか、すごいお話ね――。子供たちは心を動かされた。
「だから、ワタル。きみの体にもその千葉一族のDNAが流れているはずなんだ」
「ええっ、ワタルくんの体の中にディエヌエーが?」と、ハルカ、驚く。「どうりで、ワタルくん、頭がいいのね。だって、三陸の海育ちだから、イワシとかサバとかの青い魚を毎日いっぱい食べてきたからなのね」
トンチンカンなハルカの応答にみんな大笑い。
「それは、DHCのことでしょ」と、ヒナ。「ディ―エヌエーは、遺伝子というものなのよ」と、チヒロ。なでしこたちがハルカの勘違いを正す。
「そう、遺伝子とは先祖の血のことだ。その血を受け継ぐワタルは千葉一族の末裔。いうならば、900年という悠久を経て故郷に帰って来た千葉一族、その輪廻転生の蘇りで千葉に現れた一人の少年、彼こそが、この千葉航少年であるということなんだな」
法蓮は語りの勢いでワタルの背をドンと押した。小さいワタルはたたらを踏んで、なでしこの女の子の中につんのめった。
「え――、そうだったの。ワタルくんって、やっぱり凄い人なんだ」
子供たちは目をみはり、ワタルに集中。ワタルは、恥ずかしそうに顔を伏せ、小さい体をさらに縮めて、なでしこの輪の中に隠れた。
「よし、それじゃ、みなさん、これから、その千葉の悠久の歴史物語を勉強することにしようではないか」
法蓮は、千葉城天守閣の石段を上がっていった。その内部は千葉市郷土博物館になっていた。
「なんですって、これからが本番なの?」「今までのは前座だったのか」「またユーキューと言ったから、またお話が長いわよ、きっと」
子供たちはぶつぶつ言いながら法蓮の後を追った。
「あっ、先生、ようこそ」
法蓮が博物館に入ると、スタッフが出迎えた。歴史ボランティアガイドのおじさんだ。彼らから法蓮は「先生」と呼ばれた。実は、法蓮は光法寺住職兼保護司のかたわらもう一つの顔があり、郷土史研究家として千葉市では重きをなしていた。
「ごくろうさま。今日はこの子たちに千葉の歴史の勉強をよろしくお願いしますよ」
法蓮は、歴史ボランティアガイドに後を託した。子供たちはほっと笑みを向け合い、「よろしくお願いします」とガイドのおじさんに挨拶して、郷土博物館へ入った。
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